添え書きの人影 - 1/2

 突然の雨。前触れなく始まり、それは止まらなくなった。

 咄嗟に目元を隠して一番近かった隠れ場所、研究室に駆け込んで冷たい石積みの壁にもたれ掛かる。どうがんばっても、どう努力しても、なぜだか瞳の奥から次々に涙が溢れ出た。どうして涙が出るのかは自分でもよく分からない。止め方も分からなかった。

 ただもし原因があるとすればそれは、私が『自分である』以上のものはない。無才とさげすまれ、それでも棄権できない生き様を呪う。

「姫様」

 こんな姿は侍女にも見つかってはならない。あっという間に噂話にされてしまう。だから隠れるしかない。

 それなのに私の騎士はただ静かに、扉を隔てた一枚向こう側に控えていた。

「一人に、してもらえませんか」

 細く開けた扉の隙間からは夕暮れの逆光。リンクの顔は見えず、表情もよく分からない。

 何よりも私が、まともに彼の方を向くことすらできなかった。

「お願いです」

 でも答えはなく、気配は動かなかった。

 一方は噛み殺した嗚咽、他方はただの無言。明かりの灯らない小さな研究室のうちと外、扉一枚隔てて言葉なく隣り合う。

 居心地が悪いわけではなかった、むしろ外よりもずっと良い。彼が見張っているより奥でならば、泣いても構わないと言われた気分がした。でもそれすら私には許せなかった。

「雨が止むまで、一人にしてください」

 扉の隙間を押し開けて、よくよく自分の顔が見えるようにする。ぼろぼろの、王女の仮面が剥がれた顔で思いっきりねめつけた。それでも彼は、ただひたすらに待つ。私が泣き止んで己が主としてちゃんと振舞えるようになるまで、視線を逸らして待ち続ける。

 ところが、遠くに侍女とインパたちが私を探す声がした。どうしよう、まだ雨は止まないのに、私はまだそちらにはゆけないのに。

「失礼します」

 動揺する私をよそに、低い声が扉の隙間から入り込んで戸を背に私を囲む。

「リンク?」

「御無礼を」

 只の一言のうちに腕を引き寄せられ、唇を塞がれた。何事か理解が追い付く前に漏れる嗚咽が飲み込まれ、涙を掬い取られ、私のあふれ出るものが全部彼の中へと隠されていく。

 こんなのずるいわ、と口の中でつぶやいた。

 私からはむせ返るような雨の匂いがするのに、彼の瞳は晴れた青空をしている。

「こちらにいらしたと思うのですが……」

 近づいてくるインパたちの気配に緊張するも、未だ私は唇を塞がれたまま。嗚咽も気配も全て抱きしめられて消えている。でも扉を開ければばれてしまう。

 ところがリンクはすぐ横にあったペンを取って、開きっぱなしのノートの端に走り書きをした。

『もう少しこのままで』

 ガツンと一回、押された扉をリンクの固い背が邪魔する。するとインパは「鍵が掛かっています、こちらではなさそうですね」と引き返していった。

 彼の晴れ間が許してくれるのならば、どうかもう少しだけ。私の雨が止むまで、隠して欲しいと体を委ねた。