流水の兄騎士と落花の妹姫 - 3/19

 朝から近所のおばさんたちがうるさかった。

 なんでもお城の王妃さまとお姫さまが死んでしまったんだとか。そんな話を行商人のおじさんに聞いたらしく、近所のおばさんたちはずっとその話題で持ち切りだった。

 国の偉い人なんだというのは分かっていた。父さんのお仕事も王妃さまの警護だと言うも、母さんが昔お世話していた方だというのも知っていた。だから俺は、死んでしまった王妃さまとお姫さまのことよりも、父さんが無事かどうかの方が心配だった。

「父さん、大丈夫かなぁ」

 その日、何度目かの同じ質問を母さんの横でぼやく。半年前に生まれたばかりの妹にお乳をやりながら、母さんは「きっと大丈夫よ」と何度目か同じ返事を繰り返した。でもなんだか上の空な感じだった。

 妹がまだ小さくて、夜泣きが酷いから大変なんだろうとその時は思っていた。

 でも昼を過ぎたあたりに突然帰った父さんと、その時の母さんの顔を見て、やっぱりなんか可笑しいと分かった。父さんと母さんは互いに顔を見合わせて凍り付く。父さんが首を横に振ると、母さんは項垂れた。

「ともかく、一息つかせてくれ」

 かなり急いで帰って来たのか、いつも世話をさせてくれた馬は途中で乗り潰したらしい。最後はそこらへんで捕まえた野生馬に乗って、それから女の子を連れていた。

 珍しい金色の髪を肩のあたりで切りそろえ、新緑の青葉みたいな瞳の、きれいな女の子だった。多分年の頃は同じぐらい。

 一目見て、かわいい子だなと思った。

 初めて見る女の子、近所のやつらとは全然違う。かわいいじゃなくって多分きれいなんだと思った。女の子っていうよりも、お嬢さまって感じ。でもなんだか沈んだ顔をしていて、せっかくのきれいな顔が台無しだった。

 女の子と父さんが遅すぎるお昼を食べている間、俺は妹をおんぶしてこっそり二階から見ていた。声を掛けたかったけど勇気が出なくて、遠巻きにしていた。

「リンク、少しこの子と外で遊んできてくれないか」

「うん……?」

 食べ終わったその子の手を掴んだら、指の先まで冷たかった。

「いこ」

 頷きかけたその子を連れて、家の外に出てから、どうしようかなと首を傾げる。

 まず近所のやつらのところには連れて行きたくない。悲しそうな顔をしていたから、根掘り葉掘りうるさく聞かれるは嫌だろう。俺だって落ち込んでいるときはそっとしておいて欲しい。

 それになぜだか無性に、俺だけの、その子でいて欲しかった。

 だからそのまま手を引いて、裏の山へ足を向ける。でも少し上り始めたところで息が上がるその子を見て、山の途中までにしておこうと思ってそのあたりの岩に腰かけた。

「ねえ、君だれ? 名前は?」

「……ゼルダ、です」

「じゃあ、きりょうよし、なんだ」

「器量よし?」

 そこでようやく、その子は顔を上げた。翡翠色の瞳と視線が合った。

「ハイラルのお姫様にあやかって、きりょうよしの女の子にはゼルダって名前つけるんだって。だから君もきりょうよしなんだろ?」

 正直、『きりょうよし』の意味はよく分からない。でも悪い意味じゃないことぐらいは俺でも分かる。

 ところがその子は目にどんどん涙を貯め込んでしまった。俺はどうしたらいいのか分からなくなる。悪口を言ったつもりはない。むしろ褒めたつもりだったのに。

「ごめん、嫌だった?」

「いえ、ちがいます。大丈夫です」

 ゼルダは涙が零れ落ちる前に袖でグイッと拭いて、赤くなった目尻でそっぽを向いた。ハテノ村の入り口、気持ちよさそうに旗が風に泳ぐのが見える。ゼルダの髪も日の光にキラキラと輝いていた。珍しい髪の色だなと思ってみていた。

「どこから来たの?」

 するとその子、ゼルダはふるふると首を横に振った。言いたくないことも、多分あるんだろう。でもしきりと村の入り口の方角、確か北西の方を見ていた。きっとそっちから来たんだろうなと思った。

 それからはめっきり喋ることがなくなって、二人でぼんやり村を上から眺めているだけ。でもつまらないとは不思議と思わなかった。なんだかドキドキした。

 日が暮れて来たから、そろそろ戻らなきゃとゼルダの手を引いて帰ると、母さんがカボチャのシチューを作って待っていてくれた。おかえり、と母さんも父さんももう普通の顔をしていて、たぶん嫌なことは終わったんだと思った。

