11 朴念仁の沈黙
王立古代研究所からロベリーとプルアが来る予定を聞いて、また厄介な元知り合いが増えることに頭が痛くなった。もちろん俺に裁量権のある話でもなく、いずれは顔を合わすこともあるかと思っていたので、顔色を変えないように畏まりましたと一つ返事をする。相変わらずゼルダは時々俺の方を寂しそうに眺めていたが、もう特別な追及はなかった。
いつもはヒメガミ川を渡った向こう側の研究所に詰めている二人が、わざわざハイラル城にまで来るのは、城の内部にある勇導石を使うためだという。その実験にゼルダも臨席すると。
厄介なことにならないでくれと願いながら傍に控えることになったが、拍子抜けするほど二人は俺に見向きもしなかった。
「だーかーらー! ロベリーはそっちじゃなくってこっちだっていってるじゃないのヨ!」
「ミーはこっちがコレクトなアンサーだと解釈する!」
「はぁ?! 研究所に居た時と違うこと言わないでちょうだい!」
「二人ともこんなところで喧嘩しないでください……」
完全に姫付きの騎士など眼中になく、二人は目の前の実験に集中していた。俺の状態を前もってインパが伝えてくれていたのかもしれない。
ただ、何につけてもプルアとロベリーはうるさい。コックが多いとスープが不味くなるのと似たものを感じながら、天才科学者たちのやり取りを遠目に眺める。仲裁役はインパ。ときどきゼルダも二人に混ざって、ああでもないこうでもないと長らく議論を交わしていた。
「シーカーストーンは絶対に勇導石と関係あるんだから!」
「それは間違いありません、でもはめ込む形状もありませんし、かざす以外に何か他のきっかけでもあるんでしょうか?」
「プルア女史、そのダサいネーミング、いつから正式採用に? ミーがもっとパーフェクトなネームと提案しておいたはず!」
「姫様が『シーカーストーン』でいいって言ったんですー! はい、ざんねーん!」
「二人ともいい加減にしてください……」
先日見つかったという板状の古代遺物、プルアが言うところのシーカーストーンとやらが、勇導石に何らかの影響を与えるのは間違いないようだ。だが実験は遅々として進まない様子だった。
プルアもロベリーも、ゼルダのことを「姫様」と呼んで実験をしていた。カカリコ村に出入りしていた頃のことは一切臭わせない。対するゼルダも二人とは同じ研究者で参加しながらも、王族として一歩引いた立ち位置を取る。
何も知らない人から見れば自然に見えるのだろうが、各々の元からの関係を知っているとやはり妙に見えた。
侃々諤々の議論をしながら進まない実験を、一度止めたのは眉間にしわを寄せたインパだった。こめかみを抑えながらどこからともなくお菓子を持って来て、運び込んだ作業台の空いたところで勝手にお茶を入れ始める。それを契機に、ようやく三人は手を休めた。
一瞬だけ静かになる。
ところが今度はお茶菓子がどうのと女性陣が盛り上がり始め、居づらそうにしていたロベリーがふらりと席を立った。そのままゆっくりと俺の方へ。今日この日、初めて俺に関心が向いた瞬間だった。
「ヘイ」
「何か御用でしょうか」
手にはインパが淹れたお茶のカップ。女性陣はこちらには目もくれず、お茶菓子を囲んで楽しそうにしていた。
確かに、あの輪の中には入りづらかろう。かといって俺の方に来られても困るんだけどなと、目を合わさないようにした。
「ユーは姫様付きの新しいナイトなんだってな」
「はい、左様です」
「だとしたら一つクエスチョンを、いいだろうか」
悪いけどロベリー。俺は何も答えないぞ。
ゼルダとは関係ないことを内外に示しておかなければ、ゼルダの立場も身分も危うくなる可能性がある。旧知の仲で、幼い時分には良くしてもらったのももちろん覚えているが、それでも迂闊なことは口に出せない。
「お答えできることであれば」
何も答えないことを滲ませながらゆっくり視線を向けると、ロベリーはゴーグル越しにニっと笑った。
「ライトの脇に痣があるのは?」
