流水の兄騎士と落花の妹姫 - 9/19

7 落花の姫君

 ハイラル城へ連れ戻される馬車の中で、私は咄嗟に記憶喪失の振りをした

「御ひい様、どうやってあの火事の中から助け出されたのか覚えてないのかい?」

「はい、気が付いたら、というよりも、自分が誰なのかしばらく忘れていました」

「ふぅん……?」

 ウルボザの目は鋭い。だがどれだけ疑われても言葉だけは覆すまいと口を結んだ。理由は二つある。

 一つはもちろん、リンクへの追撃の手を緩めさせるため。記憶喪失の私を家族として育ててくれた振りをすることで、私を連れまわっていた彼と亡き養父への矛先をいくらか和らげようと思った。

 もう一つはウルボザに切って落とされたシーカー族の隠密の札の存在だ。王家の手足として働くシーカー族が私を隠匿していたともなれば、大変な軋轢となって一族は窮地に立たされてしまう。だから互いに知らないうちに助けられていた体をとることで、出来る限り害が及ばないように考えを巡らせた。もちろん疑いがゼロになることはないだろうが、インパやプルアたちが苦しい立場に置かれるのは避けたい。

「あの夜は……がむしゃらに逃げて気が付いたら全然知らない場所にいました。呆然としていたところを助けてくれたのが養父で、養父は少し前に亡くなったんですが、それから兄代わりのあの人と一緒にハイラル中を旅していたんです。旅の途中で病のシーカー族の方を看取ったことがあって、最期にあの木札を預かりました」

「それで各地で出会ったわけ、か。それにしてもなぜ偽名を?」

「フィローネで会った時、すごくウルボザ怖い顔をしていたんですもの。咄嗟に違う名前を名乗りたくもなります」

「そりゃぁ悪いことをしたね。ちなみに泉にはどうしていこうと思ったんだい?」

「旅の途中でさる占い師の方に、記憶を戻すには各地の泉に赴いて女神像に祈ればよいと託宣を頂いたのです」

 嘘を吐くのは辛いが、慣れっこだ。ずっと生きているのを信じていてくれたウルボザには悪いと思った。しかし私は自分を守ってくれていたシーカー族とリンクへの締め付けがわずかでも減る言動を選び、きゅっと膝の上に置いた拳に力が入る。

 いずれにしても城にはすでに厄災信奉者が紛れ込んでいるのだろうし、ここからはゼルダという仮面を被って振舞わなければならない。この国で求められているのは姫としての『ゼルダ』なのだ。

 アッカレ砦に着くとすぐに旅で擦れた服を脱がされ、久しぶりにドレスを着せられた。丈はさほど長くないものの、コルセットで絞め上げられて一瞬息が詰まる。

 ドレスに合うようにと髪も結われる。染め続けてごわごわになった髪を梳いた侍女は「おいたわしい」とうっすらと目に涙を浮かべていた。城に戻ったらすぐにでも髪色を元に戻すと、そのための薬剤を揃えるように早馬が飛ぶ。

 私は麦藁色の髪が気に入っていた。でも王家に生まれた娘の象徴である髪色に戻さなければ許されないのだろう。こっそりため息を吐いて窓の外を見やる。

 リンクは無事に逃げおおせただろうか。

 いや、それよりも状態を立て直して再度襲ってくるような無茶はしないだろうかと、気が気でなかった。ウルボザもアッカレの兵たちもリンクの存在を脅威と判じ、警備の体勢を厚くしていた。私が逃げ出すことよりも、彼が奪い返しに来る方を警戒している。

 でも二日経っても現われず、ハイラル城から王家の紋章の入った豪奢な四頭立ての馬車が迎えに来た。ほっとした様子のアッカレ砦を預かる将に見送られ、ウルボザ先導の元で私は八年ぶりに王城に帰還した。

