マンサクの花

 全員が離れたのを確認してリモコンバクダンを起動させた。一拍おいてドンという地鳴りの音と共に、残っていた水と一緒に土砂が崩れ落ちる。集まっていた人たちから「オオォ」というどよめきが上がった。

 時の神殿へ通じるアーチ門が百年ぶりに姿を現す。

「崩れやすいので気を付けてくださいね!」

 ゼルダの掛け声とともに、各地から集まった人々が鋤や鍬を手に駆け寄った。ハイリア人はもちろんのこと、ゾーラ、ゴロン、リト、ゲルド、シーカー族、各種族の特に若い人々が参加していて、全員で力を合わせて土砂を取り除く。大部分は俺が旅の間に知り合った人で、その中に混ざって俺もゼルダも作業をしていた。

「ここが通れるようになれば、人々の祈りの場が一つ増えることになります。ありがとうリンク」

「ゼルダがみんなを説得したからです」

 人々に混じって土砂を運ぶゼルダの顔は、朗らかに笑いながら泥汚れが付いていた。

 始まりの台地へと至る、古くは門前宿場町から時の神殿へと上がるための正門は、回生の眠りについた俺を守るために百年の昔に土砂で塞がれた。仕方のないことだったとはいえ、たった一人を守るために人々の信仰の場が一つ失われていた。

 それがようやく通じる。彼女はとても喜んでいた。

 反して、俺の足取りは重い。

 時の神殿を元の姿に戻して民の心のよりどころを復興させる、それが彼女の願いならばもちろん尽力しよう。ところが手足の先に岩を括りつけたように重たい気分はどうしたことか。

 理由を腹の中に探ると、まるで墓を暴くような気分になるからだと気が付いた。

 誰の墓か。

「……俺の、かな?」

 百年前に死んだ近衛の俺の墓。それを百年後に自分自身の手で暴く。妙な気分を抱え、はぁと大きくため息を吐く。

「何が『俺の』なんだ、モテそうな若者よ」

 最近ようやく聞きなれてきた声に肩を叩かれる。振り向くと同じく泥だらけになったマンサクが鋤を片手に休憩していた。

 ハテノ村からも人を出すと決まったとき、真っ先に差し出されたのがマンサクだった。村人たちから、たまには村の外での仕事もしてこいとどつかれていた。可哀そうだとは微塵も思わないが、その視線の先にゼルダがいることだけが気がかりだった。

 今も開けたばかりの階段を昇って、台地の上部へと上がっていくゼルダの後姿をだらしない顔で見ていた。むかつくので頭を小突く。

「マンサク、仕事しろよ」

「休憩中だ。しかしリンク、あのゼルダというお嬢さん、なかなかにかわいいな」

 これだから嫌だったんだ。

 絶対にカワイコちゃんチェックにゼルダは引っかかると思ったし、ゼルダの方はマンサクの下心なんて気づかないだろう。変な奴が近寄らないかずっと気を張るのも疲れる。

「ゼルダに手を出したら怒るぞ」

「ほう、まさかモテそうな若者はゼルダ嬢を狙っているのか」

「ばっ、違う!」

「じゃあ何なんだ」

 むぐっと口をつぐんだ。

 俺とゼルダの事情を知る人は多くない。正確に把握しているのはインパとプルアとロベリーぐらいなものだ。

 もちろんこいつに教えるつもりはないが、でも考えてみると俺とゼルダの関係は可笑しなものだった。

 騎士の任を解かれても、何かと理由を作ってハテノ村からカカリコ村に顔を出しに行った。すると時機に『姫様』と呼ぶのを禁じられ、名を呼び捨てるようにと頼まれた。やりづらさを感じる距離に何度も足踏みをして、それでも離れることが出来ず。むずがる自分を叱咤して、我ながら苦笑するほどしぶとく付き従った。

