女傑の恋 - 3/6

 ある時、空が一瞬明るく輝いた。同時に言いようのない懐かしさを覚える。

「……?」 

 嫌な感じではないが、妙に胸を衝く感覚が落ち着かない。
 奇妙な気配を感じる方をじっと見ていると、私よりも先にラウルが動いた。

 「少し様子を見に行こうか」
「……ええ、そうしましょう」 

 そこで見つけたのは、不思議な服を着た少女だった。
 濃い金の髪に、瞳の色は私と同じ濃い翡翠色。一目で血の縁を感じた。母以外には感じたことのない巫女の力が少女からは溢れており、懐かしさの正体に私は驚いてしまった。私には姉妹も従妹もいないし、かすかにだがラウル以外には存在しないはずの光の力も感じる。
 咄嗟にある一つの可能性に考えが至り、王であるラウル以外には使う必要のない丁重な言葉を選んで、自ら名乗った。 

「私は、ソニアと申します」

 少しだけラウルが驚いてこちらを見ていた。
 王妃である私より位の高い娘などこの国には存在しない。だから続けて「其方、名はなんと?」とラウルが下問するのが本来は普通のことで、こちらから名乗る必要はない。
 でも彼女は私同様、夫や父母以外に頭を下げる必要のない身分ではないかという、自分の直感を信じた。 

「私は、ハイラル国王ロームが娘、ゼルダ」
「これは異なことを。ハイラルは我らが興した国、私以外には王はおらぬはずだが?」
「お二人が興した? ……貴方が、王?」 

 困惑しきった少女、ゼルダを前にして、私は動揺と喜びを悟られないように手をぎゅっと握りしめた。
 彼女はラウルと私の両方の力を持ち合わせている。それは本来、私の産んだ息子以外には存在しないはずの交わり方だ。こんな稀なことが偶然であるはずがない。
 知らない名前の王と、彼女の困惑具合。これらのことから導き出される答えに、私は息を飲む。 

「やはり、私が知っている景色ではありません。神話としてしか語られていない遥か昔……、本当にハイラル建国の時代なのですね」

 その言葉がついには直感を確信に変えた。
 ああ、私はガノンドロフに勝てるのだ。
 私とラウルの血統が遥か未来まで続いているということは、私があの男に打ち勝って砂漠を手中に収める未来が訪れることを意味する。字通りハイラル全土を平定できる。
 狂喜乱舞したい気持ちを必死で微笑みの下に隠し、私は可愛らしいゼルダの手を取った。

「ねぇゼルダさん、とにかく一度落ち着かなきゃ。私たちのお城においでなさい」
「いえ、それは……」
「皆には私の遠い縁者として紹介するわ、嘘ってわけじゃないしね。着替えも用意しましょう。ゆっくりと考えれば知恵も浮かぶわ」 

 どうして鼓動は落ち着いてくれないの。
 こんな時こそ落ち着いて、穏やかな善い人の皮を被らねばならぬのに。こんな前のめりに迫って警戒されたらどうするの。
 そう分かっていても、彼女が頷くまで手を離せなかった。

 「……ありがとうございます」

 こうして私は彼女を連れ帰り、手元に置くことに成功した。未来へ帰る方法を模索するためにミネルのところへ通う一方で、私から時の力の使い方も学ぶという多忙な日々を送ることになる。
 ただその中で、私はあることに驚愕してしまった。
 彼女が生まれた遥か遠い未来にも、依然としてゲルド族が存在しているらしいのだ。 

「ゲルドの長とお友達? ゼルダが?」 

 驚いて彼女の化粧をしていた手を止めると、ゼルダは屈託なく笑って頷いた。

 「はい! ルージュにはとてもよくしてもらっています。それに私の母も私もゲルド族の長とは友人で、ウルボザというのですが、彼女には何度も命を助けられました」

「そ、そうなの……まぁ……」

  未だ私たちの化粧がよく分からないと言うので、今日は泪模様の形と入れる場所の意味を教えていたところだった。ところが驚きのあまり泪模様が歪んでしまい、詫びながら一度化粧を落とす。
 私がガノンドロフに勝ったのに、未来ではゲルド族が滅亡していないのはなぜかしら。それどころか王家の姫がゲルドの長と仲が良いなんて、一体どういうことなのかしら。よく分からないわ、と眉をひそめると、ゼルダは鏡越しに慌てて手を振った。

「いえ、確かにこの時代のゲルド族と戦が続いているのは存じております。先日のモルドラジークの群れも、恐らくゲルド族の差し金でしょうし……」
「ああ、気付いていましたか。ゼルダはやはり聡いですね」
「……モルドラジークのような大型のマモノは群れないと、リンクから教えてもらいましたから」

