意思疎通の取れなくなったリンクを姫様が引き取ってから、すでに一年が過ぎようとしていた頃のことだった。困り顔の侍女が私のところへきて耳打ちをする。
「インパ様申し訳ありません、姫様がまだお出ましにならないとおっしゃられて」
「まだ、ですか……」
リンクがついに移植したガーディアンのコアに飲み込まれたという報告を、プルアから受けて三日。御心労のあまり、姫様が出ていらっしゃらなくなることは予想していた。しかし三日ともなるとさすがに長い。
「姫様からのお声掛かりはありますし、お食事もちゃんと取られています。しかし出たくないと、その一点張りで……」
「分かりました。お声がけをしてみて、最悪の場合は私が扉をこじ開けてみましょう」
最悪の事態を想定し寝室に赴いたが、やはり声を掛けても扉は開けてもらえなかった。
仕方がないので侍女長とプルアと相談し、無理にこじ開ける。立てこもる姫様にも先に謝罪を入れ、大ぶりの斧を振るって押し開いた
数日ぶりに開かれた姫様の寝室は思っていたよりも普通で、逆にきゅうと胃が縮んで痛んだ。
「ね、ほら。私の言った通りでしょうリンク、扉を破るならきっとインパだって」
寝室の中で何が起こっているか分からないからこそ、プルアと侍女長以外は下げてあった。が、正解だったと唇を噛む。
天蓋付きベッドの上に、よく見知った二人の姿があった。
にこやかな姫巫女と眠る勇者の姿だ。
ベッドに座る姫様はシュミーズ姿で、多少はやつれた感があったが体調は問題が無さそうだった。もう一人は半裸の状態で眠るリンク。
プルアからの報告通り、ガーディアンを移植した右腕と右目の見た目は元通りになっていた。姫様のベッドの中央でこんこんと眠り続けている。血色も良く、生きているかのように胸が上下に動いていた。
「姫様……」
「あのねインパ。私、ガーディアンが憎くて」
「いえ、しかしリンクは」
「そう彼、正確にはリンクではない。それは分かっているのです」
憎いと言いつつも、姫様の優しい手がリンクの形をしたそれの頬を撫でる。すると撫でられた人型の者は「ん」とむずがるように顔を背けた。
ぞわりと背筋が粟立って、思わずクナイを抜いて構えた。
「姫様ッ!」
怖気立つという感覚を久々に思い出した。
厄災ガノンに立ち向かったときの感覚に近い。気配自体は小さいが、明らかな違和感の塊が寝室の中央に横たわっていた。
「彼の体、全部ガーディアンなんですって」
「プルアから聞いております、ですからそのモノから離れてくださいませんか!」
「ガーディアンのコアがリンクを形作っているのです。元の彼の姿形を読み取って、それでリンクを再現しようと今は眠っているのです」
嬉しそうに姫様は彼のハシバミ色の髪を指で梳き、伸びた髪を掬って口づけを落とした。
「まるで生きているみたいでしょう? いえ、どう見ても生きているのです」
「姫様、それはもう生き物ではないのヨ?」
プルアの声色にまで焦りが伺える。
明らかに常軌を逸した状態だ。姫様は大変聡明な方であるが、同時に思いつめやすい方でもあった。それを知っていたのに、先の戦での罪の象徴を抱え込むようなことに至ったのは、姫様の補佐をする私のミスだ。
どうすればあの得体のしれない物から引きはがせるのか、クナイを構える手に力が入る。しかし姫様の方は一向にリンクの形をしたガーディアンの傍から離れようとはしなかった。それどころか私たちの方へ向けて、穏やかに微笑みかけてくる。
「二人もどうか触れてみてください。あれから、体温や呼吸、脈すら再現するようになったんです。それにほら、血も流すようになりました」
ひたひたと頬を撫で、でも次の瞬間に伸びた爪で左の頬を引っ掻いた。ビクッと寝ているリンクの顔が歪んだが、姫様は腕に滲んだ赤い四本線を満足そうに眺める。
「ただ残念ながら、性格や記憶はもちろん再現は難しいでしょう。だから私が教えてあげなければならないと思ったんです。それで彼がいつ起きてもいいようにと、引きこもってしまったの、ごめんなさい」
「違います姫様! それは彼ではありません、ガーディアンです、どうか目を覚ましてください!」
私自身、姫様とは酸いも甘いも共にした腹心であると自負していた。ともに戦場を駆け、一番身近に居たつもりだ。
だから私の声も聞き届けてくれやしないかと、悲鳴を絞り出す。生きている人間の声を聴いてくれと叫び声を上げた。
ところが投げつけられたのは、凍てついた答えだった。
「インパ、違うというのなら教えてください。生き物と、限りなく生き物と同じ挙動をするモノの違いはどこにあるのですか」
私たちが答えに窮する間に、姫様の意識はまたリンクの形をしたものに注がれる。
薄く開いた瞼の隙間から、見覚えのある青い瞳が見えた。しかしまだ覚醒には至らないのかすぐに瞼は閉じてしまう。
もう目覚めるまでに幾ばくも無いように見えた。しかも起こすのが姫様ならば、彼を模したものは確実に目覚めるだろう。それが何であれ勇者ならば、姫巫女に応じるはずだ。
「目を覚まして、目を覚まして、リンク」
右手の甲に聖三角が輝いた。美しい声が響く。清らかな御手が頬を撫でる。
聖なる姫巫女が、その者を目覚めに導く。
しかし目覚める者が誰なのか、私は知らない。
了