その本

 リンクが何かを隠し持って、こそこそと家に帰って来たのはすぐに気が付いた。前かがみになって挙動不審に、きょろきょろと。

 私はその姿をソファーに座ったまま横目で見ていた。一体何をしているのでしょうか。

 まさかそんな風にハイラル城へ助けに来てくれたわけではないと思いたい。思いたいのだけれど如何せん、今の彼の行動は年相応とは言い難いので正直なところ分からなかった。

どうしたのですか?」

「あ、えっ。なんでも、ないです姫様ッ」

 ダダダッと足音が転がるように階段下の自分のベッドに駆け込む。記憶がほとんど戻らないリンクの行動はいちいち子供じみていて、見ているこちらが心配になった。

「リンク?」

「なんでもないでーす!」

 ぺしぺしと服を直しながら暗がりから出て来た彼は、どう顔を覗き込もうとも目を合わせようとしなかった。怪しい。とっても怪しい。最近は村の人とも良く話をして行動を共にしていたので、記憶が戻らずとも年相応になってくれたらと思っているのだけれど一抹の不安が募る。

「何か隠しましたよね……?」

「そんなことないですよ。それよりお腹すきましたよね、ご飯作ります」

 不安を心の中で並べ立ててみても、現実を見れば私の生活はその幼い思考回路のリンクに支えられていた。荒廃したハイラルで始まった第二の人生は、百年前とは何もかもが違った。

 何しろ私自身は何一つ自分ではできない。一念発起して自活できるようにしたいと言ってもインパは首を縦に振らず、仕方がないのでリンクに相談したら「俺の家に来ます?」と。中身が伴わないリンクと共同生活を送る不安はあったが、同時に精神的に幼い彼を野放しにすることも方や恐ろしく。

 気が付けばリンクに養われる形で、ハテノ村の彼に家で自活するための手ほどきを受けていた。

 ハイどうぞと、今日の晩ご飯はキノコリゾットにキノコミルクスープ、極めつけは香りキノコ炒め。どうしてキノコばかりなのかと聞けば、マンサクさんとエキスパの森を散策したのだそうで。

「マンサクと二人で夢中になってたらキノコいっぱい採っちゃって……」

「キノコ、美味しいですよ」

「姫様がそう言ってくださってよかった!」

 向日葵が咲いたみたいにニパっと笑って見せるので、本当にあの堅物騎士だったリンクなのかしらと首を傾げたくもなる。

 それにしても本当にキノコばかり。いい歳した男が二人でエキスパの森にキノコ狩りなんて世の中が平和になってよかったわと、ありがたく頂いた。

 ごちそうさまと手を合わせ、食後の片付けもぱたぱたと走り回って落ち着きがなかった。転びそうになっても、もちろん天性の身体能力がそれを妨げるので問題は無いのだが、何とも心もとない。

「お風呂先に頂きました、ありがとう。リンクもお湯が冷めないうちにどうぞ」

 はぁいと間延びした返事があって、なんだか少し耳の先を赤らめたリンクが階段下の自分のスペースから出てくる。熱かしらと思って一歩歩み寄ると、トトッと二歩逃げる。また一歩進む、二歩逃げる。その繰り返し。

「大丈夫ですか? 顔が赤いですよ?」

「だ、大丈夫です……」

「お風呂どうぞ?」

「は、はーい」

 またきょどきょどしながら着替えとタオルを持って、屋外にある風呂へ行った。もうここまであからさまだと調べてみる以外に選択肢はない。きっと何かを外で拾ってきて持ち込んだのだ。

 犬かコッコか、あるいは夜食の食べ物? トカゲやカエルを隠し持っている可能性も捨てきれない。

 ランタンを片手にそんなことを考えながらまずはド定番、ベッドの下を覗き込む。しかし何の影も映らなかった。だとしたら次は、リンクがハイラル各地で集めた各種装備が入ったチェストの中。もちろん一番下の引き出し。引き出しの中はもちろん、引き出しを抜き取って奥も見る。無い。他の段にもなかった。

「他に隠し場所なんて……」

 リンクのパーソナルスペースには元々あまり物がない。隠し場所は限られるはずなのに、どうしてか見つからない。でも隠しているのは間違いない。

 彼は烏の行水だからすぐに戻ってきてしまう。他にどんな隠し場所があるだろうかと思ったとき、ふと引き出しの底面の色が違うことに気が付いた。触って叩いて、ボコボコと響く音で直感する。

「これは、二重底……!」

 なんて巧妙なところを、いつの間に作ったのかしら。それほど見つかりたくない物って一体何だろう。でも二重底の中に隠すものだとしたら、少なくとも動物ではなさそうでちょっと安心。

 そんな呑気なことを考えながら二重底を開くと、目があったのは女性の絵。……が、色っぽい目線でこちらを向く煌びやかな表紙の本だった。

「……しゅ、春本?!」

 驚きの余り取り落としそうになったのを両手で押さえた。その手が女性の絵に触れて、「うっ」と思わず拒否反応を起こす。

 その手の書物が、百年前からハイラルに存在していたことは知識としては知っていた。そして百年の時を経て、荒廃したハイラルでもまだ、こうして製本される技術があることには喜ばしいとさえ思う。

 でも!

「ひっ姫様……ッ!」

「リンク、これは、一体なんです?」

 ドアが開いて慌てて戻って来るリンクの足音に、もちろん私も気が付いていた。でも頬がひくひく痙攣するのを抑えられない。

 真新しい生成りのシャツに着替えたばかりのリンクが、ぽたぽたと髪の先から水を滴らせながら立っていた。表情はもちろん絶望、そして蚊の鳴くような悲鳴にも似た声。

 それよりも髪の毛はちゃんと拭きなさいって毎日言っているのに。

「それは、エキスパの森にあった宝箱の中にあったやつで、だから俺のじゃなくって!」

「宝箱からわざわざ持ってきたんですか?!」

「だって、だって、マンサクが! 男ならこれぐらい知っててフツーだって! これも勉強だぞって言ったんですもん……ッ」

 言い淀みながら耳まで赤くするのを見て、リンクがこの本の中身を理解して隠していたことを理解した。中身を全く知らずにマンサクさんから押し付けられたわけではない。その程度の分別が付いている様子に、逆に愕然としてしまった。

 もちろん、彼が相応の年齢であることは分かっている。だからそう言うことに興味を示すのも年齢相応であるのも覚悟はあった。……あったはずだった。

 いざその状況に陥ってみると、なんだかとても心配になる言動の数々。ごくりと唾を飲み込んで、確かめてみる。

「……リ、リンクもこういったことに興味があるのですか……?」

 この人、本当に意味を分かってるの?と。

 本当に男女の機微について理解してる? 大丈夫? 変な性癖や変態行為に走ったりしない? 

