中天に待つ人

 ガツガツと激しく最奥を叩かれて、しがみつく指から力が抜けそうになった。なぜだか今夜はいつにもまして愛し方が荒い。

「あぁっ……やっりん、くっ……やめっ、んぁあっ!」

 いつもなら嬉しそうに「気持ちいい?」と耳元で優しく囁いてくれるのに、荒々しく息を吐き出してから噛みつくような口づけをする。何度目かの小さな絶頂に背をのけ反らせると、それでも彼は満足しない顔で汗をぬぐい、また私の中をぐちゅぐちゅと音を立てて荒らしまわった。どうしたの、何に苛立っているのと聞きたいのに、口から零れ落ちるのは嬌声ばかり。

 そのうちにこれまでにない感覚が背筋を這いあがって来て、もうだめと涙が零れた。気持ちいいけど、だめ、真っ白になっちゃう。リンクも一緒に来てと手を伸ばしたのに、でも今日に限っては青い瞳が冴え冴えと私を射抜くだけ。

 時機に目の前が真っ白に弾けて、久しぶりに私は意識を失った。

 でも次の瞬間、瞼の向こう側が一気に明るくなった。宵闇のベッドから急に太陽の元に投げ出され、驚きながら瞼を持ち上げる。

 私は空の上に居た。

 身を切るような烈風吹きすさぶ、見回す限りの雲の上。足元は確かに白っぽい石組みの地面があるのに、どんな魔法を使ったのか離れ小島のように宙に浮いている。驚きに声も出ない。

 身なりは散策に行く際と同じで、先ほどまでの衣服を剥かれた格好ではなかった。一瞬これは夢かなと思ったものの、それにしては生々しい体の感覚がある。

 でももっと驚いたのは、向こうに見知った後姿を見つけたからだった。

 浮いた小島の縁に、片膝を立ててゆるりと腰かける彼。髪留めを外し、気持ちよさそうにハシバミ色の髪をそよがせる。先ほどまで私の体を置くまで貫いて、意地悪に笑って揺さぶっていた人。それが今は緑色の見知らぬ民族衣装の裾を風にはためかせていた。

 一瞬別人のように見えたが、しかしどう見てもリンク。見間違えようのない愛しい人。

「リン、ク……?」

 思わず零れた声に彼が振り向き、しかしその顔を見て息を飲む。

 瞳の色が違った。

 私の知るリンクの瞳は空の高いところを写し取ったような色をしていたが、振り向いた彼の瞳は浅い海の柔らかなエメラルドグリーンをしていた。どちらかと言えば私の瞳に近い緑色。

 しかしそれ以外の顔の造形は、どこをとっても見知ったリンクと瓜二つ。いったい何が起こってしまったのか、頭の中で処理が追い付かず、見つめ合ったまま互いに固まる。

「……君、誰?」

 先に動き出したのは緑の瞳を持つリンクの方だった。形の良い眉をひそめ、座ったままわずかに首を傾げる。

 その言葉にかすかに私の心が痛んだ。夢か幻か、いずれにせよ彼はまた私を忘れてしまったのだろうか。

 いやしかし、これが彼である証拠はどこにないうえに、見た目は瓜二つなのにどことなく面影が違うようにも見える。

「私のことを、また忘れたのですか?」

「また? 何言ってるの?」

 彼は風になびく髪を撫でつけながら立ち上がり、私の方に体を向けた。それでようやく、腕が人間のそれではないことに気が付く。

 肌が黒く変色した腕を錆色の装飾で戒められていた。戒めの下から伸びる文様が体の胸のあたりまで伸びて、まるで何かに侵食されているかにも見える。

 それは何、私の知らないうちにどうしてあなたの体が、いえそれよりもその瞳はどうして。そもそも、あなたは本当にリンクなの?

