彼のことはもちろん知ってるワ。彼、いい目をしているワよね……、あの目を見た瞬間にゼルダちゃんの旦那にはこの彼しかいない!ってピンときたの。ゼルダちゃんがあの歳まで男を寄せ付けなかったのは、きっと彼を待ち続けていんだワ。だから前祝にベッドを贈らせてもらったのヨ。
でもしばらくしたら彼浮、かない顔をすることが多くなって。そう……、きっと幸せに戸惑っていたのね。
でも私は見守ることに決めたの。もちろん彼が家出して呆然とするゼルダちゃんにも同じように伝えたワ。男には時に一人にならなきゃいけないこともある、イイ女は黙って待ちなさいってネ。
そしたら予想通り、帰ってきた彼は私のところに相談に来た。もちろん私の答えはイエス。
彼のご要望の物はこのサクラダ工務店がばっちり作ってあげるワ、まかせなさい。
家に帰り着いたのは、出て行った時と同じ黄昏時。バイクを家の裏に停めていると、バンっと大きな音がして、明るい家の中から飛び出してくる人影があった。
「リンク!」
「ただいま」
転びそうになりながら走ってくる体をよいしょと抱きとめる。久しぶりの柔らかな感触に安心した。
「家出は終わりにするよ、ごめん」
「もう! 本当に、もう! いきなりいなくなって、葉書しか届かないんですから、一体何を考えてるの!」
めちゃくちゃ怒られた。でも待っていたのは温かいシチューだった。ありがとうとお礼を言って食べる晩ご飯、2人で食べると美味しかった。
食べ終わってから洗い物をして振り向くと、物言いたげしているゼルダと視線がかち合ったので思い切って横抱きに抱え上げてみた。
「ひゃっ」
「ちゃんと話するから、ちょっと来て」
ソファーまで連れて行って、逃げられないように膝の上に乗せる。少し上目遣いにすると、所在なさげに翡翠色の瞳がオロオロしていた。こういうところは変わらない。可愛いなぁと思って手のひらにキスを一つ落とす。
「俺、目覚めてからずっと、何をしたらいいのか分からなかったんだ」
うまく伝えられるのか分からなくて、たどたどしく言葉を選ぶ。辛抱強く彼女は話を聞いてくれた。
「ゼルダはもう少しゆっくりしていいって言ってくれてたけど、自分の足で立ってる気がしなくて不安だった。ゼルダにおんぶにだっこの生活は嫌だった」
「ヒモって言われるから?」
「もちろん、それもあるけど。……やりたいことと、すべきことの区別がついてないのに、漫然と幸せなのが怖かった」
仕事はたぶんすべきことだ。でもそれとは別に人間誰しもやりたいことがある。それが合致することはなかなか難しいが、100年前の俺は幸か不幸か物心ついたころからぴたりと合致していた。その概念さえ気が付いていなかった。
だから仕事もやりたいことも失くしてみて、初めて俺は何をすればいいのか分からなくなった。
「俺ね、誰か喜ぶところを見るのが好きみたいなんだ」
「そうなのですか」
「もちろん一番喜んで幸せになってほしいのはゼルダだよ。でもそれ以外の人にも喜んでもらえるのは嬉しい」
よくよく考えるとそれは人としては当たり前のことなのかもしれない。ただ平和にな世の中を歩き回ってみて改めて、自分の中に他人にまで気を配る余裕ができたことに気が付いた。100年前の必死に生きていたあの頃には、まるで理解できなかった感情だ。
今でこそ俺の腕の中に大人しく収まっているゼルダが、以前はどこかに連れ去られたり酷い目に合うんじゃないかと気が気じゃなかった。自分の持てる力の全てで彼女を守らなけばならないと自分を戒めていた。
でも今はそんな心配はしなくていい。ようやく俺は、己の内側に目を向けられるゆとりを持つに至った。
「それに気が付くために家出してた。ごめん」
「リンクが納得したのなら10日間は短いものです」
「誰かが幸せになることがしたいんだ。そういう仕事がしたい」
決して、彼女を養おうだなんて大それたことは思わない。よしんば思ったところで、堅実を地で行く彼女を相手にするには、俺は圧倒的経験不足で12も年下だから全然歯が立たない。
ただ、せめて胸を張って同じ方向を向くぐらいのことはできるようになりたい。それぐらいは背伸びをして許されてもいいはずだ。
「それで、具体的に何をやるかは決めたのですか?」
翡翠色の瞳が嬉しそうに俺を覗き込む。
新しいことを始めようとするとき、彼女は大体こうして目を輝かせてくれる。ちょっぴりそれが嬉しかった。思わず子供みたいに「へへへ」と笑い声が出た。
