流水の兄騎士と落花の妹姫 - 10/19

8 半身

 熱い空気が薄れ、ハイリア人の土地へ戻ってきたことを感じた。しとしと雨のなかをフードを目深にかぶり、その下からハイラル平原を眺める。俺はあそこへ行く。でもその前に、剣が欲しい。

「コログなら知ってるかと思ったんだけどな……」

 他人には見えないが、いま俺の周りにはコログがくっついて回っていた。その数六匹。頭の上に乗られたりして、さすがにちょっと重たい。きゃわきゃわと枝を振りながら、俺の周りで遊びまわっている。

 実はゴロンシティから山を下る道すがら、物は試しにとコログを探しまわった。インパ様によれば、コログは森の精霊に類するものだという。だから伝説だとか幻想だとかそういう類のことを聞いたら答えが返ってくるのではと期待したわけだが、それ以前にコログ探しが思いのほか骨の折れる作業だった。

 石の下、草の影、輪っかくぐり、果てはなぜだか風船を割らされたり。幼いころから気が付けば傍にいる存在で、こちらから探したことはない。昔は自然と隣にいて遊び相手になってくれていたのだが、時にゼルダと遊びたくて無視したりもした。その報いなのかと思って、今度はコログの遊びに付き合って探し出してはみたものの。

「だからさ、剣だって。知らない? 伝説の退魔の剣」

「やははー♪」

「まねっこ! とう!」

「ヤメロぉー!」

「ウワワァおちるゥ」

 左右の肩に乗ってチャンバラをしていたやつが、コロンと落ちそうになる。片手でとらえ、ぽいっと頭の上に戻してやった。先ほどからコログたちは俺の真似をして枝をフリフリ、チャンバラごっこをして遊ぶばかりで何も答えてくれない。

 剣の在処どころか存在を聞いてもすべて空振り。一様に「やはは?」と首を傾げて、結局俺の周りで遊んでいる。くるくる葉っぱをぺしぺし頭に当てられて、おいて行こうとしたら「マッテェ~」とついてくるので頭の上に乗っけてやった。

「……駄目だこりゃ」

「ダメダコリャ」

「ダーメダコリャ」

「真似するなよ」

「マネすんなヨ!」

 コログから情報を引き出そうとするのを諦めて、ゾーラ川沿いに南下した。ラネール湿地を左手に、雨が降って来たのでコポンガ村へと続く浮島へ足を踏み入れる。久々にハイリア人の村へ行って、自分の今の状況を抑えておこうと思った。

 でもコポンガ村の対岸、ゴングル山の麓にハイリア軍の駐屯地があることを思い出して足が止まる。怖くは無いが、無理にライネルの尾を踏むこともないと考え直す。引き返して川沿いの道を、今度は北へ道なりに進む。俺はコログを大量に引き連れたまま、森の馬宿へ行くことにした。

 小雨は次第に勢いを増し、ついには雷雨となる。慌てて駆け込んだ馬宿に客は一人もいない、行商人すらいなかった。

「ひでぇ天気なのによく歩いてきたな」

「一晩、ベッドお願い」

「どこでも好きなところ使え、この天気じゃ誰も来ねぇや」

 馬宿のオヤジさんは雨空ばかり見ていて、客の方なんかちっとも見ていやしない。おかげで頭の上やフードの奥の方からコログを引っ張り出す動作を見咎められることはなかった。

 コログたちはきゃわきゃわとベッドの上を飛び跳ねて、雷が落ちる度にひょおおおと全員で声を立てる。と言って、聞こえているのは俺だけなんだが、なかなか賑やかな夜になりそうだ。

 夜通しの雷雨でその後も誰の訪れもなく、俺は馬宿のオヤジさんから色々な話を聞くことが出来た。だいぶ前にハイラル城に死んだと思われていた姫君が戻られたこと、近々ハイラル平原で大規模な掃討作戦が行われること、そのための兵員募集の張り紙も見せてもらった。

「坊主も剣を持っているところを見ると剣士の端くれか」

「そんなところ。元は護衛業やってた」

「だったら兵員募集にでも乗っかってみたらどうだ」

「そうしようかな」

 そのつもり、だけどその前に剣が欲しい。

 右手を開いたり閉じたり。今まで何本もの剣を握っては壊してきた。長く使えた得物もあったが、いつもなんだか物足りない。良い武具を手に入れた剣士は皆、それを自分の手足のようだと表現した。俺もそんな剣に巡り合いたい。そうしたら今度こそちゃんと守れる気がする。

「ところで、そのゼルダ姫? ってどうやって戻って来たの?」

「ゲルド族の長が亡くなった王妃様のご友人で、幼いころに面識があったらしくてな。見目が似ていたんで調べたら実は! ということらしい」

「へぇ。なんで市井に紛れていたんだろうね」

「それが何でも、姫君が記憶を無くされていたとかで? それで分からなかったらしい」

「記憶……?」

「てっきりオレぁ、厄災信奉者あたりに攫われてたのかと思ったが、どうやら本当に紛れていただけらしいよ」

 思わず首をひねった。

 ゼルダがウルボザに連れ帰られたというのは俺も見たので間違いない。だが姫君が記憶喪失というのは嘘。ゼルダが俺を庇うために嘘を吐いたのかなと、口に苦いものが広がった。

 幸いなことに、どうやら俺は表向きには追われていない。ウルボザにははっきりと顔を見られているので、彼女を前にしたら追及があるかもしれないが、近づかなければ問題はないだろう。

「しかし封印に姫巫女がお城に戻られたということは、厄災への備えも進むんだろうかねぇ」

 オヤジさんは煙草を燻らせながら、雨の降りしきる暗い空に向かってため息を吐く。

 まるで危機感のない様子は、安穏としたこの国の空気そのもの。かくいう俺も、同じように危機感はあまりない。むしろ締め付けている国の方こそが、民にとっては厄災ではと思うことすらある。

「厄災なんかいるのかな」

「疑わしいとは思うが、今のところ全て予言通りだ。姫巫女も、神獣とやらの巨大遺物も、ガーディアンとかいう動く奴も。残りは勇者だけだ」

「……そんなやつ、本当に居るのかな」

 俺は勇者なんて奴はいないと思っていた。いたとしてもお飾りで、兵の士気高揚のための道具になる。そんな奴が真の意味で国を救うことはない。剣を振るい、魔物の返り血を浴びて馬車馬のようにこき使われるのは、いつだって一番下っ端の兵隊か傭兵だ。俺はずっとという場所にいた。だからキラキラ輝く勇者なんてお為ごかしは嫌いだった。

