ハイラルに転生したらチュチュだった件

 何ということもない人生。

 それなりの大学を出て、それなりの会社に勤めて、だけど彼女だけはいなかった。それがある日突然トラックにぶつかられるのだから、人生たまったもんじゃない。

 これが最近流行りの異世界転生かと思った次の瞬間、俺の目の前にはよく見知った世界が広がっていた。

『ここ、ブレワイのハイラルじゃん……』

 さわさわとそよぐ草の合間から、厄災ガノンに乗っ取られたハイラル城のシルエットがよく見えた。

 ゼルダの伝説 ブレスオブザワイルド。コロナの影響で在宅勤務になったのを機に買ったSwitchで一番最初買って、一番ハマったゲームだった。もうハイラルのことなら自分の庭のように分かる。たぶんこの角度でハイラル城が見えるのはハイラル平原、しかも唄ドリの草原に近い辺りだ。

 その世界に俺はまさか、転生していた。嬉しすぎてぴょこぴょこ飛んでしまった。

『やったァァァ! 転生モノが流行していてよかった!!』

 と、叫んだつもりだったのだが声は出ていなかった。それにやけに視線が低い。全体的に、なんというか、ぽにょん……。

 ぽにょん?

『ちょ、待てよ! 俺、せっかハイラルに転生したって、チュチュに転生してるじゃん?!』

 折よく振ってきた雨が作る水溜まりに姿を映して確認する。俺はただのチュチュだった。水色の、何の属性も持たない、しかも一番小ぶりのやつ。

 やばい。やばいやばいやばいやばいぞ!

 何がヤバいって、このゲーム、つまりブレワイでは一番ヤバイ存在は主人公、つまりリンクだ。何がヤバいって厄災より厄災と呼ばれる厄災だからだ。出会ったら最後、只のチュチュな俺なんて瞬殺だろう。せめて足の速いリザルフォスだったら逃げられたかもしれないのに!

 手も足も無いのに頭を抱えた時だった。頭上を何者かが、二本の白い雲を糸のように吐きながら高速で飛んでいく。城の方へ。

 その姿を見て俺は愕然とした。

『BtB?! ……で、ぶっ飛んでるリンク?!』

 小柄な影はパラセールで飛行機雲を描いて、パンツ一丁のままハイラル城の方角へすっ飛んでいく。ヤバイ、このハイラルのリンクはRTA勢なのか?!

 あのボコ盾の使い慣れたところを見ても、恐らくムービー中に風のカースガノンを余裕で片づけられるレベルだろう。俺も実はRTAは好きで、それなりにやっていた。壁抜けとかWBとか口笛ダッシュとか。ただ、なんでだか流鏑馬だけは苦手で、魔獣ガノン戦は一回で全弾命中したためしがない。

 ともかくだ。当ハイラルの勇者がRTA勢だとすれば、ただのチュチュごとき俺には生きる術はない。詰んだ。せっかく流行りの異世界転生をしたのに、俺は何もいいこと無いままきっと主人公に倒されるただのしがないチュチュ。

 これは詰んだ。

「あれ、このチュチュ全然逃げないっスね」

 ハッと気が付いた時には後ろに赤い影が立っていた。全く気配に気が付かず、俺はただハイラル城を見呆けていたのだ。

 慌てて振り返るとそこには、シーカーマークを逆さにしたお面を被った人物が立っていた。イーガ団の下っ端が、のほほんとバナナを片手にハイラル平原をほっつき歩いている。

『ばっ! お前、逃げろよ!RTAやるようなリンクにイーガ団の下っ端なんて絶対に勝てっこないぞ?!』

 ところが下っ端はしゃがみこんで、俺の方に手を差し伸べる。手のひらの上にはバナナがひとかけら乗っていた。

「ほら、怖くない、怖くない」

『なんか聞いたことある……バナナくれるならもらっておくか。最後の晩餐がツルギバナナとはなぁ』

「怯えていただけなんだよね」

『それは青き衣を纏って金色の野に降り立つ人のセリフだぞ』

 無い首をかしげながら甘いバナナを咀嚼していると、下っ端は面白がって俺を抱っこしてくれた。ありがたいぬくもり。でも今頃カースガノン四連戦を見事にクリアしたリンクが、きっとラスボスの厄災ガノンと戦っているころだ。俺たちおしまいだよ。