 喉の奥に大量の疑問が詰まって大渋滞を起こす。困って頭を振った瞬間、空の上に大きな風の波が起こった。

 ぐわりと体を煽られ、足元を掬われ、叫ぶ間もなく空の小島から体が浮く。怖くて目の前の目の前の誰とも知らぬ彼に手を伸ばし、彼の方も咄嗟に右手を差し伸べて。

 だが触れあった瞬間、とぷんと水に触れるかのように、二つの手がすれ違った。

 確かに触れた感触はあったのに、彼の手は淡く緑の液体となって私の手をすり抜けた。何が起こったのか理解が完了する前に私の体は自由落下を始め、彼の大きく見開いた翠眼がぐんと遠くなる。

 また、落ちて離ればなれになる。しかも今度こそこの高さ、助からない。ぎゅっとつぶった目尻から涙が天へ舞い上がった。

「ごめん、入るね」

 耳元に慣れた低い声が届き、彼の気配が間近になった。固くつむった目を恐る恐る開けると、緑の瞳のリンクが一緒に落ちていきながら、私の体を抱えようと腕を伸ばす。

 どうして一緒に落ちて来たのと思った瞬間、ずぶりと音がして彼の体が私の中に入り込んだ。

 入り込む、というのがこの場合正しかったのかはよく分からない。

 だが私の見ている前で、彼の掌が服を突き抜けてそのまま直接皮膚を触り、さらにはとろりと形を失くして皮膚の中に滲み込んだ。総毛立つ。

 形はあるのに境界のない何かが、体の内側へ温かく入り込む感覚。肉同士の溶け合う感触は睦み合う時に似るか、それよりも深い。体の境界を失くして、体の隅々まで広がるようも潜り込んで来る彼。あまりに鮮烈な感覚に息が止まる。

 でも一向に気にすることなく、瞬く間に彼は私の中に溶け込むと、四肢の主導権が奪った。怖いと縮こまった腕と足が広げられ、指の隙間を空気が通り抜けていく。

 思ったよりも空は美しく、冷たい場所だった。

――気持ち悪いかもしれないけど、少しだけ我慢して。

 耳の内側から囁く声はもちろん彼のものだが、声の主の姿はない。

 よく見れば体は私と彼の間のようになっていた。彼の固い手足に私の気配が移り込んで輪郭がほっそりとして、逆に私の柔らかな体に彼の色合いが入り込んで丈夫に引き締まる。それどころか胸のふくらみも少し残して、股の間には未知の感覚まであった。

――ひゃっ!

 思わず体の主導権を握り返して足を閉じる。

 でもぐいっと足を開かれて、もう一度体全体で風を捉えた。

――ごめんちょっと変だけど気にしないで。

――気にしないって……!

――完全に体が混ざっちゃったからかな? 両方あるね……。

――どっどういう意味ですか?!

――どういう意味ってそのままだけど。でも、こんなに混ざりがいい人は俺も初めて。ほんとに君、誰なの?

 彼があっけらかんと笑う気配がした。

 おろおろと体の様子を確かめていると内側から潮騒がして、何かが来ると身構えると体がふわりと浮いた。よいしょ、と彼が体を起こすと半分は私のものである体が上向きになる。重力から切り離されて自由になった体はくるりくるりと宙を舞った。

 何が起こっているのか一切理解が出来ない。

 ただ、繋がった彼から流れ込んでくる情報はそれを通常と判断している。重力に逆らい、空を移動するのは彼にとって当たり前らしかった。状況を理解して少し余裕が出てくると、次第に彼の感情までもが流れ込み、あるいは私の心の内を覗かれる感覚に気付く。

 お互いに溶けあった部位がこすれ合って、互いの存在が何者であるかを知った。

 彼はリンクだった。でも私の知っているリンクではなくて、じゃあ誰なのかを覗こうとしたら靄のかかって先が見えなくなる。

 彼もまた私の中を覗き、自分と同じ顔をして蒼穹の瞳をもつリンクに驚いていた。でもこっそり心の端っこの方で「同じ顔の奴なんて気持ち悪い」と眉をひそめる。さらに先を覗こうと突っ込もうとするが、私と同じで良く見えないのか首を傾げる素振りををした。

――君の名前はゼルダか。

――あなたは、あなたもリンクなのですね。

――うん、でも君のリンクじゃない。

――でもリンクに間違いはない。

――どういうことなのでしょう?