 ところがオヤジさんは眉間にしわを寄せて稲光の走る空を睨む。

「勇者の一人でも現れてくれなきゃ困るさ。ただでさえ厄災対策のために増税されてこっちはカツカツだってのによ」

「勇者が現れて、厄災が復活して?」

「そそ、全部予言通りになってもらわなきゃ、税金たっぷり絞り取られてる意味がねぇや」

 結局、何も知らない民草の大事は今の生活だ。

 復活するかどうかも分からない厄災とやらのために血税が使われるのならば、必ず復活してもらわなければ逆に腹が立つ。意外とそういう声は多いのかもしれない。

 厄災と姫巫女と勇者の戦いを、興行か何かと勘違いしている。お代は税金、しかも強制的に取られていくと言ったところか。あるいはそう思わなければ割に合わないと言うことなのかもしれない。

 だとしても、そんなもののために連れていかれたゼルダは、あまりにも可哀そうだ。あれでちゃんと血の通った人なのだし、傷つきもすれば怒りもする。だからしいて言えば、俺はその舞台からゼルダを引きずり下ろしたいのだと思う。だが今はそれだけの力も立場もない。

「もどかしいな」

 ごろりとベッドの上に横になり、毛布を掛ける。まだ外にはゴロゴロと雷が鳴って、腹の上をコログが行ったり来たりして遊んでいた。瞼を閉じて久々の柔らかい感触に、旅疲れた体を沈めた。

 しかし明け方、ふと瞼が開く。賑やかなコログたちがいなくなっていた。

 寝付きも寝起きも良い方で、時間を決めればすんなりと目が覚める。幼いころからそうだった。でもその時は起きようとして起きたつもりはなく、自然と眠りの波間から浮上した。

 馬宿のオヤジさんの豪快ないびきが聞こえ、見回しても自分以外には客はいない。雷は去って、霧雨だけが残っていた。

「なん、だろう……?」

 何がと問われても分からない感覚的なもの。嫌な感じではないが、そわそわする。自分がまだ夢の中にいるのか、周囲が夢うつつなのか分からなくて不安になった。

 ハイリアのフードを被って宿の外を覗くと、どうやらまだ日の出前。直上はまだ雨の泣く曇天だが遠くの空は晴れていたので、夜明けごろに雨は止むだろう。

 胸いっぱいに雨の匂いを吸い込み、頬を叩いて現実の感触を確かめる。その瞬間、視界の端に何か動くものを見た。ハッと顔を向けると、木立の向こうに消えていく後ろ姿が見えた。

 振り向いてもオヤジさんはベッドの上で夢心地。俺とオヤジさん以外、人はいなかったはずだ。でも明らかに大きな丸っこい人影が坂を上がっていった。

 カラカラコロコロ。

 コログの風車が鳴る、あれは俺を呼ぶ声だ。

「なんだよ」

 馬宿を飛び出してから何も持っていないことに気が付いた。一瞬取りに戻ろうとしたが、それよりも先へ行かなければと思う気持ちが湧く。

 行かなきゃ。どこへ? 分からない、ただ衝動だけがあった。俺を呼んでいる誰かがいる。最初はコログかと思ったが、でもなんだか違う気がした。

 森の馬宿は街道沿いから北の山へ向かう道が一本ある。左手には軍の演習場があって、滅多なことでは人は立ち入らない。俺だって本当ならばそんな危ない場所は入りたくないが、でも足が勝手にその急峻な坂道を行く。辺りには濃い霧が立ち込めるが、未だ雨は止まない。ぽつぽつとフードに当たってはじける音が響く。

 人影はすぐに見失ってしまい、追いかけているという感覚は途中からなくなった。

 ひたすらに足を動かし、前へ進む。途中でぱたりと雨が止んだと思った。当たる感覚がなくなったのでフードを外し、それで驚く。

 真後ろにきっかりと雨の境界線があった。雨を拒むように、ただ霧のみを纏う森の入り口。そこに立ち尽くして、ぎゅっと拳を握る。

「ここ、なんだろう」

 目の前には火の気が消えて久しいかがり火があった。苔が足元から這い上がり、静まり返る森。長らく人を寄せ付けていないと分かると、腹の底から寒気が起こった。

 そこへ再びカラコロカラコロ、俺を呼ぶ音が鳴りひびく。

「おい、コログ……なんだよ。用事があるなら言えよ」

 問いかけたが返事はない。

 代わりにふわりと風に背を押された。まるで手の形をしている空気でもあるみたいに追い風が吹く。

 追い立てられるように足を動かした。右へ左へ、風は意思を持って俺を押す。

 森はほの暗く、かといって足元が見えなくなるほどの暗さはない。馬宿を出てから随分と時間が経っているように思うのだが、一向に日が昇ってくる気配は無かった。風に背を押され、時に手を引かれ、歩く。

 思い出すのは故郷のハテノ村にあるギナビーの森。

 もっと明るい森だったが、子供が探検するには十分な場所だった。毎日のように、暗くなるまで遊んだ。俺は子供のころ、森で何を探していたのだったか。手繰り寄せる記憶の中に答えは見つからない。

 なおも足を動かす。

 しっとり濡れた空気、葉の落ちた暗い森は夢と現の堺。もしこれが現実だとしたら、俺は死の入り口にいるのかなと錯覚した時、風がひときわ大きく背を押した。強い風の反動で足が止まったのは、入り組んだ森の中に見出した真っ直ぐな一本道の前だった。