「ゼルダ……!」

「……お、御父様?」

 城の入り口で声を聴いた時、一瞬だけ眩暈がした。白いひげをたっぷりと蓄えた実の父が、城の大きな扉の前に立っていた。まさか、王自ら出向くなど普通の感覚ではない。

 それほどまでに私は待たれていたのだ。嬉しかった。

 馬車から飛び出し、本来であれば静々と歩かねばならないところだったが、思わず足が急く。転びそうになりながら両手を伸ばし、大きな人影に向かって走る。

「御父様!」

「ゼルダ!」

 飛び込んだ腕は温かかった。

 本物の私の御父様。

 養父に連れられて城を抜け出た夜、私は二人の父を得た。『御父様』と『父さん』。父さんの方は亡くなってしまったが、私のもう一人の父はまだ生きていた。生きてまた会うことができた。

「よく、戻って来た」

「はいっ……はい!」

 どんな言葉を発すればいいのかは分からなかったが、ともかく温かみが嬉しい。周りを囲む貴族たちも目頭をおさえ、私たち父娘の再会を祝福してくれていた。

「礼を言うウルボザ。よくぞ娘を探し出してくれた」

「信じて探した甲斐がありました」

 恭しい態度のウルボザに、満足げに御父様は頷く。それから私の小さい体を抱き上げて、ぐるりと振り向く。怖くて思わず首に縋った。

 何事かと目を丸くしていると、集まっていた兵や再会の場に招かれた貴族、こっそりと覗く城勤めの使用人たちに向かってお父様は声を響かせた。

「聞け、皆の者。こうして我が娘、次代の封印の姫巫女が戻って来た! 厄災との戦い、これで勝とうぞ!」

 兵たちが勝鬨の声を上げる。貴族たちも使用人たちも、めいめいに顔を見合わせて拍手を送る。中心は私。注目されているのが分かって、耳まで熱くなった。そんな見物にされるために帰って来たわけではないの。でもこれからはこうして人の前に立たなければならないのだ。少しだけ気が重たくなった。

 その後すぐに御父様とは別れ、自室まで侍女に連れられて行った。

 懐かしい私の部屋は、六歳のあの夜に連れ出された時と一切様子は変わっていない。思わず懐かしい、と零すと侍女にくすりと笑われた。

 でもよくよく見まわすと、高い天井も大きすぎる天蓋付きのベッドも、足元が掬われそうなほどふかふかの絨毯も、どれも今の身の丈に合っている気がしない。今日からこんなところで寝起きするのかと思うとそわそわした。

 居心地悪く部屋の片隅に立ち尽くしていると、侍女が変な匂いのする液体を持ってこちらへと椅子を指し示した。髪色を戻す薬品だと説明を受けてからその液で髪を梳かれる。桶の中に垂らした髪から、抜け出ていく麦藁色を無言で眺めていた。

 全てが終わるとついに金の髪に戻る。鏡の中の自分をどれだけ覗き込んでも、彼と兄弟の面影を見つけ出すのは難しい。今までずっと傍にあった物が、遠くに離れたことを実感させるには十分な色だった。

 その後、当たり前のように侍女がコルセットで私を縛り上げるので、痛い苦しいと文句を言うと、姫様の体は随分と鈍っておりますと反論された。そんなはずはない。ずっと旅をしてきているのだから、私の体は締まっているはずよと思う。ところがそういう意味ではないらしい。

「よろしいですかゼルダ姫様。貴女様はこのハイラル王家の唯一の姫君でいらっしゃる」

「はい」

「ですから、その平民じみた振舞をどうにか直さねばなりません」

 ええっと目を丸くすると「それです」とため息を吐かれた。

 どうにも私は市井で暮らすうちに随分と体が作法を忘れているらしかった。意識して動いているつもりだったのに、それでも足りないという。

「すぐにでも貴族のどなたかご婦人に、マナーのレッスンについていただきます。よろしいですね」

「……はい」

「ほらまた背筋が!」

 ぱしっと叩かれてびっくりして背筋を伸ばす。

 宮中ってこんなに息のしづらい場所だったかしら。思わず首をひねりたくなった首をしっかりと前に正す。首をひねるその動作ひとつ取っても、傍仕えの者は何か不手際があったのかと気を回す。何て息苦しいところへ戻って来たのか……と思っても、ため息すら許されない。

