マンサクの夏休み
ハテノの伊達男こと俺マンサクは、牛糞がたっぷり積もった落とし穴に、今まさに落ちようとしていた。湧き上がる臭気、落ちる体、伸ばした手はわずかに落とし穴の縁には届かない。
真上に青い空と入道雲が見えた。嗚呼、夏だなぁと思った。
「うああああぁぁぁぁぁぁ!!」
ドスンともベチャっともつかない着地音で、俺は全身牛糞まみれになった。
落とし穴が設置されていたのは、ちょうどリンクの家へ向かう吊り橋を渡ったすぐそこ。存在を知っていてジャンプでもしない限り、吊り橋を渡った人間ならば必ず足をつける場所にあった。落とす気満々だったというわけだ。
折り悪しく、季節は夏。
日の当たらない落とし穴の中にあったとはいえ、牛糞は温められて大変遺憾な状態になっている。なんてことだ。なんてことをしてくれるんだ、あいつら。
「ちょいと捕まえるだけのつもりだったんだが」
観光客のカワイ子ちゃんチェックを日課とする俺が、どうして大切な日課を放り出して牛糞にまみれているのか。それには男と男の熱い約束、もとい壮大な勝負があるのだが、それはさておき。
「あいつらぁ、この俺を本気にさせたこと、後悔するがいい……!」
べちょべちょの牛糞の落とし穴の中ですっくと立ちあがる。
この瞬間、これがただの遊びではなく、れっきとした戦いであると思考を切り替えた。ゲリラ戦だ。相手は三人、こちらは一人。とはいえ負ける気はしない。
何度でも俺は立ち上がる。漢マンサク、出鼻をくじかれた程度で負けを認めるつもりは毛頭なかった。
「さて、どうやって掴まえてやるかな」
さすがに昨日の一晩で掘った落とし穴は、ちょっと足を掛ければ容易に脱出できる程度の深さと幅だ。
まだまだ手ぬるい。
約束では、昼頃帰宅予定のゼルダさんたちが帰ってくるまでに捕まえられたら俺の勝ち、帰宅まで向こうが逃げ切ったら俺の負けということになっている。落とし穴で動きを封じて昼まで逃げ切るつもりだろうが、そうは問屋が卸さない。
赤子の手をひねる程度の追いかけっこだと思っていたが、もう容赦はしない。
「大人の本気ってやつを見せてやるぜ」
数年前よりもわずかに重たくなった体を持ち上げて、落とし穴から脱出を試みる。よいしょと、落とし穴から顔を出した。
その瞬間を狙ってパチンっと金色に輝く硬いものが飛んでくる。
「ぁだッ!」
硬いものが額に当たり、のけ反ったとこで両手に向かってさらに二発。ぱちんぱちん!と何かが飛んできて、手の甲に当たる。狙いすました射撃は本当に的確だ。
残念ながらもう一度、落とし穴の牛糞でご対面。
なんてこった。あいつら、パチンコで武装してるのか?!
「それにしても何だこの、痛くて硬い……金の……はあ、またしてもウンコ……!」
牛糞の中に落ちていたのは金色に鈍く輝くウンコの形をしている。それには見覚えがあった。
いつだったか、リンクに見せてもらった記憶が蘇る。確かあいつはこれを『ミ』と呼んでいた。ポケットの中に小さい金のウンコを隠し持っている男が、ゼルダさんのような美しい人の心を射止めたなんて、当時の俺は認めたくはなかった。ひっそりと地団太を踏んだものだ。
だが今更ながらに、こんな物でもパチンコで飛ばせば十分に武器にはなると身をもって知る。侮れない。なるほど、つまりリンクの奴はこのミをこっそり指で弾いては、ゼルダさんに色目を使った他の男たちを始末していたということだ。恐ろしい男だ。
「俺も一歩間違えば、あいつに始末されていたんだな……モテそうな若者だとは思っていたが、やはりただ者ではなかった」
事前に、俺にはツキミさんという想い人がいることがバレていただけに、リンクからは抹殺対象にされなかったのだろう。よかった、あいつ相手にはまったく勝てる気がしない。
あの時、うっすらと臭いと思ったミだが、幸いなことにダイレクトな牛糞に囲まれていて匂い自体は感じなかった。
「しかし、的確に額に当てるとはさすがの腕前と言うべきだな」
ひりひりする額を擦りたい衝動を(牛糞が顔につくから)ぐっとこらえ、握りしめていたミを投げ捨てた。助走をつけるようにして一気に落とし穴から這い上がる。
予想通り、またもミが飛んでくる。だが狙われると分かっているなら、ガードすればいい。
顔を腕で落とし穴から覆って這い上がる。それからかっこよく前転をキメながら、華麗にミの狙撃を避け、俺はリンクの家の玄関先へ。ピタッと壁に張り付く。壁越しに、数発のミがかすめて飛んで行った。
奴らにしてみれば、俺が這い上がってくるのは想定内だったのだろう。だからこそ対応策として狙撃をしてきた。