 だからあえて表現するのならば、元が付く。

「ゼルダは俺の、元主人だ」

「元? なんだ捨てられたのか?」

「……分からない」

 離れがたいところに下心があったのかと問われれば否定はできない。だが全面的に肯定もできる代物でもない。俺の中に根を張ったものは、そんな気安い心持ちではなかった。

「なんだ、分かんないのか」

「ずっと考えているんだが、答えが出ない」

 どうしてこんな話をマンサク相手にしているんだろうと頭を振った。でも、どこかで誰かに聞いてもらいたかったような気もする。かといって事情を知っているシーカー族の老練な三人には話しづらいし、サクラダさんなんかもっと駄目だ。そういう意味で、マンサクはちょうどいい相手だったのかもしれない。

 首にかけた手ぬぐいで顔を拭って、マンサクは立ち上がる。足を向けた先は、ゼルダが去っていったのとは真逆の方向だった。

「ずっと考えているなら、そのうち閃くだろうさ」

 背を向け、自分ではニヒルに立ち去ろうとしているのか、手に持つ長柄を肩に乗せる。だがそれは鍬だ。少々恰好が付かないのではないかマンサク。

 でもハテノ育ちの彼は一顧だにせず、やたらとデカい横顔で主張する。

「俺の名前の由来であるマンサクって花の花言葉、知ってるか?」

「知るわけがない」

「ひらめきだ」

 コイツ、人の話をあんまり聞いてないな。

 お互いさまと言えばお互いさま、ガンバリバッタ百匹集めさせてトンプー亭を一時的とはいえ、恐慌状態に陥れた元凶は俺だしな。だから素直に感想を言っておく。

「似合わないね」

「そうか? 結構気に入ってるんだけどな」

 じゃあな、と手を振ってマンサクは夕暮れの中を、門前宿間町跡に設営した大型テントの方へ歩いて行った。俺は踵を返して、台地に上がったまま降りてこないゼルダを探しに行く。前もって台地に巣くっていた最後の魔物は片付けておいたとは言え、あまり一人にするのも良くない。遠目に金の髪が西日を弾いて、崩れかけた神殿へ入っていくのが見えた。

 草地に埋もれた石畳の参道を駆け抜け、崩れた噴水の横を歩き、朽ちたガーディアンが残る階段を昇る。ほぼ全ての記憶が戻った今となっては、全ての風景にどこか見覚えがある。

 一方で、同じ道を同じ人と歩いても近衛だった頃の自分とは何かが違う。完全に重なることが無い。過去の自分をどこか別人に見立てて、つい記憶の中にある自分に文句を言いたくなり心がざわつく。もっとやりようがあっただろうと怒鳴りたくなる。

 そのたびに近衛姿の俺が脳裏に現れて、無言で睨みつけてきた。するとどうしたことか、途端に言葉が出て来なくなり、奴の視線から顔を背ける。その繰り返しで、時を経ても俺と俺が統合する様子がない。

「ゼルダ」

 彼女の姿は、廃墟となった時の神殿の中にあった。

 壮麗だったころの面影はなく、うらびれた風が吹き抜ける。多くの人が通い詰めたはずの聖地は、人の声一つなく静まり返る。

「懐かしい。ここへは何度も祈りの修行に足を運びました」

「そう……でしたっけ」

「あまり覚えていませんか?」

「すいません。記憶にはあるんですけど、あまり合致しないというか」

 この神殿から外の世界へ、導いてくれた老人の姿は、今はもうない。

 ガーディアンに襲撃されて崩れた神殿、その割れたガラス窓を通して柔らかな西日が差し込む。ゼルダは物悲しい影を引き連れて女神像の据えられた祭壇へ、階段を昇っていった。