 一瞬で心配事が頭の中を埋め尽くした。

 仮にもリンクは私の騎士であった人だ。それが今は訳あってこんな幼い受け答えをしているが、本来はもっと毅然とした大人びた人のはず。

 ところがリンクは俯いていた。目だけで私を下から見上げて、もじもじしながら下唇を突き出す。

「あるって言ったら、姫様は俺のこと軽蔑します……?」

 あるんだ!

 聞いた途端、ギューンと頭の中を色々なことが駆け巡った。

 あるのは良いとしましょう。もちろん年相応です。逆に興味が無かったら、それはそれで問題です。

 でも勝手に宝箱を開いて中身を取ってくるのはいかがなものでしょうか。宝箱に入れておいたと言うことは、もしかしたらこれは誰かが大事な物として森に隠しておいたのかもしれません。

 その様な事情ことまでちゃんと考えずに、ただマンサクさんに言われたからといかがわしいものを拾ってきてしまうその思慮の足らなさ!

 そう、私が心配しているのはまさにそこ!

「少し、考えさせてください」

 思ったより冷淡な声を出すと、私は本を持ったまま二階に上がってしまった。何で本まで持ってきたのか分からなかったが、でも無性にリンクに返したくなかった。

 ベッドサイドに腰かけ、腕組みをする。

 どう言葉に表せばこの彼にこの私の考えを伝えられるのか、今の焦った頭では無理だと判断を下す。もう少し冷静に、落ち着くのよゼルダ。大丈夫、リンクならきっと分かってくれるはずだから。

 一晩寝て、お互いに落ち着いてから話をした方が良さそうねと、その日は寝ることにした。

 朝に起きたらリンクがいなくなっていた。

 テーブルの上には丁寧に朝ご飯と、置手紙。

『頭冷やしてきます』

 手紙を握り潰しながら、遅かったと天を仰いだ。

 寝る前にちゃんと話をしておけばよかったと臍を噛んでももう遅い。リンクが私を起こさなかったので日は高く、完全な寝坊。朝ご飯を慌てて食べて、私はプルアの研究所へ向かう。幸いにもリンクはシーカーストーンを持って行かなかったようなので、いける範囲は限られるはず。

 ところが仮にもリンクはハイラルを救った勇者。そうは問屋が卸さなかった。

「にっちゅ~! リンクなら朝いちに来たワヨ~、もういないケド」

「もういない?」

「姫様のことヨロシクって言われたけど、ナニナニ? 痴話げんか?」

「んもうプルアまで、そんなんじゃありません!」

 プルアがジト目に口をニンマリ。

 でもさすがに昨晩のことは私が悪いと思って、仔細を漏れなく話した。するとプルアは一瞬首を傾げてから、「あ~」とさらにニヤニヤ顔になった。逆に背後で片づけをしていたシモンさんの顔には憐れむような表情。

「そりゃあさーリンクもあれでいて、一応オトコノコだからネ?」

「それは、そうなんですけど! でもエキスパの森に誰かが隠しておいた宝物を勝手に持って来ちゃうなんて。隠しておいた人の気持ち、考えられないんでしょうか……」

「大丈夫、それは今は考えなくていいワ」

 ぴしゃりと言い放ったプルアを見れば、彼女は幼女らしからぬ昏い笑みを浮かべ、背後のシモンさんが青ざめていた。どういうことかしら。まぁその点はプルアにお任せしましょう。

「でも本当に心配で。だってやることなすこと、年相応とは言い難いんですもの」

「あーそれはネー。分からんでもない」

 記憶の戻らないリンクの所業は善悪を超越することが多かった。

 カカリコ村で私が養生していた短い間でさえ、コッコちゃんをどつきまわしたり、たき火の中に放り込もうとしたり。メロさんというお婆さんが大事にしている梅の木に火を付けようとしたり、パーヤが道祖神にお供えをしたりんごをわざわざ目の前で食べたりと、例を上げればきりがない。しかも理由を聞けばいずれも「面白そうだったから」と、まるで子供。

 そんな人が春本を見て内容を本気にして、それこそ道端で女性でも襲ってしまったら?!

 目も当てられない事態になる気がして私は顔を伏せた。

「それで、行き先とか言ってませんでしたか?」

「カカリコ村に行くって。なんか相談する相手がいるらしいって」

 プルアの言葉を最後まで聞かず、私はカカリコ村の名前だけを聞いてシーカーストーンを起動した。タロ・ニヒの祠へ。

 早くリンクの身柄を抑えなければ、とワープして慌てて坂を下っていくと畑の中で呆然としているゴスティンさんが居た。畑の地面にはゴーゴーニンジンが大量にばらまかれていて、どうやら何者かがニンジン畑に侵入して引き抜くだけ引き抜いていったようだ。

「誰がこんなひどいことを……」

「おお、姫様。誰って、リンク殿の仕業ですじゃ」

「え、ええ?!」

 話を聞けば、大妖精の泉の方からふらりと現れたリンクは、何やら考え込んだ様子だったという。誰がどう声を掛けても上の空で、ぶつぶつと「誰に聞いたら……長生きな人…ながいき……?」と言葉を繰り返しながら、延々とニンジンを引き抜いていたらしい。

「さすがのリンク殿でもこれは酷い、せめてカボチャ畑にも均等に被害を加えていただきたかった」

「ごめんなさい、たぶん私のせいです……」

「姫様のせいならそう強くは言えませんなぁ。しかし相当悩まれているご様子でしたぞ?」

 ぺこぺこ頭を下げつつ、どうやらリンクを相当傷つけてしまったことに心が痛む。置手紙の通りならば、リンクは私に嫌われてしまったと完全に誤解している。そんなことは無い、私がリンクを嫌いになることなど百年前からありえないのに。

