コログ大作戦
夜半にそろりと、姫様が葉っぱのベッドを抜け出したのはすぐに気が付いた。ペパパに無理を言って、ベッドの横の床にもうひとそろえ寝床を準備してもらったが、それでも隣だ。気が付かない方が難しい。
どんなに気配を消そうとしても、姫様の様子は手に取るように分かった。デクの樹様のおへそから出て行ったのをちゃんと確認してから、俺もまたゆっくりと体を起こした。
「すぴょ……」
「ペパパは器用だなぁ」
きのこ型お立ち台の上にはペパパが立って寝ていた。ちょこっと押したら倒れそうなのに、どうしてなかなか倒れない。どこでも寝られるんだろうか、不思議だ。
そんなペパパの前を素通りして姫様の後を追う。
厄災を封じて季節が一巡りした今になってようやく、姫様を連れてコログの森を訪れることが出来た。
だが時すでに遅く、封印の力を失っていた姫様の目には、デクの樹サマ以外のコログたちが映ることはなかった。あのボックリンでさえも見ることが叶わない。大興奮で俺たち二人を迎えてくれたコログたちはもちろん、当の姫様もだいぶ落胆しておられた。
こんなことならばもっと早くにお連れできれば良かったと悔やむも、しょうがないと言えば、しょうがなかった。これまでは滅んだ国をどうするか、今後のハイラルをどうするかで手いっぱいで、姫様も自身の個人的な用件に時間を費やすのを嫌がっておいでだった。
「コログの影ぐらい見えればいいのに」
オバケじゃないからコログにだって影ぐらいある。ところが姫様の目には影すらも映らない。どういう理屈なのか何度考えても、俺にはどうにも出来ないことだという事実しか分からなかった。
すぅと冷えた夜の空気を吸い込んで息を止め、辺りに意識の手を広げる。もちろんここはコログの森、魔物もイーガ団の奴らだってそう容易くは入れないので、もちろん危険な気配は無い。しかし、だからと言って寝床でぬくぬくしていて良い理由は無く、でも俺が起きたことが姫様にバレて気を遣わせるのもなんだか嫌だ。
そんな微妙な距離感。
想う気持ちが無い訳ではないが、そんなものを向けて良い相手でもないことは十分にわきまえているつもり。特に記憶を全部取り戻してからはなおさらだった。
「……まぁ、百年前に比べたらかなり近づいたとは思うけど、でもなぁ」
誰に聞かれるているわけでもないのに言い訳がましく独り言ち、デクの樹様のおへその入り口からこっそり外を伺う。
姫様は淡く光る森の下草をかき分けて、マスターソードが刺さっていた台座に触れていた。百年前ここへお一人で訪れた時と違って、金の髪は肩までに切りそろえられている。その頬にきらりと光る一筋を見つけて俺は唇を噛んだ。
何を思って泣かれているのかは知らない。でも時折ああして、不意に涙を見せることがある。それが悲しいからばかりではないことはさすがに察しの悪い俺でも気が付いていたが、でも絶対に人前では涙を見せることはない。
泣いているときは俺すら隣にいることが叶わない。
「近づいたけど、でもまだ遠いな」
一人で生きていく力をつけたいからとカカリコ村を飛び出して、ハテノ村の俺の家へ転がり込んできたのが数か月前。そんな無茶苦茶な!と思っていたある日、「髪の手入れの大変さがようやく分かりました」と言って、長かった髪をバッサリと切ってしまわれた。
全部相談は無いし、一度言い出したら止めたって基本は聞いてくださらない。昔から本当にそういうところは変わらないが、やりたいことが出来るのは案外悪いことではないと思って、こちらとしてもさほど止める気はなかった。
ただ、あの長かった髪を短くされたのばかりは、少しもったいないなとは思ったのは内緒だ。
「眠れぬのかな」
ゆったりとした老爺の声が森を揺らした。姫様はびっくりしてすぐさま目尻を擦り上げたし、俺も慌てて洞の中へ顔を引っ込ませる。
「デクの樹様、起こしてしまいましたか。すいません」
「なんの。夜の散歩もなかなか乙なものじゃ」
温かい木の洞に背を預けて会話に耳をそばだてる。
デクの樹様にはどうせ、ここで聞き耳を立てている者がいることはお見通しだろう。それでも俺は姫様の従者として、必要なことをしているつもりだ。
――そう自分に言い聞かせた。
「何か気になるものでも?」
デクの樹様の声に再度こっそり覗き見ると、姫様は辺りをきょろきょろと見回していた。釣られて俺も視線を左右に動かすが、これと言って気になる気配はない。
そもそも姫様に気が付いて、俺に気が付けない気配などないはずだ。森はいつも通り、カサコソと小さな動物や幼いコログたちがかくれんぼする気配で満ち溢れている。決して静かではないが、心地の良い空気だ。
ところが姫様は困り顔で首を傾げ、デクの樹様を見上げていた。
「あの、もしかして私、コログたちにとっても見られていますか?」
途端にあちらこちらで頭を隠す小さなコログたちが音を立てた。音がするたびに翡翠色の瞳を丸くしてその方向に振り返り、そのたびに金の髪がパッと散る。
どうやらコログの影すら見えない姫様でも、音や気配だけは分かるらしい。それは逆に気になるかもしれない。
でもコログの方も悪気があるわけではなく、むしろ歓迎されている証拠でもある。
