オルタナティブの卵 - 13/15

5.ある少年の視点/あるべきものをあるべき場所へ

 物心ついた時にはもう、腹の奥の方がソワソワする感じがあった。

 そのソワソワはおれにどこかへ行くようにずっと言っていて、気が付くと辺りの野山を歩き回っていた。

 

「リンク! 席に座りなさい!」
「……」
「返事ぐらいしないか!」
「………………ぁぃ」

 

 これが父さんとのいつものやりとり。

 どうしてじっとしていられないの? と母さんにはため息をつかれる。食事の時に立ち上がって何度も父さんに怒られた。近所のおばちゃんたちからも、落ち着きのない子だとヒソヒソされてるのも知っていた。そのたびに母さんが悲しい顔をするのだけが申し訳なかった。

 特に嫌いなのが学校。ずっと椅子に座っているとお尻がむずむずする。大大大っ嫌いだ。気を抜くと走り出したくなる。それで走ると先生に怒られる。毎日怒られる。友達にも笑われた。

 でもどう頑張っても、どうにもならなかった。

 おれだって落ち着いて座ってられるなら、みんなと同じように座って勉強してみたい。

 どうしてみんなそんな落ち着いていられるんだろう?

 この、どこかへ行きたいって思う気持ちを、どうしてみんな分かってくれないんだろう?

 でもおれはしゃべるのが得意じゃなかったから、母さんにも父さんにも説明ができなかった。いくら野山を歩き回っても、おれが行きたい場所は見つからなかった。生まれた家が自分の家じゃないみたいな、そんなちぐはぐな感じを誰にも分ってもらえなかった。

 だからおれの読めない字を弟が読めるようになった時、母さんと父さんにさようならをすることに決めた。弟さえいたら、おれはたぶんいなくても大丈夫だ。もうこの家にはおれの居場所はない。

 リュックにありったけの食べ物と水を入れて、母さんの目を盗んで家を出る。まずは門近くの馬車が集まっているところへ行った。

 

「こっちの馬には?」
「その荷馬車は西ハテール行きだ。距離があるから飼い葉をたんと食わせてやれ」

 

 馬丁さんたちがこれから出発する交易馬車の馬たちの世話をしている。おれが住んでいたのはマリッタという交易の町だったので、毎日たくさんの荷馬車が出入りしていた。

 文字は読めなかったけれど、耳はよかったから馬丁さんたちが馬を驚かせないように小声で話す言葉はすべて聞こえた。

 

「こっちは……城行きか」
「暇があったらたてがみでも編んでやれ、せっかく城へいくんならお前もべっぴんさんがいいだろうからなぁ」

 

 笑顔の馬丁さんが黒いブチ模様のある馬の首を叩いた。この馬車にしよう、とおれは真新しい幌のついた荷馬車にもぐりこんだ。

 実は野山を歩いているときに遠くにお城が見えていて、何となくおれが行きたいのはお城の方向だというのは最近分かってきていた。目的地はお城かもしれないし、お城よりも向こう側なのかもしれないし、あるいはお城よりも手前かもしれない。どちらにしろお城に行ってみて、さらに自分が行きたいと思う方向を探そうと思っていた。

 悲しいけど、少しドキドキする。

 出発した馬車が街道に出ると、程よい振動が心地よくなっておれは眠ってしまった。

 どうせ城までは確実に行けるんだから、見つかってしまっても逃げればいい。勉強は苦手だけど、走るのはすっごい得意だったから、大丈夫だろうと思っていた。

 でも目が覚めたのは、馬丁さんに見つかったからではなかった。

 荷馬車がひっくり返ったからだ。

 

「……っ?!」

 

 熟睡していたので何が起こったのか、しばらく寝ぼけて分からなった。頭を打たなかったのはよかったけれど、おれは完全にひっくり返った荷馬車の中に閉じ込められてしまった。

 重たい荷物はびくともせず、運が悪いことに建物との間に挟まれて幌破れ目からも外に出ることができない。

 

「……たすけて…………!」

 

 大声を出すのも苦手なおれは、ただ荷馬車の底面を拳で叩いた。

 どんどんどん、たすけて、ここにいるから、だれか気づいて。

 外の様子を見ることはできないけれど、戦でも起こったんじゃないかというような騒ぎだった。多くの人が逃げ惑う足音と泣き声、兵隊さんたちの怒鳴る声、それから炎の燃える音。――あと何かの、吠える声?