 でもちゃんと伝えなければ伝わらないこともまた事実。

 これは一刻も早くリンクを探し出して、ちゃんと話をしなければならない事態だと認識した。

「それで、リンクがどこへ行ったか、聞いてはいませんか?」

「長生きな人を探すと言って」

「長生きな人?」

 ただそれだけの情報では、誰を探しに行ったのか皆目見当がつかない。どうしましょうと腕組みをして考えているところへ、「姫様……!」と声があって顔を上げた。

 ふらふらと、パーヤが蒼白な顔で柵にもたれ掛かっていた。慌てて駆け寄る。

「リンク様なら北の方へ行かれました……」

「北へ?」

「ニンジン片手に現れたかと思いましたら、『ムニャムニャゴロゴロだ!』と叫んでから、私がお供えしたりんごを全部持って、齧りながら走ってゆかれました……」

「ムニャムニャゴロゴロ……!」

 その特徴的なセリフを聞いて私も気が付く。

 なるほど、確かに長寿の方に話を聞きに行ったつもりでしょう。しかしその方は『人』ではなく『樹』でいらっしゃる。生殖方法がかなり異なりますよ、リンク。

「ありがとうございますパーヤ、おかげでリンクの行き先が分かった気がします」

「姫様どうか、どうかリンク様にお供えを食べないように言っていただけませんか……パーヤは、パーヤは悲しゅうございます!」

「善処はいたしますが、今はそれどころではないのかもしれません!」

 では!と私は顔を跳ね上げ、地図のハイラル大森林の中央を拡大する。ちょうど真ん中にあるのがコログの森、そしてキヨ・ウーの祠だ。

 あああ~!と涙を流すパーヤに、「ゴメンナサイ!」と謝罪の言葉を一つ置いて私はデクの樹様の元へと飛んだ。

 目を開けばそこは穏やかな森。百年前にここへ来たときは満身創痍で気が付かなかったが、たくさんの姫しずかが咲いていた。綺麗な森、出来ることならばリンクと一緒にピクニックにでも来たいぐらい。

「って、そんな場合ではありません! デクの樹様!」

 と、声を張り上げてから、私は自分に力が無くなってしまったことを思い出した。

 もうコログの姿も、デクの樹様の声も聴きとることができない。これではリンクがどこに居るのか、本当にここへ来たのかも分からない。

 どうしましょう……と俯くと、地面には桃色の花びらがたくさん散らばっていた。

「これはデクの樹様の花びら?」

 リンクから話を聞いた限りでは、デクの樹様はいつお会いしても満開らしい。それがこんなに大量に一度に花びらを落とすなんて、何か不吉なことでもあったのかしら。

 不安になり花びらの様子を確認しようと屈むと、何と花びらがいっせいに動き出した。

「ひえっ」

 思わず尻餅をつく。

 可愛らしい花びらが、風もないのに宙に浮いてトテトテと歩き出す。ポルターガイストを一瞬疑って、自分が学者の端くれであることに縋って首をブンブンと振った。

「もしかして、コログたち……ですか?」

 シュタタタタ!と花びらが動いて形を作り、答えるのは『ハイ』。

 花びらが答えた。コログたちの方も私に姿が見えないのを分かって、どうにか話をしてくれようとしているらしい。

 これならば最低限の会話ならばできそうだと、俄然やる気が湧いてきた。

「あの、大変申し訳ないのですが、この花びらを千切ったのはもしかして、リンク……?」

『ハイ』

「ああ……やっぱり、デクの樹様ごめんなさい」

『イイエ』

「ということは、やはりリンクはデクの樹様に相談しに来たのですね」

 デクの樹様は確かに長くこのハイラルを見守って来てくださった方だ。このハイラルに何かあったときには知恵をお貸しくださる。

 でもさすがに、卑猥な春本の扱いについて聞かれれば困るに違いない。何と言うことを森の賢者に問いにわざわざこんなところまで走ったのか、やはり今のリンクはどこかおかしい。

「ごめんなさい、きっとデクの樹様も答えに困ったことでしょう。それにリンクが暴れてこんな花びらがたくさん落ちてしまって……」

『イイエ』

「違うのですか。あら?」

 答えに窮するデクの樹様に対して駄々をこねて暴れて、メロさんの梅の木のようにデクの樹様の枝を折ろうとするリンクを思い浮かべていただけに、明確なイイエの回答に首を傾げる。しかし言われてみれば、周囲に落ちているのは一枚ずつに分かれた花びらばかりで、枝は一本も落ちていなかった。

 明らかに意図的に花びらばかり、何の理由があって……と深みに沈没していく思考を慌てて引っ張り上げた。

「ごめんなさい、ここにはすでにリンクは居ないのですか?」

『ハイ』

「次はどこへ行ったとかは聞いていませんか?」

 私の問いかけに、花びらたちは困ったようにバラバラ動き回る。ハイとイイエでは答えられない質問をもう少し絞ろうと頭をひねるが、どう質問したらいいのか思いつかない。途方にくれていると、喋らないデクの樹様の体がブルっと震えた。力を失った私にもそれだけは見えた。

 するとすぐに花びらたちがまたシュタタタタ!と動き出して、三日月マークを三つくっつけた形になる。それで理解した。

「これは、ゾーラ族の紋章……つまりリンクはゾーラの里ですね?」

『ハイ』

 立ち上がりシーカーストーンで地図を呼び出す。ゾーラの里ということは、おそらくシド王子あたりに会いに行ったのだろう。確かにゾーラ族は長寿で経験豊富だし、デクの樹様と違って男女の別もあるので理解できる範疇の相談だとは思う。

 しかしだからと言って春本の取り扱いを聞いてよい相手ではない。特にシド王子は仮にもゾーラ族の王族でもある。止めなければ!

