添え書きの人影 - 2/2

 

 厄災無きの城に二人で赴いて運び出すものを選んでいた最中、さーっと聞こえ始めた音に顔を上げる。前触れのないお天気雨に、あわてて研究室に駆け込んだ。

 ぱたぱたと雨粒を叩き落としながら扉の外を伺う。雨が上がるまで少しかかるかなと首を傾げた。

「あれ、これ俺の字だ」

 振り向くと、リンクが瓦礫に半分埋もれた中からノートを探し当てていた。

「『もう少しこのままで』……何の話だろう?」

 どうやら百年と少し前、彼はこの部屋で私に何をしたのか覚えていない様子。あのときは驚いた。でもおかげさまで雨は止んだ。確かにありがたかったけれども、今のリンクに話したら記憶の混乱が助長される気もした。

 ならば無理に話をして思い出させることでもないと、私はこっそり笑う。

「あ、姫様は覚えているんですね」

 目ざとく見つけてむくれるので「ええ」とは答えたが、首を横に振る。今聞いたら卒倒してしまうかもしれない、それは大変だもの。

「そう無理に思い出さなくても良いのかもしれませんよ」

 確かに所々しか記憶がないと分かった当初は、寂しい思いで胸が切なくなった。せっかく生きて再び会えたというのに、覚えているのが私の方ばかりとはやるせない。

 でも行動を共にしていくうちに、次第に無理に思い出さなくてもよいのではという思いが強くなっていった。

 どうしようもなかった過去を思い出して悔し涙を飲むよりかは、これから先のことで人生を彩っていった方がよほど建設的な気もする。

 思い出せない思い出など、必要はあるまい。

「記憶など生きていれば後からいくらでも埋められます。先のことを、もっと楽しいことを考えた方が良いと思うのです」

 歯抜け状態の彼の記憶は、中途半端に過去の自分を引き出している。おかげで敬語が唐突に崩れることもあれば、今のように忠実な騎士であろうともする。とてもちぐはぐな存在になっている。

 リンクの様々な顔を見られるのは私としては嬉しいのだが、本人はこめかみに手をやって苦悶の表情だった。

「それでも、俺は思い出したいんです」

「どうしてそこまで?」

 思い出して欲しくないわけではない。

 例えばあの時、どうして唇を塞ごうと思ったのか、聞けるものならば聞いてみたい。でもそれは私の傲慢ではないかという気もした。

 今の彼の中に、過去の彼を見つけようと覗き込む行為、それに対する罪悪感。

 厄災から助け出してくれたリンクと会話をして分かったことは、私の近衛騎士は百年前に死んでしまったということだった。断片的にしか残らない昔の姿を見せつけられ、こっそりと袖を濡らした。

 でも、相変わらず彼の瞳は青い空のよう。

 私のように雨が降ることはなくすっきりと晴れ渡り、先を見据えている。

「新しい思い出もいいけど、出来れば上塗りするんじゃなくって、新しいのを書き足していきたいんです。……すいません、上手く言えないんですけど」

 自分の書いた覚えのない文字をいろんな角度から見て首をひねる姿を見て、そうかと腑に落ちた。

 彼は彼であり、本質は何ら変わりがない。それを頭で分かって、感情がついて行かないのは私の方。

 あの時の雨が止むまで待っていてくれた彼はもういない。

 その影を今のリンクの中に追うのは間違っている気がすると、後ろを向いていたのは私の方だったのか。

「今からの思い出を書き足したいから、出来る限り昔のことも思い出しておきたいんです」

 悲しかったことを全部幸せで塗りつぶして、見なかったことにする。それを幸せと呼んでも良いのだろうかという疑問が鎌首をもたげた。

 書き足すのか、それとも塗りつぶすのか。

『もう少しこのままで』

 あの走り書きをした彼の姿は、今はない。でも、会えずとも今のリンクの中には生きているのだろうかと目を伏せる。

 お天気雨はしばらくして上がった。リンクはノートを置き去りにして、しっとりと濡れた歩廊飛び出していく。その後ろから私はノートを片手に追う。

「またあなたに会えるでしょうか。このままさようならでは確かに悲しすぎます」

 願わくばもう一度。走り書きに口付けを落としてノートを閉じた。

 

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