 リンク、というゼルダとの会話に時々出てくる青年の名を、口の中でひっそりと唱える。どうやらゼルダを護っていた騎士のようだが、今の彼女の状態を見たらなんというかしら。改めて、頬に泪模様を描きながら、私は表情を表に出さぬように努めた。
 ゼルダがこの時代のハイリア人ではない以上、ゲルド族への考え方が異なるのは不思議なことではない。それが少し予想を超えていただけのことだ。
 落ち着いた振りをして、私はほんのりと声を落とした。

 「砂漠の王には再三にわたって書状を送っているのですが、一向に顔を見せてはくださらないの」
「それは……」
「仲良くしたいだけなのだけれどもね」

 仲良くしたいのは本音だ。どう仲良くするのかはさておき。
 しかし私とラウルがゲルドに打ち勝った未来でゲルド族が生き残っているということは、つまり私はガノンドロフを許すということだろうか? あるいは逆に、ガノンドロフが私の許しを受け入れるということだろうか?
 どちらも理解しがたい落としどころだ。
 私はあの男の危険性を骨の髄まで身に染みているし、向こうだってそれは同じことだろう。どうせ不俱戴天の間柄だと、互いに思っているに違いない。 

「さ、できましたよ。ゼルダ」 

 額飾りをつけてあげれば、見事に姫君の出来上がりだ。私と違って生まれながらの王族なので、変に手を入れない方が彼女は高貴に見える。
 最後に自分で耳飾りを付けると、ゼルダは少し考え込んだ後で口を開いた。

 「もし、ゲルドの王ではなく、族長に書状を送るのはいかがでしょう? ルージュからゲルドでは族長と王は違うと聞いたことがあります」
「王と、族長は違う?」
「はい。ゲルドではいにしえの過ちによって王の位はあれど即位する者はおらず、代わりに女性の族長が一族を統べているのだそうです。だからもしかしたらこの時代にも、女性の族長がおられるかもしれません」 

 考えてもみれば、ガノンドロフは私よりもいくつか年上なだけだ。あの男が王となる以前からゲルドは一族総出で攻めてきている。本来は一族を率いていた女性の長がいたはずだ。

 「別の方に窓口になってもらうというわけね」
「私の時代では兵士の指揮と街の行政は全て族長の権限でしたが、もしかしたら今は違うかもしれません」
「なるほど、調べてみましょう」

 穏やかに頷いた私に、ゼルダは嬉しそうな、どこかホッとしたような表情を見せた。
 彼女は友人の先祖が無碍に殺されるところなど見たくはないのだろう。こういう彼女の善良さはラウルを思い出させた。ただ時折見せるほの暗い悩み顔は、言い知れぬ苦しみを味わってきた者の顔だ。
 恐らくゼルダはラウルと違い、ただのお人よしではない。かといって私のように腹芸が得意なわけでもない。 

「清濁併せ吞む器が未だ完成しきれていないのかしら……でもそれなら、これからに期待してもいいわよね?」

 ゼルダがミネルの元へ向かったのを見届けると、私は自分に言い聞かせるように呟いた。唐突に現れた未来の王女を手駒として扱うことに、私にも少しは気後れがあったのだと思う。 

「もしも私がこの後、娘を生まなかったとしたら、そしてゼルダが未来へと戻れなければ、……巫女の地位は彼女に継いでもらうのが最良の形かしら」

  息子には力の証として玉座を、ゼルダには王を支える知恵者としての巫女の座を。
 私が死んだ後も末永くハイラル王国が続くように、道を整えるのが私の役目なのかもしれない。 

「……なんて、先のことなんてどうなるかは分からないけれど」

 その前にまずはゲルドだ。
 私はあえてラウルには知らせず、自分の手の者を使って台地の南、オーセ平原へと族長を呼び出した。 

「はじめまして、こんにちは。貴女がゲルド族の族長ね」

 約束通りごく少数の供を連れた赤毛の女が、オーセ平原の大木の下に立つ私を睨んでいた。私と同じか、少し若いぐらいだろうか。太い三つ編みが乾いた風にしなやかに揺れる。
 敵意の籠ったトパーズ色の瞳はあの男とまるで同じで、一目見て血の繋がりがあると分かった。 

「私はソニア。貴女のお名前を聞いてもよろしいかしら?」

 向こうは私の名前も顔も知っているのだろうし、私も彼女の名前ぐらいは調べがついている。それどころか彼女がいま、ゲルドの街の中で和平を唱えて危うい立場にあることも知っていた。
 彼女は黙ったまま、殺意にも似た警戒心を私へ差し向け続ける。