「ありがとうございます! いずれリンクには謝罪に寄越しますので!」

 ワープしながら叫ぶと、『お気になさるな姫巫女。それに貴女も素直になりなされよ』と耳の奥の方に言葉が聞こえた気がした。デクの樹様のちょっと笑いをこらえている声に違和感を覚えたが、目を開くとすでにゾーラの里。清廉な水の都が広がっていた。

 里の最深部にあるネヅ・ヨマの祠から階段を駆け上がり見回す。背の高い赤い姿を見つけて駆け寄ると、シド王子の方も私を見つけて目を丸くした。

「これはゼルダ殿ではないか! 今日は珍しい客人が多いゾ?」

「ということはリンクはここへ来たのですね?!」

「ああ、来た! だがもう去ったゾッ!」

 えええええ、と口から断末魔を吐き出しながらがっくりと肩を落とす。ここで三か所目。もうそろそろ捕まえられてもいい頃合だと思うのだが、一向にリンクの気配が感じられない。

 はぁとへたり込みそうになったところを、シド王子が支えてくれた。

「大丈夫か、ゼルダ殿」

「申し訳ありませんシド王子。ちょっと理由があってリンクを探しているのですが、全然追いつかなくって……」

「なるほど。しかしあの調子では、ハイラル中の誰でも追い付くのは難しいと思うゾ」

 どういうことですかと首を傾げると、こちらへどうぞとゾーラの里の宿屋・サカナのねやへ案内された。

 破裂した至福のウォーターベッドの片づけをする宿屋の主人、カーティの姿があった。

「こ、これは、まさかリンクが……?」

「何か酷く悩んでいる様子で、ずっとボヨンボヨンしているうちにパァンと」

「あああ、なんてこと……申し訳ありません!」

 今は手持ちがないので日を改めて弁償に伺いますと頭を下げると、保証込みの値段で価格設定しているから大丈夫ですよと苦笑される始末。それにしたって、ウォーターベッドを破壊するほどのボヨンボヨンって、いったいどんなボヨンボヨンですか。

 いま隣にリンクがいたら、私はまず間違いなくお尻を確認していることでしょう。あるいは、ずっと気に入って履いているあのシーカーパンツに何か秘密があるのかもしれません。いつかあのパンツも研究したいと思っていただけに、連れ帰ったら一度パンツも脱がせて提出させましょうと拳を握る。

 ですがそう、今はパンツの話で独り盛り上がっている場合ではない。

「シド王子、大変申し訳ないのですが、リンクが何か不躾な相談をしたかと思います。その件についても後日謝罪にお伺いします」

「ゼルダ殿、それについては何の問題もないゾ。リンクとオレは最高の友だからな、友の相談を受けるのは当たり前のことだゾッ!」

 キラーンとお決まりのポーズと共に輝く白い歯。やはり、リンクはシド王子に春本の扱いについて相談したようだが、それにしたってシド王子の心は何て広いのかとくらくらした。

 いくら友人と言えども、前触れなく現れて春本について問われたら驚くに違いない。それを当たり前だと笑ってくれる。

 リンクは友人知人にだけは本当に恵まれている人だと実感した。記憶をほとんど取り戻さずに、ハイラル中をパンツ一丁で巡っただけのことはある。

 でも、彼の実力が折り紙付きであることは認めるが、せめて服を身に付けてほしかった。服を着ずとも受け入れてくれた方々の心の広さに、私たちは今もなお助けられ続けている。女神の采配に感謝せねばなるまい。

「それで、リンクが次にどこへ行ったのかご存じでしょうか……?」

「ボヨンボヨンパァンしたあと、ハッと顔を上げて『女の人のことは女の人に聞けばいいんだ!』と叫んでいたゾ?」

「なるほどなるほど、今度のヒントは意外と簡単ですね」

 次の目的地はゲルドの街で間違いない。

 ゲルドの街にはワーシャ先生の恋愛教室もある。つまりリンクは、同性のシドに聞いても分からなかったことを、異性であるワーシャ先生に聞きに行ったのだ。

 しかし彼は一つ、とても重大なミスをしている。

 淑女の服はハテノの自宅のチェストの中。つまり街には爪先すら入ることが出来ず、足止めを食らっている可能性が高い。ようやく追いつけそうな気配に、私はガッツポーズした。

「しかし、ゼルダ殿もお人が悪い」

「え、何のことです?」

 ゲルドの街の周辺地図を拡大し、グチ・コセの祠へ飛ぼうとしていた手が止まった。腕組みをして、ニっとシド王子は笑った。

「まぁ傍から見ていればバレバレなのだが、リンクはあれで案外奥手だからな。ゼルダ殿の気持ちもちゃんと伝えるべきだと思うゾッ!」

 ぐっと親指を立てられれば、そうですね?としか答えられなくなる。よく分からないが、どうやら私の方からもちゃんと話をせねばならないと言うことは確定しているらしい。

 言われるまでもなく、私はリンクを捕まえたら春本を返すつもりでいた。

 所持はしていてもいいけれど、誰かのものを勝手に拾ってきては行けないし、こそこそされるのもあまり良い気はしないと言うつもり。

「分かりました、ちゃんと声に出して伝えます」

「ハッハッハッ! それでこそ、ハイラル王家の姫君! 最高だゾッ!」

 そんなことを言われたら、ちょっとはお淑やかにしなきゃいけないのかしらと思って、ではと会釈をしてワープをした。去り際に「良い知らせを待ってるゾ」と言われ、何のことか分からずに曖昧に笑い返した。

 グチ・コセの祠にワープすると目を開く前からカッと燃える暑さに肌が焼ける。久しぶりのゲルド砂漠は暑かった。さすがのリンクも、このゲルドの街を守るドロップさんとムエリータさんを突破することはできないはず。

 そう期待して正門へ向かうと、予想通り激闘の足跡が砂の上に残されていた。

「サヴァーク、失礼ですがこの足跡はもしや……」

「ハシバミ色の髪をしたハイリア人ヴォーイが街に入ろうとしたのを止めたんだ」

「やはり。申し訳ないのですが、そのヴォーイはどこでしょうか?」

 見渡しても、足跡はあったが本人は居ない。いるのは疲弊した顔つきの門番二人だけ。まさかここでも追い付けなかったのかしらと、今朝の寝坊を悔やむ。

「あの男を探しているのですか、お嬢さん」

 ここで掴まらなかったとしたら次はどこへと頭を悩ませていると、後ろから声を掛けられた。しかもこれは男性の声。ゲルドの街の近くなのに男性?と思って振り向くと、そこには黒髪をきっちり七三分けにした眼鏡のハイリア人男性が立ち尽くしていた。

「はい、彼を探しています」

「彼……つまり、リンリンの知り合い……」

「り、リンリン……?」

 二の句が継げずにぽかんと口を開く。

 リンリンって、誰。

 目の前のハイリア人男性はぶるぶると打ち震えながら砂漠に立ち尽くしていた。足元は裸足。

 ……って、裸足?!