「見えはしないのですが、なんだか視線を感じるような気がして。気のせいでしょうか」
「おやおや、それは申し訳ない。幼いコログたちに少し言わねばなるまいか」
「いいえ、いいえ! 気持ちが悪いとかではないんです。……ただちょっと、葉っぱでくすぐられたみたいに、くすぐったい感じが」
ふふっと微笑んだ姫様は頬を紅に染めていた。一介の従者が目にしてはならないものを見てしまった気がして、ゆっくりと洞の中へ体を引き戻す。
あの方の寝間着姿すら、本来ならば俺ごときが見てはならない。
でもコログの森へ、デクの樹様にご挨拶に行きたいと言われれば、他に案内できる者もいないので自然と俺と二人旅になる。しょうがない。こればかりはしょうがないんだけどなぁと思い、出過ぎた真似を止めて寝床に引き返そうかと思った。
「そういえば姫巫女、彼の者には、ちゃんと伝えなさったか?」
ぴくっと姫様の肩が震えたような気がした。
そういえばマスターソードを抜いた時に、姫様の記憶の断片を俺は覗き込んだ。だから知っている。
姫様は確かに百年前のあの時、デクの樹様に何か言伝をしようとしていた。でも断られて、……それから先は知らない。
あの時の伝言しようとしたことが一体何だったのか、悪いとは思いつつ足を止める。実はずっと気になっていた。姫様は一体俺に、何を伝えようとしたんだろう。
でも姫様の答えは俺の予想とはちょっと違っていた。
「はい。ちゃんと聞きました、己の口で」
嬉しそうにはにかむ声があって、他方俺はあれっと首を傾げた。
「それは良かった」
「本当は聞くのが、とても恐ろしかった。でもちゃんと自分で聞いてよかったと、今では思っています」
振り返ってもう一度様子を伺うと、姫様は胸に当てた手をぎゅっと握りしめて、なお一層目を細めてほほ笑んでいらっしゃった。
「なんのことだろう……?」
そんな特別なこと、聞かれただろうかと思わず眉をひそめた。
いや、姫様からの言葉は全部大事だ。些細なことでも、もう絶対に忘れたくない。ところが記憶が戻ってからこっち、姫様に聞かれたことのどれが断られた言伝なのかは判然としない。
覚えているはず、忘れるわけがない。
考えながら寝た振りをして姫様の帰りを待ったが、そのまま無性に気になって寝付けなくなってしまった。こうなってしまっては、頭を空っぽにするしかない。早朝の一番の鳥が鳴く前に剣を持って洞を出た。青い刀身に煩悩を乗せて素振りをすると心地よい風が吹いてくる。デクの樹様にはきっと笑われているに違いない。
ふーっと肺の奥の方から息を吐き出してから気が付いた。朝の風にかき分けられた草の間から、「すやぁ……」と気持ちのよさそうな寝息が聞こえてくるではないか。
「トッチー? こんなところで寝てると風邪ひくよ」
まぁ、そもそもコログが風邪をひくとも思えないのだが。
幸せそうなところ邪魔して申し訳ないと思いながら、朝露に濡れた体を揺さぶった。驚いたトッチーは先が五つに分かれた紅葉型のお面をぴゃっと広げて目をぱちくりさせる。
『ゆうしゃサマ?!』
「おはよ。こんなところでどうしたの?」
両手に持った小枝をブンブン振って辺りを見回すトッチー。
ペパパに限らず、コログってどこでも寝られるんだなぁと思っていたら、ハッとしたトッチーは立ち上がり、真剣な顔で俺に耳打ちをした。
『あのねあのね、昨日の夜ひめみこサマがデクの樹様とお話してたんだよ!』
なるほどね。あの時、周りで隠れて見ていたコログの内の一匹は、トッチーだったわけか。
俺も隠れて聞いていたので人のことは言えないが、隠れて誰かの会話を聞くのはあんまり褒められたことじゃない。と、コログ相手に言うのも何だなぁと思って「うんうん」とそのまま話を聞いていた。
『実は百年前、ひめみこサマはデクの樹様にゆうしゃサマ宛ての伝言を頼もうとして、断られちゃったんだって!』
「それは、うん。らしいね」
『あれ? ゆうしゃサマ知ってたの?』
「マスターソードを抜いた時、姫様の記憶を少し見たから」
苦笑いして答えると、トッチーは枝を持った手を震わせている。分かりづらいけど、たぶん感動しているんだと思う。昨晩立ち聞きしていたことだけは内緒にしておこう。
トッチーはきっと『とっても大事な秘密』を知ってしまったようなものなんだと思う。子供の時って些細な秘密が大事だったよなぁと思いながら立ち上がろうとしたら、予想外に力強く服の裾をくいくいと引っ張られた。
『じゃあじゃあ! ひめみこサマから何を聞かれたの? ひめみこサマ、勇気を出して聞いたって言ってたよ!』
ええっと、それは。実は俺も知りたい。忘れるわけがないんだけど、どれがその質問だったのか分からないんだ。
……とも言えず。
うーんと考える振りをしてから、少し悪い笑みを浮かべて見せた。
「ないしょ」
『えーなんでー? 教えてゆうしゃサマ!』
「だーめ、俺と姫様のナイショだから教えません」
『ずるいずるい! ゆうしゃサマずるい!』
「ずるくない」
『ずるいよー!』
そのあとも延々とトッチーは俺の周りをちょこまか走り回って『ずるいずるい』『おしえて』と騒ぎ立てた。これはもしかしなくても、延々と同じ押し問答が来る返される予感。
しかもさっきからカサッコソッと周りから音がする。
