某氏の日記 - 1/2

 おや、と手を止める。

 珍しくあいつの机の引き出しに隙間があった。とても几帳面で、いつだって角と角とをぴったり合わせるような真面目なやつだが、やはり人間。多かれ少なかれミスがあると言うことか。

 もちろん、中を覗くなどという野暮な真似はしない。……つもりだったのだが、わずかな隙間からdiaryの文字が見えて、思わず手が伸びる。

 あの若さで姫付きの騎士で、退魔の剣に選ばれた奴が、日々の終わりに一体何を書き留めておくのか。

――気にならんわけがない。

 あいつは今朝から、ゼルダ姫に帯同して遠征。紛れもないチャンスだ。

 俺は開いた引き出しの隙間の距離までしっかりと再現できるように長さを図り、そのうえで指紋が残らないようにと手袋をはめたまま引き出しを引っ張り出す。分厚い革の日記。どこから読んでやろうかとソワソワしながら、ともかくページを開いた。

『…………姫様が姫しずかという青い花を見て、気落ちしていらした。…………』

 姫しずか。たしか珍しい花だったというのは記憶している。ただ、花に関して造詣が深くはないので、はぁなるほど、という程度の印象。正直なことを言うと、肩透かしを食らった気分だった。

 俺が期待していたのはもっとこう、あいつの鉄面皮の下に押し込めた暑苦しい叫び的なやつだ。相応の年齢なのだから、こらえ切れないマグマのような雄叫びを綴る、そんな日記が読みたかったんだが、残念だ。非常に残念だ。

 他には天気だの鍛錬の経過だの、職務に関する注意書きだの、なんだか事務的なことばかり。読む側としてはあまり面白みのない。

 ただまぁ、あの朴念仁なりに、姫様のことを気遣っているのだろうとこの時は納得していた。

 それから数日たって日記のことも忘れかけていたときに、一緒に食事でもどうかと誘ってみた。あまり食堂以外で食事をとることも無い(どうやら食べる量が多いので外食をすると大変らしい)のだが、たまにはと言うことで付き合ってくれた。

 その拍子にふと悪い考えが頭に思い浮かぶ。

「なあ、おまえ、誰かに花を贈るなら、どんな花贈る?」

「突然何の話ですか?」

「まぁいいから。相手は誰でもいい……花贈るなら何送る?」

 なに。他愛ない会話の延長線上だから気付かれやせんだろう。

 だがやつの答えに固まった。

「……青い、花です」

 こっちも久々の酒が入っていて、ぼんやりとしていたところはある。だが思わずグラスを取り落としそうになった。おまえ、それを言うか、と。

 近衛騎士の中には貴族の出で相当な教養を持つ者もいる。そんな連中に同じことを言ってみろ。姫付きの騎士、青い花とくれば簡単に選択肢を絞れてしまう。

 不用意なことを口にしたら、どこで誰にバレるか分からんだろうが阿呆。

「姫しずか……か」

「なっ……!!」

 これは先輩としてアドバイスが必要だ。

 俺は案外、この可愛げのない後輩を気に入っていた。何しろ実直で嘘をつかない。それにやたらと強いくせに、それを鼻にかけない言動、そして年上の俺をちゃんと立ててくれる。基本、いいやつなんだ。

 そんな後輩がたった一言で危うい立場になったらかわいそうじゃねぇか。

「図星か……」

 そいつは酒も飲んでいないくせに耳まで真っ赤にして、俺の方を振り向いて固まっていた。日記の内容なんかより、よっぽど可愛げがあるじゃねぇかと笑ったのは内緒。

 ぽんぽんと固くなった肩を叩いて落ち着かせて顔を寄せた。

「不用意なことを言うんじゃねぇよ、退魔の騎士殿」

 以来、俺はときどき奴の日記を覗くことにした。

 といっても、相手はさすがに最強の騎士。そう何度も開くのはこちらの身が危うい。だから無駄骨になることも多かった。

『…………食堂のおばちゃんは旦那の給料日は機嫌がいいので裏メニューが食べられる。嬉しい…………』

 などという記述を読んだとして、果たしてやつの言う通りの裏メニューが注文できたとしよう。あまりの量に食べ切れずに、逆におばちゃんに怒られたりする始末。

 基本的に奴は規格外なのだ。

 剣の技量はもちろんのこと、食べる量も運動量も、やることなすことどこか人とはズレている。

 例えば、おそらくゼルダ姫にゴーゴースミレを頭にくっつけられた時も、俺が言わなきゃあいつはそのまま夜警に立ったはずだ。どうやって姫様があいつの頭に差し込んだ花を闇夜で見つけることができる? 挿しても見えない花を見せに行くなんてお前は阿呆か、と言いたくなるのを我慢して、お返しをする隙を作ってやった。

 やれやれ、この堅物は姫様のことが気になる割に、どうにも融通が利かない。

――で、いったいあの日は一体何があったんだい。

 数日後、あいつのいない隙を突いて開いたゴーゴースミレの日ページにはただ一言。

『喜んでいただけた』

 だから、なにを、どう!