 焼け付くほど熱い砂漠を裸足で渡るなんて、リーバルでなくとも言いたくなる愚の骨頂。日常生活ではなかなか使わない言葉って時々使いたくなりますよね。足裏全面火傷しますよと言いかけて、何か深い訳があるのだろうと思って言葉を選ぶ。

「あの、どうして裸足なのです……?」

「リンリンに騙されたからに決まってるでしょーがッ!」

 彼の名はボテンサ。男性であるためにゲルドの街に入れずに、街に出入りする女性に対してずっと正門の脇でアピールをしているらしい。後ろからひっそりと、門番のドロップさんとムエリータさんが教えてくれた。

 世界には奇特な方もいらっしゃるのねと思いながら、話を聞くとボテンサさんは涙ながらに語ってくれた。

 どうやらリンクは以前ゲルドの街を訪れた時に入手した淑女の服で女装をして、リンリンと名乗ってボテンサさんに接触したらしい。ボテンサさんはリンリンをハイリア人女性と勘違いしてしまい、その後かくかくしかじかで、なんと貴重なブーツを二足も彼に巻き上げられたとのこと(本人談)。

「僕ァね、八人目の英雄の伝説を信じてくれて本当にうれしかったんだ! それなのに、可愛くウィンクしてくれた彼女が男ってどういうこと?! しかも当人にはちゃっかり可愛い彼女がいるなんて、ホントどういうこと?!」

「お、お、お、落ち着いてください、私はリンクの彼女ではありません!」

「だったらなんで追いかけてるんだよ! なんだか訳ありみたいな感じで必死だけど、リンリンもリンリンで『好きな女の子がいるってどんな感じ?』とか煽って来るしさぁ! 何なんだよあいつ!」

 リンク、傷心の男性になんてことを聞くんですか。自分だってそんなこと聞かれたら嫌でしょうに、やはり今の彼には相手の心に寄り添うと気持ちが欠落しているとしか思えない。

 ただ、いかにリンクがハイリア人男性としては身長が低いと言っても、全身引き締まった筋肉質。いくら淑女の服で口元を隠していたとはいえ、ころりと騙されてしまうボテンサさんもどうなのかしらと思ってしまう。

 一体、彼ら二人の間で何があったのかは分からない。知りたいとも、あまり思わない。

 でもリンクを連れてきて謝らせるには、私がリンクに追いつくしか方法が無かった。

「それで、リンクはどこへ行ったか知りませんか?」

「俺が散々そこらへんを追いかけまわしていたら、『砂だらけで汚いまま家に帰ったらゼルダに怒られる』って走って消えたよ」

「私に、怒られる……?」

 ふむ。確かに、私は泥だらけのまま家に帰って来るリンクに、汚れを落としてから家に入るように諭すことが多かった。お風呂は夜入るとしても、その前に手足や顔についた最低限は落としなさいと。これはまるでお母さんではないのかと思ったこともあるぐらいだ。

 もちろんリンクは素直の塊なので、言えばハイと小気味好い返事をして家の裏の池に飛び込む。冷たいのにどうして全身飛び込むのかしらと最初は思っていたが、本人はそれで納得しているし、風邪をひくような人でもないので放ってあった。

「となると、一番近い水場にでも行ったのでしょうか……?」

 シーカーストーンで近くの水のある場所を探すと、一番近いのはカラカラバザールだった。しかしあそこもまだゲルド砂漠の中なので、また砂が付くのに行くとは思えない。

 他にも水浴びが出来るような場所はハイラル中にゴマンとあり、皆目見当がつかない。

「あの、他に何か言っていませんでした?」

「特に言ってないと思うよ」

「『あ、そうだね』って言ってたのは門の方まで聞こえたぞ?」

 門番のドロップさんが首を傾げていた。何に対しての『そうだね』なのかしらと思ってボテンサさんの方を向くと、彼はムッと膨れた顔をして逆光眼鏡をクイっと上げる。

「ゆでタマゴにでもなっちまえって言ったんだ。あんな訳の分からん男は、温泉にでもゆだってしまえばいいんだ!」

 なるほど。その言葉に対しての『そうだね』ならば、リンクの行く先は温泉で間違いないでしょう。そして温泉ならばゴロン温泉。

「他にも秘湯はたくさんありますが、アクセスを考えるならば、あそこが一番行きやすいはずです……!」

 何しろハイラル全土を移動できるシーカーストーンは私の手元にある。これがあって助かったとは思うが、逆にリンクは馬か自分の足でしか移動していない。山に分け入らずに道を辿るだけで行きつける温泉と言えばゴロン温泉だろう。

 どれだけの行動力があるのか呆れるが、どう考えても私の方が移動速度は速いはず。どうにか温泉で身綺麗にしている間に捕まえたいと思い、オルディン地方の地図を拡大する。

「リンリンの彼女さんさぁ」

「私は彼女ではありませんよ?」

 ボテンサさんは先ほどから何度か私のことをリンクの彼女だというのだが、決して事実はない。何も言い交わしたことはない。

 もちろんリンクのことを嫌いなわけではないし、むしろ百年前からそれなりにそれなりの感情は抱いていたが、今はそれどころの騒ぎではない。首を横に振ると、ボテンサさんは胡散臭そうにため息を吐いた。

「ああ、もう、どうでもいいや。ともかくあいつ、首に縄付けておいてくれよ。リンリンはホント、魅力的なんだ。コロっと騙される男が後を絶えない、女性のキミには分からないかもしれないけどね」

 肩をすくめるボテンサさんに、どれだけ女装姿のリンクに見惚れてたのかしらと、こちらがため息を吐きたくなった。そんな理由で私がリンクの自由を阻んで良い謂れはないし、ましてや首に縄付けるだなんて。