一拍おいて何のことか理解して、思わず吹き出しそうになるので腹筋を総動員した。
なんてことを聞くんだコイツと思って、しかしながらこれは誰に聞かれても訳が分からないだろう。カカリコ村で、ロベリーと風呂覗きをしたことを思い出して、コログに怒られたのも思い出した。インパの右わきには痣がある。たぶんゼルダはもちろん、下手をしたら姉のプルアや当人のインパでもすぐには分かるまい。
さて、何と答えたものかな。
「存じません」と一言答えるのは容易だったし、元からそのつもりで口の中には回答を準備してあった。でもそのまま知らんぷりをするのも芸がないように思えた。
これは他人には分からないように、俺が俺であることを伝えられる千載一遇の機会。ロベリーの機転を無駄にしたくなかった。
「何とは存じませんが、執政補佐官殿のところへ戻っていただけますか」
一息に答えると、ロベリーはフッと笑って俺の肩を叩いて戻っていった。
これで誰かに真実を問い詰められたとしても、ロベリーが冗談を言ったのだとシラを切ることは可能だ。俺が訳あって他人の振りをしていることを、どうかひっそりと伝えて欲しい。それで少しでも安心してくれればいいんだけどな、と少し肩の荷が下りてぼんやりしていた。
その時にゼルダが大きな声を上げて立ち上がった。
「そうです! 確かハテノ村の西側の崖の中に、巨大な遺物が埋まっています!」
今日はドレスではなく動きやすいパンツスタイル。実験の邪魔にならないようにと高いところでくくった髪を大きくしなって、興奮に頬を赤らめた顔がこちらを向いた。
「以前通りかかったときに、たまたま見つけたんですよね、リン……」
あっと息を飲んで、それ以上は言葉を消した。
よくそこで堪えてくれたと、俺はただ目を伏せる。周囲には他のシーカー族の研究者が出入りしていて、いつどこで何が漏れるか分からない。
何も聞かなかった振りをして、不動で立ち続けた。ゼルダは気まずそうに背を向けて、プルアとロベリーの方へ向き直る。
それでいい。ゼルダが一人で見つけたことにしておけばいい。市井を知る姫君だからこその手柄だと、人々に見せつけてやればいい。
その後、すぐに指定の地点に人を送り込み、調査が行われる段取りが組まれた。案の定、地中から発見されたのは古代遺物で、しかも相当に大きいらしい。あの時はすぐにでもロベリーとプルアに知らせようと思っていたのだが、カカリコ村で入れ違いになって以来会えなかったし存在も忘れていた。
しばらくの後、小さな家程もある大きさの遺物の全体を、完全に露出できたという知らせが届いた。ゼルダは俺を伴ってハテノ村の西へ野外調査に出かける予定を取り付け、まずはカカリコ村へと向かった。前泊とインパとプルアのわずかな里帰りの予定に付き合う。
俺も久々に戻って来る。カカリコ村は相変わらず楽しげな鳴子が響き渡っていた。
「お久しぶりですインパ」
「姫様もお元気そうでなにより」
老インパとゼルダの呼び方は以前と逆転したし、座布団の座る位置関係も変わったが、二人の関係は変わらなかった。シーカー族の長である老インパはゼルダのことを姫様と、逆にゼルダはすでに姫君としての立場を表して呼び捨てにする。
俺は顔を伏せて静かに付き従った。インパ様はいまだ健在、かくしゃくとして俺に一瞥をくれた。だがそれだけで、外に控えた騎士など眼中にない。やはり話が伝わっているのか、ロベリーやプルアと再会した時とまるで同じ反応だった。
観音開きの扉の外で、背後で喋る四人の会話に聞き耳を立てる。他愛ない世間話で、城の中とは大違いの安穏とした空気があった。針の筵から解放されている時のゼルダは良く喋る。その穏やかな空気を背に受けて、懐かしい村の風景を目に焼き付けていた。
苔むした茅葺屋根にコッコが昇って、梅の花が咲く。赤い鳴子が村中でカラカラと音を立ててコログを思い出させた。
と、首を傾げる。