だが残念ながら一つ重大なミスをしている。
「狙撃のせいで居場所がバレバレだぞ!」
超長距離でもない限り、狙撃は居場所を見つけてくださいと言っているようなものだ。奴らの武装はパチンコのみ。どうせイースト・ウィンドで買ったオモチャ、そう飛距離の出るものでもない。
案の定、ミの狙撃が止むと、バタバタと逃げていく足音が聞こえた。
リンクの家はハテノ村の中では外れにあって敷地もやや広めだが、広大と言うほどではない。このまま厩の方から回り込めば、逃げてきた奴らとばったりご対面できるはず。
家の扉を素通りして石垣を上がる階段に足を向けた。どうしたって下草がある階段下はトラップが仕掛けやすい。それに上を取った方が有利に決まっている。
「ふっ、やはりな」
石垣を登り切った先で下を覗き込むと、柵と石垣の間の草の中に細い糸がきらりと光って見えた。おそらくあの糸に足が触れた瞬間、どこからか石が降ってきたりするんだろう。見え透いた罠を張った方へなど行くものか。
俺は悠々と家の側面の軒下に入り込み、奴らの驚く顔を――と、オクタ風船が浮いていた。
「……トラップか?!」
ふわふわと、紫色のオクタ風船が墜ちもせず、浮かび上がりもせずにちょうど目線の高さに浮いている。不思議な光景だった。
重りとして吊るされているは――。
「ボコブリンの肝に、ポカポカダケに、……えっとそれから、木のオタマ?」
ちょうど浮くように重さが調整されたのか、無節操な品々がオクタ風船に括りつけられていた。なんだろうこれは。ただ浮いているだけのようにも見える。
だがこんな不思議なものが意図無くして浮いているほど、現在この家の周囲は平和ではない。れっきとした戦闘地域だ。無意味なものなど一つもない……はず?
そんな疑心暗鬼に駆られながらも、俺は一歩一歩慎重に、宙を漂うオクタ風船から目を離さないように近寄る。
なんだろう、なんのトラップだコレは。ぴくぴく動くボコブリンの肝に、気持ち悪いとは思いつつも目が奪われてしまう。
――ブツッ。
「んんっ?!」
ハッと我に返った時にはすでに遅かった。
軒の上から大量のカエルが水と一緒に降ってくる。
「ひあぁぁえぁッ?!」
咄嗟に頭を守ったが、代わりに襟からカエルが張り込もうとする。ペタペタする奴らを慌てて放り出しながら足元を見た。誰よりも慎重なつもりだった足が踏んで切っていたのは縫い糸のトラップ。先ほど上から発見したトラップよりもさらに細くて見えづらい。
つまり、最大の注意を払っていたオクタ風船は視線誘導のフェイク。
屋根の上から「やったぁ!」という聞こえる声すら、ゲコゲコ煩い声に遮られてよく聞き取れない。
「くそぉぉぉ! もう許さんぞ!」
見上げた先、家の裏手にある納屋の屋根の上にはターゲットの三人が満面の笑みで手招きをしていた。
秋の小麦畑みたいな髪色の少年が一人、それから金の髪の女の子が二人。瞳の色は青かったり緑だったりだが、揃いも揃ってくりくりの瞳の可愛らしい――。
「マンサクおじさん、来られるもんならここまでおいでー!」
「ここまでおいでー!」
「おいでおいでー!」
前言撤回。
見た目は可愛らしいが、中身は超が付くほどの悪ガキ。
リンクとゼルダさんの子供たち三人が、赤い屋根の上で笑い転げていた。上から長男八歳、長女七歳、次女五歳。親二人は諸事情あって昨日から一晩留守だ。
昨晩の食事の世話は村長のところが引き受けていたのだが、昼間の遊び相手はなぜか俺がご指名だった。しかも子供たちの方から直々に
それで昨日は一日たっぷり遊びに付き合ったのだが、夕方にちょっとひと悶着あって、結果ハードな鬼ごっこに付き合う羽目になっている。
でもマジやめて。屋根から落ちたら怪我するから、降りよう? 本気で降りてくれる? 君たちに怪我されたら俺困るから……。
「ちょ、お前ら! 危ないから流石に屋根からは降りろ!」
「嫌だよ、マンサクおじさんに捕まったらおれたちの負けだもんね」
「負けるのは嫌だもの!」
「だもん!」
「もう勝負はいいから、危ないって!」
身体能力は親譲りとはいえ、全員十歳未満。大人の俺が負けるわけがないと高をくくっていた。
侮ったのは俺の方だったか。
「構え! 投げろー!」
お兄ちゃんの合図とともに、下の妹二人が籠いっぱいのチュチュゼリーに手を伸ばす。どれだけ頑張って集めたのか、洗濯籠一杯分あった。
どれだけ本気なんだよ。ハードな鬼ごっこどころの騒ぎじゃない、これは命に係わるやつだ!