 ……そうだよ。

 城での厄災ガノン戦が終わったら、ハイラル平原で魔獣ガノン戦じゃん。

 ようやく迫りくる危険を思い出して、慌てて下っ端の腕の中で暴れる。言葉が通じないことが、これほどもどかしいと思ったことはない。外国人に道で駅を聞かれた時よりも厄介だ。

「ウワァ、どうしたいきなり」

『逃げないとお前も魔獣ガノンの攻撃に巻き込まれるぞ! バナナくれたイイ下っ端!』

「あれ? こいつぅ、このこのぉ~。俺の服引っ張ってももうバナナはやらないぞぉ~」

『違うって!』

 一方的な押し問答を繰り返していた黄昏時、ドォンと足音が響いた。ああ、ついにラスボスのご登場だ。と同時に、きらきら光る風に乗って、パンイチ勇者も降臨する。

 その姿を見るや、下っ端は「ヒィィ」と声を上げて尻もちをついた。おそらく魔獣ガノンの姿に驚いたのだろう。でも俺はそれよりも、ガノンの巨体をものともせず、光の矢を放つであろうリンクの方がよほど恐ろしかった。

『イイ下っ端! 逃げよう、がんばって逃げよう!』

 あって無いような口を使って必死で下っ端のベルトを引っ張り、腰を抜かしている下っ端と共に遠くへ逃げようとする。背後ではRTAな勇者が光の弓を引くも、スカっと一発目を見事に外す。

 おい、そこで外すんかいッ!

 内心でツッコミを入れつつ、ガノンの吐き出す炎で燃え盛る平原を俺たちは逃げ惑った。しかし努力の甲斐なく、ある瞬間、フワッと体が浮く。魔獣ガノンが吐き出した炎の衝撃で、俺たち二人は軽く吹っ飛ばされたのだ。

『もうダメダメダメダメ、死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ! タイトルは転生したのにすぐ死んだ件、だコレ!!』

 半ばあきらめて丸いボディーが宙を舞うに任せる。

 ところが、逆にそれが良かった。ドサっと音がして弾き飛ばされたのは魔獣ガノン戦の結界の外側。俺たちはまさかまさか、ガノン様のおかげでリンクの手の届かない範囲に逃げおおせたのだ。

 しかもイイ下っ端は俺を腕に抱え込んだまま逃げてくれた、めちゃくちゃいい奴だ。

 ほうほうのていで逃げ出した下っ端は、そのまま俺を連れてゲルド砂漠へ、さらにはイーガ団のアジトまで連れて行ってくれた。

 アジトには各地から慌てて戻ってきた団員たちが蒼白な顔で集まっていて、当然のようにあのコーガ様もいた。ものの見事に腹が出っ張ってる。本当にビール腹だ……と障りたい衝動を抑え、まじまじとコーガ様を見ていた。

「おいお前、なんだそのチュチュは」

「ハイラル平原でなんか変なでっかいのに襲われたときに、俺を助けてくれた奴なんです」

「それはいいチュチュだな。よーしよし、ほらバナナ食うか」

 コーガ様も俺にバナナをくれた。めっちゃいい人だった。

 ブレワイの本編では悪役だけど、やっぱりコーガ様もイーガ団も基本は憎めないんだよな。でもきっとこれから、イーガ団のアジトにはあの厄災リンクが来るのだろう。だとしたらここで平和にバナナを食べているだけ(実際、ガノンが封じられてしまったのでやることが無い)のイーガ団は、訳もなくやられるだけ。可哀そうすぎる。

『よし、どうにかリンクをここへ来させないようにしよう。一宿一飯の恩と言うし、元プレイヤーとして何かできないか頑張ってみるんだ俺』

 聞こえないだろうが俺はイーガ団のみんなに『ありがとう』と言って、その夜ひっそりとアジトを抜け出した。

 でも本当に、どうしたらいいんだろう。

 俺が転生したのは、ただのしがないチュチュだ。何をどう頑張っても、RTAするようなリンクとタイマンはれる能力はない。しかし俺にバナナをくれたイーガ団のみんなをどうにか守りたい。

