幽霊たちのバカンス

「インパよ……」

 亡きローム王が夢枕に立ったのは、夏も盛りの或る夕方のことだった。急にもよおした眠気に少し横になっていたのだが、重々しい声に名を呼ばれて目が覚めた。王冠ではなくフードを被った老爺の姿だったが、一目見て百年前に亡くなったの王だと分かった。

 淡い鬼火に包まれたお姿に、ついに自分にもお迎えが来たのかと目を細める。

 大厄災から百年余り。姫様の言伝を守り、いつ目覚めるとも知れない勇者を待つ途方もない日々だった。労が報われたのは一年ほど前のこと。ようやく傷の癒えた勇者は記憶の全てを失いながらも、無事に姫様とハイラルを救った。我は全てを生きて見届けることができた。

 だが。

「とうとう我も潮時ですかな」

 待つ百年は実に長かったが、念願叶った後の一年は非常に短かった。人生の中で最も喜ばしい一年だった。

 無論、心残りはある。孫娘のパーヤの、あれの婿とひ孫が見たかった。それから、つい先日ようやく互いの心を確かめ合った姫様とリンクの、二人の子供をこの腕に抱ければとも思っていた。

「しかし、今の我には過ぎた欲ばかりでございますな」

 ひゃひゃひゃと笑って、立ち上がる。

 数日前に二人が挨拶をしに来たときは、確かウオトリー村に旅行に行くと言っていた。何とは言っていなかったが、新婚旅行の代わりだろう。お土産を楽しみにと姫様からは言われたが、まぁよい。もう十分に余生は堪能した。この世に留まる理由もない。それに亡き王自らお迎えに来ていただけるなんて、恵まれた人生の終わりに感謝するばかり。

 ふわりと体が軽くなり、振り返えると老いさらばえた体は布団に寝たまま。抜け出た魂の体は百年ほど若返り、姫様と共にハイラルを駆け巡っていた頃の若々しい姿になっていた。

 この姿で天に召されるとは、女神も憎いことをする。だが気分は悪くなかった。

「インパよ」

「はい、そろそろ参りましょうか」

「うむ、目指すはウオトリー村じゃ」

「えぇ、うおと………………はい?」

 青白い鬼火をメラメラと燃え上がらせ、ローム王は握った拳をプルプルと震わせていた。

「娘が心配でならん。供をいたせ」

「……陛下」

「だって二人だけで旅行とか許せん。……年頃の孫娘がおるインパならば、儂の気持ち分かるであろう? さあ行くぞ!」

 鼻息荒く南東の方角に飛び出したローム王は、どうやらお迎えではなかった。この強引さ、この周りの見えなくなる感じ。どこかで覚えがある。

 ……あぁ、姫様だ。この父にして、あの娘あり。

 思わず頭を抱えたが、考え直してくれる様子はない。かくして我は、まさか齢百二十にして幽体離脱を経験することになったのである。

「して陛下。一体、何をなさるおつもりですか?」

 一直線にウオトリー村へ向かいながら陛下は腕組みをする。魂だけの移動は便利なもので、空の高いところを何にも妨げられず飛ぶことができた。

「具体的な策はない。そなた何か良い案はないか」

 そもそも娘の新婚旅行の邪魔をしに行くことを止めなされと言いかけて、仮にも王であることを思い出して口を閉じた。死者とはいえ流石に憚られる。ただ、我も無駄に年を食ったわけではないので、はぁとわざとらしく大きなため息をついてみせた。

「まず、二人の旅行に付いて行く目的を包み隠さずお教えください」

 遠回しに諫めるつもりであることを匂わせたが、陛下は素知らぬ顔で眉間のしわをさらに深くした。

「あ奴は、リンクは、本当にゼルダにふさわしい男か?」

「そうは思われない理由がおありですか」

「ううむ、記憶に無かったとはいえ、下穿き姿で走り回っていた印象が拭えぬのでな」

 唸るローム王の横顔はとても渋い。しかし我も思わず同意の声を漏らしてしまった。

 確かにリンクはカカリコ村へ来た時も、まっさらになった記憶のせいで子供のようになっていた。おかげで梅林は焼かれるし、コッコはいじめられるし、つい数週間前はニンジンが全て抜かれた。最近ではだいぶ姫様にしつけなお……もとい正しく人としての振る舞いを身に着けているようだが、一度ついた印象はなかなか変わるまい。

 それこそ決定的なことでもない限り、その人の印象は大きくは変わらない。下穿き一つで走り回る勇者を、陛下は愛娘の夫として認めたくはなかろう。気持ちは分からんでもない。