――さぁ、どういうことだろうね。

 交わす言葉の順序を違え、それでも意味が通じる不思議。冷たい空の中ほどを、心を交換しながら直上へ舞い上がる。

――その青い目の彼は、君の恋人?

――ええ、そうです。

――……ふぅん。

 つまらなさそうに返事をした彼は、クンっと体を持ち上げて浮島の真下へ入り込む。ぶつかる!と思った瞬間、私と彼の混ざった体がもう一度融けた。するすると形を失くしながら石の隙間を通り抜け、リンクは私の体を元居た空中の浮島へと戻す。水のように石組みの地面から這い出ると、彼はゆっくりと私の中から溶け出して分離した。

 でも名残惜しそうに腕だけを私の体に残して胸のあたり、体の内側を温かく包み込む。

「不思議だな。意識のあるものに完全に体を入り込ませることは、まずできないんだ」

 手首まで私の体の中に溶かし込んだまま、彼の手が首筋を通り私の頬に触れる。温かい指がすりすりと撫でる調子だけで、肝心の手は私の頬にとっぷりと浸かっていた。

「でも君には簡単に入り込める、……というよりも普通に触れることが逆にできない」

 最初に見た時、黒ずんでいた右腕は緑色に淡く光を放ち、錆色の戒めに同じ色の光の筋が走る。夜光石の光に似ている気がして指で触れようとすると、確かに彼の言う通り触れることが出来ずに指の隙間を液体がすり抜けていった。

 たぷたぷと波紋が広がる体は、生き物とまるでかけ離れた存在。でも不思議と気持ち悪さはなく、温かい水に体を委ねている気分になる。どうしてこんなことになったのか、思考を放棄してしばらくその感触に遊ぶ。

 ところが彼が一歩前に出て私との距離を詰めた。

「いいね、君のリンクは。羨ましいよ」

「リンク?」

「どっちを呼んでいるの」

 彼は緑色の柔らかい瞳を寂しそうに伏せ、そのまま顔を近づけた。

 つぷり、と。

 本来、人同士であれば触れ合うであろう唇が、とろけて触れあわずに溶け合う。ぬるく食み合うそれは、口付けとはかけ離れた行為。にもかかわらず、ぞくりと甘い緊張が背筋を伝い走る。口の中を舌が這う感触があるのに二人の境目はなく、溢れて飲み込む唾液がどちらのものとも区別がつかない。

――ずるい。俺はこんな触れ方しかできないなんて、もどかしい。

 耳の奥に響いた彼の言葉は苛立ちの色をしていた。

 肩を掴まれれば肩と手が融け合い、風に乱れる長い髪は触れたところから色味を失くして体の内側に入り込む。同時に彼の感情が流れ込んできた。

 好き。

 何故だか分からないけどこの情動を止める術がない、と無言で彼は私の内側に問いかける。

 それが私の心に混ざり込んだのを見ると、彼は武骨な指の先でくるくると色を馴染ませた。すると、好きと寂しいと会いたいが混ざって、別の色になる。だから今度は私の方から自分の心を掬い取り、彼の心に馴染ませる。

 互いを交換し合い、彼の方から苛立ちが消えたのを見て、穏やかに体を離した。細胞の隙間から彼が出て行く。二つに分かたれた体に、ひやりと物悲しい気持ちが残った。

「ねぇ、君は今どこにいるの」

 ここに居るじゃないですか、と声を出そうとしたが、上手く言葉が出なくなった。

 にわかに視界がぼやけ、彼の悲痛な顔に影が差す。

「本当の俺は、どこにいるの」

 あなたはそこにいるのではないのか。問おうとしたが許されず、意識が暗闇に引きずり込まれる。空の高いところにあった体が、急に地下の深いところに引っ張られる感じがした。

