朝テレビのスイッチを入れると、ニュースキャスターが「おはようございます。世界の終わりまであと七日になりました」と言う。
あれ、とテレビの前で私は一時停止。
世界の終わりが宣言されてから、もう三百五十八日経ったのか。早いな。どうりで今朝からニュースで宣言が入るわけだ。
とはいえ、そんなことを気にしている暇はない。ベランダで育てているミニトマトに水をやり、灰色の葉っぱをかき分けて二つほど熟した実をもいだ。アセロラジュースをコップに注ぐ。パンにはイチゴジャム、昨晩のうちに作っておいたパプリカとラディッシュを切って混ぜただけのサラダに、ミニトマトを乗せて食べた。そのあと歯磨き髭剃り、朝の準備は忙しい。些細なニュースに大層な時間を割く暇などないのだ。
いつも通りの時間に窓から家を出て、いつも通り空を足で漕いで、いつも通り出社した。
「ニュース見ましたか、あと七日だそうで」
おはようございますよりも先に隣の席の同僚が話しかけて来た。元からちょっと失礼な奴だと思っていたが、やっぱり失礼な奴だな。
「おはようございます、見ましたよ。世界の終わりだって、私はすっかり忘れていました」
「いや、私も忘れていましたよ」
本当か?
それにしては慌てていた様子だが。まぁ関係ない。
その日は大勢の人と同じ話題で何度も会話をした。しかし、やはり私以外も忘れている人は多いみたいだった。そりゃ世界が終わるって言ったって、一年も前に観測されたんじゃあ忘れるに決まっている。
残り半年、残り百日、残り一か月、そのたびに確かにニュースにはなっていたけれど、それだってさらっと触れる程度。日々の忙しさに比べたらあまりにも些細なこと過ぎて、いちいち気にしていなどいなかった。
もちろん半分ぐらいの人間は「世界が終わる」「どうすべきか」なんて慌てている様子だったが、今更慌ててどうする。終わるものを続けようだなんて、おこがましいとは思わないのだろうか。
ワイドショーだって「終わりますねぇ」「そうですねぇ」ぐらいなものだ。足掻いてどうにもならないものを、どうしようかなんて個人レベルでどうこうしようという方が間違っている。
でも、そう考えない連中はなかなかに多いようで、次ぐ日は自殺者のニュースばかりだった。あそこで、ここで、どちらで、集団自殺がという話を聞いていると気が滅入る。なんだってそんな無駄なことをするんだろう。
なので三日目あたりから、テレビをつけること自体を止めた。
ミニトマトに水をやって熟れた実を探してもいで、アセロラジュースを入れてパンにはイチゴジャム、パプリカとラディッシュのサラダは昨晩のうちに準備してある。歯磨き髭剃り、朝の準備もいつも通り。気の滅入りそうなニュースが無いだけで、随分と朝の時間が快適になった。
ついでに携帯端末もその手のニュースが入らないよう、ミュートワードにチェックを入れた。意識的にニュースサイトも見ないようにするしSNSもシャットアウト。こうすれば、自ら憂鬱になるようなことはない。必要なことだし、精神衛生にも良い。
しかしながら職場で隣の席の同僚は、出社するたびに世界の終わりについて何かしら言っていた。
二日目は「大丈夫ですかね」と。
三日目は「準備しておいた方がいいんだろうか」と。
四日目は「あなたはどうですか」と。
五日目は「ついにあと三日ですね」と。
さすがに職場の隣のやつと顔を合わせないわけにはいかないし、かといってミュートにできる機能もない。始終イライラしているらしく、現状への怒りをどうにか抑えて、まろい言葉で私に助けを求めているようにも見えた。
だが、たかだか会社で席が隣なだけの同僚を助けるつもりは毛頭ない。私は嫌々ながらも笑顔で「どうでしょうかねぇ」とだけ毎日答えるようにしていた。
六日目は土曜日だったので出社はしなかった。それでようやく隣の席の同僚の愚痴から解放される。静かな生活だった。趣味の読書をして、散歩をして、非常に有意義な休日だった。
七日目、ついに明日が世界の終わりかと思ったが、特に何をすることもない。明日になれば終わってしまうのだし、せっかくの休みだから少し遠くまで空を漕いで散歩をした。その日は程よく疲れた体をベッドに横たえて、早く寝た。
次ぐ日、朝テレビのスイッチを入れると、ニュースキャスターが「おはようございます。昨晩零時をもちまして、世界の終わりました」と言う。そうだな、昨日で世界は終わりだ。
それでも私は変わらなかった。
ベランダで育てているミニトマトに水をやって熟れた実をもぐ。それからアセロラジュースをコップに入て、パンにはイチゴジャム、パプリカとラディッシュのサラダは昨晩のうちに作ってある。美味しく味わって、歯磨き髭剃り、朝の準備は忙しい。些細なニュースに大層な時間を割く暇などないのだ。
いつも通りの時間に窓から家を出て、いつも通り空を足で漕いで、いつも通り出社した。ところが隣の席の同僚は出社してこなかった。
どうやら世界が終わって、同僚も終わってしまったらしい。なんだ、世界の概念が消えると生きていけない奴だったから、七日間もうるさく一々言っていたのか。
その日、世界が終わって世界の半分ぐらいの人口がいなくなった。世界の終わりに耐えられなかった奴がまだ半分も残っていたなんて驚きだ。世界が消えても無次元に広がるだけなのに、その程度の変化について行けないやつがまだそんなに居たのか。
一日仕事をして、家に帰ってご飯を食べて寝て。
朝起きてニュースをつける生活が戻って来た。
ニュースキャスターが「おはようございます。消費者庁から『赤』の終わりが発表されました。赤の終わりまであと一年になった模様です」と言う。
なるほど、世界の次は赤の概念が消失する番か。
赤か。それはちょっと困る。
私、青嫌いなんだよな。
一番好きなのは●だったのに、それはもう概念が消失してしまった。●の次に好きなものが赤だったので赤を食べていたのに、赤も無くなるのか。この一年で、青が食べられるようになるしかないな。
でもこうなるとにもイライラとしてくる。食い切れない概念が消失する期限表示システムを作った消費者庁に文句の一つも言いたくなるというものだ。世界の終わりに消えていった同僚の気持ちが少しだけ分かった気がした。
といって、はて。
一言でも文句を言ってやりたい消費者庁を作った奴が誰だったか。それはとんと思い出せなかった。
了