まずい。このやり取りは、きっと他のたくさんのコログに聞かれていて、時が経つほどにトッチーに加勢するコログが増えてしまう。
素振りを諦めて剣を鞘に戻すと、大股でデクの樹様のおへその方に向かって歩き出す。頭上で笑いをこらえるような声がしたので、デクの樹様にすら見られているようだ。
味方がいない。
『ゆうしゃサマのけちけちー! けちんぼ!』
ぷりぷり怒るトッチーを無視して、俺は姫様を起こしに行った。
きのこ屋さんで買い物をして朝ごはんを作り、寝坊助のボックリンに挨拶をして、最後にデクの樹様に別れを告げて。サヨナラまた来るねとみんなに手を振りながら、コログの森を後にした。
ところが森を出るころには、あれだけまとわりついていたトッチーはひっそりと鳴りを潜めていた。諦めたのならば良しと思って、俺はすっかりとトッチーのことを忘れていた。
森を抜け出ると一路西へ、この旅のもう一つの目的地であるリトの村へと向かう。ヴァ・メドーの調査をし、テバやハーツ、村に戻ってきていたカッシーワと色々な話をした。その後カカリコ村に寄ってインパに報告をし、あとはのんびりとハテノ村に帰宅。
道中、やけに荷物に葉っぱがくっついている気がしたが、まぁそんなこともあるだろうぐらいにしか思っていなかった。
こうしてまた二人での生活が始まる。
生活を共にする姫様は息の詰まる人ではないが、気の置けない人というには遥かに遠く、同じ屋根の下で暮らすのはやっぱり落ち着かない。
そんなザワザワする内心をひた隠しにしながら、二人で買い物に行ったりするわけだ。サクラダさんたちに茶化されながら家に戻り、戸棚に食材を片付ける。なんてことない日々。
幸せなんだけどちょびっと物足りないなぁと思っていた時、コンコンコンと控えめなノックの音がしたので顔を上げた。でも俺の両手は荷物でいっぱい。私が出ますよと姫様が気を利かせて扉を開いてくださる。
ところがそこには人影はなかった。
「どちらさま、……あら?」
扉を押し開けたまま、左を見て右を見て、また左を見て。振り向いた姫様は、可愛らしい眉毛を八の字に困り顔で首を傾げていた。
「悪戯でしょうか? 誰もいません」
確かに姫様には見えていない。
でも俺にはしっかり見えていた。
「いや、います。すいません、こいつらは俺の客です」
『こんにちは、ゆうしゃサマー!』
「え、つまり、コログ? コログたちが訪ねて来てくれたのですか?!」
「ええ、大森林のコログが揃いも揃って五匹も訪ねてきています」
くるくる回るデクの葉っぱをシュッとどこかへしまいながら、戸口にコログが押しかけていた。
デクの樹様のおへそでベッドを準備してくれたペパパ、きのこ屋さんのナトゥーとルミーの光る秘密が知りたいピーカンに、それからトッチーの一番の友達タッチオ。その先頭に立っていたのはもちろんトッチーだ。
どうやってここまで来たかは問うまい。通りで荷物に葉っぱがたくさんついているわけだ。
「何しに来た」
まだ姫様の断られた言伝を聞き出そうと、しつこくやってきたのだろう。
視線を合わせるために腰を落としたが、意図せずして怖い顔で真正面から睨み据える形になった。五匹のコログたちは一瞬たじろぐ。
でもトッチーはむぎゅっと握りこぶしに力を込めながら一歩前へ出た。さすがにハイラル大森林から東の果てにあるこの村まで出張ってくるだけのことはある、その度胸は認めよう。
しかし、こうまでされても、俺の答えは「ないしょ」「答える義理は無い」で突き通すしかない。
だって姫様がデクの樹様に言伝を頼もうとした本当の答えが分からないのだから。
「何度聞いても教えないからな?」
先手を取ったつもりだった。
ところがコログたちの間で何がどうなってそうなったのかは分からないが、彼らの目的は明後日の方向へと勝手に進んでいた。
『わたしたち、ゆうしゃサマのお手伝いしにきたの!』
「は……? 手伝い?」
『だってだって! ひめみこサマとまだコイビトになってないんでしょ?!』
ピシッと。
瞬間、周りの空気がだいたい二十度ぐらい下がった。たぶんラネールの中腹ぐらいの気温になった気がする。
音を立てて俺の表情が凍ったのを見て、コログたちは声を合わせて『やっぱり!』と叫ぶ。
『ほらね、わたしの言った通りだったでシょ? どう考えても、帰り道に手の一つも繋がないなんておかしいと思ったのヨ!』
と、蝶々型の葉っぱをぴんと張ってナトゥーが胸を張った。
『同じおふとんでむにゃむにゃゴロゴロしなかった時点で、ペパパなんか変だと思ってましタ……!』
後出しだが確かにそれは鋭い指摘だ。ペパパにもうひと揃え寝床を頼んだのは俺、弁解の余地は無い。
『ハイリア人の若い男女が一つ屋根の下で暮らしているのに、コイビトじゃないのは逆に不健全じゃないかナ~?』
丸い葉っぱをくりくりと回しながら、ピーカンが首を傾げながら俺の顔を伺う。その妙な勘の良さ、ボックリンあたりの入れ知恵を疑いたくなる。
『大丈夫よ、ゆうしゃサマ。告白のシチュエーションは、ワタシたちコログにどーんとまかせて! ワタシは花束渡すのとかいいと思うのよね。オプションのどんぐりと松ぼっくりつけられるけど、ひめみこサマはどちらがお好きかしら?』