そう言えば最近コログをあまり見かけない。前まではうるさいぐらいにまとわりついていたのに、そう言えば近頃は随分と静かだ。おかげで寮の部屋は殺風景。以前なら毎日リンゴやどんぐりがあったのに、今は何も無い。ただ帰って寝るだけ。
遠方での複数日に跨っての調査になるので動きやすい服装を準備せよと言われて、むしろ私服の数が足りないことに気が付いたほど俺の生活は蕭々としていた。久々に袖を通した私服の裾が、はたはたと風になびく。
息の詰まる城と時々食べに出かける城下、それから血しぶきの上がる戦場以外、久々に身を置くのどかな風景に眠気さえもよおした。
「そう言えばプルア、あの特別製だとかいう化粧水。あれをもっと送らんか」
「ちょ、おばあ様! インパの前では内緒にしておいてっていったデショ!」
「化粧水……? 何の話です?」
「なんじゃ、自分ばかりで妹にはくれてやらんのか。あれは良いぞ、十歳は若返る。ホレ見てみぃ、わしのお肌もぴちぴちじゃ」
いったい何の話だかと苦笑が漏れた。
誰も見ていないので思う存分に肩から力を抜く。
「プルア、もしかして研究費を横流しして、また別のものを作っているんじゃないでしょうね?!」
「ちょっとぐらいいじゃない! こちとら、ずーっと研究所に詰めてるのヨ? 女の欲望叶えたって罰は当たらないって」
「女の欲望、ですか?」
「あらあらー? 姫様もやっぱり気になる? 気になっちゃう?」
ゼルダが身を乗り出す気配が感じられた。
やっぱりそう言うことが気になるんだなと思って、そういうところはゼルダも少し変わったと思う。
「女の欲望と言えば若返りに決まってるじゃない! ずーっと暗い研究所に籠ってるとどんどんお肌がシワッシワになるから、年齢が覆るような何かが作れないかなーって思ってネ」
「年齢が、覆るのですか……?」
「いわばアンチエイジング、的な?」
「やっぱりまた変なものを作っているんですね?! 上から怒られるのは責任者の私なんですよ!」
「そのために責任者を買って出てくれたんデショ? 大好きよインパ!」
「ちょ、プルアー!」
怒るインパと、ケラケラ笑うプルア。老インパの声は聞こえないが、どうやらお茶でもすすりながら、うんうんと頷いているような気がした。
ところが、話しに食いついたはずのゼルダだけ、なんだか様子がおかしかった。もちろん背後を直に伺うわけにはいかないので、察するしかないのだが、異様に静かだ。
「あれあれ? 姫様は興味ない? 若返りの秘法ってやつ」
問われて、ゼルダのうーんと悩む素振りをする声がようやく聞こえる。
素振りなだけあって、せっかくのプルアの申し出を傷つけないように断る言葉を探しているように聞こえた。逡巡しながら言葉を紡ぐ。
「私はどちらかというと、早く大人になりたいです。未成年だから執政も重要なところは任せてもらえませんし、それにラネールの知恵の泉に参拝したくても、入山すらできませんから……」
とつとつと、慎重に何かを考えて話す道筋は、まるで優等生。俺も人のことを言えた義理ではないが、内情を良く知る三人相手なのだからもう少し本音を言ってもよいと思った。仮にもシーカー族の本拠地なのだから、さすがにここまで敵方の手が伸びていることはないだろう。
せっかく羽を伸ばせる場所なのだから、もう少しくつろいでもいいはず。インパもプルアもはぁーっと苦笑していた。
「姫様は真面目ですねぇ……」
「いえ、本当にそう思っているんですよ。それに」
「それに?」
言いさした先を鋭く追及するプルアだが、続く言葉は無かった。
「いえ、何でもありません」
「え~ナニナニ~?」
「何でもないです」
その日、ゼルダは村長である老インパの家に泊まった。護衛はシーカー族の隠密に任せて欲しいとのことで、俺には宿があてがわれる。懐かしい村を歩き回りたくなる気持ちを抑えて、静かな虫の音を聞きながら眠った。
でも翌日の朝早く、俺はこっそり宿を抜け出した。早朝なら誰とも顔を合わさないで済むだろう。そう考えて身支度もそこそこに、素振りをしに裏の山へ足を運ぼうとした。