「そう言うことは言わないで頂けます? 確かにリンクはちょっとやることがアレですけど、でも根はとても優しい人ですよ?」

「その優しい人が僕からブーツを二足も奪っていった」

「そ、それについてはいずれ謝罪させますが……でも私が一方的に彼の自由を奪うことはできません」

 腕組みをしてフンっとそっぽを向くと、ボテンサさんは「あー……なるほど」と顔をゆがめた。それどころか門番のドロップさんとムエリータさんまで「こいつは手ごわいな」と顔を見合わせてフェイスベールの下で笑い合っていた。

 一体どういうことですかと問おうかと思ったが、そんなことをしていては追いつくものも追いつかなくなる。ムッとしながら頭を下げると、私はダカ・カの祠へ飛んだ。

 カッと、砂漠とは別の熱さに身を焼かれ、慌ててポーチの中から燃えず薬を取り出す。本来は塗るべきであるところ、もうこの際なのでリンクの真似をして飲み込んだ。苦い。でも効果がありさえすればいいやと、こういうズボラなところはなんだか最近似て来た気がする。

 そこから道を西へ走った。ゴロン温泉は盛況だった。

 多くのゴロン族の人がのんびりと湯につかり、子供のゴロン族もわいわいと遊びまわっている。だが、その中にハイリア人を見つけることはできない。

「お嬢さん、どうかしたゴロ?」

 燃えず薬の効果時間のこともあって、おろおろと見回していた私をあるゴロン族のおじいさんが声を掛けてくれた。お孫さんと一緒にお風呂に入っているところで、お孫さんは口からぶくぶくと泡を立てて遊んでいる。

「このあたりにハイリア人の青年が来ませんでしたか?」

「ぴんぐのごぼコロ?」

 お孫さんの方が答えた。

 でも出来ればお口をお湯から出していただけないでしょうか、まるで暗号です。

「えっと、ハシバミ色の髪をこう後ろでまとめて……」

「ぴんぐコロ」

「青い目で……」

「ぼぼぜでだコロ」

「あとはえっと、燃えず薬は口から飲むタイプです」

「コップス、ちゃんと喋りなさいゴロ」

 おじいさんの方がお孫さんの頭をゴツンと叩くと、コップスと呼ばれたゴロン族の子供はようやく温泉から顔を上げて私の方を見た。

「リンクなら、さっきそこでのぼせてたコロ」

「のぼせてた?!」

「ずーっと温泉に入って、考えごとしててゆでタマゴになってたから、引き上げて冷ましたコロよ」

 なんて馬鹿な真似をしているんでしょうかと、今日何度目かの大きなため息を吐いた。

 ゴロン温泉はオルディン地方でも特に気温の高い地帯。そんな場所の温泉に長時間入っていたら、熱に耐性のないハイリア人はのぼせるどころの騒ぎではない。

 のぼせるだけで済んでしまうのが、リンクの勇者たるゆえんでもある。やたらめったらな体の強さ。おかげでこうして私はハイラル中を右往左往させられているわけだが。

「それで、のぼせた彼は今どこに?」

「寒いところへ行くっていってたコロ」

 寒いところ。ぱっと思いつくのはヘブラ地方、タバンタ地方、それからゲルド高地。『熱くてのぼせたから、次は冷たい方だ!』と単純明快に行動するリンクならばやりかねない。

 しかし、直前にゲルド砂漠に居たことを考えれば、ゲルド高地の可能性は低い。どうやらボテンサさんからブーツを巻き上げるのに二度もゲルド高地に足を運んでいるらしいので、彼にどつかれた直後にその元凶の地は踏むまい。

 ならば二択。タバンタ大雪原かリトの村か。

 雪の量とリンクの思考回路を踏まえるに、タバンタ大雪原の足跡のないところに向かって大の字に飛び込んで「ひとがたー!」と遊んでいる姿が思い浮かんだ。もちろんシーカーパンツ一丁で。ありうる。

「んもう、服を着なさいっていつも言ってるのに!」

「服ならきておったゴロよ」

「あら、そうですか? じゃあ違うのかしら……?」

 でも熱くなった体を冷ますのにリンクがリトの村へ行く理由は思いつかなかった。まさかまさか、ヴァ・メドーが止まっている岩から足元のリリトト湖に向かって飛び込みをするとか。

 一瞬やりかねないと蒼白になってかぶりを振った。普通のハイリア人なら死んでしまう。普通じゃないから勇者なのかしらと思って、馬鹿な逆説はよそうと頬を叩いた。

「他に彼、何か言っていませんでしたか?」

 そろそろ肌がぴりぴりし始めていた。燃えず薬の効果が切れてしまう。その前に何としてでも行方のヒントを貰いたいと思ったのだが、おっとりなゴロン族は喋るのものっそりとワンテンポ遅い。

 じりじりと焼き肉になる感覚が迫る。

「そう言えば、恋だの愛だのについて聞かれたゴロ」

「そんなことを?」

「そうゴロ。だからそう言うことは、ゴロン族ではなくリト族の詩人にでも聞けと……」

 分かりました、リトの村ですね、ありがとうございます!と、私はギリギリのところでアコ・ヴァータの祠へ飛ぶ。いつかあのお二人にはのぼせたリンクを助けていただいたお礼をしなければならない。

 そのうち万全の対策をしてゴロンシティに温泉旅行に連れてきてもらいますからねっと、未だ捕まらないリンクを心の中で睨みつけた。

 そして感じる乾いた冷たい風。なんだかんだと言っているうちにハイラル中を巡ってしまった。なんて目まぐるしい一日なのかしらと思いつつ、祠からリトの村の方へ走ろうと思った。

「おや、もしや貴女がゼルダ姫様ですか?」

 歌うように流れるように。流暢な言葉が私の背中を叩く。

 誰かしらと思って振り向くと、そこには青い羽のリト族の男性がコンサティーナを抱えて立っていた。

「そうですが、あの、どちら様でしょうか……?」

「これは失礼いたしました。私はカッシーワ、つい最近までハイラルを旅しながら勇者にまつわる歌や詩を探していた吟遊詩人です」

「まぁ、そうなのですか」

 そんな人がどうして私の名前を呼び止めたのか分からず、そんなことよりも村の方へリンクを探しに行きたい気持ちが強く手足を動かしたくなる。

 が、一拍おいて気が付き、振り向いた。

「いま、私のことを姫と呼びました?」

「リンクさんから聞いていた通り、聡い御方ですね」

 滅びた王家に連なる者だが、私はすでに姫として生きるつもりがないので自称していない。カカリコ村では村長のインパが私のことを昔からの癖で『姫様』と呼ぶので、皆それに習って私のことを姫と扱うが、それ以外のところでは私はただのゼルダだった。