 ここが終着点だ。道の先に何があるのか、気配が分かって走り出した。

「……来たか」

 霧の森を抜けたところで、大きな木が喋っていた。おとぎ話に出てくる木のお化けみたいだった。

 驚いて見上げるが、不思議と怖いとは思わなかった。

「誰」

「儂はこのハイラルを見守り続ける者、皆からはデクの樹と呼ばれておる老木よ」

「デクの樹……さま?」

「ずっと主を待って居った」

 デクの樹さまは周りに大勢のコログが遊びまわっていた。多分みんなのおじいさんみたいなもので、ここがコログの集う場所なのだろうと言うのは分かった。

 カラコロカラコロ。

 鬱蒼と茂る青々とした穏やかな森に鳴り響く音と降り注ぐ柔らかな日差し。さっきまでの霧に覆われた森とは大違いだ。

「待ってたって」

「なに、儂ではない」

「……わかってる、と思う」

 何が分かっているのか自分にもよく分からなかった。だが、確実に俺を待っていた、俺を呼んでいたのはデクの樹さまではない。違う、もっと懐かしい、女の人の声。

 その正体を台座に見出す。

 一振りの剣だった。

「その剣を手に入れようとするものは、剣自身に試される」

 デクの樹さまの声は耳に入りつつも、言葉は右から左へ素通りして意味は全く理解していない。俺の持ちうる集中力の全てが、青い燐光を放つ目の前の剣に吸い込まれていく。

 これ、知ってる。

 言葉にするよりも早く、脳裏に何かが閃いて消えていった。掴み損ねた何かを取ろうとして、躊躇なく剣の柄を掴む。途端、体の奥の方から血潮が引っ張り出される感覚に驚いた。

 抜こうと足を踏ん張って、腕に力を籠めるほどに力が抜けていく。まるで大地と綱引きでもしているみたいなのに、不思議と柄は手に吸い付いて離れない。

 欲しいとか欲しくないとかいう問題ではなく、これは俺と共にあった誰かだと思った。誰だっけ、思い出せないけど、でもずっと共にあった。

 だから、来てくれと心の内で声を掛ける。

 カコンと軽い反動があって、青い刀身が抜けた。

「……あ、」

「やはり、選ばれたか」

 とても軽いのに、吸い付くような心地よい良い重さ。上背のない自分には長すぎる刃渡りのわりに、左右に振るってもぴたりと体についてきた。

「これ、何?」

 退魔の剣。

 問いかけておいてなんだが、なんとなく答えは分かっていた。しかし確信を口にしてしまうと、自分が勇者だと認めてしまうことになる。だからあえて口には出さなかった。

 するとデクの樹さまが大きく笑うので、妙な気分になる。

「知らずに抜いたのか」

「コログに聞いても何も言わなかったから」

 コログたちは俺が剣の主だと知っていたのだろうか。知っていて、何も言わずに俺を試していた? コログに果たしてそんな能があるとも思えないのだが。

 うーっと考えそうになり、無駄な気がして首を横に振った。答えを見出してしまったら、認めたくないことまで認めることになりそうで、考えにブレーキをかける。

 周りにはコログが山のように見物していた。その中には俺が人と見間違えて追いかけた大きなコログもいて、にぎやかしにマスカラ振り回している。妙なコログもいたものだ。

「さて、主はこれからどうする。姫巫女の元へ行くか」

 頭の上の方からデクの樹さまの声がもう一度降って来た。剣を鞘に封じて背負い直し、フードを被ってその下から頭上の老木を見上げる。季節でもないのに桃色の花が咲き誇り、梢の先から花弁がふわりと舞い上がる。

 でも対照的に俺の心はイガイガとささくれ立つ。デクの樹さまでさえ、ゼルダのことを姫巫女という、それが気に食わない。

「姫巫女なんかどうでもいい」

「ほう?」

「俺が助けたいのはゼルダだ。姫巫女を助けたいんじゃない」

 酷く憮然とした声だったと思う。デクの樹さまもおやっと驚いた顔をしていた。

 でも嘘偽りなく、俺は姫巫女という立場が嫌だった。そういう立場にゼルダを押し込めて、無理強いをさせる奴らが嫌いだった。

「……ハイラル城へ行くよ。ありがとう」

「息災でな」

 ぷいと背を向けて歩き出すと、コログたちはまたカラコロと音を立てて見送ってくれた。

 音に背を押され、明るい森から暗い森へ。ところがひと瞬きすると、雨の境を見た森の入り口に立っていた。不思議なところ。でも幼いころは、よくこういう得体のしれない場所へ潜り込んでいた覚えがあった。深く詮索をしてはいけない場所が時折あるのだ。

 もはや俺を招く風の手はなく、白くけぶる森を後にする。雨の上がった坂道を駆け下って馬宿に戻った。

「坊主、荷物放り出してどこ行ってた。神隠しにでもあったかと思ったぞ」

「もう神隠しに合うような歳じゃないけど俺」

「わりにチビに見えるけどな」

「これでも兵員の募集要項には合致する程度の年齢だよ」

 出て行った時刻と戻った時刻を考えると、あの森に滞在していた時間はわずかだったようだ。どうも時の流れが違うように感じる。まぁそう言うこともあるんだろう。

 それよりも大事なのは俺が剣を手にしたことの方だ。これを持っていけば、あるいは城では取り立ててもらえるかもしれない。ゼルダの傍に行けるかもしれないが、しかし。

「ねぇ、これ何に見える?」

 泥はねの酷い靴を水で洗い流してから、青い鞘から剣を引き抜いて掲げた。オヤジさんは一瞬「おっ」と驚いた顔をしたが、すぐに首を傾げる。

「見事な剣だな」

「うん、剣なんだけど」

「昨日までは持っていなかったろう。どこかの墓から引き抜いたわけじゃねぇだろな?」

 やっぱりな、と鞘に戻す。剣は剣であり、それ以上のものだと分かるのは俺ぐらい。おそらくコログが見えるのと同じような感覚なのだろう。剣の声を聴くのも当然俺だけだろうし。

 だから十五の子供、しかも歳のわりに幼く見える俺が「退魔の剣を手に入れた」と見せに行ったところで、信じてもらえるとは思えない。しかも俺は流れ者で、一つ間違えば追われる身、下手したら剣を取り上げられて投獄だ。それでは意味がない。

「森の奥で精霊に貰った」

「寝ぼけてんのか?」

「……かもね」

 これが退魔の剣であるかもしれないということは、あまり口外しない方がいいのだろうと目を伏せる。父親の形見とでも言っておこうと、荷物からぼろ布を出してぐるぐると鞘に巻き付けた。見事な造りの鞘があまりにも目立つので、物取り狙われるのも面白くない。