 半壊した神殿の中で伸び放題の草がざわざわと音を立てる。記憶にある厳かな雰囲気とは全く違っているが、彼女が居るだけで趣のある一枚絵のように見えた。

「長らくリンクを守ってくださり、ありがとうございました」

 神殿の最奥にたたずむ女神像は今日も淡い光を湛えている。しかし女神の身前に跪くゼルダの後姿は、以前と違って髪が短い。

 なぜ切ったのか聞くと、新しく生きようと思ったからと彼女は答えた。

 それが今回の、時の神殿の復興だと知ったのは後になってからのこと。しかしあたりを見回して思う、本当にこんな場所に人が集まるのか甚だ疑問だ。

 もちろん再興を方々に知らせるために、今回の作業は各地の種族に声を掛けた。神殿への道を開くのに力を貸してほしいと頼めば案の定、長寿のゾーラ族以外は「そんなものがあったのか」と言わんばかりの反応。

 無理もない、長らく閉ざされていたせいで、存在自体が忘れられかけていた。ひとまず塞がれた参道が開通に漕ぎつけられたことはもっけの幸い。今回の作業に参加した若者たちが自分たちの里に戻り、一族に新しい神殿の話を伝えるだろう。

 でも時の神殿が元の賑わいをいつ取り戻すのかは分からない。今後どうするのか、俺は発起人であるゼルダの言葉を待つ。

「リンク」

「はい」

 立ち上がり振り向いた彼女の表情は明るい。

 裏腹に声色は哀愁を帯びる。

「私、カカリコ村を出ようと思います」

「今度はどこへ行かれるのですか」

 その問いは俺にとって自然な物だった。

 今回も気乗りはしないが時の神殿へ来たし、カカリコ村を出ると言われるのなら当然行く先へ付き従うつもりでいた。彼女の騎士でなくなったとしても、それが当たり前だと思っていた。

 当たり前よりも先のことは、先ほどマンサクにこぼした通り。いくら悩んでも考えがまとまらず、答えが出なかった。奴に言わせれば、閃かないと言ったところか。

 でもゼルダは首を横に振って、互いの間に一つの答えを据え置く。

「どこにも行きません、旅はおしまい。私はここでハイラルの安寧を願って、祈りを捧げます」

 時が止まった。

「えっと、それは」

 いや、逆か。ゼルダが自分の時を止めたと、一拍の後、理解する。

 この人はまだ、己をハイラルのために働かせようとしている。

 国が滅んで治める者が無くとも生きている民草に、いまさら王族など必要ない。各地を巡るうちに彼女はその事に気が付いた。ならば何の力も権力もない今の自分にもできることを考え、探し、そして時の神殿へたどり着いた。

「百年前に亡くなった方々の安らかな眠りのために、この神殿で祈りたいのです」

 たおやかな手が苔むした手すりを撫でる。

 元を正せば姫巫女たる人。神殿に仕えて何らおかしくない立場であり、力を失くしたとしても女神の器そのものでもある。だから人の身が朽ちるまで、ここで民のために祈りを捧げようと考えた。そういう御方だとは随分と昔から分かっている。

 分かっていて、俺はゼルダの背後に近衛姿の幻を、今度ははっきりと見た。そいつは泥だらけ俺のことを、小奇麗な制服に身を包んで見下ろしていた。

 姫様は未だに近衛姿の俺を引き連れて、もはや何者でもない俺に言葉を投げかける。

「だからもうリンクは自由にしてください」

 それが互いの新しい関係だと諭されれば、俺は頷くしかない。他でもない姫様の出した答えを受け取ろうかと思った。

 大事な人かと問われれば迷わずに頷く。この人の願いならば何でも叶えよう。

 でも上手く是と答えることが出来ず、思うより先に口が拒否した。

「嫌です」

「リンク」

「そんなのは嫌だ」

 思わず鋭い視線を差し向ければ、姫様はひるんだ。

 すると姫様の後ろに立ち、未だに護り続けているが如く振舞う百年前の俺が、姫様の代わりに睨みを利かせる。姫様の決めたことに口を出すなと、あいつは俺を穿つ。言葉が無いくせに、やたらと俺にだけは圧が強く、ぐさぐさと目で威嚇する。