 彼とは違い、私は重力から解き放たれてはいない。鳥ではないのだから落ちるに任せるしかない。伸ばした手は、二度目は掴もうとはしてくれなかった。空に一人取り残された彼の寂しそうな顔が脳裏に焼き付く。

「んっ……」

「起きた?」

 空を諦めて目を開けると、私の体はベッドの上にあった。月夜を反射して鋭利な青い瞳のリンクが、私を組み敷いている。意識が飛ぶ前と同じ姿で、手荒に剥かれた肌が冷やりとした。

 いまだ体には繋がった感覚があり、彼は気絶した私の中をゆっくりと擦り上げていた。

「りん……く………?」

「ゼルダ?」

 ぼやける視界で、翠眼と碧眼のリンクが重なって見えた。私ですらどちらを呼んだのかよく分からない。ただ体は素直にきゅうっとリンクの雄を締め上げる。

 その途端、リンクはぎゅっと眉をひそめて私の首筋に歯を立てた。容赦のない鮮明な痛みに、私の意識がようやく覚醒する。

「あぁッ!」

 咄嗟に力強い腕に爪を立てて押しのけようとしたが、元からそんなものは無理だと分かっている。首筋に幾重にも噛みついて歯形を残しながら、リンクは獣のような息遣いで腰を打ち付けた。

「いっ、ッあ……んあっ……やぁ、やめ、てェッ…………っ!」

 艶声が悲鳴に変わりかける頃になりようやく首筋から顔を上げたリンクは、明らかに怒っていた。青い瞳の奥の方に、いつもならば見ることのない炎がちらつく。

 彼が怒るところを見たことがなかったわけではない。でも怒りが私へ向いたのはほとんど初めてのことだった。

 なんで、どうして、怒っているの?

 ぼろぼろと目じりから涙が零れ落ちて、首筋からも温かいものが滴り落ちた。

「いま誰のことを想ってた」

「え……」

「それは俺じゃない」

 それは、誰。

 聞こうとしたのにその暇さえもらえず、今度は両手首を頭の上で縫止められる。

「ゼルダ、よそ見しないで」

 また唇をむさぼられ、でも私は翠眼の彼が触れようとして失敗した感覚も同時に思い出す。内側から触れられる温かさを知り、体の混ざる快感を知った。でも今は互いの肉と皮を隔ててしか触れあえないもどかしさに身体が跳ねる。

「まっ……て、やめっりんくッ……やっああぁっ!」

「そいつは違う!」

 私とは理を別にする翠眼の彼と交わした感覚は、複雑に入り組んで根源を分からなくしていた。今、体の奥の方でわだかまる熱は私のものだったか、それとも翠眼の彼のものだったのか。でも私の体を責め立てる熱は、確実に碧眼の彼のものである。

 リンクが苛立つ理由。

 でも彼もリンクなのに。私が想うことさえも許してくれそうにない。

「俺のゼルダだから、絶対に渡さないから……っ」

 喉の奥から搾り出す声と、愁眉に歪む顔。きりきりに張りつめた弓の弦を切ったみたいに全身を痙攣させる。脈打ちながら私の中に熱いものが注ぎ込まれ、同時に私も何度目かの頂点へ達して喉を晒した。

 一拍おいて、肩で息をする熱い体がぐったりと覆いかぶさる。肩口に顔を埋めて、すすり泣く声がした。

「だから、どこへも行かないでくれ……」

 怒りの炎は消えて、燻る煙が月夜にたなびく。

 どうしてこの人から離れることが出来ようか。むしろ私を離さないでと、忍び泣くハシバミ色の髪を指で梳いた。

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