タッチオはすでにあたりから引っこ抜いてきた花をいくつか手に持って、小さなブーケを作り始めていた。が、芋虫がにょっきり葉っぱの上を歩いているので丁重にお断りしたい。
コログってなんでこう、変におせっかいなんだ。
頭をぐしゃぐしゃかき混ぜたくなるのをぐっとこらえて顔を上げた。
「必要ない! というか俺と姫様はそういうのじゃない!」
「リンク? コログたちはなんと?」
「姫様にも何も関係のないことです。ほらお前たち、帰った帰った!」
慌てて手を振って五匹を追い出そうとした。
たしかに、こう見えてもコログは精霊の類である。常人には見えないぶん、そういった立ち居振る舞いは、シーカー族の隠密よりも得意だ。
が。
そういう問題じゃない。俺と姫様は断じてそういう仲じゃない。
というか、お前たちは姫様の伝言の内容が聞きたくてここまで来たんじゃないのか?! たぶん話が盛り上がるうちに、どこかで目的があらぬ方向へ飛んだのだろう。コログにはよくあることだ……たぶん。
『ゆうしゃサマ』
「なんだよトッチー」
『最初はね、わたしたちも、ただひめみこサマの伝言が何だったのか聞きたくて、こっそりついてきちゃっただけなんだけど』
フリフリしていた枝が止まり、キリッとしてトッチーが俺を見上げる。葉っぱのお面のせいで表情は読みとれなかったが、たぶんものすごく真剣なまなざしだった。
『そろそろ覚悟、決めた方がいいと思うよ……?』
カッと顔に熱が集まって爆発する。
俺はとりあえず、目の前のコログたちの首根っこを掴んでぽいぽいぽいぽいぽい!と放り投げた。
「全員帰れ! 森に帰れ!」
「リンク?! 大丈夫ですか、コログたちは? え? 顔がまっか……」
「大丈夫です姫様とりあえずもうあいつらには帰らせますんで!」
勢い任せに家の扉を閉じる。
扉越しに『チキンチキン!』『いくじなしー!』『それでもゆうしゃサマでスか!』『コログの不当扱いで訴えてやル~!』だのと、きゃわきゃわした声が聞こえてきたが、ぜーんぶ無視。
大丈夫あの声は俺しか聞こえていない。姫様は何が起こっているのか一切分からない。
よぉしと顔を上げて、景気づけにパンと両手を合わせた。
「いい天気ですから、お布団干しましょう! 二階ちょっと失礼しますね」
「リンク?」
「だいじょうぶです、だいじょうぶ……」
言いながら、俺は階段の一段目を見事に踏み外して顔面からズッコケた。足元にはどんぐりが落っこちていた。誰だこんなところにトラップ仕掛けたやつは!!
閉じた扉の向こう側を睨むが、追い出した手前怒鳴りに行く気にはなれなかった。
ところがそのあともおかしなことが続く。
姫様のお布団を二階の窓辺に干していたら、姫様のチェストが開いて風に煽られて下着類が飛び出してきた。なんでだよ?!と思いながら顔を両手で覆って姫様に事の次第を報告し、片付けをお願いする。流石に俺が触れるわけにもいかないのでお互いに顔が真っ赤だった。
階下に降りては、忘れかけていた買い物の荷物を片付けの方を始めた。すると戸棚の中から、蓋の空いた蜂蜜の瓶が頭の上に真っ逆さま。
「瓶のフタあけたの誰だ……」
蜂蜜がもったいない。ムッとしながら服を脱いで、裏の池に体を洗いに行った。するとそこでも、いきなり突風が吹いて持ってきた換えの服とタオルが吹き飛ばされていく。追いかけて走っていくと俺の服を拾う姫様がいて、慌てて前を隠して後ろを向いた。
姫様の方も一拍おいて何が起こったのか理解し、耳まで真っ赤にして顔を覆う。
「ちょ、すいません! そこ置いてください!」
「こちらこそごめんなさいリンク!」
向こうの方でサクラダさんが「平和ねぇ」と笑う声がした。
全然平和じゃない、これ絶対にコログの仕業だ。あいつらどこかに潜んで、俺にちょっかい出してきている。
「まさか、またやることになるとは思わなかった……」
新しい服に着替えると、家の中で神経を研ぎ澄ました。まさかコログたちとまたかくれんぼをすることになるとは、しかも自宅でやる羽目になるとは思わなかった。
だが舐めないで欲しい。
俺はこう見えて、ハイラル全土を舞台に九百匹のコログ相手にかくれんぼに興じた男だ。この小さな家の中にいる五匹程度、どうということはない。
「タッチオ、ここか」
『見つかっタァ!』
水瓶の蓋を取ればすぐそこにハート型の葉っぱが隠れていた。
「暖炉の中、ピーカン」
『なんで見つかっちゃうのかナ~……?』
手を伸ばして掴んで引っ張り出すと、丸い葉っぱが煤だらけになったピーカンがドスンと落ちてくる。
「天井の梁に隠れているのはナトゥーか?」
『なんで分かっタの?』
ぴょんと飛び上がって丸見えの尻を叩いて落とすと、ぽんと音がして緑色の体がころんと落っこちてきた。
ぐるりと見まわしそのまま二階へ。
「姫様、申し訳ありません。あと二匹足らないので、少し探させていただきますね」
「少しぐらい、だめですか?」
「いいえ、悪戯好きを甘やかすとロクな目にあいません」
酷い目にあっているのは主に俺だが、それでも万が一と言うことがある。自分でも分かるぐらい眉間にしわを寄せて、中二階になっている姫様の個人的なスペースを見渡した。
「トッチーはベッドの下、ペパパはタンス開けっ放しで隠れる気がないのか?」