「うん、だいたいは。サクラダさんにちょっと相談してからだけど」
「サクラダさんに?」
「それについては後で話すよ」
仕事のことはとりあえずサクラダさんに相談してから動き出そう。いくらルピーがかかるか分からないし、何か材料を採ってこいって言われるかもしれない。
でもその前に、俺はゼルダに聞いておかなければならないことがあった。何より、これを解決したいがための家出でもあったんだ。
「だからね、ゼルダも俺をあんまり過保護にしないで。俺は自分の足で立てる」
「過保護にしていたつもりはありませんけれど」
「だって悪魔像にお願いしたの、どうせ俺との何かでしょ?」
学者肌で、何事も理知と理性で解決するゼルダが、あんな胡散臭いものに頼ること自体がそもそもおかしいのだ。つまり自力では解決できず、さらには女神像に一緒に行く俺には隠さなければならないもの。だとすれば俺に関することに他ならない。
予想通り、分かりやすく顔を背けるので、ちゃんと目を覗き込む。
「教えて。まだ頼りないかもしれないけど頑張るから、隠し事はやめてよ」
誰かの喜ぶところはもちろん見たいが、それ以前に彼女が辛くては意味がない。だから悪魔像に頼ってまで成し遂げたい願いを、俺は何よりも最優先で叶えなければならない。これは絶対だぞっと握る手に力も入る。
ところがゼルダはじわじわと耳まで赤くなりながら、ぽつりと白状する。
「いえ、その、少しでも若返らせてもらえないかしらと……」
「若返り?」
あれ。もっと、壮絶なヤバい願い事を期待していただけに、肩透かしを食らってきょとんとした。すると少し怒った顔でゼルダは口をとがらせる。
「もうプルアのアンチエイジングは副作用が怖くて使えません。でもリンクは10歳以上も年下だし、私はもう三十路を超えたおばさんだし、飽きられてしまったりしたらと思うと、いてもたってもいられず……。でもこんなこと女神にはお祈りできないし……」
「そんなこと?」
「そんなことじゃありません! リンクあなた、村の若い娘さんたちから随分と人気があるの、気が付いてないんですか!?」
「え、そうなの?」
「そうですよ、私よりきれいで若い娘さんがたくさんいるから、いつあなたが出て行ってしまうか不安で、不安で……もう、本当に朴念仁が過ぎます……」
消え入りそうな声が涙声になる前に、なぁんだとため息を吐いて抱きしめた。
俺がそんなことするはずがないのに。
そんなのずっと昔から決まってる。逆にどうしてこんな甲斐性なしを養おうと思うのか、彼女の方がずっと奇特な人材だと理解していない。
「出て行かないよ。こんな朴念仁の甲斐性なし、養ってくれる人はゼルダ以外にいないもの」
「そんなひどい言い方!」
「それにロベリーのところなんか夫婦で半世紀も歳の差があるんだよ? 10歳ちょっとぐらいなら誤差だ」
長寿のシーカー族と比べるのはどうかとも思ったけれど、でも俺があと20年遅く起きても結局同じ選択をすると思う。何歳差があっても、俺はたぶんゼルダと一緒に生きたいと願う。
結局俺は、100年と少し前に終わらせたと思った初恋をそのまま引きずり続けて生きている。願ったからよかったものの、恥ずかしいから明かさないだけ。以前の記憶を無くしたゼルダが覚えていないことだけが幸いだ。
だって「今だけ好きになっていいか」なんて、そんな器用なことが男に生まれ付いた俺に出来るわけがない。ずっと好きに決まってる。
何も言わないまま唇に軽くキスをしたら、プイっと怒った素振りで胡麻化したゼルダが俺の膝から降りて行った。全部話はできたから良しとしよう。それにどうせ夜は同じベッドで寝るのだし。
さて、風呂でも入ろうかなと思ったら、彼女は俺が送った絵葉書を3枚持って手招きをした。
「せっかくですから家出中にお世話になった人たちにお手紙を書きませんか」
そうだった。手紙を出したいんだった。
ロベリーやミファーやシドやペパパはもちろん、インパやパーヤにも手紙を書くのもいい。目覚めてからまだゲルドやタバンタの方へは行っていないが、もしウルボザやリーバルの縁者がいるのなら、その人たちにも手紙を書いて会いに行っていいか尋ねたい。
だが、それよりも。
「手紙書くのいいんだけど、もう少し待ってもらってもいい? 俺のやりたいことが出来るようになったら、招待状を出したいんだ」
手紙の形は様々あることは家出の間に学んだ。だとしたら俺はお世話になった人たちをまず笑顔にしたいと考えていたのだ。