 もちろんリンクもその点はちゃんと理解を示してくれていて、二人きりの時は姫様と呼ぶが外では頑張って名前を呼び捨てにしてくれていた。

「どうして私のことを知っているのです?」

「実は私の師匠はハイラル王家に仕えるシーカー族の宮廷詩人でした」

 その言葉を聞いて、一人だけ思い当たる人物があった。百年前、針の筵のようだった城の中で、時に心を慰めるように竪琴を奏でてくれたシーカー族の青年詩人がいた。長く白い髪を今でも手に取るように思い出せる。

 その彼が、今目の前に立っているカッシーワさんの師匠ならば、確かに私の正体を聞き及んでいてもおかしくはない。納得しつつ居住まいを正した。

「そうでしたか……。あの方には心を慰めて頂きました」

「覚えていてくださったのですね」

「でもお礼もできぬまま、もう百年も」

「いえ覚えてもらえていただけでも師匠は悦んでいると思います。それに近衛騎士殿がいつか必ず、姫様を救い出してくださると信じていたようですしね」

 にこりと笑ってカッシーワさんはコンサティーナを一節奏でた。

 どうやらリンクの正体にも気が付いているらしい。ならばもしかして、リト族の村に相談をしに来た相手とは、まさかこのカッシーワさんなのではないかと間合いを詰めた。

「もしかしてここへリンクが来ませんでしたか」

「ええ、いらっしゃいました。つい先ほどまでいたのですが、入れ違いになってしまいまいましたね」

 ああやっぱり。なんで今日はこんなに会えないのかしら。まるで厄日だわ、と天を仰ぐ。

 それにしてもここにはリンクによる被害の痕跡は見当たらなかった。

「来て早々に申し訳ないのですが、リンクが変なことを相談しましたよね。ちょっと今日は様子がおかしいみたいなんです、どうかご容赦ください」

「滅相もない。リンクさんはとても素直な良い方だと思いますよ姫様」

 姫様と呼ばれるのがとてもムズムズした。でも師匠だったという宮廷詩人からはずっとそのように言い含められてきたのだろうし、私も否定する時間すら惜しい。

 ぴゅうぴゅう吹いてくるタバンタの冷たい風に身震いした。

「ご存じでしたらリンクの行方を教えていただけないでしょうか?」

 もう空がオレンジ色に傾き始めていた。寝坊をしたとは言え、朝ご飯を食べてすぐに出かけたはずなのに、これでは丸一日リンクを追いかけて追い付かなかったことになる。

 でも不思議とお腹が空いたとは思えなかった。むしろリンクのことが心配で、お昼を食べていないことすら忘れていた。

 カッシーワさんは、うーんと少し考えたあと、もう一度コンサティーナを一節奏でてふっと笑った。

「リンクさんに必要なのは勇気を出すきっかけだったのだと思います。如何に勇者といえども、持てる力を出す機会に恵まれなければただの力の持ち腐れ。ですから姫君の好きなものをきっかけにするのはいかがでしょうかとアドバイスをしておきました」

 と、一息に言われたのだが、何のことかしら。分からず首を傾げた。

 いったい何の紆余曲折があってリンクの勇気の話になっているか、よく分からない。分からないままカッシーワさんのことを見つめていると、大きく声を立てて笑われてしまった。

「いやはや、これは確かに勇気のいる姫様かもしれませんね。今頃姫様のために花を摘んでいるはずですから、どうか思い当たる場所へ行って差し上げてください」

 それ以上のヒントは無しです、頑張ってくださいと言われれば、私にはもう質問の余地は無かった。カッシーワさんはコンサティーナを奏でる手を止めることは無く、私は呆然と立ち尽くす。

 リンクが私のために花を摘む?

 どういうこと?

 しかも私の好きなもの?

 私が好きな花と言えば姫しずかで、もちろんそれはリンクも知るところ。そして絶滅危惧種であった姫しずかが摘めるほど生えているのは、サハスーラ平原しかない。

「行って……みます」

「大丈夫ですよ、姫様。彼は百年前から貴女のことしか見ていません」

 リンクが私付きの騎士だったことを知っているからこその言葉だと最初は思った。

 でも何かが違う気がして、もう一度タロ・ニヒの祠へ飛んでカカリコ村の中を走り抜けながら眉をひそめる。リンクが私しか見ていないって、私は未だに不甲斐ないのかしらとわずかに悲しくなった。

 昔のように一人で危ないところへ出歩いたり、リンクをわざわざ振り切ってどこかへ出奔したりはしない。むしろどこかへ行くのなら一緒に行きたいから必ず声を掛けるのに。それでもリンクにとってはまだ私はただの護衛対象なのかもしれない。

 それに生活こそ支えてもらっているが、精神的には逆転していると思う。特に今日は私の方が保護者みたいで、迷惑をかけてしまった人には、いずれリンクを連れて謝罪とご挨拶に廻らなければと考えていた。