『ウワッ!』
『すぴょ……?』
開きかけたタンスの隙間から、緑色の大きい顔がみっちりとはみ出していた。先ほどと同じように首根っこを捕まえて、でもさっきよりかは随分と冷静に、五匹を家の外に放り出した。
「いい加減にしろ。姫様のお部屋を荒らすつもりなら本気で容赦しないからな」
なるべく本気の怖い顔をしたつもりだが、これでどうにかなるならば苦労はしない。今度は一体どんな手に出るのか、扉を閉じて背を預け、腕組みをして考える。
コログのことだ、恐らく予想の斜め上を来るに違いない。だがここまでの傾向を見ていると、どうやら偶然に見せかけて俺にラッキースケベを仕向けることに終始している。
次は一体何をしでかすか、もうなぞかけみたいなものだと首をひねっていると、二階から軽い足音がおりてきた。
「プルアのところに本を返しに行ってきていいですか?」
「今からですか?」
姫様が二冊ほど本を持って降りてくるところだった。裾に白い刺繍の入った萌黄色のワンピースドレスがふんわりと揺れる。
「大丈夫ですよ、そんな顔しなくても。夕方にはちゃんと帰ります」
小さく声を立てて笑われたので自分の顔を触ってみたら、気が付かないうちに随分と難しい顔をしているようだった。鉄面皮と呼ばれたころの俺はもういない。不安がもろに顔に出てしまう。
「付いて行きます」
「大丈夫ですってば。それよりも、これ以上コログに冷たくしないであげてくださいね」
「それはちょっと、難しいかも……」
「ではほどほどに。それでは行ってきます」
ぱたんと静かに扉が閉じて、吊り橋を渡る足音が遠のいて行った。静かになった部屋の中で、なんだか悶々とする。
姫様の足ならば、今はおそらく村の真ん中あたりだろう。たぶんマンサクの居る辺りだ。そこで「ごきげんようゼルダ嬢」などと声を掛けられるに違いない。
その次はトンプー亭のテラスでずっとぶらぶらしているワターゲンさん。昼間から酒を飲んでいることすらあるから、本当なら近寄らせたくなんかない。でも俺がいない時ばかりを狙ってあの人は姫様に声をかけるし、姫様も下心なんか気づきはしないから、つい冒険話を聞き入ってしまったりする。
ものすごく心配。
でも俺が間に入るのは、顔には出されないがたぶん嫌なんだろうなぁとも思う。何しろ姫様は今、一人で生きていく術を必死で身に着けている途中だから。それを邪魔したら嫌がられるのは分かってる。
「でもなぁ。心配なんだよなぁ……」
追いかけていくわけにもいかず、そわそわしながら今夜のシチュー用の肉を切り始めた。ヤマシカのアバラのあたり、包丁を入れてドンと力を込める。脂が多いから一度煮こぼした方がいいかも。しばらく、静かな家の中に肉と骨を断つ音だけが響いていた。
ぐつぐつと煮える頭で単調な音を繰り返しながら考える。
分かってはいる。姫様がいつかここを出ていくであろうことも、あるいは俺の下心が徐々に抑えきれなくなっていることも。時間の問題。でもゴールの見えている我慢なら、まだできる気がしていた。
国が滅びたとはいえあの方は一国の姫君だった方だ。俺ごときがどうこうする方じゃない。うん、そうだ。やっぱり思考はそこにたどり着く。
「静かだと考え事がはかどるな」
全部肉を切り終えて鍋に放り込む。案外、こういう黙々とした作業は好きだった。
もやもやした気分がすっきり整理されるし、案外料理と素振りは似ている気がする。誰もいない静かなところで、瞑想するのに近い感じ。
いや。
「静かすぎる……?」
ハッとして家から飛び出す。なんか嫌な予感がした。
そのまま吊り橋を渡って村の中央へ、見上げた東の丘には白く霧が覆いかぶさっていた。それはまるで迷いの森のようにぐるぐると渦を巻く。
「あいつら……!」
気が付いた時には村の真ん中を全力で駆け抜けていた。声をかけてくれたアイビーさんも、よぉと手を上げたマンサクも、どうしたのと顔をあげたウメさんも全部無視して走る。
途中でコログのうちわが落ちているのを見つけて拾った。
あの五匹、今度は姫様の方にちょっかいを出しに行ったらしい。
「ふざっけんな!」
振りかぶったコログのうちわで思いっきり霧を仰ぐ。流石にデクの樹様が森を守るために維持している霧と違って、コログたちの悪戯の霧は軽く吹き飛んで行った。
薄く白い只中で、おろおろと辺りを見回している姫様を見つけて駆け寄る。
「ご無事ですか!」
「大丈夫です、リンク。ちょっと霧が出て迷ってしまったみたいで」
屈託なく微笑まれるので、もっと危機感を持ってくださいと怒鳴りそうになるのを寸でのところで堪えた。
そして頭上を睨みつける。案の上、デクの葉っぱをくるくるさせた五匹がゆらゆら風に揺れていた。
『ひめみこサマがピンチになれば絶対に駆けつけると思ったのヨ』
『やっぱりひめみこサマ大事なんでスね』
『ひめみこサマもゆうしゃサマのこと大事だと思ってると思うのにナ~』
『そんなに大事ならおヨメさんにしちゃえばいいのに!』
『なんでゆうしゃサマ、ひめみこサマに何も言わないの?』
「勝手なこと言うな、人の気も知らないで!」
そのままコログのうちわで扇いでやった。ぴゃ!と声がして軽く、研究所の方へと吹き飛ばされていく。
