オルタナティブの卵 - 5/15

2.ある研究者の視点/その理由

「ユーが姫様に会わせろと押し掛けてきたクレイジー野郎か」

 

 ミーの声に、立ち尽くしていたヒーはすぐに瞼を持ち上げた。

 青い瞳がじめじめと薄暗い地下牢の中で輝いている。比喩ではなく、目の奥から発光するようにじんわりと青い光を放っていた。その異様さに冷や汗が噴き出した。

 

「目が光るなんてクールじゃないか」

 

 顔つきだけで判断するならば普通のハイリア人だが、身体を覆う黒い鎧は現在ハイラルに住むどの種族のものとも合致しない。しかしミーにはその鎧に見覚えがあった。

 我々シーカー族の鎧、しかも恐ろしく古い時代の物に酷似していた。

 

「ゼルダ姫様にお仕えしたい」

 

 意外に柔らかな声で述べた彼がハイラル城に現れたのは、今から十日ほど前のことだ。

 フィローネ地方から下女として奉公に上がったガールが、不審者連れてきたという話は小耳に挟んでいた。不穏な気配を察知して手を回しておいたのだが、三日も経つ頃には噂話すら聞こえてこなくなったので、さらに不審に思っていた。

 だが青い顔をした憲兵が昨夜突然、不審者の身元の洗い出しに協力してほしいとやってきた。なぜぱたりと不審者のその後が聞こえなくなったのかと言えば、どうやら情報統制インフォメーションコントロールを行っていたらしい。

 情報統制インフォメーションコントロールを行うほどの不審者とは何者だろう?

 研究者の血が騒いで朝一番にオホリ橋を渡って監獄に会いに来てみたが、これは予想以上の収穫だ。期待を悟られぬよう、ミーは大きく肩をすくめて首を振る。

 

「残念ながらミーは研究部だ、そういうことは人事部に言ってくれ」
「ならば取次願いたい」
「ノーウェイ! どこの馬の骨とも分からん奴を、大事なプリンセスのお傍に置けるはずがない、……というのは、当然のことながら」

 

 ニンマリ笑いかけたが彼は棒立ちのまま、微動だにしない。怒るでもなく悲しむでもなく、特別な感情の起伏を見せずに牢の外側にいるミーを見ていた。

 

「七日間飲まず食わず、兵士五人がかりでもびくともしないボディ、暗闇で光るアイとくれば、ただの人間ではないだろう。そこで軍のお偉方はユーへの一般的な尋問クエスチョニングを諦めて、研究部のミーに尋問アナライズを依頼したというわけだ」

 

 いったいどのような尋問を行ったのかは聞かなかった。それは特に興味がない。だが王家の敵と見なした者には容赦のない憲兵が、今も背後で青い顔をしているのは異様だ。

 そう、例えるのなら、人ならざる者モンスターに出会ってしまったような。

 

「……そうか」

 

 ポツリと答えた得体のしれない彼は、確かに不気味だった。

 こんなものに出会ったら、普通は背後の憲兵のように青ざめるのだろう。しかしミーは嬉しかった。未知のものに出会えたことを女神に感謝だ。でもそれ以上に実は、普段は威張り腐っている憲兵が、影響力のない影の部署と呼ばれる研究部にヘルプを求めに来たので気分がよかった。ここぞとばかりに医療器具が入ったカバンを持たせてやっている。

 テコでも動かない代わりにこちらに危害を加えたことは無いと聞いていたので、不機嫌そうな憲兵に錠を開けさせる。舌打ちをする憲兵からカバンを受け取ると、背を低くして牢の内側に入った。

 

「それでシーカー族の研究者が来たわけか」
「ユーはシーカー族を知っているのか?」

 

 シーカー族は古来より王家に仕える影の一族だ。平和に世間の表層を生きている一般的なハイリア人は、あまりその存在を認識していない。ところが彼はミーのいでたちを見ただけでシーカー族と判断した。明らかに王国の裏事情に精通している者の言動だ。

 ボディに触れ、ライトで瞳孔を照らし、土くれと苔がこびり付いた鎧の状態を確認する。無抵抗にミーの診察を受けながら、彼はもの静かに語った。

 

「私を作ったのがシーカー族の研究者だった。貴方の遠い祖先かもしれない」
「そう、それだ。ユーはドールを自称しているそうだが、それはいったいどういう意味だ?」

 

 一通り全身を見て、ミーは思わず大きなため息を吐いた。

 正直なところ、研究室ラボの機材が無ければ分からないことだらけだが、少なくとも彼はハイリア人ではないと結論付けた。確かに人形ドールと言った方がより正解に近い。だがミーの知る人形ドールとは一線を画す。なんだこいつ?