 常に人目があるというのは、とてつもない緊張を強いられる連続だった。

 すぐ翌日からマナーのレッスンが始まり、厳しい貴族のご婦人が四六時中ついて回った。食事は毒見をしてから出されるため、スープはぬるいどころか冷たい。湯あみが毎日できるのはありがたがったが、湯あみの最中はもちろんのこと、下着を着せるところから侍女が手伝う。体に傷一つないことを毎日のように確認され、起きてから寝るまで、やることが分単位で決まっていた。

「何て息苦しい」

 私は六歳のころ、本当にこんな生活をしていたのだっけ?と心の内で首をひねる。記憶喪失になったのは、生まれてから六年間の方じゃないかしらとさえ思った。

 何よりも禁じられて困ったのは鍛錬だった。起床後、当たり前のように体を動かそうとしたら「体を鍛えるなんてはしたない」と侍女に怒られてしまった。どうやら貴族の女性は基本的に運動はしないらしい。弓を持つことも許されなかった。

「しかしそれでは太ります……!」

 息をひそめ、私は就寝時間を過ぎてから軽く運動をしてから寝るようにした。本当に唯一、心が休まるのは就寝時間を過ぎてからのベッドの中だけ。

 一通りの運動をし終えると、バルコニーに出た。夜風を感じながら星空に手を組む。

「どうかリンクが無事でありますように」

 もうどこにいるのかは分らない。でもその方が良いのではないかと思った。

 無理にでも引き裂かれたことで、リンクはもう私に縛られずに生きていくことができる。ほぼ同い年の男の子に護ってもらう生活の方が、本来は可笑しいのだ。

 だから無事だけを祈るようにしていた。

 ついでに私の生活の改善も。

「でもこれが、本来の私なんですよね」

 はぁと、昼間は禁じられている明らかなため息を吐いて床に就く。

 そんな生活にようやく慣れるかと思っていた矢先、御父様から一つの打診があった。

「ゼルダの帰還を祝し、ささやかな宴を開こうと思うが」

「宴ですか?」

「気楽なダンスパーティーと思えばよい」

 ニコリをお父様は微笑まれた。

 反して私は冷やりと背に汗を感じる。

 ダンス。これは大変だ、と生唾を飲み込んだ。

 歌や楽器、ダンスはもちろん日々のレッスンに組み込まれていた。しかしまだ習い始めてからの日々が浅く、まったく物にできていない。毎日のように先生役の夫人から怒られていた。

「でも私まだダンスが……」

「なに、わずかばかりの人を集めての質素なものにする。そなたの帰還を疑う者もあってな。それゆえ、一部の貴族にでもそなたの姿を見せれば、王家の姫がしかと戻ったことを口伝えに広めていくだろう」

 なるほどとわずかに頷く。

 おそらく門前での私と父のやり取りを見た貴族たちは、私の髪色を見て本物の姫が戻って来たのかどうかを疑ったのだ。あの時はまだ麦藁色の髪で服装も普通、宝飾品の一つも着けていなかった。

 だから本当に王家の姫君が帰って来たならばその姿を現す機会を設けろと、御父様は遠回しに各方面から突かれたのだろう。ならば断わることはできない。

「分かりました……」

 当日までにダンスをどうにか見られる程度には踊れるようになっておかなければ、と唇を噛んだ。

 とはいえ些細な、とつけ加えてくれたのだ。おそらくさほどの規模ではないはず。

 と思っていた。

 王家の感覚を侮っていた。

 とうの昔に陽が落ちたというのに、広間は光り輝く。灯りの量が尋常ではなく、普通の平民家庭が使う何日分の蝋燭が使われているのか、扉が開かれた瞬間、目がくらんだ。

 御父様に手を引かれ、歩み出した広間には見渡す限りのひとひとひとひと。ささやかの意味を辞書で調べたくなるほど、顔が強張るのを止められなかった。

 しかも人垣のど真ん中を歩いていくので、大勢の視線は私に釘付けとなる。立派な髭を蓄えた貴族と、綺麗な出で立ちをした貴婦人たちが口元を扇で隠して目だけで私を追う。こんなに大勢から見られたのは生まれて初めて。頭を垂れなかっただけでも偉いと自分を褒めてあげたかった

