女傑の恋 - 4/6

「まさか、貴女が人質とはね」

  人質といっても立派な部屋を与えているし、散歩程度なら外出も禁じていない軟禁程度のものだ。食事だって使用人よりも良い物を準備させている、いわば食客だ。
 だが彼女、ゲルドの族長は長椅子で膝を抱えて項垂れていた。

 「……ていのよい、厄介払いだ」

  そのようねと応じながら、私は手を振って人払いをした。
 ゲルド族の服属を許すにあたっては、一族で地位あるいずれかの者をハイラル城に留め置くことを条件とした。ラウルはお人よしだが、決して愚かではない。つまりガノンドロフに母、あるいは妻子を人質として寄越すようにと言ったのだ。
 ところがあの男は、母は当の昔に殺され、妻子もないと答えた。押し問答の末、しばらくして送られてきたのが妹、つまり族長だった。ラウルは納得していたが、私としてはしてやられた気分だった。

「私とお友達なのがバレた?」
「バレてはいないと思うが、正直分からないな。……だがラウル陛下に力では勝てぬと、兄は悟ったのだと思う」

 力なく顔をあげた族長は、可哀そうなぐらい目が落ちくぼんでいた。きっと私とあの男との板挟みで、寝られぬ日々を送っていたのだろう。もはやオーセ平原で対峙した時の覇気はない。
 温かいはちみつ入りのお茶と香を焚く支度をするように部屋の外の侍女に言いつけると、私は族長の横に座った。声を落とし、冷え切った手を取る。彼女はされるがまま、ぐったりとしていた。

「いったい何を仕掛けてくるのかしら? 何か思い当たることはある?」
「私に兄の考えは理解できない……。むしろあなたの方が分かるのではないか、ソニア王妃」

 それはどういう意味かしら。
 目を丸くして彼女の疲れ切った顔を覗き込むと、族長は薄く開いた唇をゆがめた。

「あなたと兄は、同じ穴の狢だろう」

  確かにずっとそう思っていた。しかし他人から指摘されるのは初めてのことで、思わず言葉に詰まってしまった。
 すると族長は初めて弱弱しく、だが心底愉快そうに笑った。

「兄は王国を内側から崩そうするだろう。あなたが私を使ってゲルドの内部崩壊を狙ったのと同じように」

 言われてみればその通りだ。私も力が通じないから族長を取り込もうとしたのだ。
 唯一違う点があるとすれば、ガノンドロフには容易に取り込めそうなこちら側の有力者が見当たらなかったのだろう。だから渋々招聘に応じた形をとって、自ら乗り込んできた。
 そういうことならば分かる。いや、分かりすぎる。
 だって私があの男の立場ならば、きっと同じように振舞っただろうから。

「……そう、そうね。貴女の言う通りだわ」

  うんうんと頷くと、族長は豆鉄砲を食らった鳩みたいに、きょとんとして首を傾げた。

 「怒らないのか?」
「なぜ?」

 だって事実でしょう、私は思っているほど綺麗な女じゃない。私は使えると思えばなんだって利用する女だ。それを一番よく知っているのは族長だと思う。
 善人の皮を幾重にも被り、自分の欲を貫き通すためには夫をも騙し通す女だ。これが女神の力を受け継いだ巫女の所業かと亡き母に絶縁されそうだが、生憎ともう私を嗜められる立場の人はいない。
 その点、族長は珍しく私に歯に衣着せぬ物言いをする人だ。
 彼女は少し呆れた様子で肩をすくめていた。そこへ侍女が甘い香りのするお茶を持って来る。私が侍女に向かってありがとうとほほ笑むと、族長はお茶を口にしながら眉をひそめた。 

「侍女には礼を言うのか……」
「それは普通ではなくて?」
「時に悪魔かと思えば、聖女のような顔もする。本当のあなたは、いったい、どれなんだ、ろう……か……」

 手からカップが落ちる寸でのところで、時を止めた。お茶を零すことなくテーブルにカップを戻すと、完全に力の抜けた彼女の腕を規則正しく上下する胸のあたりに戻してやった。
 落ち窪んだ瞼を閉じ、彼女は久方ぶりに悪夢もなく寝ているはずだ。

「……今はゆっくり休むといいわ」

  柔らかな上掛けを彼女の体にかけてやる。
 いずれ働いてもらうときが来たときに、今度こそ本当の味方になってもらうための、これは布石だ。身柄がこの城にある限り、彼女の命は保証する。だから今後、ゲルドと真に戦火を交えることになった暁には、族長にはゲルドを真っ二つに割る役割を担ってもらおう。
 あとはよろしくねと侍女の一人に言うと、私はのんびりと部屋を出た。
 なるほど、ガノンドロフと私が似ているのならば、確かに次なる一手は王国を内部からどうにかしようと工作するのは合点の行く話だ。ある意味わかりやすいと言えばわかりやすい。