 口から出てくる言葉の少なさももちろんのことながら、書くこともすごく少ない。圧倒的に物足りない。もう少しちゃんと詳細を書き記せよ! 後から読み返して何のことか分からないだろ、日記ってそういうもんじゃないのか?! と口から吐き出しそうになり、慌てて居住まいを正す。

 ただ、丁寧な字から滲み出るのは間違いなく喜色だ。

 十中八九なにかあったに違いない。それを知りたくなるのが人の性というものでもあるし、あるいはこれは俺なりの応援でもある。年若い後輩が幸せになって欲しいじゃないか。

 だから何にも無さそうな時を狙って「そういえば」と声を掛けてみる。

「この間の晩以降、時々幸せそうな顔するよな、おまえ」

 さて、何と返してくるかとしばらく身構えたが、答えがない。

「いいことでもあったか?」

「…………別に……特に何もありませんよ」

 圧倒的な、間。

 こんなに嘘付くの下手だったかなぁと首を傾げた。

 それとも同室だからというだけで、俺に気を許してくれているんだろうか。それはそれで嬉しいのだが。だがいつもは凛と前を見据える青い視線が俺の方を見ることなく、在所なさげに穏やかな一室でうろうろしている。

「いーや、嘘付くなよ。騎士の行動規範にあったろ、『汝、嘘偽りを述べるなかれ』」

 悪いが、真面目なコイツだからこそ効果のある手段だと分かって言った。こんなプライベートに踏み込んだところまで、しかも実務には何ら関係のないところでまで真実を述べよなんて人間どうかしてしまう。

 しかしながら案の定、糞真面目なやつは頬に朱を上らせて「そんなに顔に出ていますか」とか細い悲鳴を上げた。

 なんだその情けない返事は!

 ああもう、見ちゃいられない。国を救うはずの勇者が、俺程度に負けてどうするんだ。本当はそろそろ日記を見たとバラそうかと思ったのだが、やっぱりやめることにした。

「俺にしか分からないから大丈夫」

「そう、ですか……」

 まぁそんなことは無いけどな。

 けど奴は明らかにホッとした顔をしていた。

「でも気が付く奴はいるぞ。気を付けろ」

 はいと短い返事があって、幼さの残る顔が元の鉄面皮に戻っていった。なんだか百面相見ている気分だよ、こっちは。

 後日、そのやり取りをした日の日記を見てみれば『先輩には俺の気持ちがバレているらしい』との記述があった。思わずニンマリとする。俺の後輩も随分と可愛げのある男の子じゃねぇのと思いながら、共に任務に就くのは悪くない気分だ。

「今日はいい天気だな」

「はい」

「昼メシ、楽しみだな」

「はい」

 紺色の近衛の制服を並べ、警護の傍ら空を見上げる。

 続く厄災への備えのために、城はいつでもバタバタと慌ただしい。それに英傑の要であるこいつも色々なところに引っ張りだこで、他方姫様は封印の力に目覚められずにお辛い立場だ。

 なんだって世の中上手くいかないのかねぇと、俺は晴れた空に問いかけたくなった。

「最近、ゼルダ様と雰囲気いいんだって?」

「は………………………………は?」

 できることなら、俺はこいつとゼルダ様が上手くいってほしいなぁなんて夢想を思い描いている。こいつは相応しい器だと思うし、根が優しいのだから悪くはなかろう。

 陛下が何と言うかは知らない。でも厄災を見事討伐した暁に、姫様のことを望んだって罰は当たらんのじゃないだろうか。それぐらいのことはぼんやりと考えていた。

「ゼルダ様も憎からず思ってるのかもな」

 ゼルダ様を間近でお会いする機会は、近衛と言えども俺はそう多くない立場だった。だから正直どうなのかは分からない。

 ただ気にならん相手の髪に花を挿すかと言われたら、大手を振ってノーと答える。おそらく想像は大きく外れていないだろう。

 だがそいつは、面くらった顔のまま何も答えない。まぁいい、さんざん悩めばいいさと思ってそれ以上何か言うのは止めておいた。

 だがそれと日記を読むのとはまた別問題だ。さて今日は何か目ぼしいことは書いてあろうかと開いたところで、珍しい記述を見つける。

『…………二の丸の裏手に宝箱が埋まっていた。何だろう…………』

 はて、何だろう。

 宝箱なんて見つけたやつが開ければいいんじゃないのかと思いつつ、どうしてだかあいつは開けなかったらしい。ということはまだ埋まっているんだろう。

 となると日記と一緒、中身が気になるのが人の性だ。

 非番の日にスコップ片手に二の丸の裏へ行くと、記述通り、宝箱が半分埋まっている状態になっていた。

「何だろうなコレ」

 掘り出すのは案外簡単で、特に変わったところのない木の宝箱を手にする。鍵もない。開けるのは容易だった。

「なんだこれ」

 中身は紙切れ一つ。

 首を傾げながら開く。

『先輩、読んでますね?』

 ぞっと背筋が凍った。