女傑の恋 - 2/6

 父の訃報が届いたのは、嫁いで何事もなく三年経った冬の終わりだった。私は十六歳になっていた。
 幾度となくゲルドとの戦で死線を潜り抜けてきた父のことだから、五体満足な状態で弔うことはできないと思っていた。片耳か毛束でもあれば上等、そんな戦士は何度も弔ってきた。
 ところがいま私の目の前にある父の亡骸は、傷跡こそあれ身体は欠けることなく全て揃っている。直接の死因は冬に拗らせた風邪だった。

「どう死ぬかなんて、分からないものね……」

 巌のようだった身体は痩せ細り、長く川で洗われた流木のように見えた。実際に今からこの体を担いでハイリア山に登り、川に流して黄泉路へと父を誘う。これは家族如何にかかわらず、死者の見送りは巫女である私の役目だった。
 慣れた葬送の儀式に、悲しさや辛さはあまり無かった。父が亡くなったという事実だけがすとんと胸に落ちて、淡雪のように消えていった。ただそれだけ。
 自分は薄情者なのかとも思ったが、一族が蕭然とするなかでラウルはじっと私だけを見ていた。分かるほどの感情の発露はなかった。

 

* 

 

 さて、台地の首長であった私の父には、跡目となる男子がいなかった。正確には兄がいたのだが、ゲルドとの戦で親よりも早く死んでしまっていた。
 ところが娘である私には父の跡目を継ぐ資格がない。常にゲルドと小競り合いを続けてきた我が一族にとってやはり長は戦士、要は男でなければ務まらないというわけだ。
 他方、血筋としては私が全てにおいて優先される主筋である。
 つまるところ私の夫であるラウルが新しい首長となることは、兄が死んだ時点で暗黙の了解とされてきた。私の婚姻が一族にとって重要視されたのはそのためである。
 ところが葬儀が終わってその話をするなり、ラウルは見たこともないぐらい目を丸くした。いつもは垂れている耳もぎゅっと上を向いて、全身の毛がぶわっと逆立つ。

「私が新しい長?!
「そうですよ」
「ちょ、ちょっと待ってくれ、私はゾナウ族だよ? 君たちハイリア人とは違うじゃないか」
「でも私の夫でしょう? 未だ形だけとはいえ」
「それはそうだが……。え、えぇ!?
「………………ラウル……、はぁ」

 輿入れから三年も経てば、未だ生娘である私でもさすがに容赦というものが無くなってくる。まさか何も理解せずに私を娶ったのかと思って睨みつけると、極上のお人よしは視線をそらしておろおろと寝室を歩き始めた。
 なんということ、予想的中らしい。

「君たちハイリア人は、いったい何を考えているんだ、ソニア!」
「きっとあなたとは別のことだと思います、ラウル」
「だろうね?!
「でしょうね……」

 正直なところ、今はこうして威厳の欠片もないラウルだが、ひとたび戦場に出れば非常に頼もしい人だった。彼が私たちの味方に付いてからというもの、ゲルドの侵略を退けるのは非常に楽になり、版図を谷の中ほどまで拡大している。
 私の先を読む巫女としての力は依然として用を成していなかったが、秘石から得た時の力がとても大きな戦力となっていた。
 ところがひとたび家へと戻ればこれだ。威厳もへったくれも何もない。

「不安なのは分かりますが、皆も不安がりますから堂々となさって」
「簡単に言うけれどねソニア、私はいったい何をすればいいんだ……?」

 私は寝台に腰かけ、ぽんぽんと自分の脇を叩き示す。するとラウルはがっくり項垂れながら私の横に座った。これが明日から新しい首長かと思うと少々心配だ。
 だが考えようによっては父という目の上のたん瘤が消え、私の思うままに物事を動かせる日が来たようにも思えた。

「であれば、いっそのこと王におなりあそばされればよろしいのでは」

 ずっと考えていた腹案を、事も無げに私は口にする。しかし心中は嵐のようにざわめいていた。
 彼を夫として最もよかったと思ったことは、ラウルが誰の話であろうと聞く耳を持つ人だったということだ。よく言えば男女の別にかかわらず、悪く言えばハイリア人からの進言は全て平等に聞いてくれる。他の男であったら無駄な自尊心に阻まれて、巫女とはいえ女の言葉を素直に聞くことは無かっただろう。

「王……、王とはなんだい?」

 ラウルだからこんな話をするのだ。他の凡庸な男が夫であったら、私はこんなことは言わない。
 それぐらい、これは大博打な話だ。努めて平静を装った。

「台地のみならず、全てのハイリア人を統べる者のことです」 

 ふむ、と彼は少しだけ落ち着きを取り戻しながら頷いた。
 我ら台地のハイリア人にとって、敵はなにもゲルドだけではない。平原のハイリア人がいつ台地に攻め込むとも限らないのだ。なれば、まずは他のハイリア人を取り込むか、あるいは併呑して背後の憂いを断つべきではないだろうか。
 ……と、歴戦の戦士たちに意見するのは、巫女である私でも容易いものではない。戦士たちの矛先は長らく争ってきた砂漠に向いている。しかしながら長となり、戦場で共に戦っているラウルを介しての意見であれば、少しは聞く耳を持つはずだ。
 思案顔をする彼に、私はゆったりと畳みかけた。