 でも負けるわけにはいかなかった。近衛の俺を、あるいは百年前を未だ従える姫様を睨み返す。

「もう姫様が命を削ってでも成すべきことは何もありません」

「私のせいで亡くなった多くの方のためにも」

「贖罪なんか亡霊にでも任せておけばいい」

 吐き捨てた言葉が寂れた神殿にこだまする。久方ぶりの荒ぶった声に俺自身も驚いたが、それを向けられた側も狼狽していた。

 でも怒りたくもなる、俺の気持ちを考えろと文句の一つだって言いたくなる。

 回生の祠を出て開けた大地に影を落とす城を見た瞬間、意味も分からず胸がざわついた。覚えのない誰かを求めて痩せた体が軋み、嘶いた。

 確かにあれが、二度目の呱々の声だった。

「ここは百年前に死んだ俺の墓みたいなものです。でも貴女が百年耐えて俺を生かしたから、墓の中は空っぽだ」

「リンク、でも私はっ」

 必死の顔が見えて、でもそれが忌々しく見えた。せっかく助けたはずの人が、自分と同じ方を向いてくれないことにいら立ちが募る。

「誰もいない墓の前で、今度は本当に死ぬまで墓守ですか。そんなことされたって、俺も、死んでいった人も、誰も嬉しくない。こんなところに縛り付けるために助けたかったわけじゃない」

 女神像へと至る昇り口、そこに立ちすくむ人は力を失ってもなお、人々の女神で居ようとする。清廉なまでの心根が、いっそ清々しいほど憎らしい。だから祭壇へ続く階段を泥だらけの靴で汚し、俺の汚れた手で引きずり降ろしてやろうと腕を伸ばした。

 その瞬間、近衛服姿の俺の殺気が膨れ上がる。

 自分如きが触れるなとでも言いたげに、でも今度こそ俺は奴を睨み返した。

『いい加減に亡霊は黙っていろ』

 互いの視線がかち合って、ようやく自分の表情を知る。

 昔の自分はただならぬ形相で、触れれば砕けそうな顔を必死で取り繕っていた。だから試しに睨み返してみれば、あっけなく向こうが折れる。俺はこんな奴からずっと目を背けていたのかと気抜けするほど手ごたえがなかった。

 『もういいだろ』と目で言えば不承不承、同じ色をした瞳を伏せてくるりと背を向ける。誰にも見えない在りし日の俺が空気に溶けていく。

「リンク?」

 気付けば俺は姫様の腕を力いっぱい掴んでいた。慌てて力を緩めるも、全身から緊張が抜けない。真一文字に口を引き結んだ俺の顔を、面を食らいながらも姫様が覗き込んできて、何事か問う。

 言葉に困った。

 でもここで黙っていたらあいつと同じ、しかし酷く胆力がいる。全く考えがまとまらず、何度も言葉を紡ごうとして失敗し、口を開けたり閉じたりした。

「大丈夫ですか?」

「……えっと、考える時間、ください……」

 掠れ声で短く絞り出し、ともかく姫様の手を取って階段を下る。一段降りる度に気持ちの大波が寄せるのに、肝心の言葉が出てこない。もどかしくなって、乱暴に頭を掻いた。

 ずっとずっと、考えていた。

 今の姫様と俺は一体何なのか、どう説明をつければいいのか、分からないままでいる。もう昔の関係に戻ることは絶対に無理、だが不均衡な今が良いとも思えない。かといって手放しがたく、逆に捨てられるのも嫌。我儘ばかりな自分の考えに堂々巡りをして、気が付けばかなりの時間が経っていた。

 くっそ、誰だよ「考え続けたら閃く」って言ったやつ。マンサクだ。マンサクのやつ、嘘吐きやがって。いくら考えたって、いい考えも言葉も思いつきやしない。なんでハテノ村から来たのがマンサクなんだ。