「ちょ、まっ、止めろって! 降参! マジで降参!!」
ただのチュチュゼリーだけならまだしも、どこで拾ってきたのか白や黄色まである。あぶねぇ、殺す気か!
さすがあの親(特に父の方)にして、この子供たちあり。
両手を頭の上にあげて「降参降参」と繰り返すとお兄ちゃんが手を上げて、妹たちもピタッと投げる手を止める。ボコブリンも真っ青の統率力。
「本当に降参? 約束守ってくれる?」
「え、あ、いや、大人には大人の事情ってもんがあってだな……」
「じゃあもっとチュチュゼリー投げちゃう」
いけ!と声を掛けられるや否や、妹たちは大笑いしながらさらにチュチュゼリーを俺に投げつけた。ぽいぽいと投げられた中に、今度は赤いチュチュゼリーまであった。
ボンと爆発があって、俺はゴロゴロ転がりながら家の表まで吹っ飛ばされる。流石にちょっぴり走馬灯みたいなものが見えた。
「うぐっ……ツキミさんと、イチャイチャしたい人生、だった」
遠くで三人が歓声を上げるのが聞こえた。
お兄ちゃんは何をどう考えてもリンクの生き写しかと言うほどのやんちゃ。ゼルダさんの血を受け忘れたかのような一卵性父息子だが、瞳の色だけ緑。パチンコでの狙撃の腕前はもちろん父親譲りで、村の子供の中じゃ一番だ。
妹ズの方はゼルダさん譲りの可愛い顔しているのに、やることはやっぱりえげつない。たぶんオクタ風船の視線誘導トラップを考えたのは妹ズの大きい方で、カエルを用意したのは妹ズのちっこい方だ。見た目だけなら良いとこのお嬢様姉妹なのに、プルアばあさん(どうやら若返っているらしくてばあさんじゃないんだが)と結託して危ない物を作りだしてしまう。
侮ったと言うべきか、元から俺では相手にならなかったと言うべきか。
家の前に大の字になって溜息をつくと、吊り橋のところにある落とし穴を飛び越えながら夫妻が帰宅するのが見えた。ゼルダさんは目を見張って落とし穴の底を見ている。
それ、お子さんたちの作品ですよ。
「マンサク、大丈夫か?」
手を差し伸べられたが、さすがにこちらは牛糞とチュチュゼリーまみれ。首を振って丁重に手を辞して、体を起こす。でも立ち上がる気力はなく、その場に胡坐をかいて項垂れた。
「ようやく、帰ってきてくれたか」
「マンサクさん大丈夫ですか? 一体何があったんです……?」
お宅の子供らの仕業です。
……と言うのも気が引けた。
「あ! 父さん、母さん、おかえり!」
「帰ってきたー! おかえり!」
「起きてる? 寝てる?」
なぜならば、今日はたぶんお祝いだから。
屋根から駆け下りてきた三兄妹はゼルダさんの腕の中を覗き込む。
「寝ているから静かにね」
ふっくりと笑うお母さんの腕の中には、生まれたばかりの赤ちゃんの顔。三人は目をキラキラさせて覗き込んでいた。
カカリコ村に里帰り出産お疲れ様です、ゼルダさん。大量の荷物持ちご苦労様だったな、リンク。こんなお祝いの時に怒られるのはかわいそうだから、トラップがお前たちの仕業だっていうのはしばらく黙っておいてやるよ。……まぁ当然、バレるだろうけど。
俺は大きく溜息をついた。幸せな家族だよなぁ、ホント。羨ましいぜ。
「マンサク、面倒かけたみたいですまない」
「いいってことよ。これもご近所づきあいってやつさ」
さて。
俺は夫妻がいない間の三兄妹の遊び相手という、ハテノ村でも難易度Sクラスの任務を無事に(本当に無事か?)completeしたわけだ。だがもちろん報酬なんてヤボなことは言わない。