 こんなんじゃ誰にも気づいてもらえない。必死に叩いていた拳が諦めでゆっくりと下を向き始める。

 

「まって、この馬車から音がしない?」

 

 女の人の声が近くで聞こえた。もう一度拳を握りなおす。

 

「たすけて」

 

 どんどんと横倒しになった馬車の底を叩くと、女の人の声は一枚板を隔てた向こう側にまで近寄ってきた。

 

「ほら、ここ叩いてる! 誰かいるのね?!」

 

 いるよ、ここにいるから助けて。

 おれは半泣きになりながら馬車の底を叩き続けた。

 その直後、ひっくり返っていた馬車がぐわんと揺れる。大きく傾いた荷物が反対側に転がって、おれ自身も転がって、一回転したら乗り込んだ時と同じように幌の後ろ側から這い出すことができた。

 俺を助けてくれたのは上等なお仕着せのエプロンドレスを着たお姉さんと、立派な鎧を着た兵士さんだった。転がり出たおれを、お姉さんがぎゅっと抱きしめてくれた。

 

「よく頑張ったね坊や、偉いわよ。でもお母さんはどうしたの?」

 

 お姉さんの白いエプロンは煤で汚れていたけれど、きれいな糸で三角が三つ重なった紋章の刺繍がされていた。兵士さんの鎧にも同じ紋章がある。

 おれ、知ってる。これは王様とかお姫様のしるしだ。勉強は苦手だったけど、それだけは覚えていた。

 でも冠は被っていないから王様やお姫様ではないんだろうな。じゃあこの人たちは、王様たちのお世話をしている人たちなのかもしれない。

 本当はもう少しちゃんとした言葉で返事をしたかったけれど難しくて、思いっきり首を横に振った。

 

「一人なの? どうしよう……」

 

 お姉さんは泣きそうなぐらい困った顔をした。母さんを思い出した。おれが他の子と同じようにできなくて困った時の母さんの顔と同じだ。

 おれ、また普通にできなかったんだ。やっぱり家以外でもおれ、ダメな子なのかな。いたたまれなくなって「ごめんなさい」と言おうと思ったけれど、やっぱりうまく声が出せない。

 しょうがないから一人でどこかへ行こうと思って立ち上がると、ちょうど兵士さんがにっかりと笑ったのが見えた。

 

「じゃあ決まりだ、この坊主を連れて退避してくれ。俺は城へ戻る」
「でも、私だって……!」
「あんな化け物が出てるところに行くのは兵隊の仕事だよ、洗濯下女の仕事じゃあない」

 

 ばけもの?

 そういえばこの騒ぎの原因って何なんだろう? そう思って兵士さんの視線の先を追う。

 お城に巻き付いた黒い巨大な蛇みたいな影が巻き付いていた。

 

「……ひっ」

 

 普段はどれだけ驚いても言葉が出てこないおれでも、さすがに声が出てしまった。

 あんなの初めて見る。すっごく嫌な感じがした。さっきから聞こえていたでっかい吠え声は、あの蛇のものらしい。おれなんか一口で食べられちゃうぐらいにでっかい。

 でも不思議と、あの蛇のところへ行かなきゃいけない気もした。理由は全然分からないけど、それが自分のお役目のような気がした。

 ええっと、兵士さんはあの化け物のところに行くんだっけ。じゃあおれは兵士さんにくっついていこう。

 そう思ってお姉さんの手を振りほどいて兵士さんの手を握る。父さんと歩くみたいに左手を持とうとすると、兵士さんはびっくり目を丸くして、おれをお姉さんの方に突っ返した。

 

「ちがうちがう、お前はこのお姉さんと逃げるの。分かったか?」

 

 おれもお城に行くよ。行きたいんだ。

 そう伝えたいのに、せいぜい首をぶんぶんと横に振ることしかできない。今度は兵士さんが困った顔をして、ひざを折っておれの顔を覗き込んだ。ずっと父さんには頭の上から怒鳴られていたから、ちょっとびっくりしてしまった。

 