 雨上がりにようやく訪れた行商から必要なものを買って準備は整えると、森の馬宿を発ち一路西へ。俺は初めてハイラル城下を目指した。

 ほとんど立ち寄ったことの無い城下町は、多くの人でごった返していた。立派な石畳の通りが縦横無尽に走り、すれ違う人はみな小奇麗な格好をしている。街の中央には大きな噴水があって、その縁に座って屋台で買った昼ご飯を頬張った。もちもちの小麦パンに新鮮な野菜とハイラルバスを香ばしく焼いたものを挟んだやつ。ハーブの利いたソースがすごく美味しい。こんなの初めて食べた。

 あっという間に無くなった昼ご飯を惜しみながら指先を舐め、しばらく道行く人々を観察していた。すると行き交う人の中に城下に住む人とは雰囲気が違う人がいて、それが俺と同じで兵員募集に集った人らしいと分かった。本来の住人たちは鬱陶しそうな顔で睨む様子さえある。俺も剣を背負っているだけで訝しむような視線を受けた。

 ただし、兵員募集に集まった者には二種類がいた。

 まず俺と同じでちゃんと武芸を身に付けた傭兵や護衛業の者たち。こういう人は顔つき、体つきが違うので、互いに嗅ぎ分けることができた。髭面で傷だらけのいかにもな傭兵が俺を見て、髭をごしごしとやりながら笑ったのも道理だ。

 他方、明らかに場慣れしておらずおどおどしている人もいた。おざなりに武器を持ってはいるものの、ひょろひょろしていていかにも頼りない。おおかた遠くの農村から出て来た三男、四男という感じだろう。

 募集の当日、そういった多くの人に混じって城の大きな橋を渡り、城の入り口の巨大な門をくぐった。そこでまず足止めされ、一人ずつ並んで名前と傭兵としての戦歴を申し立てろとのこと。

 名前。

 どうしようかなと悩んだ末、素直に答えることにした。嘘を吐いて後からバレた方が危ない気もするし、さほど珍しい名前でもないからまぁ大丈夫だろうと。

「リンク、傭兵としての戦歴は無いけど護衛業やってる」

「随分と小さいな、いくだ」

「十五」

「ぎりぎりか。まぁいい、通れ」

 あまりにも不健康が過ぎると通してもらえないらしい。何人か受付の時点で追い返されている者もいた。

 こっそり横目に盗み見しながら、人波に従って兵舎まで歩いて行く。その道中、きょろきょろとあたりを見回した。お上りさんがたくさんいるので、城の中を見回しても別に目立ちはしない。

 城の中は城下町よりもさらに綺麗な石畳の道が緩い弧を描き、高い塀が何重にも巡らされて堀も深い。壮観な眺めとは思いつつ、人を探すには難しい複雑な構造に首をひねる。さすがに外側からの攻めには対応できる造りになっていた。

 さて、正規兵ではない寄せ集めの傭兵が押し込まれるのは、豚箱みたいな兵舎と相場は決まっている。そして、たいていこういう場所では最初に諍いが起きる。皆戦いの前でイライラしているので当たり前。

 しかも内容はどうでもいいことが多く、原因は食べ物か寝床の取り合いだ。護衛業をしている間も、他の傭兵と組むとたいてい同じことが起きていた。

「てめぇは床で寝ろやボケ」

「んだと! 貴様、俺が誰だか分かって言ってんのか?!」

 怒声が飛び交うむさくるしい兵舎に、およそ三十人もの男が詰め込まれていた。剣も弓も狩り以上には使ったことのない農民出のひょろひょろたちは、この時点で壁際にごしょっと固まって肩を寄せ合って震えている。俺はその団子みたいになっている傍で、剣を抱きしめて息をひそめていた。

 争うのは傭兵を初めてまだ駆け出しの若い連中が多い。若いと言っても俺よりも年上だが、七つの頃から傭兵や護衛業の荒くれたちに囲まれていたので、歴で言えば俺の方が間違いなく長い。他方、もっと大物たちはどっしり構えて喧嘩などせずに、にやにやと喧嘩の行方に賭けすらしていた。

 そのうちに取っ組み合いの喧嘩になって、辟易するぐらいにうるさくなった。うるさいなぁと心の内ではため息を吐く。その途端、元からチビなのもあって目をつけられてたのだろうが、顔を伏せただけで苛立ちの矛先がこちらへ向いた。

「舌打ちしやがったな、このクソガキ!」

「してないよ、言いがかりはよせって」

「年上には敬語を使えと習わなかったのか!」

 もっと戦歴のありそうな年嵩の傭兵たちは面白そうに笑っていて、実力差を理解していないのは俺に突っかかって来たそいつら二人だけ。目立ちたくないのに面倒なことになったなぁと顔をしかめた。

 二人がかりで振るわれる拳だったが、蠅が止まるほど緩慢。こんなのでよく傭兵を名乗れたものだ。

 ぱしっと拳を掴んで一人目の腕をぐるりと捩じり、悲鳴を上げるのに驚いてそちらを見た隙に二人目の足も払って天と地を入れ替えてやった。あっという間に喧嘩をしていた二人は、突き固めた地面にござを敷いただけの簡素な兵舎の床に転がる。

「喧嘩は嫌いなんだ、やめてくれる?」

 明らかに年下の俺から見下ろされ、喧嘩をしていた若い二人は口をぽかんとさせていた。ちゃんと実力のある傭兵たちは手を叩いてゲラゲラ笑い、農民出のひょろひょろたちは何が起こったのか理解できないのか目を丸くしている。大いに目立ってしまい、やってらんねぇやと場所を移そうとした。

 ところが間が悪いことに、ギィと兵舎の扉が開く。

「なんだい、ハイリア人ってのはこんな子供を徴兵するぐらい困窮しているのかい?」

 やけに高慢な声だった。

 上官にあたる兵にでも見られたかと慌てて振り返ると、そこには青い翼のリト族の男がいた。朱の刺したきつい目をさらに細め、皮肉な笑いを浮かべている。

「まぁ同情ぐらいしてあげてもいいよ。なんたって僕たちリト族にまで救援を求めるようだからね。まぁせいぜいがんばるといい」

 ふんと鼻で笑ったリト族の男は、続けて一つの兵舎あたり五人までツバメの弓の準備があると言った。三十数名に対して五人。まぁおおかた取り合って喧嘩をしろということだろう。

