流水の兄騎士と落花の妹姫 - 13/19

 近衛師団の本部に呼ばれ、師団長から直々に姫君付きの辞令が下ったときは、天にも昇る思いだった。走りそうになる足に慌てるなと言い聞かせ、自室に戻って思わずベッドに倒れ込む。

「……っしゃ!」

 枕に顔を突っ込んで、声がどこにも漏れないようにした。

 それでも嬉しくて、拳で何度もベッドと叩いた。ようやく、ようやく叶った。俺はついにゼルダの傍に侍ることができる立場になった。

 一年ほど前に騎士に叙され、その後も何人もの近衛騎士を負かしていたら、ある日いきなり城の地下牢に連れていかれて巨大なヒノックスの骨と対峙させられた。一晩ここで生き残れと言われて、また新手の嫌がらせかと思っていたら夜半になって動き出したのはスタルヒノックスだった。

 手の込んだ嫌がらせだと思ってスタルヒノックスを片付け、のんびりと朝を待っていたら、明るくなって現れたのは近衛の師団長。敬礼をすると苦渋の表情で一言「近衛師団へようこそ」と言われた。これが近衛騎士になるための試験だと知ったのは後日のことだった。

 それから半年、近衛兵とはいえ色々な持ち場をたらいまわしにされた。もちろん陛下の間近くに着いたこともあったが、やはり流れ者だということで早々に外された。見目と技量は間に合っていたが、やはり出自の問題はどう足掻いても覆らない。

 しかしそれ自体が功を奏し、他の近衛たちが「平民に気安すぎる変な姫様」と遠巻きに嫌っていたゼルダ姫付きの騎士に任じられた。城勤めになって以来、おそらく初めて流れ者になったことを感謝した。

「ようやく、ようやくここまできた……」

 辞令を受け取ってからは、心どころか体まで跳ねそうになった。もちろんそんな素振りを見せてはならないと分かっていて、体全体が強張る。

 だから着任当日に挨拶しに行ったときは、正直言うと嬉しさよりも緊張の方が勝った。

 顔を見ればゼルダも、彼女の執政補佐官になっているインパも、幼馴染の俺だと分かるに決まっている。でもウルボザからの忠告は絶対。俺はゼルダと他人の振りをしなければならない。

 それに貴族からの評価が芳しくないゼルダの立場をこれ以上悪くしないため、また流れ者の騎士である俺と変な噂が立たないためにも、他人の振りは必要だと思った。

 何を問われても、どんな誘導をされても表情一つ崩さないように気張る。本当なら「人違いだ」と答えるときに眉をひそめたり、驚く振りぐらいすべきなのだが、それすら難しいぐらい緊張していた。

 あれから三年。

 別れた時は肩に切りそろえていた髪が、今や背の半ばまで伸びて金に輝いていた。一緒に旅していた頃の日に焼けた肌は突き抜けるように白くなり、本来の姫君らしい線の細い女性になっていた。

 もうあの頃の活発な少女ではない。

 立場も人目も無ければ、声を掛けて抱きしめたかった。

 しかし絶対にあってはならない間違いだと己を戒める。どれだけ人払いをされても、どんなに人目のない場所でも、何も答えないようにした。そのうちインパもゼルダも諦めてくれたのか、根掘り葉掘り聞いてくることはなくなった。

 後はもう何があっても守ろうと、彼女の声の届くところに身を置いていた。

 はずだったのに。

「やぁ、こんなところで出会うとは思いませんでしたよ」

 ゼルダ姫が主催する平民の技術者が集うサロン。そこに居たのは、幼い日にカカリコ村で風呂覗きを告げ口した詩人の弟子だった。

 すでに奴も正式に王宮に上がって、宮廷詩人としての地位を得てゼルダの傍に侍っている。それにしても俺の正体を覚えている厄介な奴がいた。

「どこかでお会いしたでしょうか」

「シラを切るつもりですか。まぁそれも姫様のためならば致し方ありませんね」

 戸口に立っていたところで声を掛けられた。昔から変わらないツンとすました琥珀色の狐目が、じろじろとこちらを見るので睨み返す。すると奴はふんっと鼻を鳴らして、ゼルダの隣の特等席へその身を滑り込ませた。そのあとは静かな曲を奏でて、曲の合間にゼルダといくつか言葉を交わす。