「私なら、どこから崩すか、か……」

  私は木漏れ日の差し込む城の中庭を、ゆっくりと散策する振りをしながら思案した。
 まずラウルを篭絡は無いと思った。
 そもそもあのお人よしを裏から操ろうとすれば、おのずと私と対立することになる。だからラウルの篭絡は意味がない。
 もちろん定石に則れば私も篭絡対象なのだが、それもない。あの男が最も危険視しているのはラウルではなく私なので、私の篭絡もない。

「だとしたら……?」
「ソニア様」

 私の侍女のひとりが、ヒダマリ草に手を伸ばした私の横に膝を折った。

 「さすがにこの一件は、ラウル様にご相談なさった方がよろしいのではないでしょうか」

  最も身近にいる一握りの侍女たちは私の裏の顔も知っており、私の手足となって動いてくれる頼もしい存在だった。いま私に物を申したのは侍女は、中でもとくに智謀に優れており、私もよく意見を求めることがある者だ。
 だがこの時ばかりはどうしてだか、とっさに「駄目よ」と口走ってしまった。

「ラウルはいま、あの男と表舞台でやり合っている。裏から手を回すのは王妃である私の仕事よ」

 などと、もっともらしいことを言いながら、私はぶちりとヒダマリ草の長い茎を手折った。
 なんだか無性にイライラとした。

「ではせめて、ゼルダ殿でも構いませぬ。ソニア様お一人では、少々分が悪うございます」
「……それは分かっています。でもあの子もまだ、巻き込むには少し心もとない」

 思い出すのは先日、コモロ池のほとりでゼルダとラウルと、久々に三人で八つ時を楽しんでいた時のことだ。
 ふとした拍子に名前が出た彼女の騎士リンクについて、ゼルダの熱のこもった言葉を聴いた。今もありありと思い出せる。

『……そう、とても強い、心の強い人なんです』

 ゼルダはたぶん、恋をしている。
 ラウルに話す柔らかな横顔を見た時、言葉では言い表せない諦念を覚えた。

「残念だけどあの子はまだ、少女なのよ」
「それは……」
「世慣れしていない娘など子兎も同然、ひねりつぶされておしまいです」

 恋とは実に厄介なものだと思う。でもゼルダの大人になり切れぬ甘さが、私は決して嫌いではなかった。
 私がゼルダから感じる善良さ、少女の面影の正体が恐らく恋心だ。私のように穢れきってはいない、清らかで混じりけのない心根の根本はきっとそこにある。その甘さをいつか捨てる日が来るのだろうと思えば、より一層愛おしさが増すというものだ。
 しかしながら、理解はできても、私にはうまく想像できなかった。

(恋なんてものは、私にはなかったものね……)

 恋など知る前に私は夫を持ったから、というのは理由ではない気がした。気付いた時には、男の一人よりもハイラル全土の方がよほど欲しかった。
 だからゼルダに嫉妬しているわけでもない。それでも言いようのないむず痒さが心に走る。乱暴にもう一本、ヒダマリ草を手折った。

「聡い子ではありますが、あの男の相手はさすがに荷が勝ちすぎて……、あら、ゼルダ?」

 狙ったかのように、中庭を囲む通路をゼルダが一人で歩いていた。
 ところが彼女はこちらを見向きもせず、すたすたと行ってしまう。最近は侍従が専任され、つかず離れず彼女の世話をしているはずだが、その者の姿も見えない。

「……どうしたのかしら」

  単純に私の声が聞こえなかったのかとも思った。
 だが距離はそう遠く離れていなかったし、ゼルダ特有の、考え込んで周りが見えなくなっている時とも少し違った。どこか遠くを見ている感じがして、しいて言えば意思なく引き寄せられる人形のように見えた。控えていた侍女たちも異様な雰囲気のゼルダに驚いている。
 なんだか胸騒ぎがして、私は彼女の後を追った。ところが角を曲がったところで、彼女は忽然と消えた。

「……どういうこと…………?」

 城の内部はゼルダよりもはるかに熟知している。もう十年以上住んでいるのだから迷うはずもないし、出し抜かれるなんてことは万に一つもない。
 普段は多くの使用人たちが行き交う場所なのに人っ子一人おらず、冷たい石造りの廊下に不気味な静けさが横たわっていた。ぞっと鳥肌が立って、思わず自分の体をぎゅっと抱きしめる。
 何かが、おかしい。

「悠長なことを言っている暇はなさそうですね」

 すでにガノンドロフが仕掛けてきている。
 それはそうだ、ハイラル城に正面から堂々と入り込めたのなら、仕掛けない道理はない。時間をかける必要などない。
 己の言葉をいくらも経たずに翻すのは不愉快であったが、命がかかっているのだから仕方がない。私は振り返り、先ほどの侍女に向かって静かに頷いた。

 「分かりました、ゼルダに手伝ってもらいましょう」

  可哀そうだけれど、ゼルダの甘さを存分に利用させてもらおう。彼女を慈しむだけの時を終え、謀略の舞台裏を垣間見せてみよう。それで駄目になるぐらいなら、ゼルダの資質もその程度だったというだけの話だ。
 毒食らわば皿まで。徹頭徹尾、私は悪い女でいようと心に決めた。