半分の贈り物 - 2/2

 

 コログの森からカカリコ村へと戻る道中、リンクは軽すぎる体が落ち着かなくて何度も鞍上で座り直していた。準備は万端に整えたはずだが、忘れたことはないか不安になって指折り必要なことを思い出す。

 コログの森へ行く前に、ハテノの古い家に手を入れて快適に過ごせるようにしておいた。冬には寒くないように暖炉も作ったし、夏には涼しい水辺が木陰になるようにと庭にもう一本りんごの苗も植えた。きっと書物をたくさん持ち込むだろうから新しい本棚も、最低限しかなかった食器の類も増やした。きっと手仕事を好むだろうから、座り心地の良いソファーも見繕っておいた。

 全ては彼女のため。

 何を言われたことも、言ったこともなかったが、一緒に居れば好意が分かるぐらいには近しい人になった。インパからも早くしろと尻を叩かれる程度には、睦まじい二人組に傍目からも見えているらしい。

「断られたらしょうがないけど……、でも何の準備もしないで迎えに行くのは、面目が立たないもんな」

 わざとらしい独り言で硬くなる己の体を叱咤して、敵と対峙するのとは違った緊張感で強ばる頬を平手で叩く。全て準備を整えてあとは迎えに行くだけだからこそ、心臓が早鐘のように打つ。サハスーラ平原の長い草丈をかき分けて登って行った先、小さく人影が見えた。

 その人は金の髪をして、もしくはリンクの目には本当に金色に輝いて見えた。すでに封印の力は失ったと聞いていたが、未だに彼女は黄金の気を纏っているかのように見える。

「ゼルダ様」

 早く会いたいと馬腹を蹴ったのに、途中でもどかしくなって馬から飛び降りる。手元も見ずに花を一輪もぎ取って、それを彼女の長い髪に挿して、それで「一緒に暮らしてください」とこいねがう、はずだった。

「ゼルダ、さま……」

 走ってくるリンクに気が付いて、軽やかに下り来るゼルダの髪は肩口でバッサリと切られていた。青い空に翻るはずの長いものが無い。あれほど綺麗で、甘い香りのする髪が無くなっていた。

「おかえりなさい。そろそろ帰ってくる気がして待っていました」

「髪、どうして……?」

 握りしめた手の中で、花が下を向いた。

 もちろん髪型一つで心変わりするなどということない。それでも彼は動揺を隠しきれず、二の句が継げない口を中途半端に開いて立ち尽くした。

 何なら、ゼルダのためにとわざわざ設えた浴室は、山間のハテノ村では贅沢品とまで言われたものだった。それでもリンクは、彼女を迎えるのならば絶対に必要だからと、家の改装を請け負ってくれたサクラダに無理を言ったぐらい。だって彼女の綺麗な髪を整えるのは、これからは自分の役目になると彼自身思い込んでいたから。

 ところが彼女は満足そうに短くなった髪に指を絡めた。

「リンクと一緒に居たくて、旅で邪魔になる髪は切りました。切った分はお金に換えて旅支度もちゃんとしました。だからお願いです、私も一緒に連れて行ってもらえませんか」

 真剣な眼差しで迫るゼルダに、リンクは「そんな」とよろめいて傍らの愛馬に寄りかかる。すでにハテノの家の改装は終わって、コログの森への用事は告げず、すぐに戻るつもりでカカリコ村を出た。それはたった数日前のことで、まさかそんな短期間のうちにゼルダが一大決心をして、しかも実行に移すとは思ってもみなかった。

 リンクはずるずるとその場に胡坐をかいて項垂れる。その姿に、驚いて目を丸くするのはゼルダの番だった。

 なにせ、彼の背には見慣れた青い剣が無かったもので。

「マスターソードは……?!」

 落ち着かない背中を情けなく丸め、リンクは首を傾げて彼女を仰ぎ見る。信じられない物でも見るように、彼女の視線が頭から爪先を往復していた。

「返してきたんです。……その、あなたを妻にお迎えしたいと願い出るのに、根無し草では格好がつかないので」

 ハテノ村を出てすぐにコログの森へ向かったのは、長らく共に過ごした剣を森へと返すためだった。

 放浪する生活は、彼のようなどこでも生きて行ける人間にとっては気楽なものだ。危険は多いが嫌なものからは顔を背けられるし、気が向いた時に気の向いたところへ行ける。それに困った人を見ると助けてしまう生来の気質もあって、案外、所を定めない生活を彼は気に入っていた。