ここからは家族水入らずで過ごす時間。俺はさっさと消えるに限る。
あばよ、悪ガキども。達者でな。
そんなモノローグを頭の中で流しながら、颯爽と温かな家族の輪から立ち去ろうとした。
「マンサクおじさん!」
うむ。そうだ、そういうの期待してた。
カッコよく立ち去ろうとするとき、背中に声がかかるのはお決まりのパターン。どうした長男坊、俺を引き留めてくれるのかい。でも俺はハテノの一匹狼マンサク。こうして寂しく去るのが似合う男さ。
さらりと前髪をなびかせて振り返る。
「母さんたち帰ってくるまで逃げ切ったから、おじさんの負けだよ」
……思ってたんと違う。
ここはもっとかっこよく「ありがとうマンサクおじさん!」みたいなセリフをが欲しかったんだがな。
ドギマギしながら、俺は言葉を濁すしかない。そう、昨日のひと悶着で交わした約束は、確かに男と男のナントヤラだった。
「そ、そうだな…?」
「じゃあツキミさんにアタックするの、約束だよ」
「がんばれおじちゃん!」
「がんばれ!」
大声で言うなよ。お前の父さん、それなりにびっくりした顔してるぞ……。
照れ隠しに腕組みをして、ぷいっと横を向く。
「野暮なこと言うんじゃねぇ。こういうのはワビサビってもんがあってだな……」
「わさび?」
「違う! まぁなんだ、しょうがねぇ。お前がそれほど言うんなら、ラブレターの一つでもしたためてみるかね」
今度こそあばよと手を振って、早く逃げ去る。「ずるい!」と声が聞こえたが、リンクがゴツンとやる音が聞こえた。ホント、ろくな悪ガキじゃない。
それにしても臭う落とし穴だ。跨ぐのにも一苦労。
「マンサクさん!」
俺が落とし穴に四苦八苦しているところへ、あろうことか幼子を連れたゼルダさんが駆け寄ってくる。
いやいやいやいや、牛糞だらけの俺に今一番近寄っちゃいけないのはアナタでしょうよ! ほら、ダンナだって怖い顔してるし!
ところが委細構わず汚れた顔に近づいたゼルダさんは、そっと俺に耳打ちをした。
「彼の者に聞かせる言葉は、主の口より紡がれるべきではないか?」
「え? はい?」
ゼルダさんもまた、俺の想い人を知っているんだろう。リンクが喋っていそうだ。
だからこそ、言葉の意味に首をかしげる。なんと古風な言い回しをする、まるでお姫様みたいな人だなぁ、と目を丸くした。
するとゼルダさんは、目を細めてフフフと笑う。
「昔、とある賢人から頂戴したありがたいお言葉です」
「それまたどうして?」
「彼への言葉を、自分で言わずに伝言をお願いしようとしたんです。そうしたら、自分で言いなさい、と」
ううむ。つまり、ラブレターなんぞではなく、口で言えと。
それはだいぶ荷が重いことだ。
「ちなみに、あいつの答えは?」
「『百年もお待たせして申し訳ありません』と、まるで泣きそうでした」
それを聞いておや?と首を傾げた。
その手の類のことって、恐らく色恋沙汰の話だと思うのだが、リンクの答えはなんだか少しずれている気がする。
「なんて問いかけたんです?」
「それは内緒。でも、だから、マンサクさんも自分の口で問いかける勇気をどうか」
綺麗な細い指が俺の汚い右手の甲に軽く触れた。軽く会釈をしてゼルダさんは足早に去っていく。なんだか手の甲が熱い気がした。
どうしたものかなと、思わず空を見上げてしまった。
真夏の青空に沸き立つ入道雲も、夕方には崩れて夕立が来る。そう、季節とは移ろうもの。どうやら俺の夏休みも終わりのようだ。
頬にひんやりと秋風を感じながら、のっそりとトンプー亭に向けて歩き始めた。