 カカリコ村の西の切通を抜けて、サハスーラ平原に出る。ようやく私は目的の人影を捉えた。

「リンク!」

 丸く小さくしゃがんでいた背中がビクッと真っ直ぐになる。

 おずおずと振り返った彼は、昨晩の最後に見た時と同じで、しょぼんと怒られた犬みたいになっていた。

「もう怒ってないですよ」

「……ほんとですか姫様」

「はい、この通り」

 近寄ってみると、その手の中には姫しずかの花束があった。なんとまぁ壮大な花束を作ったことでしょう。百年前の私が見たら卒倒しそうな出来栄え。

 私はニコリと笑いながら彼の隣に座った。

「よく姫しずかだけでこんな大きな花束が作れましたね」

「カッシーワが、ちゃんと話をするなら、花束がいいって」

「あなたも私に話があるんですよね」

「姫様も俺に話があるんです?」

 お互いに顔を見合わせて、先に動いたのはリンクだった。

「姫様からどうぞ。俺、その間に勇気準備するんで」

 そう言って、スーハーと露骨な深呼吸をする。でも横顔は真剣そのものだったので、彼なりに相当悩み抜いての告白があるのだと理解した。

 ならば私もちゃんと話をしなければならない。もちろん謝罪も含めて、私の本心を語るべき。ポーチを開いて中から昨晩取り上げた春本を取り出した。

 まだ見慣れぬそれに嫌悪が若干あるものの、でもこれが彼にとっても必要になることがあるのかもしれない。だから返す。ちゃんと理由も言う。

「昨晩、私が怒ってしまったのは、この本がいかがわしいものだったからではありません」

 ぱちくりと音がするぐらい、リンクは瞬きをした。

 やはり誤解させてしまっていたらしい。そのために今日一日、ハイラル中を駆けずり回らせてしまったし、各地で様々な人に迷惑をかけてしまった。

 やはり言葉は難しいと、一呼吸おいてまた言葉を探した。

「リンクもそう言うお年頃ですし、こういうものを見たくなるのだとプルアから教えられました。私もそれは理解しますし、こういった感情自体を軽蔑したりはしません。でも森の中に誰かが大事に隠しておいた本を、勝手に持って来てしまうのはどうかと思うのです。……あと、こそこそされるのもあまり好きではありません」

 最後の方は顔を見て言うのが辛くて少し目を背けてしまった。でもちゃんと言えた。

 私たちの関係は未だに何と名付けたらよいのか分からない間柄だったが、それでも一つ屋根の下で暮らしているのだから仲良くやっていきたい。その気持ちに嘘はない。

 だからこうして相手のことを考えたうえで、自分のことを伝えなければならない。昨晩の私はそんな簡単なことも忘れてしまっていた。動揺していたとはいえ、酷い失態だった。

「だから、怒ったのは謝罪します。ごめんなさい」

「うん、はい……、俺も気をつけます……」

「はい、私は言いました! 今度はリンクの番です、包み隠さず素直に言ってくださいね」

 恥ずかしくて伏せていた顔を上げる。そこには耳まで真っ赤にして、でもこらえ切れない喜色に満ちた顔があった。

「あの、もう一回聞きたいんですけど、ああいう本みたいなこと、本当に姫様は軽蔑しないですか?」

 春本みたいなこと。

 実は怖くて中を開いてはいない。でも話には聞いたことがあったし、想像も容易にできる。好き合った男女がするあれやこれやな秘め事。

 そういうこと、そう言うことですよねと視線をうろうろさせながら、「ええ」と頷いた。

「軽蔑はしません……、けど! 誰でもいいというわけには、さすがに行きませんよ」

「誰でもは良くない?」

「あ、当たり前です! あれは好いた者同士がすることでしょう!」

「じゃあ俺が軽蔑されないのは、好いてくださっていると言うことでいいんですか?」

 手に持っていた花束がぐいと押し出され、私の手の中に押し込まれる。

「リンク?」

「好きって言うなら、花束でも渡したらいいって言われたんです」

「……………………………はい?」

 

 口をむずむずさせながら、リンクが花束ごとグイッと近づく。私は思わず腰が抜け、腰を下ろしたまま後ろに手を付いて、体を退く。手にしていた春本がばさりと横に転がり落ちた。でも彼はさらに近寄り、私の体は倒れんばかりになる。

「俺、あの本みたいなこと、姫様としたいって思っちゃって」

「思っちゃって……?」

「それがどうしてだかよく分からなくて、いろんな人に聞いて回ったんですけど」

「それはあまり人に聞くようなことではありませんよね?!」

「好きだからだって言うんです、みんな」

「皆さんにそんなこと聞いて回ったんですか?!」

 ぐいぐいと、迫りくる圧が強い。

 さすが勇者、姫巫女とはいえ立ち向かう力は私にはなく、あっという間に草地に押し倒されてしまった。差し出されたころりと花束が私の顔の横に転がる。

「俺、姫様のことが好きなんですけど、駄目ですか……?」

 問いかけながらすでに鼻同士が触れるほど近くまで顔を寄せて、青い瞳がゆらゆら震えている。こんなの反則でしょう!と叫びたくなるのを我慢して、「まってまって」とうわ言のように言うと「包み隠さず素直にと言ったのは姫様です」とつっけんどんな返事しかない。

 せっかくの花束は横に転がり、その脇に春本。

 私は両手首を掴まれて目の前には意を決したリンクが覆いかぶさる。情緒と風情が酷い具合に入り乱れているのに、私の胸はこれまでになく高鳴っていた。

「さっき俺のこと、軽蔑しないって言いましたよね?」

「言いましたけど、でも、この状況はちょっと!」

「答えはもらえないんですか?」

 ついさっきまでしょげた犬か、怒られた子供かと見紛うばかりだった人が、急に十歳ぐらい歳をとったような気になった。妙に色っぽくて、ごくりと唾を飲み込む音を耳にすれば、喉仏が上下するのも見える。

 ボテンサさんが首に縄をつけておけと言ったのを思い出す。これでは首に縄をつけられたのは私の方じゃないかしら。

 しかし残念ながら、百年前から私の答えは決まっていた。

「……いいですよ、リンクなら」

 言葉に、彼の顔がパッと輝いた。

 でもまさかこんな場所。せめて睦事は褥にして欲しいだなんて言えるはずもなく。頭は沸騰寸前なのに、どうしてだかこれから始まるであろうことを止めることが出来なかった。まさか初めてがこんな場所だなんて。早く暗くなって、誰もこっちに来ないでとぎゅっと目を閉じた。

 覚悟と焦りに震えていると、リンクは少しかさついた唇を一回、私の唇に重ねる。ただそれだけで体を起こして去っていった。

「うわーうっわあぁぁぁ! 好きな人とキスしちゃったー! 俺やったよ、やったよマンサクー見てるー?! お前より先にやっちゃったー! えへへへへ」

 リンクは湯気が立ちそうなほど真っ赤になったほっぺたを自分でつねって騒いでいた。

 何が起こったのか頭が追い付かず、呆然と体を起こす。放り投げてあった春本がパラパラと風で開いた。

 描かれていたのは、一組の男女がキスをするまでの絵物語だった。

 

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