「あれが、ゼルダ姫?」

「なんとみすぼらしいお姿だろうね」

「市井に紛れて暮らされていたそうだから仕方があるまい」

「しかし亡くなった王妃様と髪色は似ていらっしゃる」

「瞳の色は陛下と同じだったか」

 ひそやかに、だが確実に、私は値踏みされている。女神の声を聴くために長いとされるハイリア人特有の耳は、それらの心無い言葉も的確に捉えた。

 ものすごくうるさかった。

 そのあとは、あまりの緊張で記憶がすっとんでしまい、よく覚えていない。確かにダンスを何人かから申し込まれ、どうしたらよいのか分からずおろおろしていたら御父様がまず相手をしてくださった。本来はないことだそうだが、しかしあまりにも私が緊張してしまったために。

 成人していない年齢であることを差し引いても、私は王家の姫君としてはまず失格なことをしてしまった。

 そのあと数人とたどたどしくもダンスを踊り、くたくたに疲れたところでようやく腰を下ろすことが許された。深く息を吐きたいのに、いつもの数割増しで絞められたコルセットがそれを許してくれない。

 この宴は私の帰還の祝いなどではない。私が本物かどうかを見定めるためのお披露目会だ。こんなもの早く終わって欲しいのに、そういう時に限って時計の針はなかなか進まない。

「殿下、どうぞこちらを」

 と、差し出されたグラスを、ホッと受け取ろうとした瞬間、張りつめていた反動で気のゆるみが出た。

 カシャーンと会場に響き渡る音。

 私の足元で、砕け散るグラス。淡い浅葱色のドレスに、真っ赤な染みが広がった。広間の目が一気に私の方へ向く。また大量の視線に串刺しにされる。

「申し訳ありません!」

「ああ、ごめんなさい! 手が滑って……」

 衆目が集まりすぎた気恥ずかしさと、せっかくのドレスが汚れてしまったことと、様々なことが一気に押し寄せて気が動転してしまった。つい立ち上がり、割れたグラスを拾おうと手を伸ばす。

 その瞬間くすくすと、広間にさざ波が立った。

 明らかな嘲笑だった。

 そうだった。こんなことで貴族の人々は謝らないし、自分で立ち上がらないし、割れたグラスを拾ったりもしない。これは平民の仕事。でも市井で暮らした八年の間に染み付いた癖は、付け焼刃の作法では隠し切れなかった。

 手を伸ばした体勢のまま固まる間に、割れたグラスは使用人が拾ってしまい、伸ばした私の手は空を切る。でも顔を上げることが出来なかった。上げた瞬間、射るような容赦のない視線に飲み込まれてしまう。

 こんな時、どんな顔で取り繕えばいいのか全然分からない。どうしよう、恥ずかしい、耳まで真っ赤に熱くなる。

 でも顔を上げるまでもなく刺さる言葉があった。

「まぁ、下賤に身をやつした方はやはり違いますね」

 ぷつんと糸が切れる音を聞いた。たぶん世に言う堪忍袋の緒と言う奴だと思う。

 だって、落としてしまったら謝るのは人として当然のことじゃない。それを身分の上下でどうこう言うのはどういう了見? それも大人が言うなんて、なんて、なんて!