 ゼルダもはふはふ言いながらシチューを食べて、なんだかいい日だなと思った。

「さて、話がある。大事な話だ」

 食べ終わると父さんは真剣な顔で、俺とゼルダと母さんを椅子に座らせた。どちらかというと多分、俺に対しての話なんだろうと視線を感じる。だから真面目な顔で一つ頷いた。

 将来、父さんのような騎士になるには、人の話はちゃんと聞かなければならない。そう教わっていた。

「ゼルダは今日からうちの子になる。だが事情があってあまり物を知らない。だから色々と教えてやれ、リンク。いいな?」

 やっぱり今日はいい日だ。

 ぱっと世界に花が咲いたみたいだった。

「うん!」

「ウンではなくハイだ」

「はい!」

 嬉しい。こんなかわいい子が妹になるなんて、明日はやっぱり近所のやつらに自慢しに行こう。

 が、そういえば妹かお姉ちゃんか、どっちだろうかと首を傾げる。

「ゼルダは何歳?」

「六歳です」

「じゃあやっぱり俺がお兄ちゃんだ、俺七歳!」

「はい、……えっと、お兄ちゃん?」

「うん、お兄ちゃん!」

 はにかんだゼルダはやっぱりかわいかった。でも口調は俺よりも年上みたいな感じでちょっとちぐはぐする。でもいい、それでもいい。いきなり妹が一人増えたのが嬉しい!

 思わず体が飛び上がって楽しくなったところで、父さんの拳が頭の真上に飛んできた。

「少し落ち着け」

 イテテと抑えながらもう一度椅子に座る。

 よく見れば、父さんの怖いぐらいに真剣な顔はまだ続いていた。そう、騎士になるのなら、こんなことで浮ついてはだめだ。『もはんたれ』というのをやらなければならない。それが何なのかはまだよく分からないけれど、少なくとも嬉しくてすぐに小躍りするのは『もはんたれ』ではない。

「ゼルダとリンクと私は明後日から旅に出る。明日はその支度をするから、そのつもりでいなさい」

「え、母さんたちは?」

 てっきり五人家族になるんだと思っていた。父さんもしばらくは王都に戻らずに、家に居て剣のけいこをつけてくれるのだとばかり思っていた。なんとなく、そうなんじゃないのかと思っていた。

 でも母さんは、いや、母さんも真面目な顔をして俺の顔を覗き込んでいた。

「この子が小さいから、母さんは旅にはついて行けないの。だからリンク、ゼルダとお父さんのことをお願いね」

 そう言うことならば仕方がない。確かにまだ生まれたばっかりだもんな、と一番下の妹の抱かれて眠る顔を見た。

 次ぐ日、父さんと俺は三人分の旅支度をするので手一杯だった。よろず屋イースト・ウィンドで日持ちのする食べ物を選び、ついでに油や火打石、ロープに砥石といった道具も買い込んだ。何日分かとよろず屋のおじさんに聞かれた父さんは、とりあえず十日ほどと答えていたので、どうやらだいぶ長い旅になるらしい。

 それらを家に持ち帰ると、母さんとゼルダは家の外に椅子を出していた。まるで俺の髪を切るみたいに、でもなんか様子が違う。

「なに、してるの……?」

 櫛でゼルダの髪に黒い液体を塗り込めていた。黒い液体は草を煮詰めた汁みたいなもので、丹念に髪の付け根から一本たりとも逃さぬようにと黒い液体を塗り込んでいく。

「なにしてるの!」

 ゼルダの綺麗な金の髪が真っ黒に塗り潰される。両手に抱えていた油の壺を危うく取り落とすところだった。

「いいんです。この髪は、目立つから」

 答えたゼルダは、でもなんだか悲しそうだった。

 しばらくして黒い液体を流し終えると、ゼルダの髪の色は俺と同じくすんだ稲穂みたいな色になった。

「これでお兄ちゃんとお揃いです」

 ゼルダは笑っていたけれど、俺はやっぱり金の髪の方が似合うと思った。でもそんなこと言ったらまた泣かせてしまう気がして、口をへの字に曲げて黙っていた。

 髪を染めたゼルダを連れて、今度は服を買いに母さんと一緒にブティック ヴェント・エストへ行った。ついでに俺の服も買ってくれるらしい。確かに最近手足が伸びてつんつるてんになっていたところだ。

 ゼルダの服を三着、俺の服を二着、それから雨除けのフード付き外套をお揃いで買ってもらった。嬉しくて家に帰る途中から二人でフードを被った。お揃いというのが、うまく言えないけど楽しい。

 帰る途中で近所のやつらが「誰だそいつ」って指さしてきたので、「俺の妹!」って胸を張ってやった。どうだ、かわいい妹だろ?って言ったら、いつも意地悪するそいつらは羨ましそうな顔をしていた。

 晩ご飯は俺の大好きなケモノ肉カレーだった。しかも上肉まで入っていた。

 多分明日からしばらく母さんに会えないから、俺の好きなものを作ってくれたんだと思う。おかわりも二回した。それで明日からの旅が余計に楽しみになった。

 母さんと下の妹は一緒じゃないけど、仕事でいつもいない父さんと新しい妹のゼルダと、三人できっと世界中を見て回るんだ。ゾーラの里にはついて行ったことがあるけど、それ以外はこのハテノ村ぐらいしか知らない。西の果てには砂だらけの砂漠があるらしいし、北には火を噴く山があるとも聞いた。あと父さんが仕事をしているハイラル城にも行ってみたい。