「もちろんハイリア人だけでなく、リト、ゾーラ、ゴロンも……、あるいはゲルド族ですらも、みな平等に穏やかな暮らしができたら、とても幸せなこととは思いませんか?」
「なるほどな……王とは、全ての民の幸福を願う者、か」 

 ハイラル全土を平定した王が存在したのは遥か古のことで、実際のところ王がどんな存在なのかはよく分からない。だがゲルドに生まれた男は、あれからゲルドの玉座に就いたと聞いた。
 ゲルドが王を頂くのであれば、私たちにも王が必要だろう。
 でも私は王にはなれない。女であり、巫女である以上、どう足掻いても王にはなれない。
 だからラウルを王にする。
 そうして、ここに国を作らせる。彼が王であるのならば王妃は私だ、いくらでも舵取りができる。

「いかがでしょう?」 

 圧倒的な光の力を目の当たりにして以来、ずっと心に秘めていたことだった。
 ところが己の力に無頓着な神の末裔は、ふさふさとしたあごの飾り髭を撫でながら首を傾げる。 

「私が王になったら、ソニアは幸せかい?」

 んんっと、思わず咳き込んでしまった。
 慌てて笑顔を作って、ハイと頷く。あぶないあぶない。 

「そ、それはもちろん!」
「そうか。ならばそうしようか」 

 またしても呆れてしまった。ハイラル全土の平定を成す原動力に、私の幸せなど矮小すぎるでしょ……。
 言わないけれど、やはりこの人とは根本的に考え方が違うな、と心が寄り添える気配はない。未だ白い結婚ではあるものの三年連れ添ってみて分かったのは、彼が如何に善良で裏表のない人物かということ。裏返って、私は非常に利己的な腹黒さを常に笑顔で取り繕っている。
 水と油だ。多分一生分かり合えないと思う。

 「いえ、きっと分かり合えないことにすら、ラウルは気付かないわね……はぁ」

 ラウルが寝入ったのを確認すると一人窓辺に立ち、未だ戦線が到達したことのない砂漠の方を見た。
 あれから私たちは同じ寝台を使うようにはなった。ただ、大きな寝台のあっちとこっちで別々に寝ており、夫婦として不自然だから同じ寝室で寝ているだけだ。
 一度だけそういう欲はないのかと恥を忍んで問いかけたことがある。彼はないわけではないが、よく分からないと困り顔で笑っていた。私生活に至るまで、彼には毒気というものが良くも悪くも存在しない。やっぱり神様だ。腹黒い人間の私とは大違いだった。
 それがハイリア人の長にになる……なれるのだろうか? 

「善人と悪人のどちらが秀でているかとかいう問題じゃないんでしょうけれど……」

 悪逆非道な長では支持が長続きはしないだろうが、善良なばかりの長でも民は不安に思う。民とはそういうものだ。
 その点、砂漠の王の方がよほど自分に近いものを感じる。
 あれは全てを手中に収めるため、貪欲に立ち回る力の権化だ。最近では別動隊を使って挟撃をしたり、商隊を装って台地内部に兵を潜入させようとしたりと、知恵も使うようになってきた。
 今のところ成功した絡め手がないのは、ひとえにラウルの力が圧倒的に上回っているからにすぎない。

の王は、ガノンドロフという名だったかしら」

  一度だけ、間近まで攻め込まれたことがあった。
 雄々しい赤髪にトパーズのような瞳、筋骨隆々の浅黒い体躯には思わず目を見張った。あれは生まれついての王者だ、と私の中の何かが警鐘を鳴らす。まばらな髭が私と同じ若人であることを示していたが、歳を経て老獪な戦士となった暁にはあの男は必ずや大きな戦に打って出ることだろう。
 そのとき、人が良いばかりのラウルではきっと太刀打ちできない。 

「ガノンドロフは、多分私と同じことを考えている……が男だったら、よかったのにね」

  ハイラルをあまねく掌握し、王となることを彼もきっと目指している。
 あれは砂漠だけで満足する男ではない。同様に私も台地だけで満足できる女ではない。
 ただ比肩するほどの力を私は持たない。ガノンドロフを見た時に感じたのは、間違いなく嫉妬だった。ずるい、私もお前のように男に生まれたかった、という羨望だ。 

「……なんて、考えるだけ無駄ね。私は私のやり方でやるしかない」

 凛と胸元で輝く秘石に触れた。全然似合っている気がしない。
 それでも神の末裔の妻をせねばならないし、女に生まれついた私にはそれが一番の良いやり方であることも分かっていた。せいぜい私は清廉な妻を演じることに専念しよう。

 

 

 台地の長となってしばらくの後、ラウルはしばしば私を連れて魔を調伏するためにハイラル各地に赴くようになった。
 無理に力で平定するのではなく、その地に巣くう魔を払い清めることでゾナウ族の力を見せつける。実に善良な彼らしいやり方で、各地の首長を傘下に取り込んでいった。私はその隣で優しく微笑むことに努める裏側で、ラウルと私を支える者たちを育て集めた。
 そうして彼は十年と経たずにハイラルほぼ全土の民の庇護者となり、王を名乗った。同時に私は王妃となり、さすがに本来の妻の役割も果たすことで名実ともに彼の妻となった。

 最後に残ったのは、ガノンドロフ率いる砂漠の民だった。