ところが坂の上には先客の姿。すでにきっちりと野外調査用の服に身を包んだゼルダが、一心不乱に苔むした祠を覗いていた。
「おはようございます殿下」
「あっ、……おはようございます」
一人で出歩いているところ見つかったと思ったのか少しばつが悪そうにして、ゼルダは祠の散策を止めて村の方へ道を引き返し始める。彼女は一人で息抜きに来たつもりだろうが、残念ながら周囲には数人の隠密の気配がした。
しっとりと濡れた坂道を端に避けると、ゼルダは静々と坂を下っていく。こうしてカカリコ村に二人で居るのに、随分と関係が変わったなと感慨深いものがあった。
「あの」
「はい」
「昨日の話、聞いていました?」
ゆっくりと足を止め、ゼルダはそのまま振り向かずに言葉を発した。消して大きくは無いが、静まり返った朝もやの中では十分に聞き取れる。
話とはどれだろうかと考える。
「プルア博士の、研究費の横流しの件ですか?」
「ええっと、それではなくて。若返りの秘法の方、あなたはどう思います?」
「はい?」
「ええっと、若返りじゃなくって。そうですね……、例えば逆で、私がもう少し大人だったらどうしますか?」
振り向かないまま、ゼルダは俺に問いかけ続ける。
あの頃の肩口に切った髪型が似合わなかったわけではないが、艶やかな髪をたっぷり背まで伸ばすとゼルダはやはり高貴の人だなと思う。曲がりなりにも姫君で在らせられる彼女は、そういうことに気を遣うのかもしれない。噂によれば、それなりの身分の貴族との縁談も少なくないようだったし。
そんなゼルダが俺よりも年上だったら、おそらく大いに困っただろう。僅かばかりに俺が年上だったから兄としての役割を得て、その気概だけで虚勢を張っていた部分がある。いわばハッタリみたいなもの。それが歳の差が逆転していたら困るに決まっている。できることなら俺がもっと年上に生まれて来たかったぐらいだ。
と言って、素直に答えるわけにもいかないので、回答はおのずと決まっていた。
「どうもいたしません」
でも答えてから、「あれ?」と、わずかに首を傾げた。
大人? 若返る方ではなく? というか、もう十分に大人では?
少なくとも兄妹として暮らしていた頃よりは、互いに十分に成長した。と、ここで以前、ゼルダにキスをしたことを思い出して、鳩尾が掴まれたように急に痛んだ。忘れたわけではないが葬り去ったはずの何かが首をもたげる。
無理やり忘れようとして今の彼女を視界に入れると、膨れた顔がこちらを睨んでいた。内心では少しぎょっとする。
「朴念仁と言われたことはありませんか」
ぼくねんじん。
無口で愛想のない人間のこと。さすが博学で名の通る姫君の言葉は的を射ている。まさに今の俺にぴったり。しかし残念ながら正面切って言われたことは無かった。後にも先にも初めての経験だ。
「ございません」
「あらそうですか」
ぷいっとそっぽを向かれたので、ゼルダの気分を大いに害したのは分かった。至らない回答をしたのが申し訳なくて顔を伏せ気味にする。でも申し訳ないとは思うのだが、問われた意味も、機嫌を損ねた理由も全然分からない。
「お送りします」
「いえ構いません、あなたも何か用事があって来たのでしょう」
「ですが」
言い出すと聞かない上に、これ以上逆なでするのもよろしくないのは十分に承知している。遠からず隠密も隠れ伏していることだし、俺がついて行かなくとも村の中ならば大丈夫だろうとは思った。
だが万が一のことを考えると不安になり、文句を言う背中を数歩追いかける。
すると再度、今度は本当に怒った顔が振り向いた。
「ついてこないでください!」
あ、これは本当に駄目なときだ、と思って足を止めた。こうなってはもうゼルダは何も聞いてくれなくなる。せめて村長の家に入るところまでは見守ろうと、歩いていくのをひたすら眺めた。最後の最後、家に入る直前に一瞬だけ、怒りとも悲しみともつかない視線がこちらへ向いた。
