リンクお兄ちゃん? 知ってるよ、よく遊んでくれるもん。
お兄ちゃんすごいんだよ。おうちの裏手で毎日剣の稽古してるんだけど、パシッパシッてすごくカッコいいんだ。ボクたちにも教えてってナブと一緒にお願いしたんだけど、今の時代は必要ないよって。なんだか悲しい顔をしてた。
だからね、もしかしたら何か悩んでるのかなと思って、こっそり悪魔像に案内してあげたんだ。そしたら急に怖い顔をして、これには近寄っちゃいけないって。
リンクお兄ちゃん、時々誰もいない方を向いて喋ってることあるし、もしかしたら悪魔像ともお話できたのかも。
かっこいいよね。ちょっと憧れるな。
タチボウという少年に連れられて行った先には、女神とは真逆の気配があった。
「悪魔なんてものがいるとはなぁ」
しゃがんで目線を合わせる。向こう側もこちらを覗き込む気配がした。
100年の昔、俺がここで暮らしていた時にはこんな奴がいたかどうか、記憶が定かではない。ただ、相当に古い神の気配がしたので、あんまり子供は近寄らない方がいいのだろう。タチボウには忠告しておいた。
『おまえは何に祈る? 命か? それとも金か?』
「気配のわりに随分と俗物だな」
『どちらにしても、おまえにとってこの俺はおあつらえ向きだろう』
「そうだな。しいて言うなら、100年分の経験かちょうどいい仕事が欲しい」
『どちらも専門外だ。自分でどうにかしろ』
「けち」
と、そこまで話を聞いて、「ん?」と首を傾げた。
「おまえ『は』?」
妙に引っかかる言い回し。
まるで他にも誰か、こいつに祈りでも捧げているかのような。
すると悪魔像は、くつくつと笑った。
『おまえと一緒に暮らしている女。あれは女神の器だが、その割にお前の言う通り俗物だ。女神ではなく俺に願いに来るのだからな……』
「ゼルダが? 一体何を願った? おま、まさか叶えたんじゃないだろうな!」
『その時は金を持っていなかったから叶えなかったが、さて次に来るときはどうだろう』
腹が立って悪魔像を蹴飛ばそうと思ったが、像自体は宿っている石の塊だから意味がない。そんなことよりもゼルダだ。
一体こんなヤバそうなものに何を願った?
その日、帰宅するなり問い詰めると、えっと目を丸くしてから彼女はそっぽを向いた。
「えっと、リンクには関係ありません」
「関係ないわけないだろ?」
「私自身の、問題ですし……」
「じゃあなんで女神像の方へ行かないんだよ。ゼルダはそもそも自身が女神じゃないか」
「そんな、もうっ! 恥ずかしいこと聞かないでください」
パッと手で払われ、ゼルダはさっさと2階へ上がろうとする。仕事から帰ってきたらまず先に服を着替える、それがいつものことなのは分かっている。
分かっていても、その日は無性に腹が立った。
「俺がっ」
決して文句をぶつけたいわけじゃない。
でも随分と不安だった。
「俺、そんなに不甲斐ない!?」
階段の途中で振り向いた彼女は、悲しそうに俺の方を見ていた。その顔をまっすぐ見ることが出来ない。
この1か月、心はぐらぐらし続けていた。些細なことだが、手を払われたのがぐらつく心が倒れた最後の一撃みたいなもんだった。
「確かに俺にはできることがあんまりない。あんまり長く寝すぎてて、もう何が正しいのかもよく分からないし、ゼルダの方ができることや知ってることも多いのは分かってる」
「リンク、そんなこと」
「そんなことじゃない、俺にとっては大事なことだ。ちょっとでもゼルダには頼ってほしいし、出来ることなら願い事は叶えてあげたいし、ゼルダには危ないことはして欲しくないし」
言い訳が子供じみているのは分かっていたけれど、この気持ちをどう片づけたらいいのか、吐き出す以外に方法が無かった。
このままじゃ駄目だ。ぐずぐずに腐って、何もできなくなる。そんなのは嫌だ。
ゼルダのことは好きだし、ずっとそばに居たい。でも俺は甘やかされたいわけじゃない。
『ゼルダのことが大事なら、兄弟とはいえちゃんと距離とらないとネ』
プルアの大昔の言葉を思い出す。
もう兄妹ではない、しっかりと彼女の想い人である自覚はある。まだ祭りの時期ではないから夫婦の誓いは立てていないけれど、これからの人生はずっと彼女と共にあろうと心に決めていた。毎日のように好きだと耳元で囁いてもらって、代わりに存分に愛しているよと返せる。それが出来る今がすごく幸せ。
だけどそう、プルアの言う通り、距離が近すぎてお互いになんかよく見えてない。
「わかった。ちょっと家出する」
「えっ、え!? ちょっと、何が分かったんですか!」
「ごめん、1人で考える時間が欲しいから、家出させてくれ!」
階段途中のゼルダを追い越して2階に駆け上がり、そのあたりにある荷物を適当にポーチに詰め込んだ。旅慣れているから、大概のものは現地調達でなんとかなる。ルピーが足りなくなったら、山に入り込んで動物なり魔物を狩ればいい。
それに100年前よりも随分と平和になっているんだから、旅ぐらいなんてことはないはずだ。足だってロベリーのくれたバイクがある、馬より世話が無くて楽。
「ちょっと、リンク!」
「今夜の晩ご飯、あと炊いたご飯入れたらキノコリゾットになるから! じゃあ行ってきます!」
「もうッ何なんです?!」
ハイリアのフードだけは昔と変わらず旅のお供に。黄昏時、俺はバイクに飛び乗った。ゼルダのぷんぷん怒る声がわずかに追いかけてくる気配はあったが、構わずアクセルを踏む。一気にハテノ村を遠ざかり、未だ青い光を湛えるシーカータワーへと向かった。
「あ、シーカーストーン持ってきちゃったな」
シーカーストーンを腰につけていた。肌身離さず佩刀するのがすでに常識ではないと言われてから、それでも手持無沙汰で代わりにシーカーストーンを持つようになっていた。
ついでとばかりに黄昏時のハテノ村の遠景をウツシエに収める。昔、立ち上がったばかりのシーカータワーの上から見た村よりも明るかったが、その一つ一つの灯りの元に人が暮らしていることには変わりはない。
随分と時代は変わった。でも人の営みの根本が替わることもない。ならば俺にもできることは何かあるはずだ。
「とりあえずカカリコ村に行って、インパにバアちゃんの知恵袋でも借りてみるか」
バイクを走らせながら風に前髪をなびかせる。
衝動で飛び出してきてしまったものの、随分と気持ちは軽やかになっていた。