構うものか。もうプルアさんの研究材料にでもなってしまえと心の中で怒鳴った。
カッカした頭のまま姫様の手を掴む。一瞬びくっと手が震えて逃げそうになるが、有無を言わさずに掴んだまま歩き出した。今日だけは許してほしい。
「帰りましょう」
「でも!」
「本は明日俺が返しに行きます」
返事を待たず、また姫様の顔も見ずに坂を下り始めた。
こんなこと、普段なら許されない。でも今日ばかりは別と言い訳をする。コログが何をしてくるか分からないから、だから手を取って帰る。
何もやましいことはしてない。
「いくらコログと言えども、姫様に悪戯するなんて許さない」
姫様の手を引いてずんずん歩いて行くのを、からかう奴は村の中に一人もいなかった。あとから聞いたら、鬼気迫る顔に皆怖がっていたらしい。
だが、帰ったところで安心できるわけではない。コログたちの襲撃がこれで終わるとも思えなかった。
あいつらはハイリア人の心の何たるかをおよそ把握していない。だからこそ、俺の逆鱗に触れたことにたぶん気が付かず、次こそ事態の進展を図るべく特攻を仕掛けてくる。
「姫様は家の中に居てください。奴らをしばいてきます」
さりとて、さすがに顔見知りのコログに刃を突き立てるのは気が引けた。だから木のオタマとお鍋のふたを手に取る。ごめんね、マスターソードはお留守番。おもむろにお玉を振るうと、パシッと小気味の良い音がした。
装備を整えて家の前に仁王立ちになる。
予想通り、正面に見据えた吊り橋に、五匹のコログが夕日を背にして現れた。逆光で彼らの表情(お面)は読めない。だが彼らもこれが最後の勝負になると思ったのだろう。手という手には枝とブーメランとドングリとりんごと虫とカエルを持ち、コログの本気がうかがえた。
『ゆうしゃサマ、覚悟を決めてひめみこサマに愛の告白を!』
「大人しくハイラル大森林に帰れ……!」
夕日にコログの影がゆらりと動く。
あたりは不気味なまでに静まり返っていた。
『お断りしまス』
『我々は、ゆうしゃサマとひめみこサマの幸せを願うコログの代表!』
『お二人のちゅーを見届けるまでは引き下がらないわヨ!』
「だから俺と姫様はそういうのじゃないって言ってる! お前たちのはただのおせっかいだ!」
『森ではゆうしゃサマとひめみこサマの第一子はまだかという声まであるのに!!』
「第一子もくそもあるか―――ッ!!」
実に不毛な、すれ違いだ。
俺は俺で百年前に戻ったかのように表情を凍てつかせていたし、対するコログたちも手をこまねいている暇はないと察したようだ。『この朴念仁、早く覚悟を決めさせなければ、むしろひめみこサマが可哀そう』ぐらいのことをたぶん考えている。
じりじりと距離を詰めながら、互いに決戦の火ぶたを切る瞬間を見定めていた。
ひゅるりと音がして強い風が吹き抜けて、家の脇にある鍋をカタリと揺らした。もうサクラダさんたちは居ない。
それが合図となった。
『かかレー!』
「だから覗くな! 帰れ!!」
合図とともにドングリやりんご、虫やカエルが宙を舞う。飛んできたものを瞬時に見定めて、オタマを横薙ぎに、投げられたものを空中で捕らえて弾き飛ばす。
ちょっと遅れて届いたガンバリバッタだけ、タイミングをずらしてナベのフタで弾き返す。ぺちぃんっ!と良い音がしてタッチオのおでこにガンバリバッタが見事に当たった。
第一波攻撃を難なくいなすと腰に手を伸ばしてシーカーストーンを起動する。取り出したるは丸いリモコン爆弾。
勇者を舐めるな、どれだけ魔物相手に戦ってきたと思っている。
ちょうどコログたちの目の前に投げて、さっとシーカーストーンを掲げた。それはまさしく起爆させる際の動作だ。ところがピーカンが叫び声を上げる。
『危ない、みんな伏せテ~!』
他のコログたちがさっと頭を伏せるなか、ただひとり予備動作が見えていたピーカンは手持ちの枝で転がるリモコン爆弾を打ち返す。キィンと音がして、まったく別の方向に吹っ飛んで行った爆弾が庭草の一部を吹き飛ばして跡形もなく消えた。
「よくリモコン爆弾の予備動作を知ってたな、ピーカン」
『これでも伊達に、ゆうしゃサマにルミーのウツシエを頼んだコログじゃないですヨ~!』
なるほど、甘く見るなと言うことらしい。
ならば本気で行かせてもらおうかと右足を踏み出したが、ひゅんひゅんと音を立てて迫り来るものがあった。あわやと言うところで宙返りをして飛び退く。
一瞬前まで俺が立っていたところをブーメランが横断していった。
「あっぶね!」
『よくよけたワね!』
大きく弧を描いて宙を舞う凶器が投擲した本人、ナトゥーの手の中へ綺麗に戻っていく。戻ってきたブーメランをキャッチすると、ナトゥーはもう一度武器を構えた。
「コログってブーメラン使えるの?!」
『実はブーメランって元はコログ族の武器なんだよ!』
『デクの樹様の上にあるゴーゴーダケを取らなきゃいけないから、森で一番のブーメラン使いはこのわたしナトゥーなのヨ!』
ぶんぶんとかっこよく得物を左右に振ってみせたナトゥーは、もう一度体を大きくひねってブーメランを投げる。それは的確に俺の足元を狙っていた。体ではないので撃ち落とすのも難しく、機動力を削ぐ。
「お前らァ……!」
『みんな、とつげきでスー!』