 そこでポンと膝を打った。

「ならば、幽体離脱を逆手に脅かしてみましょうか。それであ奴がちゃんと姫様を守るかどうかお試しになればよろしい」

「なるほど。不甲斐ない態度を示せば、ゼルダの方から見限るかもしれん」

 陛下は真っ白な口髭に隠された口をニヤリと笑わせる。我もわずかに楽しくなった。無垢な悪鬼を懲らしめる正当な機会と得たと思えば面白い。

 夕暮れ時の空を駆け、あっという間にウオトリー村の上空へたどり着く。先ほどまで降っていた雨が上がって湿度も高く、ちょうどよい心霊日和だった。

 さて二人はどこにいるのか。あまり村に近づいては野生動物のように勘の良いリンクのことだ、すぐさま感づくだろう。注意深く気配を隠しながら目を細めて二人の姿を探した。

「インパ! 砂浜じゃ、砂浜を歩いておる!」

 陛下は獲物を狙うシマオタカのごとき眼差しでチャガラ浜を睨みつけていた。その視線の先を追う。長い金の髪が楽しそうに揺れているのが見えた。確かに姫様で、隣を歩くのはもちろんリンク。

 姫様は誰が準備したのか白地に青い花模様のパレオ、よくお似合いだ。隣を歩くリンクは相も変わらず下穿き姿かと思えば、さすがに人としてどうにかなってきたのか、海パンらしきものを履いている様子。

 だが、陛下が手をわなわなとさせているのは、おそらく水着の件ではない。

「見よインパ! 二人で手を繋いでって、あぁっ?! ゼルダの方からあ奴の腕に絡めっ、……うぅ…………見とうなかった! 御父様と結婚するって言ってた儂の可愛い娘はどこに行ってしまったじゃあ……!」

「陛下、姫様は仮にも百十七におなりです。もういい加減、子離れなさいませ」

「分かっておる、分かってはおるが、この気持ちだけはどうにもならんのじゃインパ」

 心中察するに余りある。お気の毒です姫様、子離れできぬ父を持つ娘は大変でございますね。

 それはともかくとして、まずは小手調べに一つ心霊現象らしきものでも起こしてみようかと、歩く二人の周辺を観察した。見つけたのは二人の頭上にたわわになっているヤシの実。あれを落としてみよう。

 姫様の頭に当たらないように、確実にリンクの方に当たるよう、狙いを定めて力を籠める。魂だけの体になったのは初めてだが、不思議と力の使い方は分かった。何とも都合の良いものである。

「あんな大きな実が頭に当たって、大丈夫じゃろうか」

「勇者がヤシの実程度で死んでいたら、ハイラルは救われておりません」

「それもそうじゃな。しばらく厄災も復活せんじゃろうから、一思いにやってくれ」

「言われるまでもなく」

 何といっても全裸でライネルに吹き飛ばされても無事な男だ。ヤシの実で昏倒するならば、今頃は厄災が復活してハイラルは滅んでいよう。

 しかも真の狙いはヤシの実を落とすことにあらず。一度に三つも落ちてくる不可解な現象に、リンクがどう応えるかだ。警戒するならばよし、恐れおののくならば姫様の伴侶として不合格の札を突き付けるまで。

「ではお手並み拝見じゃ」

 クイと小手首を返すと、ヤシの木から丸い実が三つぽろぽろと零れ落ち、ハシバミ色の頭に向かう。ぽんぽんぽんと、案の定リンクは上手く避けたり、手で叩き落したり受け止めたり。もちろん腕を組んで歩く姫様にも微塵も被害はない。前触れなく落ちてきた三つの実に小首を傾げ、頭上のヤシの木を見て、大きく首をかしげる。

「あまり慌てている様子はないぞインパ」

「小手調べです。この程度でビビっていては姫様の伴侶など務まりますまい」

 結局、二人は落ちてきたヤシの実を三つとも抱えてウオトリー村へ戻っていった。どうやらジュースで飲むらしい。三ついっぺんに落ちてきたことについては、不思議だがあまり不穏とは考えていない様子だった。

 なるほど、肝の据わった男だ。ならば次の手を打たねばなるまい。

「もう少し近づきましょう陛下」

「大丈夫か? 気づかれでもしたら事だぞ」

「それですが、おそらく気づきませぬ」

 我も最初は遠巻きにせねばと考えていた。あのリンクのことだ、下手に気配を漏らせば容赦なくバクダン矢をお見舞いしてくるに違いないと。

 ところが予想外に、二人の浮ついた空気がこちらまでふわふわ漂ってくる。夕暮れ時の暗がりでも言い訳できないほど、リンクは耳まで赤くしていた。あれがただの日焼けのはずがない。