その後、カカリコ村を出て、調査現場へ向かう頃には機嫌はすっかり直っていた。一体何だったのだろうとため息を吐いたのは内緒だ。
「姫様! こっちこっち!」
「随分と大きなとんがり屋根ですね?」
プルアに手招きされて、掘り出された遺物の内部へゼルダが恐る恐る足を踏み入れるのを見守る。俺は部外者なので外で待っていた。
「ほら見て! 絶対にシーカーストーン嵌める形状だよ、間違いない。姫様、大手柄だヨ!」
「では、やってみていいでしょうか?」
「そのためにお呼びしたんじゃない! いくわヨ!」
ゼルダたちが入っていった建物の形をした古代遺物は、てっぺんに変な飾りのついた三角屋根が六本の柱に支えられた東屋に見えた。中には黒っぽい台座が一つあって、遠目から見ても明らかにシーカーストーンをはめ込む形状になっている。橙色の光が見えた。天井部分には垂れ下がるように突起物がある。妙な形にどんな意味があるのかは、門外漢なので全然分からない。
プルアがその台座の四角いくぼみにシーカーストーンをはめ込む。ぴたりとはまって、くるりと回る。その瞬間、どよめきが上がった。初めてシーカーストーンに反応らしい反応をした遺物だ。
あまり興味のない俺でさえ、ついに何かが起こるのかと少しだけわくわくする。外から目を凝らしていた。
でも何も起こらなかった。
一度はシーカーストーンを受け入れたかに見えた台座は、一拍おいてシーカーストーンを吐き出すように立ち上げた。
「えぇッ……なっ、どういうこと?!」
「今一瞬入りましたよね?!」
「一瞬入りましたけど、一瞬で吐き出しましたね、コイツ……」
今日はガーディアン専門のロベリーは来ていなかったが、プルアを筆頭に古代遺物の研究員たちが揃っていた。そこにインパとゼルダが加わって、全員が首を傾げている。
確かに一瞬はシーカーストーンが起動したようにも見えた。でも駄目らしい。どっと落胆の声が俺のところまで聞こえた。
「形は合ってるし、まず間違いないんだけど……じゃあ何が足りないって言うのヨー!」
頭を抱えたプルアの叫び声が響き渡る。
しばらく試行錯誤していたが、何度やってもシーカーストーンをはめ込むことはできるのに、起動だけはできなかった。しびれを切らしたインパが台座を乱暴に叩いて、プルアが「何でも叩けばいいと思わないの!」と怒る声もする。
慌ただしくしている間に、どんどん日が陰っていった。
研究ごとに従事しているときのゼルダは、放っておくと時を忘れていくらでも作業をする。だから夢中の横顔に水を差すのは悪いと思いながらも、時間管理は俺かインパの仕事となっていた。今日に限ってはそのインパも混ざって試しているので、まったく時間を気にしていない。
これ以上長引かせては黄昏時となり、今夜宿泊するハテノ村への道中が危うくなる。今日の憎まれ役は俺だなと、声を掛けようと傍へ寄った。
「殿下、お時間が」
「え、もうそんな?」
「ええー! これからが良いところなのヨ?!」
プルアのプンスコした顔が間近まで寄って、もう!と俺に八つ当たりしながら去っていく。インパに付き添われて名残惜しそうにしていたゼルダも、しょうがないと大きく落胆して台座からシーカーストーンを取り外した。
「すいません、これを荷物の方にお願いします」
シーカーストーンは、重要な古代遺物であることは間違いないとプルアやインパからの進言もあって、最近はゼルダの手元にあることが多い。
シーカーストーンの持ち運びを楽にするために、腰に付けられるようにして欲しいとゼルダが侍女に申しつけているのを何度か聞いてはいた。しかし野外調査を平民の真似事だと小馬鹿に笑う侍女たちが、彼女の要望に応えてくれる気配は一向に無かった。だから必然的に野外調査に行く際は俺が持っていることが多い。取っ手はあるのだが、案外大きいのだ。
預かった四角い板にシーカーマークが青く浮かび上がる。こんな板切れに本当に何かを引き起こすだけの力があるんだろうかと、俺もちょっとばかり気になって板面見ていた。