「……そう、答えたくないのならそれでも構わないわ。時間が惜しいので単刀直入にお聞きするわね。私とお友達になってくださらない?」
「……なんだと?」

 正直なところ、同性相手の方が何倍もやりやすい。力を以て対峙せねばならないガノンドロフ本人より、女の族長の方がいくらでもやりようがある。
 本当ならばこの場にゼルダも連れてきたかった。善良すぎる神の末裔たちからは学べないことを私の隣で目撃して欲しかった。ただ今日はミネルと共に空へと昇っていた。
 それに人には影日向があること、上に立つ者には時に裏の顔が必要であると受け入れるにはまだ少し早いという考えは変わっていない。ゼルダはまだ少し大人になり切れてはいない、柔らかな少女の面影がある。その正体を突き止めるまで、私は今しばらく彼女を慈しむことにした。
 一方で、私の顔を食い入るように見ているゲルドの族長は、恐らく世の汚濁を飲み込む覚悟がありそうだ。そういう顔をしている。実に良い、憎悪と慈愛の両方を知る顔をしていた。

「なにを、馬鹿げたことを」
「本当に、馬鹿げているわよね。分かるわ、その気持ち。……でも本気だとしたら、どう?」

 草を掻き分けるようにして私は半歩前に出る。
 向かい合った彼女は同じだけ後ろへ下がった。
 距離が縮まる様子はない。

「何の目的があって敵である私と通じようとする」
「目的があるとしたら、それは平和のためでしかないでしょう」
「平和、だと……?」
「貴女は自分の兄に従って、あと何人の同胞を黄泉へ送るつもり?」

 本当は兄なのか、弟なのかまでは調べがついていなかった。ガノンドロフの実の姉妹のいずれかが、街の執政を担当していることまでしか情報が掴めていない。だがガノンドロフは百年に一度のゲルド族の男児という立場から、姉妹に強権を振っていることは分かっていた。
 恐らくこの族長こそが、ゲルドの現状を最も憂いている。それが私の付け入る隙だ。

 「私たちだって貴女たちゲルド族と争いたいわけではないの。貴女たちを根絶やしにしたいとまでは思っていない。でもガノンドロフはそうは考えていない、私たちを亡ぼしてハイラルの全てを手中に入れたいと考えている。……違う?」
「…………私に、兄を裏切れと言うのか」
「どう捉えてもらっても構いません。それにもしお友達になってくれなくても、砂漠へはお返しするつもりでいるから安心して。もちろん無傷で、正面からね」 

 スッと、族長の顔から色が消えた。
 その瞬間私は右手を上げる。伏せていた兵たちが剣呑な気配と共に姿を表わした。ここへ来た時からすでに周囲を取り囲んであったのだ。
 族長が小さく「卑怯者」と唸ったのが聞こえたが腹は立たない。そう言われても当然のことをしたつもりだし、力が無いぶん強かに立ち回らねば生きていけないのだ。 

「だからねぇ、お友達になってくださらない?」

  無論断ってくれても一向に構わない。そうしたら彼女はここで捕らえ、本当に無傷で砂漠の入口へ連れていって放逐する。
 ひとたび敵方に捕まった者が無傷で返されたとしたら、敵方と通じたと疑われること間違いなしだ。だから族長は私の手を取るしかない。

「おのれ……」
「そんな怖い顔しないで、ね?」

  民からは慈母のようだと言われる笑みで、私は族長に手を差し伸べた。
 ぎりぎりと音がするほど私を睨みながら、彼女は私と固い握手を交わす。その手の震えが私への敵意の強さを表している。下手に良い顔をしていつか裏切る味方よりも、彼女はずっとずっと信用のできる敵だ。分かりやすくてありがたい。 

「ありがとう。せっかくだからこっそりお手紙を書くわね」 

 そうやって、ゲルドを内側から崩していこう。
 力で勝てないガノンドロフでも、知恵を使えば攻略のしようはいくらでもある。

「あなたは美しいが、まるで悪魔だな」

 別れ際、吐き捨てた彼女の言葉に、兵たちが色めき立つ。
 でも私にその手は通じない。それどころか、本当にそうだったらいいのにとさえ思ってしまう。
 すっと手を挙げて兵たちを落ち着かせると、思わず相好を崩してしまった。

「もし本当に悪魔なら、こんな回りくどいことはしないわ」
「案外、あのゾナウ族に力を封じられているだけではないのか?」
「さぁ、それはどうかしら。いかにお友達でも答えられないこともあるもの」

 そんな会話をしてほどなく、驚くべきことが起こった。
 なんとラウルの招聘に応じ、ガノンドロフ当人がハイラル城へと参じたのだ。あの男が我が前に頭を垂れる姿への高揚と、なおも信じられない警戒心。私は崩れそうな表情を、必死に笑顔で取り繕っていた。