「ご覧ください、あのはしゃぎよう。姫様しか目に入っておりません」

「儂、別の意味でショック」

「しかしこれは好機ですぞ」

 今度はもっと決定的な心霊現象を起こしてやろうと考えた。先ほどのように『ちょっとおかしいぞ?』という程度のものではなく、明らかに何かがおかしいことを引き起こす。さっきのヤシの実は先ぶれだったと思わせればよい。

 二人は足取り軽くウオトリー村へ戻り、村内の小さなビーチの端で火を焚いている人のところで足を止めた。姫様のはしゃぐ声が聞こえるほど近くに潜み、黄昏時に目を凝らす。

「漁師と話をしておりますな」

「焼いた魚でも貰うのじゃろうか?」

「ふむ、ならばこれでいかがでしょう」

 焚火の周りには串打ちされて焼かれる魚に交じって、串に刺さった白いものが見えた。魚のすり身を串に巻き付けて焼いて作る、ウオトリー村の名産品・ちくわ。

 カカリコ村での肝試しの定番と言えばこんにゃくだが、残念なことに海辺のウオトリー村では作られていない。ならば同じおでんの具であるちくわを浮かせて進ぜよう。

 先ほどと同じように力を込めて小手首を返すと、焚火の傍に刺してあった串から、ちくわだけがスポッと抜けて宙を漂う。さあどうするリンク。流石にちくわは常には浮かぬものぞ。さあどうする!

 ところが浮いたちくわを最初に見つけたのは、こともあろうに姫様だった。

「リンク、リンク! ちくわが浮いています!!」

 怖がる様子はなく、姫様の興奮した声が聞こえた。「ええぇ……」とおののくリンクの声も聞こえるが怖がっている様子はなく、むしろ怪奇現象に目を輝かせる姫様に困惑しているだけ。怖がって逃げ出したのは漁師だけだった。

 リンクが混乱しているのをよそに、姫様はシーカーストーンで浮いたちくわのウツシエを連写し始める。

「あの、ゼルダ、この浮いているのは……?」

「これはちくわですね。ちくわとは、魚肉のすり身を竹などの棒に巻きつけて成形後に加熱した加工食品のことを言います。魚肉練り製品の一つとしてウオトリー村では……」

「どうして浮いているのでしょうか?」

「どうしてでしょう! それが気になるからこそ、こうして記録を取るのです! 観察は科学の基本、帰ったらプルアのところへ持ち込みますよ!」

 ぱしゃぱしゃとウツシエを取る音が続く。我の隣で陛下が頭を抱えていた。

 そうです、あれが貴方の娘さんですよ。心霊現象何て何のその、むしろ楽しんでいらっしゃる。非常に楽しそうで元執政補佐官としては何よりです。やむ負えず、ちくわには大人しく串に戻っていただいた。やはり食べ物は粗末にするものではない。

 しかし本題はちくわではない。いかにしてリンクを脅かすかだ。

 さすがに厄災ガノンを討ち果たした男、並大抵の心霊現象ではものともしない。かといってただの幽霊である我らにできることは少ない。鬼火こそ纏っているが落人のようなおどろおどろしい成りではなく、お互い見た目は人のそれ。むしろ顔を見られればどこの誰と分かってしまう。

 さて、どうするか。

「こうなれば最終手段です、水に突き落としてみましょう」

「それは、本気で大丈夫なのかインパ」

「あの様子ではおそらく、夜にはまた二人で散歩などなさるでしょう」

「なんというリア充」

「浅いところで狙いますれば、溺れることもございますまい」

 両手で顔を覆っていやいやする元国王の亡霊なぞ、正直言うと見たくなかった。しかしこうなってはもう、リンクにはそれなりにそれなりなところを見せつけてもらわねば事体は収まりが付かない。あるいは無様に怯えるか、二つに一つだ。

 さあどうする、どうする勇者よ。

 陛下と共に、姫様とリンクの様子を物陰から伺う。二人が宿泊するのは、最近ウオトリー村にできたばかりの水上コテージだ。村の喧騒から離れるように桟橋を渡り、エメラルドグリーンの浅瀬に揺れる高床式コテージへ。パーヤが羨ましがっていた理由が一目見て分かった。老いた我ですら、二人が甘い夢を見るであろうことが容易に想像できる。それを今から邪魔すると思うと胸が痛むが、これもハイラルの平和のためと思えば仕方があるまい。

 しかしながら問題はタイミングだ。

 夕食後にのんびりと美しい夜空の下を歩き回ってくれと願ったものの、意外にも二人は桟橋で足を止めてしまう。そのまま見つめ合い、得も言われぬ雰囲気になり、ああ、これはなと思って顔を背ける。当人たちが気付いていないとはいえ、さすがに覗き見るものでもない。