「やってみます?」
「あ、いえ……」
「大丈夫です。おそらく何も起こりませんし」
言われて、断るのも悪いかなという気になる。何しろ朝怒らせたばかりなので、厚意を無下にするのも難だ。特に今日は遠くから異変がないか見ているだけの、今日は本当に暇な一日だった。
ゼルダは「どうぞ」と俺を手招きする。
誘われ、最後に一回ぐらいならいいかと、俺はシーカーストーンを台座にはめ込んだ。どうせそのまますぐ戻って来るんだろうなと思って。
くるりと回転したシーカーストーンが戻って来るのを期待し、そのまま前で待つ。ところが一段浮き上がっていた台座が沈み込んで、聞きなれない音声が流れた。
『シーカーストーンを確認しました。シーカータワーを起動します。揺れに注意してください』
ガコンと建物の床が大きく揺れた。
「なにごとですか?!」
慌てるインパの声と、遺物の外側で話し込んでいたプルアの叫び声と、それよりもさらに大きい地鳴り。特別なことは何もしていないつもり、外から見ていて研究者たちがやっていたのと同じことを俺もやっただけ。
立っているのが辛いほど地面が揺れて、巨大な構造物が地中深くからせり出してくる。急激に上昇していく視線に、この構造物の本来の形状が塔であることはすぐに分かった。東屋のようだと思った部位は、構造物の先端部分でしかなかった。
インパがキャーキャー言いながら黒っぽい床に転がるのを横目に、俺は台座に片手で掴まりながらゼルダの体を引き寄せた。指に絡む長い髪に意識が逸れそうになり、今はそれどころじゃないと奥歯に力を籠める。
なんだってこんなことになったんだ、俺は別に悪いことなんかしていないはずなのに、後で誰かから文句を言われなければ良いのだが。ともかく姫君の安全だけは護らないと。
瞬時に頭を心配事でいっぱいにして、華奢な腰に手を回す言い訳を必死で考えた。でもゼルダは叫び声を一瞬で黙らせて、翡翠色の瞳を爛々と輝かせて俺を覗き込んで笑っていた。
最後にひときわ大きな反動があって塔の全貌が現れると、同時に下から古代エネルギーの青い光が這いあがって満たされていく。さっきまで橙色をしていた台座の光も青いエネルギーに満たされ、背後にあった円形の模様が青く光り始めた。
揺れの収まった塔の頂上で、また作り物みたいな声が流れる。
『周辺のマップ情報の入手を開始します』
何が起こったのか、瞬きを忘れていた。
台座の直上にある突起物にシーカーマークが浮き出ると、ポタンと一滴、シーカーストーンに何かが落ちて弾ける。さっきまで真っ暗だった画面に、何かが浮かび上がった。
「これは、地図?」
起き上がったインパがシーカーストーンを覗き込み唸る。塔のてっぺんには三人だけ、辺りはひゅうひゅうと風が吹いていた。
遥か北にはデスマウンテンから流れる赤い溶岩が、西は双子山、東にはわずかにハテール海まで見える。山以外でこんなに高い場所に昇ったのは初めてだ。
四方の風景とシーカーストーンの地図とを照らし合わせてみると寸分違わないことに驚く。この地図は本物で、しかも相当に精度が高い。インパが唸るのも当然のことだ。
「こんな詳細な地図は王家も軍も所持していません」
「大変なものじゃありませんか姫様!」
「私たち、とんでもないものを掘り当ててしまったかもしれませんね……」
地図は軍事力。詳細な地図は機密扱いで、軍は最新の測量方法で描いた地図を持っている。それが国にとっては非常に大事な優位性になるからだ。
平民はぼんやりした手書きの地図を元に、どこそこの町までは『歩きで二日』だとか『馬で半日』だとか、曖昧な距離感覚でしか国の広さを知らない。
それに比べてシーカーストーンが提示した地図は、俺が知っている軍所有の地図よりも数段整っていた。唖然と顔を見合わせるしかない。古代シーカー族が物凄い技術を持っていたのは知っていたが、ここまでとは思わなかった。
「ともかく、下に降りませんか。プルアが下から登ってきそうです」