 俺はいいや、と首を振るとリト族の男は大仰な身振りで俺に絡みついた。

「へぇ~いいのかい? その弓でちゃんと戦働きができるって?」

「俺は弓より剣の方が得意だから」

「ふぅん、まぁいいけど。それで死んだとしても、僕にとってはあずかり知らぬことだしね」

 もって回った言い回し。こいつわざと挑発してるなと思って、争ったらいけないと顔を背けた。するとそいつは面白くなさそうに鼻を鳴らして去っていった。

 結局、俺が入った兵舎では一番年嵩の傭兵がくじ引きを提案して、その後は一度も血の流れることが無いまま夜を迎えた。固いすじ肉をぐずぐずになるまで煮込んで、塩をありったけ入れただけの不味い飯を食べて寝床に入る。これなら城下町で食べた昼ご飯の方がよっぽど美味しかった。

 でも本来の目的はこれじゃない。

 夜半、みんなが寝静まったのを確認してからそっと兵舎を抜け出した。

 剣は背負わずに抱きしめて、万が一見つかったとしても『用を足す間に物取りされるのが嫌だった』と言えば済むようにする。そのまま物陰へ走り込み、それから剣帯を体に通した。

 おもむろに城壁に手を掛ける。ぼこぼこした岩の継ぎ目に、程よく指の先がかかって上手いこと登れそうだった。昼の間に少しうろついた感じ、ここから城の上部へ上がれることは察しがついている。ゼルダはどこだろう、きっとあの高い塔のあたりだろうと顔を上げた。

「ちょっとあんた」

 聞き覚えのある声にぞっと背筋が凍った。

 あれから優に二カ月は経つが、未だに遠雷を聞くと思い出す。

「何やってるんだい」

「城壁の高いところから街が見たかっただけ、すいません」

 わざと高い声で答え、ストンと壁から降りた。顔が見えないように伏せたまま、俺はウルボザの横を通り抜けようと足を速める。

 だがすれ違いざま、とんと肩を持たれて体を止められた。

 この様子だと兵舎に入った段階で俺はマークされていたんだろうか。さすがに砂漠の女傑の目は欺けないらしい。こんなところでやり合いたくは無いが、かといって逃げることもできず、俺は背負った剣の柄に手を伸ばそうとした。

「お待ち。やり合うつもりはない」

 声には警戒の色はあったが、確かに殺気は無かった。

 互いに視線を交わさぬままに、暗がりでウルボザはゆったりと腕組みをする。それに合わせて俺も柄に伸ばした手を降ろした。

 広いハイラル城の中で迷子になった少年兵を諭しているだけのように、何も知らぬ人からは見えたと思う。

「御ひい様に近づきたかったら、他人の振りをしな」

「他人の、振り?」

「表立ってはいないが、あんたは追われてる。だが面は割れていない、私と御ひい様で口裏を合わせた」

 どうしてそんなことを、と問おうとして、でも声を出すのを躊躇した。つうっと嫌な汗が背中を伝い、全身の筋肉が緊張で強張る。

 与えられる情報が多すぎて、上手く呑み込めずに眉をひそめた。

「いいかい、ゼルダ姫に近づきたいのならばハイラルのために働くんだ」

 それはつまり、兵として職分を全うしろと。その結果としてハイラル王家に召し抱えられるようにと、この人は言っていた。それは確かに正規の方法だ。

 正直なことを言うと、兵員募集を見た時に俺はとても迷った。

 募集に紛れて城に入り込み、夜襲をしてゼルダを奪い返すのは手っ取り早い。だがハイラル平原で近々行われるという掃討作戦で目覚ましい戦果を上げれば、正規の兵として取り立ててもらえる。そうしたら俺は兵士として堂々とゼルダのために力を振るうことができる。ただし騎士になるのは難しい。

 本来であれば、俺は近衛兵だった父さんの跡目を継いで騎士になりたかった。ゾーラの里で父さんにはいつか騎士になれると言われたが、でも完全な根無し草になった自分には非常に困難な道であることも同時に理解していた。

 騎士になるには親兄弟ではない騎士の従卒として身辺の世話をするところから始まり、続いて騎士の傍に控えて戦働きを支える従騎士を務めあげなければならない。俺はこの時すでに従卒になれる一般的な年齢をはるかに通り越していた。

 だから夜襲を掛ける方を選んだつもりでいた。でもここへきて、ウルボザの言葉が心を鷲掴みにする。

「意味は分かるね?」

 揺れ動く心を見抜かれたかのように、経験豊富な彼女の声が念を押す。

 ゼルダがそう願っているのだと暗にほのめかされているようで、だとしたら俺には選択の余地はなかった。

「……分かった」

「じゃあ兵舎はあっちだ。もう道を間違えるんじゃないよ」

 ぺこりと頭を下げて立ち去る。

 だが納得がいかず、振り向いてフードの中からウルボザの顔を見る。アッカレで出会ったときと同じで、砂漠の女傑は威風堂々と俺を正面から睨んでいた。

「一つ聞いてもいい?」

「何だい」

「どうして俺を捕まえないの」

 彼女にとって俺は、大事な姫君をに連れまわしていたどこの馬の骨とも分からない奴。その事実は変わらないはずだ、許せるわけがない。

 だが憎々しく顔を歪めて、ウルボザは顔を背けた。

「御ひい様がそれを望んだからさ」

 そうか、と納得をする。やっぱりウルボザ、この人もゼルダのためにと動いている人だったのだ。

 なんとなく剣を交えた時に、そうなのではないかと思うところはあった。ただ手心を加えたら一瞬でやられるほどの腕前であったし、なにより大勢の部下を使われて実際あの時負けた。だから悔しさはあるが、本気で剣を交えたこと自体に後悔はない。

「分かった。ありがとう」

 剣帯を解いてまた抱きしめるように持ち替えて兵舎に戻った。

 それから一週間ほど、俺たちは基礎の軍律だの作戦時の合図だのを仕込まれつつ、大半は訓練時間を過ごした。本格的な傭兵をした経験は無かったので軍律に面白いなぁと思ったが、こんな合図だけで寄せ集めの軍が本当に動くのか懐疑的にだった。

 何しろ今回募集された兵の大半は、獣しか捕らえたことのないただの農民だ。人ではないが知性ある魔物相手にどこまで統制の取れた動きができるのかと首を傾げる。もちろん俺自身は、これだけの大人数での掃討戦は初めてなので何も言わずただ様子をうかがっていた。