 勢いよく顔をあげ、睨みつけた先には緋色のドレスの美しい貴婦人がいた。

「同じ人であれば身分の上下にかかわらず、対等に礼を尽くすべきと考えます!」

 思わず口に出た言葉が、どれだけ意味として通じたかは分からない。しかし目の前の貴婦人は口元を隠す扇さえ忘れ、口をあんぐりと開けていた。

「下賤なのは貴女の心根の方ではありませんか?!」

 続けざまに言葉を重ねると、貴婦人は顔を真っ赤にしてわなわなと肩を震わせる。いい気味だと鼻で笑ってやった。これもマナー違反、でも構うものか。

 ようやく私は地面に足が着いた気がした。どっしりと構え、どこからでもかかって来いとばかりに睨みつける。すると貴婦人を中心に、貴族たちは潮のように退いて行った。

 なんて情けない人たち。こんなことならばモリブリンの方がよほど手ごわいじゃないの。

「気分が悪くなりました、失礼します!」

 ぷいっと顔を背けて私は歩き始めた。どこへ行こうかは決めていない、ともかくあの胸糞の悪い場所にはいたくなかった。騒ぎを聞きつけた御父様が慌てて仲裁に駆け付けようとしているのが見えたが、それすら不要だと肩を怒らせて広間を飛び出す。

 どれだけ煌びやかに着飾っても、どんなに美しく踊っても、どれほど心地よい言葉を紡ごうとも、あのように他者を見下した態度をとる者は吐き気がした。どうせ私のことは、貴婦人の言葉通り『下賤に身をやつした姫』なのだろう。髪を短く切り、ダンスの一つもまともに踊れず、使用人紛いのことをする卑しい姫君。

 先ほどは私のお披露目会だと思ったが、違う。これは見世物だ。私という面白おかしい境遇の娘をあざ笑うための催し物だ。

 それが分かるとせっかくお化粧をした目尻から熱い涙が零れ落ちた。

 あざ笑われて楽しいはずがない、私はもっと広い世界を旅したかった。城の中には何一つ楽しいことなどない。もっと、外の世界で暮らしたかった。

「どうか、なさいましたか」

 声に、はっとあたりを見回す。

 気付くと無意識に園の奥へと足が向いていた。灯りのない東屋に腰かけ、伸びた枝を指で遊んでいた。

「誰、ですか?」

 声の主が見当たらないので、立ち上がって辺りを見回す。

 それにしてもどこかで聞いたような声。でも誰なのかは分からなかった。

「姫君が袖を濡らされていると精霊が申しましたので」

 竪琴の音がした。

 あれっと首を傾げる。声よりも、その音の方に聞き覚えがあった。特徴的な旋律の、懐かしい調べ。どこで聞いたのか、思わず瞼を閉じて記憶をさかのぼる。

 あれは確か、カカリコ村でリンクと夏祭りで遊んだ時のことだ。

 それで分かった。

「あなたはもしかして、シーカー族? カカリコ村で会った旅の詩人の、お弟子さん……?」

「さすが、ゼルダ様」

 面白そうに声が笑い、竪琴がかき鳴らされる。何と言う曲なのかは分からないが、でも曲調はよく知っていた。カカリコ村のシーカー族たちの好む旋律だ。

 でもそれを奏でる当の本人の姿が見えない。東屋から出てあたりを見回してみたが、あの特徴的な白い髪を頭の高いところで結った人影は見えなかった。自分一人しかいない。なのに私を慰めるように竪琴が鳴る。

「どこにいるんですか?」

「申し訳ございません、今は姿無しでお許しください」

「なぜ?」

「シーカー族はいま、貴女様を拉致した疑いで中枢より遠ざけられております」

 ハッと息を飲んだ。

 やはり、嘘は吐いたもの上手くはいかなかったらしい。私が捕まったせいで、あの木札の存在が明るみに出たのだろう。あれにはインパ様の名前が入っていた。取り繕ってはみたものの、まったくの無関係とは考えてもらえなかったらしい。