心配そうなインパの声に下を覗くと、確かにプルアが大声で叫んでいた。
シーカーストーンがくるりと回って吐き戻される。それを受け取ると、俺は二人を先導しながら塔を降りていった。
「どういうことどういうこと、何があったの?!」
「よく分からないのですが、騎士殿が試しに最後嵌めてみた途端に起動しまして」
「はぁぁあ?! どう言うこと! ちょっと貸して!」
地面に降り立った途端、プルアは喜色満面の顔を引きつらせながら詰め寄る。ゼルダからシーカーストーンを渡されると、猛然といじり始めた。
「すごい、何この地図、ヤバイ。情報取得方法どうなってんの。あとこれ何?! ふんふん、なるほどッ、メモメモ……」
プルアは、今までウツシエや図鑑しか使えなかったシーカーストーンの画面を素早く叩いて、誰も理解の出来ない独り言を積み重ねていく。妹であるインパも、研究を手伝っているゼルダも、あるいは周囲で補佐をしている他の研究員たちも苦笑いを浮かべるほどの勢い。
「ん? これ新機能かな」
ポチっと。
何かを押した途端、プルアの体が青い繊維状にほどけた。
目を丸くしながら青い光に変わる自分の姿に目を見張るプルア、えええっと大声を上げたインパと、ほどけていく繊維に手を伸ばしてかき集めようとするゼルダ。
あたふたしているうちにプルアの姿が忽然と消えた。
「プルア?! プルア、プルアが!」
「消えてしまいましたよ! どういうことですか!」
さすがに目の前で人間が一人丸ごと消えれば俺も慌てた。
でもすぐに声が聞こえたので気が付いて、上を振り仰いだ。
「こっちこっちー!」
大きく手を振るプルア。離れていても興奮に目を輝かせているのが見えた。
シーカー族の隠密の身のこなしを粗方身に付けているプルアは、何でもないように塔の上から降りて来る。
「これ瞬間移動できる機能だよ!」
「瞬間移動?! これがあれば一瞬で塔の上へ?」
「そう言うこと! この地図上の印に触れたら指定の場所まで移動させてくれるみたい」
「だ、駄目ですよ姫様! 安全性が確認できるまではさすがに許可できません!」
じゃあ実験台使って試そうか、とプルアの視線が反射的にこちらへ向くのは自然な成り行きだった。嫌な実験台だとは顔に出さないようにしたが、他の研究員たちからは「えぇ……」と非難と諦めの入り混じった声が上がる。でも誰も逆らえなかった。
それからプルアは、俺と他の研究員を使って何度も塔の上へのワープを繰り返させた。もう時間など気にしている者は居ないし、言って聞き入れてもらえる気配は微塵もない。
何度やっても体に異常を来たさないことや、一度に一人しか移動できないことなどを確認させられた。塔上部の光っている床への移動機能であることを結論付ける。
そこまでして最後に一回だけ、ゼルダが試すのをようやくインパが許した。塔の上に先の俺が登って待ち受けて、下から青い光が飛んでくるのを待つ。
ふわりと降り立った彼女は目を丸くして、ブーツの底で遺物の床の感触をコツコツと叩いて確かめた。移動できたのを確認すると、嬉しそうにぴょんと跳ねて笑顔が咲く。
「すごいです! これは、もう、何と言ったらいいのでしょう!」
すでに黄昏の最後を染める橙色が、ゼルダの喜色満面の横顔を染めた。
空は橙色から暗い藍色へと変わりつつある。雲一つなく晴れた空が対極の色へと変化する階調。昼と夜の狭間の曖昧な時間は、どれだけ大人になっても少し不安になった。胸騒ぎから目を逸らすように、藍色の空に包まれた懐かしい村の遠景を少しだけ眺めた。
もう自分の人生の長さを考えると、あの村に住んでいた時間の方がはるかに短い。それなのに望郷の念を覚えるのは、なんだか不思議な感覚だ。横目に盗み見ると、ゼルダも感慨深そうに同じ方を向いていて、振り向きざまに目があって気まずそうに顔を背けた。
もう降りましょうかと声を掛けようと口を開ける。
ところがゼルダは不安な空を目いっぱい吸い込んで、こちらを振り向いた。
「私、実はハテノ村に居たことがあるんです」