 だから瓦解した戦線に立たされた時は「やっぱりなぁ」とため息を禁じえなかった。

 最初こそ戦線を維持して攻め込むことができたが、一か所が崩されるとあっという間に状況は混乱に陥った。四方八方から怒号が飛び交い、魔物と人が錯綜する乱戦に突入する。

 及び腰になった隣のやつがボコブリンの槍の一突きで、また一人絶命していった。俺はその隙にするりと薙ぐようにボコブリンの首を吹き飛ばす。訓練されていない急ごしらえの部隊など、人の形をした肉壁でしかない。給料が高いのは生き残る方が少ないからというからくり。もちろん金は後払いだ、よくできている。

 慣れはしないが、魔物に仲間が殺される場面はこれまでにも何度か経験があった。死ぬときはいつだって一瞬、だから剣を持つ手は絶対に離してはならない。それに退魔の剣らしいこの剣は、どれだけ斬っても突いても手にひたりと吸い付いてきた。軽くていくらでも振るえるうえに、刃こぼれ一つない。青い軌跡を残してまたリザルフォスの胴を真っ二つにし、血振りをして息を吐き出した。

「坊主、いい得物だな」

「親父の形見だからあげないよ」

「いらねぇよ、俺の得意は斧の方だ」

 どこの隊の人だか知らないが、しばらく巨大な戦斧を振るう傭兵と背中合わせに戦っていた。次から次へと息もつかせず、広大な平原の向こう側から湧いてくる敵の群れ。西の方に晴れた空に雷鳴が轟いたので、どうやらあちらではウルボザが戦っているらしい。ゲルド族も駆り出されているとなれば、相当に規模が大きい。

 他方、東の方には大きく爆雷が鳴り響く。

「あっち、なんだろう」

「あれはリトの戦士だろう。奴らのバクダン矢は、威力は強いが地面を大きく削るからなぁ」

 ハイラル平原のなだらかな丘陵は牛や羊を放したり、場所によっては農地として活用されている。そんなところへあんな爆弾を打ち込み続けたら、土がひっくり返ってしばらくは土地が使えなくなる。急にあの高慢な態度の青いリト族の男の顔を思い出して腹が立った。

 そのあと混戦の最中に戦斧の傭兵とは別れてしまった。戦況は生き物とはよくいったもので、俺は完全に戦の血煙に飲まれて戦場を彷徨っていた。もちろんただ右往左往しているわけではなく、なんとなく敵の多い方へと向かっていく。その方が、戦功が挙げられると思ったし、何よりこの戦場はどこか妙だった。

 魔物は徒党を組んで人を襲うことはあるが、こんなに大勢がまとまることはない。大量の魔物が群れるのはそこに集落を形成する場合だ。だがここには、そう言った拠点があるわけでもない、平原のただ中。だとしたら考えられることは一つ。

 こいつらを指揮する奴がいるんじゃないのか。

 俺たち寄せ集めの傭兵部隊が規則ですら上官命令に従っているように、魔物たちも上位の魔物に従っている可能性は否定できない、以前遠くから魔物を観察していると、互いに何かしゃべり合っているのを見たこともある。

 だからあえて魔物の多い方、大型で狂暴なモリブリンなどがいる方へと突き進む。幸いなことに剣も体も問題なく応えた。

 激しい弾幕の嵐をかいくぐり、向かってくるチュチュとボコブリンの群れをまとめて捌いていると空に舞うリト族の姿が見えた。器用に空中で体勢を整えながら三本同時に矢をつがえて放つ。一拍おいて、ドンドンと着弾する音が響いて土煙が上がる。

「やぁ君、まだ生きてたのかい?」

 気が付けばリト族たちが戦う範囲に入り込んでいた。青い羽のリト族の男が急旋回と共に俺の傍に降り立つ。先日、兵舎に来たあいつだった。

「バクダン矢以外はないんですか」

「持てる武器のうちで最も威力の高いものを選ぶのは当たり前だろう?」

 互いに魔物の返り血を浴びて、高ぶった心がむき出しになっている。でも今争うべき相手ではないと頭では理解し、顔を背けた。

 襲い来る魔物は引きも切らず、話をする間にも飛び掛かってくるので振り向きざまに左右に切り伏せた。その頬を掠めて後ろから木の矢が空気をつんざく。ドスっと重たい音がして俺の目の前でリザルフォスの眉間に突き刺さった。

「危ないところだったねぇ? 背後もちゃんと気をつけないと」

 背後ってどっちが背後だよと舌打ちをする。イライラと背負っていた兵士の弓を取り上げて、躊躇なく奴の頬を掠めて同じように背後のボコブリンの眉間を射抜いてやった。

 同じことぐらいできるんだぞと、目だけで文句を言うと、奴は「面白いハイリア人だ」と頬をひくつかせていた。それが悪かった。

 何だかんだと文句を言いながら、そいつは俺の後を付かず離れずになった。すれすれのところで敵を倒し続け、互いに引き際が分からなくなる。共闘という程の協調性はなく、かといって互いに傷つけるわけでもなく。振るう刃も飛び交う矢じりも互いには届かないように手加減するのに、間違って当たってしまっても文句の言えないような危ない戦い方をしていた。

「退屈な戦場かと思っていたけれど、案外楽しめるじゃないか。僕はリーバル、君は?」

「リンク」

「フンっ、一応覚えておいてやるよ」

「覚えなくていい」

 汗と返り血の下たる頬を擦り上げながら、夕焼け色に染まり始めた空を見上げた。未だ怪我らしい怪我は無かったが、疲労が酷い。

 戦闘が開始された時には天頂にあった太陽が大きく西に傾き、すでに二時ふたとき以上経っている。早めに蹴りをつけなければならない、魔物相手では夜になれば劣勢になる。矢玉も少なくなり、盾も壊れた。幸いにも剣だけは何事もなかったので戦闘自体は問題がなかったものの、限界が近い。

 リーバルと張り合っているよりも、雑魚たちを先導している魔物を探し出さなければ。でももう周りは強い大型のものばかりで、これより先には何も見当たらない。なぜだろう、ここのあたりに何かいてもおかしくないのにと見回す。その耳にヘブラの氷を割るような音が舞い込んできた。