――ハテノ村。

 ハッと息を飲んだ瞬間、巡り巡って記憶が一つ、ぽこんと泡のように沸いて浮かび上がり、ぱちんとはじけた。

「ハテノ村に来ませんか」

 え、と小さく声が出て、姫様は目を見開く。

 思えば、俺はそもそもこの方の願いで生かされたんだった。だったら今度は、俺の方からお願いすればいいと、目の前が開ける。

「カカリコ村を出てこんな場所へ一人で来るぐらいなら、小さいけど俺の家に来てください」

 信じられないものでも見るように、姫様はまじまじと俺の顔を見る。そんな面白いものじゃありませんと顔を背けて逃げたかった、でも目をそらしてはならないと我慢する。戦場で背を向けたら殺される場面と同じ気配がした。

「冬は寒いし、辺鄙なところだし、あと村の人もちょっと変な人も多いけど、でも良いところです」

 ここぞとばかりに畳みかけると、もっとマシな言い方があるだろうと声だけで近衛の俺がなじる。

 確かに、やっぱりどれだけ月日が経っても、大事な時ほど上手く言葉が選べないみたいだ。過去の自分に怒るほど、今の俺もまだまだ言葉が上手くない。

 互いに汚れたまま向き合い、薄くなっていく西日の中に浮かび上がる手を握る。ありえないぐらい手汗が出るし、口の中もからから。しかも一度口から出した言葉は無かったことには出来ない。

「あ、えっと、もちろん姫様が良ければ、です……」

 だから昔は言葉を封じたが、今は言葉を重ねることで抗おう。要らぬ心配や誤解が伝わらないようにと口をつぐむのはもう終わり、ちゃんと伝わるように拙くてもいいから言葉を重ねる。百年でそれぐらいは成長をしていなければ恰好が付かない。

 ところがやはり姫様は悲しそうに眉尻を下げた。 

「でも私にはそんな、幸せになる権利などありません」

 やっぱりな、と思わずムッとした。やはりこの御方はまだ自分を戒めようとしている。

 何より「幸せに」と言っている時点で、答えを言っているようなものだとなぜ気が付かないのだろう。どうしてなかなか、自分の気持ちにハイとは言ってくれない。何ならカッシーワの師匠の話を聞いておいてよかったと腹落ちする。

 もういいや、駄目押しだ。

「それは、俺とじゃ嫌って意味ですか」

 姫様はもう一度翡翠色の瞳をこぼれんばかりに見開いて、俺に捕らえられた自分の手と俺とを交互に見る。ぱちくりと音がするほど瞬きをしてから、一拍おいて生真面目な声が戸惑う。