 ゼルダはすぐに寝てしまったけれど、俺はわくわくして眠れなかった。

 だから声をひそめながらも、父さんと母さんが喋るのが聞こえてしまった。

「あの方をお守りするにはこれしか方法がない、すまない」

「王妃様には良くしていただきました、大丈夫です。これでも騎士の妻、覚悟はできております」

「……本当にすまない」

 父さんの沈んだ声と母さんのすすり泣く声。

 明日から、楽しい旅が始まるんじゃないの。なんで母さん、泣いてるの。どうして父さん、暗い顔をしているの。

 分からなくなって、気が付いたら階段の途中まで降りてきていた。

「どういうこと……?」

 大人が暗い顔をしているときは大抵嫌なことがある時だ。

 数年前にお城の偉い占い師が『やくさいのふっかつ』を予言した時も、大人はみんな暗い顔をしていた。それと同じぐらい、いま父さんと母さんは暗い顔をしていた。

「リンク! 大人の話を勝手に聞くなと、言っただろう!」

「どういうこと?」

 父さんの怖い声が迫る。でも、それよりも俺は何が起こるのかの方が怖かった。

「明日から、三人で旅するんだよね? なんで母さん泣いてるの?」

「いいから寝ろ!」

 首根っこ掴まれて二階のベッドに放り込まれる。その寸前、遠くに馬蹄のとどろく音を聞いた。

 ハッと振り向いたのは俺と父さん。あれは、軍馬の迫る音だ。

「ゼルダを起こせ! 身支度は後でいい、荷物を持って逃げるぞ!」

 父さんの怒鳴り声、俺の足音、下の妹の泣く声、母さんの叫ぶ声、それからゼルダの怖がる瞳。全部しっちゃかめっちゃかになって、気が付いた時には俺とゼルダの二人だけが父さんに抱えられて家の裏手、エボニ山の山頂に立っていた。

 山の麓には赤々と燃える炎。家が燃えている。

 母さんと下の妹の姿はもう見えなかった。

「父さん……どういうことなの」

 問いかけても答えはない。

 俺とゼルダはゆっくりと地面に降ろされ、でもゼルダも俺も動けなかった。

「どういうこと?」

 父さんがいつもの休暇と違う時に帰って来た。

 ゼルダという女の子を連れてきて、その子が俺の妹になった。嬉しかった。

 でも明日からゼルダと父さんと三人で旅に出る。母さんと下の妹はついてこない。

 父さんと母さんは暗い顔をして、その前夜、こうして家に火をかけられ、母さんと妹の姿が無い。多分もう死んでしまった。

 ゆっくりと腹の底の方から怒りが湧いてくる。ゼルダだ。

「ゼルダの、せいなの?」

 こんな目に合っているのは、全部ゼルダが来たせいなのか?

 そんなのは認めたくないと思った。でもゼルダはコクンと首を縦に振る。

「ゼルダのせいで、母さんと妹は死んだの?」

 認めたら絶対にゼルダのことを許せなくなる。違うと言ってほしい、暗い空を駆けていく風がゼルダの首を横に振らせるように仕向けて欲しいと願った。

 それでもゼルダは俺の目を見て、しっかりと首を縦に振った。

「そうです、私のせいです」

 弾かれたように手が伸びた。

 妹になったとはいえ、まだ一日も経っていない。言うなればただの知り合い程度のこの子のせいで、俺の母さんと本当の妹は殺された。

 なんでこんなやつのせいで、俺の家族が死ななきゃならないんだ。

 夕方までの楽しい気分がいっぺんに消し飛んだ。憎い、この子が嫌い。

 でもゼルダの顔を見たら首は絞められなかった。だって翡翠色の瞳が今にも泣きそうになってたから。そんなこと出来るわけがない。

「私のせいなんです。ぜんぶ、わたしのせい、なんです……」

 きっと誰にも、お兄ちゃんになった俺にすら言えない事情がある。

 それをゼルダは心の中に閉じ込めてがんばってる。だってある日突然家族になるってことは、ゼルダは本当の家族とは離ればなれになっているはずだから。

 それはおそらく、俺が母さんと妹と分かれたのと同じ、ゼルダも一生本当の家族にはもう会えない。でもゼルダはそれを誰かにぶつけて怒ったりしない。

 だから俺ももう怒れなかった。ゼルダと俺は一緒で、むしろ父さんが生きているだけ俺の方が恵まれていると分かってしまったから。

「分かった。でも俺はゼルダを許さない」

「ごめんな、さい……」

「許さない代わりに、ずっと俺の傍に居て」

 目いっぱい腕を伸ばして、ぎゅっと抱きしめた。

「もう家族はなくしたくない。だから、母さんや妹みたいに、ゼルダはいなくならないって約束して」

 ゼルダは泣かずに頷いてくれた。俺はわんわん泣きながらゼルダを抱きしめた。

 そうやって俺とゼルダは家族になった。確かあれは、七歳の春の夜のことだった。