「くっそ、いた! あいつだ!」

 急にリーバルが叫んで空へ舞い上がり何もいない空中に向かって爆弾矢を射る。

 どうしてそんなところに無駄玉を打ち込んだのかと、爆風に顔をしかめて煙が退くのを待つ。見つけたのは赤白の衣を着た人型の魔物だった。

「ファイアウィズローブか!」

「こいつ、僕の周りをちょろちょろと!」

 立て続けにリーバルは上空から複数の矢を放つも、空を歩く魔物は右手の真っ赤に燃える杖を振りかざして矢を焼く。遠くから見えていた爆発はこれだったのかと膝を打った。

 ファイアウィズローブはケタケタ笑って杖をふりふり。一瞬コログみたいなやつだと思ったが、炎の雨が降って来たので前言撤回。熱さに慌てて木の陰に走り込みながら、上空の原因をねめつける。

「リーバル! ファイアウィズローブには氷の矢だろ?!」

「文句はハイラル王に言ってくれよ。経済難だか何だか知らないけど、まともな装備も用意してくれもしないんだからさ!」

 火球の被害があるのは地面ばかりで、ウィズローブよりも上空を取っているリーバルはお構いなしに矢を射かける。しかしウィズローブはケタケタ笑いながら、矢を焦がし落として実質被害はない。これでは埒が明かない。

 炎の雨が途切れたところで走り出し、ウィズローブが上空のリーバルに気を取られている瞬間を狙った。人型の魔物の弱点は人間と同じ、頭だ。だから木の矢でいいから頭を狙う。あと数本しかない矢の一本でヘッドショットを決めると、ふらついたウィズローブが空中から落ちて来た。落下地点に向かって全力で走り出す、止めを刺す機会を逃すわけにはいかない。あれを止めればこの戦場は勝ったも同然のはずだ。

 でもそれを邪魔する奴がいた。しかも味方だった。

「僕の邪魔をしないでくれるかな?!」

「味方に向かって射るなよ!」

 足元にはリーバルから牽制の矢が三本。なんで敵じゃなくて味方に向かって攻撃を加えようとするのか、やっぱりあのリト族の男は馬鹿なんじゃないのかなと思って、苛立ちが限界ギリギリまで達して怒鳴りそうになった。

 でも声を出すのを我慢して、俺はもう一度走り始める。なぜならリーバルの翼に炎が付いたのが見えたから。

 俺とリーバルとウィズローブ、これはもう三つ巴の戦いだ。

 俺への牽制に気の削がれたリーバルに向かってウィズローブが火の玉を飛ばした。それが丁度羽を掠って、バランスを崩したリーバルが空から落ちてくる。

 だから俺はリーバルの方を向くウィズローブを背後から叩き落そうと、崩れかけの塀を使って三角飛びをした。でも一瞬空中で躊躇する。

 ちょうど落下するリーバルが、三角飛びからさらに上空への踏み台にできる位置に落ちて来たのだ。

 リーバルを踏み台にしなくてもウィズローブに剣先が届く高さまで飛び上がってはいた。しかしリーバルを踏み台にすれば、もう一段高い所から確実にとどめが刺せる。もちろんリーバルの方もそれが分かって、受け身の体勢を取っている。

 でもさすがに、羽に火がついて落っこちている味方を踏み台にするのは気が引けたので、足を掛けずに上空へと視線を戻す。その刹那のやり取りに、リーバルは意外そうな顔をしていた。

「落ちろ!」

 振るった剣は少々刃の入りが甘くて、魔物を斬った感触が薄い。

 案の定、ウィズローブは地面に堕とせたものの、燃え盛るファイアロッドを俺の方に向けて振り回す。目の前にひときわ大きな火球が現れたが、残念なことに落ちる俺はリト族ではないので空中で体勢が変えられない。

 この剣は火の玉を切ることができるのか?

 いや、それ以前に切った火の玉が自分を当たらないなんて上手いことができるか?

 だったら両腕で防御しつつ突っ込んだ方がまだマシでは?

 ほんの一瞬で色々なことが頭の中をよぎる。でも全部杞憂に終わった。

 パァンと痛快な音がして、ウィズローブのファイアロッドが火の玉ごと矢に吹き飛ばされる。射たのは遠くに落っこちたリーバルだった。目の端に苦々しい顔が見えた。

 ウィズローブは手から弾かれた武器を見失っておたおたと藻掻く。そこへ俺はガツンと剣を突き立てた。確かな手ごたえがあった。

「終わった……」

「ご苦労様、僕の獲物を横取りしたリンク君」

「共闘すればもっと早く終わった」

「どうかな、僕一人でもどうにかなったよ」

 夕暮れ時にかちどきが聞こえる。頭目を失った魔物が引いていくのは早かった。

 返り血と汗と泥と、体はドロドロに汚れて気持ちが悪い。こんなに長時間戦闘をしたのは生まれて初めてだった。ただただ体に染みつく血の匂いを早く落としたくて、水浴びがしたいと足を速める。

「おい、そこの少年兵」

 だが俺の帰路に赤い房飾りのついた正規兵が立ち並んでいた。思わず体が強張る。何か悪いことをしたか、それとも正体がバレたのか、分からずにごくりと生唾を飲み込んだ。

「ファイアウィズローブに止めを刺したのは君か?」

「え、はい……」

「なんと、魔物たちの頭目を倒したのが子供だという目撃は本当だったのか」

「ちょっと、僕も手助けしたんだけど」

「ああ、リト族の。本当に二人で仕留めたのか?」

 何人もの正規兵、しかも赤い房飾りが付いているのは隊長格だ。そんな人たちに囲まれて、俺はリーバルと一緒に城の方へ連れられて行った。

 用件は何なのかと聞いても、彼らも分かっていないらしく要領を得ない。いったい何をされるんだろうと不安になりながら、逃げるわけにもいかないので歩きながら質問に答え続けるしかなかった。

「ウィズローブは杖を持つと言うが、見たか?」

「見ました。火の玉が出る杖」

「おお! その杖はどうした? 珍しい杖ならば献上した方が良いかもしれない」

 言われて、俺はリーバルと顔を見合わせる。そう言えば、倒したファイアウィズローブはあの後どうなったろう。記憶になかった。

 ようやく倒した事実に気が抜けていたこともあるが、気が付いたら魔物の姿は見えなくなっていた。もちろん振り回していたあの厄介な杖も。

「気が付いたら無くなっていました。他の魔物が持ち去ったかもしれません」

 俺の答えに正規兵の隊長さんは肩を落としていた。次からは珍しい武具は拾っておいた方がいいのかもしれないと心に刻む。もちろん次があればの話だが。

 一団に連れられて城の入り口まで戻り、そこで小奇麗な青と赤の制服を着た別の兵士に引き渡された。青いベレー帽に白いブーツと手袋、黒い華奢な剣と盾を持つ姿は記憶にあった。