「ええっと、リンク。その、一つ確認をしたいのですが」

「はい、なんなりと」

「あの、その……これは、そういう意味にとらえても?」

「ええと、はい。そういう、意味で言っています」

「そう、なのですか?」

「そのつもりです」

 問う言葉が無くなり、姫様から責める空気が消える。ようやく伝わった、荷が下りたと思った。もうこれで駄目なら、俺は駄目だからどっかへ消えよう。

 ところが再び近衛姿の俺が、今度は俺の背後に現れて背中を小突いてきた。それも随分な力の入れよう。でもさすがに睨むのではなく、呆れた顔をしていた。

 ああもう、ちゃんと言えってか。

 うるさいな、分かってるよ。だったら最初から睨むなって、睨むばかりだから意味が分からなかったんだろうが、馬鹿。

 大きく息を吸って、腹に力を込めて顎を引く。これじゃ本当に戦場と変わらないが、情けないかな、そうでもしないと声が出ない。

 意を決して翡翠色の瞳と向き合った。

「姫様、俺と生きてくれませんか」

 本当はもっとちゃんと好きだって言いたいのに、慣れない言葉はどっと逃げていった。身の丈に合った言葉だけが口の中に残り、ひりついた喉の奥から辛うじて出てくる。

 ざわりとまた風が隙間を抜けていく。虫の鳴く声、木々のざわめき、遠くに呼び合う人の声、それから自分の心臓の音が一番うるさい。

 しばらく答えのないまま、でも姫様はくつくつと笑った。

「リンク、また呼び方が戻っています」

「え、あ……っと、ゼルダ」

 愛おしいその人は、薄く涙を浮かべて微笑んでいた。

「嬉しいです」

 続けざまの言葉の意味がすぐには理解できなかった。

 じんわりと時間をかけて頭に染み込み、全身から力が抜けて破れた天井を仰ぎ見る。こんなの、厄災を倒すよりも根性が要る。崩れ落ちた天井に向かって、柄にもなく大きなため息を吐いた。ゼルダがふふふと笑って俺に抱き着くのを、辛うじて受け止めた。

「必死ですか?」

「そりゃあ、もう……」

 かぁッと熱くなった顔を背けようとしたが、ゼルダのひんやりした手は許してくれなかった。頬を包まれ額をコツンとぶつけられる。近い近い近い。

「ありがとうリンク。私、ずっとあなたと生きてみたかった」

 ずっとっていつから?と聞こうとした口が、ふいに塞がれた。目を見張るのは俺の番。ゼルダの触れたところから熱が伝わり、その熱で近衛姿の俺は夕闇に姿を融かして消えた。今度こそ俺の中へ、その殺気立ったものを封じ込め、穏やかに腕組みをして一つになった。

 俺もまたゼルダと同じく、昔の自分が許せていなかったらしい。どうりで墓荒らしのような気分になるわけだ。

 西日が完全に消え入ってから、彼女の手を引いて皆の待つテントに戻ろうと歩き出す。あれからだいぶ時間が経っていて、暗くなる足元に気を取られながら歩く。でも行きと違って気分は軽く、自制しなければ飛び跳ねそうになる。

「おい、探しに行くところだったぞ」

 ようやく聞きなれたばかりの声に顔を上げると、マンサクが階段を昇ってきているところだった。だが奴はぴたりと止まり、眉間にしわを寄せてさらりと前髪をいじった。

「なんかいいことがあったのか、モテそうな若者よ」

「……あった」

「そうか、よかったな」

「マンサクのおかげかも」

「ふっ、そう褒めるな」

 なんだかんだ言って、マンサクは察しがいい。名前の由来通り閃くのかもしれないし、顔に似合わず洞察力があるのかもしれない。ともかく俺は一度こっそり、こいつに礼をしなければならないのかなとぼんやり考えていた。

「なぁ、お二人さん」

「ん?」「はい?」

 まだ砂利が多く残る階段を降りようとしたが、マンサクだけが台地の中の方を向いて立ち尽くしている。目を細めて難しい顔を作っていた。

「俺の見間違いかどうかは分からないのだが」

 と指さす先、はるか遠くに渦を巻いた形のハイリア山が見えた。その頂が煌々と輝く青い幽鬼の炎を灯している。

「あれは、なにか、心霊現象の類か?」

「あ、やべ……」

 俺にばかり思い当たる節があって、背筋がぞくっと寒くなる。

 あれは怒っていらっしゃる。事後承諾になるからか、消えたはずの老人が腕組みで仁王立ちしているように見えた。

「何か見えているのですか?」

 ゼルダだけがキョトンとして首を傾げていた。

 俺はその夜、慌ててハイリア山の頂上に一人で手を合わせに行った。もちろん墓前にはピリ辛山海焼きをそえる。すると憮然としながらも一つ頷き、幽鬼は消えていったので胸をなでおろした。

 と言うかマンサク、お前視える奴だったんだな。知らなかったよ。

マンサクの花言葉:ひらめき、魔力、呪文、霊感、あなたは私を愛している

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