ペパパの声に合わせて小さな木の葉が舞い上がった。まるで目くらまし。
その中をコログたちは駆け抜けてくる。うおおおお!と走ってきて、ぴたっと俺の足にまとわりついた。
別に痛いとかそういうわけじゃなく、ただただ動きを封じようとして手足に絡みつくだけ。被害はと言えば、どさくさ紛れにチュチュゼリーを一個投げられたぐらい。
ともかく引き剥がそうとオタマでぽこぽこ叩いてみたが、一匹を引き剥がす間に二匹にくっつかれてしまう。
勇者ってのが、実は多勢に無勢の戦いに弱い生き物であることが露呈してしまった。
「くっそ、くっつくな! 森に帰れ!」
『トッチー今よ! やっちゃいなさい!』
おでこにバッタを張り付けたままのタッチオが叫んだ。ハッとして数える、一、二、三、四、コログが一匹足りない。
『ゆうしゃサマ、かくごー!』
家のひさしの方から声が聞こえた。
振り向きざま、トッチーが担いだ黒っぽい機械と共に突っ込んでくるのが見えた。少し遅れて頭に衝撃が走り、機械が一瞬ピカッと光る。
手からオタマとナベのフタがすり落ちる。カラカラと地面に転がる音がした。
「痛ぃ……」
『ごめんね、でもこれも全てゆうしゃサマのためなの』
ぐらりと揺れた世界。激しい疼痛に顔を歪める。
こんな、コログ相手とはいえ、まさか俺が膝をつくなんて。もしかして、俺は平和ボケでもしてしまったんだろうか。
周囲を五匹のコログに囲まれて、きゃわきゃわと騒ぐ中心でどんどんと力が抜けていく。
『やったネ~!』
『さすがトッチー、ワタシのチビすけ! 頑張った!』
『でもゆうしゃサマ小さくならないねぇ』
「ちい、さく……?」
そういえば、トッチーが特攻してきたときに光ったあの機械は一体なんだ?
やけに体が重だるく、痛む頭を抱えるようにして転がったきかいに手を伸ばした。そのもようはまちがいなくシーカー族の物で、この村でシーカー族と言えばほこらかプルアさんしかいない。
なんだかものすごくイヤなよかんがした。
『丘の上の建物から喧嘩しているオジサンと女の子が出てきて、オジサンがこの機械をポイしたのでありがたく貰いましタ』
『おじさんが“小さくなるからもうダメ”って言ってタの』
『つまりコレって小さくなる機械なんだよネ!』
『だからワタシたちと同じぐらいの大きさになってもらおうと思ったの』
『同じ大きさならゆうしゃサマでも怖くないもんね!』
ああ、それは、たぶんすごくヤバいものだ。
というより、頭がフワフワして、うまくことばが出てこない。とろりと体がとけそうになり、服のすそに手足がうもれていくのを見る。
そのとき頭の上でとびらがひらく音がした。
「リンク?!」
ひめさまのびっくりした声。
やっべーと思って、でも体に力が入らないのでそのままでいると、きれいな白い手がおれをたすけ起こしてくれた。
「大丈夫ですか、リンク! しっかりして! 体が小さく、子供になってますよ?!」
やっぱりコレ、プルアさんのアンチエイジングだ。なんてモノをコログたちにあびせられてしまったんだろう。イテテと頭をさわったら、ぬるりとあたたかいモノが出ていて、どうやらケガまでしているらしい。
「たぶんアンチエイジングぶつけられた」
「ともかく止血しないと!」
小さくなったおれの体は、ひめさまにかんたんに持ち上げられてしまった。そのまま家の中へ、しかも二かいのひめさまのベッドに寝かされる。
そのころには体が小さくなるのが止まって、歩けるぐらいには力が入るようになっていた。だから「だいじょうぶ」と言ったけど、ぜったいにダメ寝てなさいってひめさまがコワい顔で言うからさからえなかった。ひっしで肩からずりおちるシャツをもちあげる。
「ごめんなさい……」
「リンクが悪いわけじゃないと思うのですが、こればかりはコログの方の意見も聞かないと分かりませんね」
「うーん……おれも、さすがにここまでされるとは思わなかった」
いつのまにかコログたちはいなくなり、あたまのケガをしょうどくするひめさまの顔がぐんと近づく。うーん……ちかすぎる……。
近いせいで、ひめさまが泣いたあとがとてもよく見えてしまった。目のはしっこの方が赤くなってて、まだちょっとだけキレイなひとみがウルウルしている。
ぜんぶおれのせいだ。
なんで泣いているのかいつもはよく分からなかったけど、今日のはぜったいおれのせい。
「ごめんなさい、ひめさま」
「どうしたんです?」
「だって、ひめさま泣かせちゃったから」
するとまた、大きなひとみからボロリと涙がこぼれた。なさけないなぁ。おれ、ひめさまを悲しませてばっかりな気がする。
もう泣いてほしくないのに。
それをつたえたいのに、頭の中まで小さくなってるのか、うまく考えがまとまらない。
「どうしたら泣き止んでくれる? おれ、ひめさまが泣いているの、つらい」
「あなたが無事で、そばにいてくれれば、私はそれで充分なんです……」
「そばにいればいいの? そしたら泣き止んでくれる?」
もっとうまい言い方が、大人のおれにはたぶんできる。でも今はできない。できないのに、しなきゃいけないのは今だ。
困ったなぁと考える。さっき干したばっかりのフワフワのお布団をぎゅっと握りしめた。
ちいさいころ、泣いてた時、母さんどうしてくれたっけ?