「ごめんなさい……村長は大丈夫ですか、インパやプルアやロベリーも」

「問題ございません、ゼルダ様がお気に病まれるようなことではございません」

「でも……」

「王家にとっても厄災対応のためにシーカー族は切れない存在だと、長のインパ様は笑っていらっしゃいました。それゆえ、わたくしめを遣わされた」

「無位無官だから? それとも詩人は諜報に向かないと?」

「我が師匠を王城から締め出すと、泣き崩れるご婦人が多数おりますので」

「そんな理由で」

「そう、そんな理由です」

 声はまたくつくつと笑う。

 そう言えば先ほどの宴の席で、老シーカー族が竪琴を披露していた。美しい音色に私も思わず聞き惚れたが、おそらくあれが彼の者の師匠なのだろう。確かに夢中になる御婦人方が非常に多かった。

 当然、その弟子も共に城に入ることは許され、インパ様はそこまで見越して彼を私の元へ遣わしてくれたのだ。ありがたいことだった。

 しかし今をもってしても暗い庭のどこに潜んでいるのか、気配すら分からない。どこへ向いて話をしたらよいのか分からず、もう一度東屋の椅子に腰を下ろす。きゅっと両手を握りしめて俯いた。

「心中お察しします。お傍でお支えすることは今すぐには難しゅうございますが、いずれ必ずシーカー族はゼルダ様のお力になります。それまではわたくしが、微力ではありますが陰ながらお支え申し上げます」

「ありがとう、恩に着ます。インパ様にもお礼とお詫びを伝えてください」

「勿体なきお言葉。今宵はせめて懐かしい調べを贈らせてください」

 慰めの詩と竪琴はしばらく続いた。私のささくれだった心を鎮め、同時にこれからのことを考える余裕をもたらす。興奮して火照った体に夜風が心地よかった。

 今夜の一件で、貴族からの評価は地の底に落ちただろう。

 取り返しのつかないことをしたという気持ちと、そんなものは気にしなくていいという思いに、見事に板挟み。でも別の角度から考えるとこれは良い機会かもしれないと思った。何しろあか抜けない可笑しな姫君だと分かれば、貴族どもはむやみに手を出してくることはない。

 対して私の目的は、城に入り込んだ厄災信奉者を見つけ、さらに大元である厄災を封じることにある。正直なことを言えば、腹の底で何を考えているか分からない貴族を相手にしている時間は、もったいないとさえ思っていた。

 貴族どもの顔色をうかがうことに時間を割くよりも、力を顕現させるために努力をした方がよっぽどいい。貴族たちの方から避けてくれるなら願ったり叶ったり。

 となると、今日のことは結果的に悪くなかったとさえ思った。うんっと頷く。少し前向きになった。

「ゼルダ様! どこにいらっしゃいますか、ゼルダ様!」

 私を探す侍女の声と共に、竪琴が途切れる。彼が立ち去る気配がした。

 いなくなってしまう、その寸前に。

「リンクの無事だけ、確認しては貰えませんか」

 返事はなく、竪琴の主はひっそりと消えた。その夜は久しぶりに日課の運動さえ忘れて穏やかな気分で眠りについた

 それからしばらくして、私に皮肉な呼び名が付いたことを知る。

 落花の姫君。落ちて下賤に荒らされた花と、貴族たちは揶揄した。

 城の中で出会えば、聞こえるか聞こえないかの陰口を叩き、これ見よがしに嘲笑を顔に張り付けて音無く逃げていく。城とは言わば、茨の園なのだと思った。用事があって歩き回るだけで心に無数の傷がつく。

 だが落ちない花などない。貴族どもが愛でる美しい庭園の花は、落ちる前に庭師に切り取られるだけ。野山を走り回って育った私は、高慢な貴族よりもずっと自然の摂理を知っているつもりだった。

 どれだけ心を傷つけられても、あんなものは気にするな、関係ないと拳を握りしめる。絶え間ない誹謗中傷に、大人ではない私には顔を上げて前を見ること以外、出来ることはなかった。