『ゼルダ姫』が市井に紛れて暮らしていたことは、もう広く知れ渡っていた。しかしどこに居たのかという詳しい情報は、城の面々や貴族にも伏せられている。よほど姫に近しい者しか知らされていない。だからただの傍付きの騎士にも、表向きは教えられていなかった。
固く緊張した声が『あなたは私の一番近しい者なのだから』と告げていた。
俺も当然の顔をして『もちろん知っています』と答えたかった。
黄昏は誰そ彼。
彼が誰なのか問わねば分からない、顔が見づらいこの時間は人の区別が付きづらい。そういう時間だからこそ、加えて高い塔の上で下に声が届かない場所だからこそ、声を掛けてくれたのは明白だった。
答えに迷って、目を伏せる。
「さようでございましたか」
絞り出したのはやっぱり拒絶だった。
認めれば楽にはなろう。しかし、ひとたび低きに流れた水は戻らない。
俺が流水と揶揄されているのは知っている。それは流れ者であるということと、水のように掴みどころがないという意味と、さらには一度低きに流れれば復権できるほどの地力も伝手もないことへの嘲弄も含まれていた。ようは早く流れていなくなれ、と。
なればこそ、情に流されるわけにはいかなかった。
ウルボザに言い含められたことを忠実に守っている振りをして、実のところは一瞬でも自分に甘えを許すのが怖いだけ。ゼルダとの関係を秘かにでも認めてしまったら、もう忠実な騎士として振舞えなくなるのは、自分が一番よく理解している。騎士でなくなってしまったらゼルダの傍にはもういられない。守ることができない。
「殿下、そろそろハテノ村へ向かわれませんと、さすがにお時間が」
「ええ、そうですね。もう降りましょう……」
旬を過ぎた花みたいに笑顔が萎れ、また紅のように鮮烈な怒りが表情に混じるのが見えた。申し訳ないことをしているのは分かっている。でも怒ってもいいから、もうあなたの知る兄は死んだとでも思って、いい加減に諦めて欲しかった。
結局、今の俺にはそ知らぬふりをするしか、彼女のそばにいる方法がない。厄災が封じられてゼルダの安全が確保されるまで騎士を辞める気が無いことを考えれば、正体を認められるのは厄災が復活して、誰かが打倒してからだろう。しかしながらその役目を授かったのはおそらく俺ではない。
理由は明白。退魔の剣が俺の手を離れて久しいからだ。
「先に降りますので、殿下は後ろを」
「この程度、気遣いは無用です」
降りるのが二度目ということもあるが、手足しか掛ける場所しかない塔をするすると器用に降りていく。護衛の騎士の要らなさそうな様子に、苦笑しながら後を追った。
その昔、ゼルダの傍に居るための方法が、自分には二種類しかないと思っていた。兄か、家臣か。それ以外の方法は無いと直感していが、その実、第三の方法があったことに気が付いたのは、だいぶ後になってからだった。ようは勇者になればいい。でも俺は、その証である剣を手放してしまっていた。
封印の姫巫女の隣には、伝承によれば勇者がいるものらしい。ところが、その席は未だに空。
退魔の剣らしきあの剣に触れて、厄災と相対する役割が与えられたのが自分だと思った瞬間もあった。でも久しく退魔の剣は俺の手元に戻ってきておらず、あの時覚えた感触は消えかけている。あれは気のせいで、一時的に手にしていたのは何かの間違いだったと、最近は考えるようにしていた。
ゼルダの対は俺じゃない。
そう考えなければ気が狂いそうになったし、それでも傍に居たいのなら、分をわきまえなければならない。厄災を討伐するのは誰だっていいが、ともかく早くしてくれと神経をすり減らす日々。
手放した退魔の剣が今また、別の意味で喉から手が出るほど欲しい。俺が勇者だったら全てを明かして隣に居られるのに。
でもあの時、陛下に剣を引き渡さなければ、ゼルダの傍にいる今の立場は得ることはできなかった。
こうして、いつまでも仮定の話が堂々巡りする。
本当に徒労。ひっそりと青い吐息を飲み込んだ。