たしかそう、おでこにキスをしてくれた。
「どこかいたいとき、母さんがこうしてくれた。ひめさまが泣きたいとき、こうするから、だから泣き止んで」
ひめさまのおでこに、母さんがしてくれたみたいにキスをしてあげた。そしたらひめさまは目を丸くして、そのままポカンと口をあけていた。
「リンク……」
「います、ずっとそばにいるから、もう泣かないで」
言いおわるか終わらないか、その瞬間、メキメキと体が音を立てた。
「いたたたたたたた……ッ」
酷い副作用、さすがにここまで急成長しては体が悲鳴を上げた。手足が伸びて、指が硬く節くれだって、柔らかかった体が硬くなる。でも一番の変化は、顔が真っ赤になったことだと思う。
驚いて顔を見合わせたまま、姫様もまた目を丸くして頬を赤く染めていた。
瞬間、ポンポンポンポン!と部屋のあちこちから実が弾けるような音がした。
『作戦大成功!』
『おめでとう、ゆうしゃサマ!』
『ひめみこサマお幸せにー!』
はっと部屋を見回すと、葉っぱを散らすコログたちの姿があった。
花びらや葉っぱ、どんぐりだのをぽいぽいと投げてくる。フラワーシャワーじゃないんだから、どんぐりは地味に痛い。
近場に居たトッチーを掴もうとしたが、窓の外につるりと逃げて行ってしまう。その逃げ足は尋常なものではなく追いかけることは叶わなかった。
「お前らアンチエイジングなんかぶつけやがって!」
『ヤハハー! てったいてったーい!』
「覚えてろ!!」
悔しまぎれのセリフがいかにも往生際の悪い敵役っぽい。俺、勇者じゃなかったっけ。四の五の余計なことを考えながら、振り向くのを躊躇する。そうでもしないと平常心を装えなかった。
「リンク、これはつまり、どういうこと……?」
花びらと葉っぱでいっぱいになったベッドの脇で、姫様は未だに呆然としていた。
聡明な方だから、コログの仕業だとは察しておられるだろう。でも姫様をここまで困惑させているのはコログじゃない、俺自身だ。
思わずベッドの上で正座した。でも早口で出てくるのは言い訳ばかり。
「あの夜、デクの樹様とお話をなさったでしょう。その時コログたちが話を聞いていて、姫様がデクの樹様に頼もうとした伝言の内容を知りたがったんです。でも俺、心当たりが無くってナイショだって嘘を吐いたんです、そしたらあいつら……」
「そっちじゃありません」
ぴしゃりと怒られた。姫様はちょっと怒った顔で口をとがらせる。でも幼い俺がキスをしたおでこを抑えた手はそのままに、翡翠色の瞳が俺を捉えて離さない。
「そっちじゃありませんリンク」
「ええっと……はい……」
頭を下げながら、ぶんぶんと首を振った。今話すべきはそんなことじゃない。分かってる。
膝の上の握り拳に力が入る。
でもその先、何と切り出してよいのか分からず言葉がつっかえて出てこない。幼いから言葉がつっかえたのかと思ていたのに、どうやら俺は大人になっても上手に物事を伝えるのが苦手らしい。
頭の中で「えーっと、えーっと」と繰り返しながら、さっきの失態をどう取り繕うべきか適切な表現を模索する。
本来なら触れることすらできる相手じゃない。でも俺は、泣いている姫様を見るのはもう嫌だった。俺が傍に居て、それで泣き止んでくれるなら、俺は姫様の言うとおりにする。
それを一言で表す言葉が、口の中がカラカラで上手く出てこない。
「もう。あの時はちゃんと答えてくれたのに、どうして今は言ってくれないのかしら。とっても嬉しかったのに」
茶化すみたいに言われて、情けなくて顔が見られず顔を伏せた。そのおでこに軽くキスが降ってくる。
びっくりして見上げると、姫様がほほ笑んでいた。
「『私を、覚えていますか』と。あなたの記憶が戻っているか、確かめるのはとても怖かった。……あの時、自分が何と答えたか覚えていますか?」
あっと声を上げそうになった俺の口を、姫様は一本指で塞ぐ。
まだですと首を横に振り、静かな声を続けた。
「それから、先ほど言ったこと本当ですか? これからずっとそばにいてくれるのですか? 痛かったらまたキスしてくれます?」
「‥…俺なんかがお傍に居ていいんですか」
「だって百年前の私の気持ちも知っているんでしょう? カッシーワさんから聞きましたよ」
悪戯っぽく笑っているように見えるけれど、姫様の瞳は真剣そのものだった。俺はそのまなざしを受けるに値する値打ちがあるのか、自分ではよく分からない。
でもここまでお膳立てしてもらって逃げるのは卑怯だ。自分の気持ちぐらい、もうそろそろちゃんと吐き出せる大人になりたい。
ゆっくりと彼女の手を取る。今度こそ手はびっくりもしなかったし、逃げもしなかった。
「……百年もお待たせして申し訳ありません。俺の大事な人になってください」
「はい、よろこんで」
あの時は俺が泣きそうだった。でも今度は姫様が嬉しそうに泣いていた。これだから、俺はこの方のそばを離れられないのだ。
もう泣けないように、ぎゅっと彼女の体を抱きしめた。
了