 気に食わないと思っても、ゼルダは奴のことを信頼しているようだったし、仮にも姫君が呼び寄せた宮廷詩人を追い出すことなどできない。時折俺の方へ向ける視線に睨み返すだけで、何事もないように努めるしかなかった。

「あの、騎士様」

 奴と鋭い視線をかち合わせていた最中、技術者の女性の一人が俺の隣に立っていた。今日の参加者のリストは頭の中に入っている。確か城下で特殊な織物をしている女性だ。

「何か」

「その少しお話をさせていただいてもよろしいですか?」

「私と、ですか?」

 王族と話ができる場なんて、平民にとっては夢のまた夢であろう。なのにどうして戸口に立つ警護の騎士の方に興味を持つのか、まさか姫付きの騎士から懐柔しようという間諜の類かと身構えた。

「わたし、城下で発熱する温かい織物を作っているんですが、近衛騎士様の制服に興味がありまして……」

「近衛の制服に、ですか?」

「はい。以前、別の騎士様に見せて欲しいとお願いしたら断られてしまったのですが、何か理由があるのでしょうか?」

 女性はおどおどと俺の顔を覗き込みながら、それでも隠し切れない興味の眼差しで制服をじろじろと眺める。すでに俺の顔も見ていない。その様子に思わず笑いがこみ上げて来た。

 こんな貴重な場に呼ばれたというのに、興味の対象があればそちらに目が行ってしまう女性。いや、そういう人だからこそ、ゼルダのサロンに呼ばれたのだろう。類は友呼ぶと言うが、確かにゼルダみたいだなと思って、ふっと口元が緩んでしまった。

「いえ、何も理由は無いと思います。ですがなにぶん今着用している物ですので、この場で検められるのは控えて頂けると幸いです」

「あぁ、そう、そうですね。私ったら騎士様になんて失礼なことを」

「いえ、もし研究材料に必要なのであれば、殿下にお願いするのはいかがでしょうか。生地から取り寄せることも可能かと思います」

「まぁそうですか! お聞きしてよかった。ありがとうございます」

 女性は栗色の髪をいそいそと直して、去っていった。

 確かにこの近衛の制服は寒暖差のある場所での着用には向かない。儀仗兵としての役割としては申し分ないのだが、欲を言えばもう少し冬場は温かいと助かる。

 ただおそらく、前任の近衛騎士が嫌がったのは、平民に触られるのが嫌だったからそれだけ。冬場に寒いと文句を言うぐらいなら、手の一つでも貸してやればよいものを。ことに平民を見下して、口を開けば『俺は民を守っている』と宣う騎士の多いことには、実をいうと閉口していた。

 俺たち騎士の食い扶持は、平民たちに支えられていると知らないらしい。

 このサロンの存在自体は、姫君が下々の者を集めて市井にあったころを懐かしんでいると、皮肉交じりに語られているのを聞いていた。だが実際に眺めて思うに、泥臭い生活をしていた俺にとっては良いことのように思える。貴族の知らない技術が民草の間にはたくさん埋もれている。それを取り上げることはとても有意義だろう。

 どんなに備えていても、厄災などという物が復活したらどこがどう被害にあうのかも分からない。そのために産業を保護して備えておくのは、大局を考えれば大事なことだと分かった。

「おや、城内が匂うと思ったら、やはりここですか」

 先ほどの女性がゼルダと懇談し始めたところへ、くぐもった声が響いた。

 わざとらしく鼻を摘まんだ青年貴族が戸口に立つ。俺の真横、気配を察して警戒はしていたのだが、引き返さなかったようだ。ぎろりと睨む。

「おお怖い、ここは警護の騎士すら無粋なのですか」

「何か御用でしょうか」

「殿下にお話があってまかり越した。席を空けてもらえるかな」

 用事があれば後にすればいいものを、わざとらしく顔を歪めて口だけ笑って、どこぞの貴族が顎で俺に指図する。ちらりとゼルダの方を見やると、目を伏せてため息をついていたが渋々首を縦に振る。確かにこの貴族はどこぞの侯爵だったので断れないらしい。