 どんな目的で誰が作った人形なのかと不思議に思ったが、追って聞くまでもなくそれは彼の口から語られた。

 

「私はきたる厄災の復活に際し、危機的状況であった場合にのみ目覚めるように設計された人形である」

 

 と、ここまでの会話をいらいらと聞いていた憲兵が、「世迷いごと抜かすな!」と牢の外側から噛みついてきた。

 

「姫殿下がお生まれになっためでたいときに、不届きな言動を繰り返せばただで済むと思うな!」

 

 狭い牢に反響する怒鳴り声に、思わずミーは耳を塞いだ。

 彼も怒鳴り散らした憲兵を見る。ただし、はるかに大きい憲兵相手にも全く臆した様子はなかった。

 

「だが事実、目覚めた」
「だったら寝ていろ! よしんば危機があったとしても、陛下にはご自身がお育てになった精強なるハイラル軍があるのだ。小さな貴様一人が関与できることなど毛ほどもない!」

 

 鉄格子の外にいるせいか、威勢がいいことだ。安全圏だと思っているのだろう。実にケツの穴の小さそうな男だ。

 一方で遠回しにチビと言われた彼は、確かに身長自体は小さいのでミーを見上げた。顔は真面目に、しかしながら声は少し困惑気味に訴えかけてきた。初めて彼の方から主体的なアクションが行われた瞬間だった。

 

「ずっとこのような状態で困っている。私は何をどうすればここから出してもらえるのだろうか?」
「それでずっとここでステイしていたのか?」
「人に危害を加えてはならない禁則条項がある」

 

 呆れるほど機械的システマチックな思考だ。どんな設定をしたのか開発者に話を聞きたい。わくわくする。

 でもそういうことならば話は早い。彼の行動基準が非常に理解しやすかった。彼を動かしたいのならば、彼の望みに反しない命令を与えてやればいい。無理に動かそうとしても無駄だ、彼はウィらのような一般人の言うことは聞かない。

 彼には何にも代えられない絶対命令が存在しているのではないだろうか? それは、予想の範疇に過ぎないが王家、もしくはゼルダ姫に関する何か――、もちろん具体的に何かは分からないが。

 

「ユーが何かする必要はない。それよりもミーのラボへ行こう、それがきっとユーの目的にも合致する」
「ゼルダ姫様にお会いできるか?」
「すぐには無理だが、いずれ会えるように努力する。確約は難しいがここよりはずっとマシだろう」

 

 青い目を少し大きく開くと、彼はだまって一つ頷いた。今まで小揺るぎもしなかった体がゆるりと人らしく動き、牢の出入り口へ向かう。医療器具をカバンに仕舞うミーを待つように低い牢の扉を掴んで押し開けてくれた。

 しかし黙っていられなかったのがケツの穴の小さい憲兵だ。

 

「おい貴様! 勝手に罪人を牢から出すな!」

 

 あわや悲鳴になるほどの焦り声を上げながら、彼が押し開けた牢の扉を外から押して閉じようとする。

 だが、扉はびくともしなかった。

 体格で言えば憲兵の方が二回りは大きい。そんな憲兵が全力で押して扉を閉じようとしているにもかかわらず、小柄な彼は軽々と片手で牢の扉を開き続けていた。力の差は歴然だ。

 彼が扉を押さえてくれている間に、ミーは悠々と牢の外へ出ることができた。当然の顔をして彼も牢から出てくる頃には、憲兵は目を白黒させながら扉から手を離した。いい眺めだ。

 はぁーっとわざとらしくミーはため息を吐く。

 

「罪どころか、そもそもヒーは人ではない」
「どういう意味だ……?」
「哀れなほどフールだな。ヒーの尋問をしていて誰も可笑しいとは思わなかったのか?」

 

 人の形をしたものが全て人だと思いこむことほど、愚かで危険なことは無い。人をたぶらかす魔の類は総じて人の形をして現われるものだし、ずる賢い化け物が人の皮を被ってたぶらかすのは昔話フォークテイルの定石だ。

 やれやれと首を振って、カバンを持ち直す。

 

「脈のないハイリア人がいるわけがないだろう、体温もなければ瞳孔の動きも不自然だ。これが生きているマンであるわけがない。ヒーは紛れもないドールだ」
「こ、こんな、精巧な人形がっ、あるものか!」
「信じたくないのならそれでもいい。だがいくら食事を抜こうが、水を抜こうが意味が無かったからミーを呼んだんだろ?」

 

 ふんっと笑ってやった。いい気味だ。

 散々コケにしてきた研究部の変人に助けてもらう気持ちはどんな感じだ? こっちは素晴らしい研究対象を見つけて、いま最高にハッピーな気分だ!

 

「安心しろ、このドールの尋問はこちらの部署で行う」
「だとしても出牢は許可できない! もし研究部で尋問を行うのであれば、貴様がこの牢へ通う形にしろ!」
「それこそデンジャラスなのが分からないのか? 恐らくヒーには牢など意味が無いぞ? その気になれば鉄格子ぐらい曲げることもできるんじゃないか?」

 

 どうだい、と振り向くと、彼は今まで自分が入っていた牢の鉄格子に手を掛けた。そのまま手首をひねると、槍の柄ほどの太さもある鉄格子がぐんにゃりと曲がる。まるで飴細工だ。

 ヒエエエエと、断末魔みたいな声を上げ、憲兵は恐怖のあまり尻餅をついたまま後ずさりしていった。ちょうどいい、通路がすっきり空いたので真ん中を通らせてもらおう。

 

「書類上は保護者引き取りで放免したことにしておいてくれ。あとは研究部の方で引き受ける」

 

 さあ、こんなジメジメとした薄暗い牢とはおさらばだ。行こうと促すと彼は、憲兵に見向きもせず、およそ人工物とは思えないような軽やかな足音でついてきた。