 そんな考え事をしながらふらふらしていた時だった。頭上に大きな影が差す。

 長く雄大な影。ぱちぱちと電気の爆ぜる音がした。フロドラだった。

 

『ウワァ……すげぇ……』

 幾度となくフィローネのウライト湖の脇で焚火をして素材を狙っていた奴だ。まさにそれが、俺の真上を悠々と飛んでいく。圧巻。頭上を飛ぶフロドラの姿はすごいの一言に尽きる。ホント、VRモードみたい。

 そのしっぽが消え、上昇気流が止む。……と思ったら、なぜかフロドラがUターンして戻ってきた。

『え、え、なんで?』

『ただのチュチュかと思ったが、なんぞ珍しいモノがおるようじゃな……?』

 フロドラのどでかい顔が俺の目の前に迫る。うわわわわわわと慌てると、フロドラは興味深そうに俺の周りをぐるぐると飛んだ。

『お主も、只のチュチュではないな?』

『あー分かります? ちょっと流行りの転生しちゃったらしくて』

 幸いなことに、魔物である俺と精霊であるはずのフロドラは、言葉が無くても意思疎通ができるようだった。ハイラル図鑑の魔物の項目に三龍全部収まるからかもしれない。

『なるほど、中身はニンゲンか』

『さすが、分かってもらえてありがたいです……』

『なに、もう一つ心当たりがあってなァ』

 これぐらいあっさりと、リンクさんにも俺のことを敵ではないと分かってもらえたら、どうにかしてイーガ団がすでに敵意が無いことを伝えられるのかもしれないが。はぁーっと深いため息を吐くと、フロドラがわずかに笑う声がした。

『チュチュもため息を吐くのだな』

『あ、いや、はい。ちょっと悩みがあって』

『ほう、少し話してみよ』

 そうだな。一人で悩んでいても解決する見通しは立たない。

 ならば今は、一人でも多く味方を増やした方がいい。何せ相手はあの厄災リンクだ。俺がこれから頑張ってデカいチュチュになったとしても、単独では絶対に倒せっこない相手だ。

 今もしここでフロドラが仲間になってくれたら、これほど心強いことはない。何ならフロドラから説得してもらってもいい訳だし。

『実はかくかくしかじかでイーガ団を襲わないで欲しいって言いたいんですけど、俺はこんなナリだから話ができないし、どうしたものかなぁと悩んでいたんです』

『なるほどな、あの勇者相手にか』

『はい、あの勇者相手にです』

 無い肩をがっくりと落として落ち込む。ところがフロドラはそんな俺を見て大笑いだ。一体どうしたことかと上目遣いにちょっぴり睨む。

『そんな笑いごとですか』

『なに、お主の心配は杞憂だよ』

『え?』

『あの勇者を動かしておるのは、どうやら以前のお主であるようだから。同じ気配がしよった』

『え、ええええ?』

 どういうことかよく分からない。まぁ一番分からないのはトラックに当たってブレワイに転生することなんだけど。あのRTAリンクを動かしていたのって、昔の俺ってこと?

 あぁ、だから魔獣ガノン戦のときに初撃を外したんだ。ようやく腑に落ちる、なぜだか流鏑馬は苦手です。

 唖然とする俺のぽにょぽにょボディーを、フロドラは器用に頭の上に乗せてくれた。そのままゆっくりと上昇し始めて、あっという間に空の上。満天の星空の元、はるか遠くに双子山の割れ目が見えた。あの向こうがハテノ村、つまりリンクの生まれ故郷と言われている場所だ。

『勇者ならすでに姫巫女とあのあたりであろう』

『どういうことです?』

『いわゆる、蜜月と言うやつだな』

 あっ、とフロドラの頭の上で声を上げる。

 そうだうっかり忘れていた。俺、それなりに、リンゼル派だったんだ。

 

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