 平民は音を立てて引きさがり、ど真ん中を歩く姿はさすが堂に入る。申し訳なさなどおくびにも出さない。

「ゼルダ殿下に置かれましてはご機嫌麗しゅう」

「何の御用でしょう」

「そう素っ気ないお顔をなさいますな。下々と付き合うよりずっと有益な情報をお持ちいたしましたぞ」

 しんと静まり返る部屋の中、静かな衣擦れの音と共にゼルダの手が握られた。一瞬ゼルダの手は逃げようとしたのだが、がっちりと、この青年貴族は姫君の手を逃さなかった。

 鳩尾のあたりが掴まれたように痛む。

 やめろと声が出そうになったが、俺の立場では制することができる相手ではなかった。

「封印のお力について、大聖堂に寄進をして直々に託宣を授かりましてね。早く殿下のお耳に入れたくてこうして参上したのです」

 その言葉に、室内がざわつく。

 大聖堂と言えば城下のハイラル大聖堂のことだろう。直接の託宣を授かるには相当な額の寄進が必要になる。それをこともなく、しかも自分のことではなく姫君についておこなうとは相当な財力だ。

 でも次の言葉で俺は腹の底から怒りが湧いた。

「心配するなとのお言葉でありました。真に封印の姫巫女であるならば、お力に目覚めるための儀式をご存じだから、心配はないと」

「それは……」

「殿下は先代の姫巫女であらせられた亡き王妃様から、その儀式とやらを口伝されておられるはず。ですから我々は心配せずともよいとの、ありがたい託宣でございました」

 蔑むような視線にゼルダの顔が歪む。暗に、この貴族はゼルダが偽物ではないのかと、しかも平民がいる場で蔑みに来たのだ。

 そういう類のうわさ話は無数にあった。何しろ一度城を出て市井に混じって暮らしていただけあって、ゼルダ姫に関する噂話は後を絶たない。そっくりの別の娘が姫の振りをしているだとか、果てはすでに姫君は手籠めにされた後だから目覚めないのだとか。市井に下ったというだけで酷い言われようだった。

「殿下、そうもったいぶらずとも良いのです。早くお力にお目覚めになられればよいのに」

「努力はしております。ですが、母上からの口伝も幼き日の記憶なので、曖昧な部分も多く……」

 お忘れになられたのか、などと軽口と共に笑う貴族。先ほどまでの明るい賑やかな会話は途絶え、誰もが目をそらした。

 みな、心は不安がっている。

 昨今は魔物の量も増えて、交通が遮断される事態に陥ることもある。そのたびに俺は駆り出されて、おかげで武勲には事欠かないが、一般市民にとっては弊害以外の何物でもない。

 早く穏やかな暮らしを確約してくれ。

 そのために姫君は力に目覚めて欲しい。

 勇者が現れないのはどういうことか。

 民からは不満が溢れ始めていた。

 先ほどまでの現実的で建設的なやり取りは消え去り、厄災への恐れが無言の圧力となって部屋を支配する。このような刺々しい空気に立ち会うのは初めてのことで、俺はわずかに狼狽えた。

 命を狙う者であれば何にでも立ち向かうし、命に代えても守るつもりでいた。誰が相手だろうと、ゼルダには指一本触れさせるつもりはない。

 しかし今目の前の事態は明らかに警護の騎士の領分を越えていた。何も手が出せない、力で守ることができない。

 こんなはずではなかったのに、と奥歯に力が入った。

 その時、ブツンと糸の切れる音がした。

「なんて縁起が悪い……」

 ゼルダの背後に居座り続けていた宮廷詩人の竪琴の琴線が一本弾け飛んでいた。痛そうに指を撫でて周囲から同情を引こうとしているが、俺にはそれが偽りに見えた。おそらく奴が自分で琴線を断ち切ったのだろう。