 ところが脇から涙交じりの声が頭をかきむしる。

「ぬあああッインパ!! もう儂、我慢ならん! 儂、娘のチューなんか見たくない!」

「見たくないなら見なければって陛下、ちょ、まっ!」

 ふわっと体が浮く。文字通り首根っこが掴まれていた。

「行けインパ! 二人の仲を引き裂いてやるのだ!」

「わ、我を投げないでいただけますか―――!」

 モリブリンか!と突っ込みも間に合わず、我の幽体がブオンと二人の背中目掛けてぶん投げられる。二人が今にも口付けしようとしているのは桟橋の先端、その先は暗い海。

 一瞬、幽体なのだからぶつからないのではとも思ったが、期待も虚しく当たる身体。なんでじゃと思いながらも、夜の海に派手な水柱が立つ。

 何と大味な怪奇現象。これでは恐怖の種類が違う。

 ごぼごぼと溺れる暗い水中で藻掻きながら姫様の姿を探した。リンクは放っておいても問題ないが、姫様に何かがあってからでは遅い。ところが水中で目が合ったのは青い方の瞳だった。「あ」と水中で目を見開いて、勇者は自分たちに嫌がらせをしていた犯人を知る。

 まずい。外見年齢は百年前に戻っている。霊か何かと勘違いされかねず、下手をすればこのまま討伐されかねない。逃げなければあの勇者に討伐されてしまう。温かい南国の海の中でも分かるほどしっかりと冷や汗が噴き出した。

 ところがリンクは、確かにその目に我を捉えたにもかかわらず顔を背け、一緒に突き落とされた姫様の体をぐいと水中で引き寄せる。そのまま小脇に抱えて水面へ浮上していった。

 こちらには見向きもしない。なんともまぁ、割り切りの良いこと。らしいと言えばらしいし、これならば陛下も納得するだろう。

 暗い海の底で大きく嘆息すると、ゆっくりと目が覚めた。

「おばあ様!」

「お……おぉ、パーヤ」

「何度お声がけしても、目が覚めなくて、パーヤは、パーヤは!」

 涙目になる孫娘の顔を撫でた。手はしわくちゃに戻り、体も重たく節々も痛む。

 だが全身ずぶ濡れになるほど汗をかいていて、しかしこれは汗か、それとも海水か。思わず手の甲を舐めてみると汗よりも随分と塩辛い。どうやら本当にウオトリー村まで行っていたようだ。

 苦笑しながらのっそりと体を起こす。パーヤが心配そうに支えてくれた。

「大丈夫ですか、おばあ様」

「大事ない。ちと懐かしいお方の我儘に付き合っておってのう……。つい楽しくて老体に鞭打ってしまった」

「懐かしい、お方?」

「なに、きっと納得されたであろう」

 いたずらが過ぎた我のお迎えは、もう少し先伸ばしになったかもしれない。それもまた良いか、と笑った。

 それから数日ののち、リンクを伴って姫様が旅行の土産を持ってきた。素朴な海のお守りで、姫様が選んでくださったらしい。パーヤに言って神棚に飾ってもらった。

 旅行はいかがでしたかと聞けば、姫様は嬉々として話をしてくださったが、案の定怪奇現象についても触れられた。

「見てください、ちくわが宙に浮いたんです!」

 お茶を咽そうになるのを辛うじて堪える。ウツシエの中央には確かに浮かせたちくわが見事に写りこんでいた。

「この日は他にも、同時に三つもヤシの実が落ちてきたり、桟橋のところでリンクと一緒に誰かに突き落とされたり……なんだか不思議なことばかりでした」

「たまたまではございませんか?」

「うーん……そうなのでしょうか」

 首をかしげながらもあまり気にしていない様子で、バレていないのならばよいかと胸を撫でおろす。姫様はパーヤと一緒になって、水上コテージのウツシエをうっとりと眺めていた。

 そこへ、スススとリンクが近づいてくる。

「インパ、インパ」

「なんじゃ」

 こちとら可愛い孫娘と大事な姫様の嬉しそうなお姿を堪能しているというのに。それどころか、元はといえば、お主が下穿き姿で暴れまわったせいで、陛下の亡霊に連れまわされて挙句投げられたのだぞ。……とは、口が裂けても言えないが、ぎろりと睨みつける。

 ところが目の据わったリンクは、姫様がこちらを見ていない隙に小さな包みを我の手の中に押し込んだ。なんじゃこれはと声には出さず、こっそり包みを開けると入っていたのはちくわ。

「食べたいからっていて来ないでよ……」

 ムスッとした顔で胡坐をかいて頭をかく。

「そのうち連れて行ってあげるから、長生きしといて」

「その言葉、違えるでないぞ?」

 今日は梅酒の瓶でも開けようかと、思わずほくそ笑んだ。 

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