 だが、誰と言わず家族を迎えようと思うのなら、もうそんな生活は終わりにせねばと腹をくくったのが数か月前。彼女のためならば剣を置いて、穏やかに一所で生活するのはリンクにとっては決してやぶさかなことではない。

 それに再び必要な時代が訪れるまでは、剣も勇者の役目もひと時の休息を取るべきと考えての決断だった。

 デクの樹様からは、またいつ何時でも必要があるのならば来ればよいと言われていたが、彼はそのつもりはないと首を横に振った。

「もうただの人として生きようと思うんです」

「それはまたどうしてかな」

「迎えたい人がいるので」

 誰と言わなくても、ハイラルを見守ってきた賢人は深い笑みを湛えて頷いた。

 ところが覚悟を決めて戻って来てみれば、当の本人はリンクに付いて同じく根無し草になる気満々で準備をしているのだから世話が無い。これが本当に、元とはいえ一国の王女の思い切りの良さかと思うと、呆れるのを通り越して彼は思わず笑いを漏らした。釣られて彼女もほろほろと涙を零しながら笑う。

 淡い雲の浮かぶ空に二つの笑う声が重なった。何も言わないのに似たり寄ったりのことを考えて、まるで逆のことを互いにしていたのだと思えば、それもまた面白かった。

 ひとしきり笑ってからリンクは立ち上がると、短くなった髪に花を刺しこんで、おもむろに彼女を抱き上げる。抵抗なく腕の中に納まったその人は、首に腕をまわして翡翠色の瞳を輝かせた。

「連れて行ってとおっしゃるのならお連れします、俺の家にだけど。もう嫌だと言っても聞きませんよ」

「お願いします。ちなみに途中で置いて行こうと思っても駄目ですからね、ハテノ村にリンクの家があることぐらい調べはついています」

「なんだ、バレてたんだ」

 愛馬に、おいでと声を掛けながら歩き出す。心地の良い風が吹いて、ゼルダの短くなった髪がリンクの頬をくすぐった。

 珍しい明るい金の髪。手入れをしながらまた伸ばせば、きっと以前のような美しい髪に思う存分指を絡められるだろうと、リンクは目を細める。でもそれを彼女が良しとしないのも分かっていた。

 それでもおずおずと、「あの、」と口を開く。

「以前ほどとは言いません。でもたぶん、背中ぐらいまでなら手入れも楽だし、それに結える程度に長さがある方が、髪が落ちなくて本が読みやすいと思います」

 仄かに下心を隠したが、ゼルダはまぁと目を丸くした。慌てて「決して今の短い髪が似合わないわけではありませんが」と早口に付け加える。

 するとしばらく口を噤んで考え込んでいた彼女は、腕の中でチラリと笑った。

「では以前の半分ぐらいの長さまで伸ばしてみます。ですからリンクも、時々旅に出ませんか。だって好きなのでしょう?」

 悪戯っぽく笑うゼルダに、リンクは咄嗟に声が出せず、たっぷり間が空いて苦笑する。敵わないとばかりに視線を逸らしてして彼は頷いた。

「好きです。じゃあ、お言葉に甘えて、俺も時々」

「その時は私も連れて行ってくださいね」

「はい、ぜひにも」

 以来、ハイラルには仲睦まじい夫婦の旅人が時折現れるという。

 それはアッカレだったり、タバンタだったり、あるいはゲルドだったりと、時や場所は様々。ただ彼らを見かけた者は決まって、背の中ほどまで伸びた妻の金の髪を夫の方が世話していると口をそろえて笑った。

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