 一瞬こちらへ、視線が飛んできたが、すぐにゼルダと青年貴族の方を向く。

「殿下、竪琴の糸が切れるのは不吉です。何か悪い物が入り込んだのやもしれません」

「それは、迷信の類では?」

「以前に糸が切れた時は、我が師の死に際でございました。もちろん迷信の類かもしれませんが……」

 恭しく、でも苛烈な視線がゼルダを通り越して隣に座る貴族に突き刺さる。遠回しに悪い物とはお前だと目線で言う。すると貴族は肩を震わせた。

 存外、貴族はこういったゲン担ぎを大事にする。俺が以前仕えていた近衛騎士も、靴を履く順番にすら決まりを設けていた。

「やはり下賤の者の中に何か混ざっておるのではないか。失礼する、このような場所には居たくない。殿下も早く戻られた方が良いと存じますぞ」

 青年貴族はあからさまに顔を歪め、立ち上がると足早に去っていった。

 残った弦をはじいて、宮廷詩人は満足げに口角を上げた。俺の方を向いて『こうやってやるんだよ』と笑う。まるで諭されているみたいで腹が立った。

 権謀術数渦巻く宮中のやり取りは苦手だった。苦手とはいえ、身に付けないわけにはいかない。だから努力はしている、だが圧倒的に俺には時間が足りなかった。騎士に上がって一年あまり、父の言葉が蘇る。

 足りていないのは経験。

 あの時足りなかった戦闘面での経験はもう十分すぎるほどある。しかし人の皮を被った魔物と、剣以外の方法でやり合う経験は全く足りていない。しかも自分が我慢すればどうにかなるという問題でもない。

 以前であれば、大人になれば自然と身に付くだろうと鷹揚に構えていることができた。それが今はできない。今すぐにでもゼルダの役に立ちたい、焦りばかりが募る。

 終わりを告げたサロンから三々五々、人が抜けていくときになって、宮廷詩人はまた俺の傍へとやって来た。ゼルダはまだ残っていた下級貴族と一心不乱に話をしている。そちらから目を離さないように、奴を警戒した。

「不様ですね」

 ニンマリとした目が本当にいやらしい。俺をあざ笑いに来たのは明白だった。

 しかし不様だったのはその通り、姫君に付き従う者として守ることが一切できなかった。もちろん嫌味な貴族をどうにかするのは本来の警護からは外れる。だとしても、俺の過去を知っている宮廷詩人にしてみれば、ああいった手合いからですらゼルダを護りたかったことは察しているはずだ。

 頬がひくつきそうになるのを、全神経を以て抑えこんで凍り付いた顔を伏せた。

「殿下への気働き、感謝いたします。宮廷詩人殿」

 付け焼刃の騎士である俺は、様々なことで力不足だ。

 だからこそ正しくあらねばならない。自分に非があればすぐに頭を下げ、批判の矛先はなるべく自分に向くようにする。矜持なんてものは犬にでも食わせてやればいい。それが出来損ないの騎士のできる唯一のことだと思っていた。

 模範になれないのだから、身を削ってもゼルダのために働く。ただそれだけ。

 ところが宮廷詩人は、弦の切れた竪琴を抱えた手を震わせた。

「これだから、気の利かない近衛騎士殿は嫌いなんですよ」

 奴の方は俺と違って感情を露わにし、不快感を隠そうともしなかった。

「己の力がどれほどのものと思っているのです?」

 宮廷詩人の琥珀色の瞳は、まるで俺の心を見透かしているかのよう。

 守れると思っていた。ようやく守れる立場を手に入れたと思っていた。ところが、事はそう容易ではないと、先にゼルダの傍に侍っていた奴は知っている。たった数年だがその差が悔しい。

 顔を上げると詩人はすでに去った後だった。文句を言う高い足音が、王城の廊下に遠のいていく。

 せり上がる苦い思いを隠し、俺は再びゼルダ姫の警護に戻った。