「近衛、騎士……?」

「二人とも、着いて参れ」

 父さんが着ていた近衛の制服、すごくかっこいいと思って憧れていた。それを着ている目の前の人も髭面で、もうだいぶ前に亡くなった自分の父親を思い出す。ぐっとせり上げてくるものを飲み込んで、俺はどこへ連れていかれるのかが分かって背筋が伸びた。

 近衛は主君を警護する、特に優れた技量を認められた騎士だ。それが俺とリーバルを呼び、城の中庭の方へ連れていく。だとしたらそこに待っているのはただ一人。

「陛下、お連れしました」

 真っ白な髭の巨躯、開戦前に城のテラスから演説をした人がいた。ローム・ボスフォレームス・ハイラル、ゼルダの実の父親。ハイラル王、その人。

 俺は自然とその場に膝を折って頭を下げた。もちろんリーバルもいつもの威勢は鳴りを潜めて頭を下げる。

「大儀であった。お主は確か、リト族の弓術大会で優勝したリーバルだったか」

「覚えていてくださったとは恐悦至極」

「して、そちらの少年兵。名は何と申す」

 こんなとき、リーバルみたいにスラスラと言葉が出てくるやつはいいよなぁと臍を噛む。幼いころから礼儀作法はことのほか苦手で、流れ者になってからは特に何もやってこなかった。だから上手く言葉が出て来なくて、しばらく腹の内でもんどりをうつ。

「リンク……と申します」

 さんざん考えた挙句、ただそれだけを言うと隣のリーバルは鼻で笑った。ちくしょうと横を睨む。

 目の前の近衛騎士がおほんと咳ばらいを一つしたのでまた頭を下げた。

「お主ら二人の戦働き、誠に見事であった。よって召し抱えたいと思うが、いかがか」

 えっと思わず顔を上げてしまった。

 王侯貴族に対しては、許しが無い限りは勝手に顔を上げるのは不敬とされる。礼儀作法にうとい俺だってそれぐらいは知っていた。でも、その言葉に体は嬉しくて素直に反応してしまう。奇しくもウルボザの言っていた通りになった。

 陛下の背後に控えた近衛騎士は俺の不調法に顔をしかめたが、陛下の方はおおらかに笑っていた。

「まだ十五なれば多めに見てやれ。お主、リンクと申したか。良ければこの近衛騎士の従卒を務めてみる気はあるか」

 自分でも目玉が零れ落ちるんじゃないかと思った。

 近衛騎士と言えば一握りしかいない、エリート中のエリート。その従卒を務めあげれば、いずれは従騎士、それから騎士に叙任してもらえるのはまず間違いない。

 正規軍に入れればそれでよしと思っていただけに、破格の扱いに驚いて声が出ない。何とか是と言わなければと、息を飲んで頭を縦に振る。

 でも次の言葉で表情が凍った。

「ならば、一時はその背の物を預けよ。従卒に長剣は許されぬ」

 きゅうっと喉が締まった。

 たった一度戦に出ただけだが、間違いなくこの剣は俺の半身だった。これを誰かに預ける、自分の手から離すのはとても辛い。心が引き裂かれるような感覚に陥る。

「あの……でも、これは父の形見で……」

「しかしな、決まりは決まり。いずれ従騎士になれば武具も必要になる、その時に返そう。どうじゃ」

 陛下の言葉は、十分に俺の気持ちを汲み取ってくれているものだと分かった。

 従卒は確かに騎士の傍仕えではあるが、武具の手入れはだけさせてもらえない。従騎士となって初めて騎士の武具に手を触れて良いとされる。だから従卒は自分の武具を持つなんてことは一切できないのだ。

 でも、これは、あまりにも俺にはつらい仕打ちだった。

「それとも従卒になるのは嫌か?」

 嫌じゃないと首を横に振る。

 腹の中で色々なものがぐるぐると廻った。

 俺は何のためにここに来たのか理由を手繰る。ゼルダだ、ゼルダのことを守りたいからハイラル城へ入った。本当は闇に紛れて連れ去ろうと思ったけれど、そうではなくて戦功を上げて召し抱えてもらって正式に傍に控えられるようにしようと思った。しかも近衛騎士の従卒、滅多なことでは召し抱えてもらえない立場だ。

 そうだ。絶好の機会が巡って来たのに、何を迷う必要がある。

「お預け、します……」

 退魔の剣とゼルダとを天秤にかけ、俺はゼルダを取った。

 ぼろ布を巻いたまま両手で差し出した剣は陛下の手に渡り、そのあと俺が付き従うことになる近衛騎士の手に渡った。髭面で強面の近衛騎士、今日から俺はこの人の身の回りの世話をする。

「良き心がけじゃ。研鑽に励むがよい」

 半ば呆然としながら立ち去る陛下の後姿を見送る。その日から、俺はその近衛騎士の身の回りのことを全て行う従卒となった。

 と言っても年齢的にはすでに従卒ではなかったので、名ばかりの従卒。しかも付いた近衛騎士というのが、相当に意地の悪い人だった。それに流れ者から引き立てられたと言うこともあって、他の従卒や従騎士たちからも俺の印象は最悪だった。

 だとしても無理にでも食らいつくしかない。責めを受けないように完璧を目指すしか方法がないと考えて努力をした。そのうちに無駄口を叩かずに、理不尽に責め立てられないようにする術を覚えていった。

 体つきは小さかったが体力はあり余っていたし、武芸ごとは人並み以上にできたので、従卒を務めること自体は全く苦ではなかった。もちろんそれ以外の礼儀作法だの何だのは追い付かずに、夜半までこってり絞られ続けたが。それでも城のどこかにゼルダがいる、着実に近づいていると思えば耐えられた。

 だから数か月後には従騎士に取り立てられて年齢と身分が釣り合うようになった。父と同じ道を歩めることも、ゼルダのために立場と力をつけていくことも、全て嬉しかった。

 だが不思議なことに、従騎士になっても俺の手元に退魔の剣が戻って来ることはなかった。