「じゃあ一個お前に頼みごとをしたい。このお姉さんを、研究所のおじさんのところへ連れて行ってくれるか? 研究所はあっちの橋を渡った先にある」

 

 指をさされた方角は、お城とは真逆の方向だった。

 おれもお城に行きたいんだけど……、でも頼まれると首を横には振りづらかった。ひっくり返った荷馬車を持ち上げてくれたのもこの兵士さんだし、怒らずにちゃんと目を見てお話してくれる人の頼みを断るのはなんか嫌だ。

 しょうがないのでしぶしぶ首を縦に振ると、兵士さんはまたにかっと大きく笑った。

 

「大丈夫だ、お前はあいつに似てるから、きっと強い子だ。じゃあお姉さんを頼むぞ。坊主!」

 

 おれの頭をぐしゃぐしゃと撫で繰り回すと、兵士さんはお姉さんの頬にキスを一つして、人の波をかき分けてお城の方へ行ってしまった。取り残されたお姉さんはただ立ち尽くし、兵士さんが消えた方向をしばらく見ていた。

 二人は恋人同士だったのかなと思ったけど、本当のところは分からない。

 

「ごめんね、行きましょう」

 

 お姉さんは目じりを少しこすり上げると、おれの手を取って人波に乗るようにして橋を渡った。そこにあったのは黒い一つ目の蜘蛛みたいな機械がいっぱい動いている変な建物だった。

 

「ついに厄災がウェイクアップしたか!」
「そのようです! 姫様と勇者様が本丸で交戦し始めて……、私たち下女は逃げるようにと……」
「で、ウィらが作ったガーディアンは!?」
「大丈夫です、それはちゃんと動いているのを見ました! 姫様と勇者様の護衛をちゃんとしています!」
「ヒャッホオオオオオオオオオオゥ! ミーのアナライズは完璧だった!」

 

 なんか変なゴーグルのおじさんが大喜びで踊っていた。

 ちょっと怖くておれはお姉さんの後ろに隠れる。でもおじさんは目ざとくおれを見つけて、ひょいと横に回り込んだ。

 お姉さんがあったかい手で頭を撫でてくれなければ、走って逃げていたかもしれない。

 

「この子、城下町でひっくり返った荷馬車に閉じ込められていたところを助けたんですけど、お母さんがいないらしくて……」
「リアリー? ふぅむ」

 

 きょろきょろ動くゴーグルに見られると、なんか怖い。もうパンチしてやろうか、って思っていたら、おじさんの声が一段低くなった。

 

「このボーイ、どことなくあやつに似ている気がするな……」
「……博士もそう思います?」

 

 そういえばさっき兵士さんにも「あいつに似ているから大丈夫」って言われた。あいつってだろうと思って首をかしげると、さらにおじさんのへんちくりんなゴーグルが近づいてきた。

 

「ヘイ、ユーはどうしてここへ来た?」

 

 どうしてって、来たかったから来た。それ以上でも、それ以下でもない。

 でもいつも母さんや先生に「なぜ座っていられないの」と聞かれて「立ちたかった」と素直に答えると、怒られる。それが答えにならないことは分かってはいたけど、おれはそれ以外に答えようのない気持ちにいつも突き動かされている。

 

「……ん」

 

 うまく言えない。だから俯きながら黒い蛇が巻き付いているお城の方を指さした。今もなお、蛇は大きなお城を獲物のように締め上げていた。めりめりとお城が悲鳴を上げて崩れつつある。

 おれはあっちに行きたい。だからここへ来た。お姉さんも届けたし、おれもう行っていいかなぁ……?

 

「そうか、ユーはあそこへ行きたいのか」
「……ん」
「オーケイ! ではミーと共に行こう!」

 

 ほんとう? おれ、あそこ行けるの?

 嬉しくてお姉さんのエプロンドレスから離れてぴょんと飛び跳ねると、隣で悲鳴みたいな抗議の声が上がった。

 

「何言ってるんですか!」

 

 痛いぐらいに手を掴まれて、抱き寄せられた。

 

「あそこはもう戦場ですよ?!」
「しかし、このボーイはワンチャン、彼の……」
「そんなはずがありませんっ、だって本物の勇者が存在しないからあの人が頑張るしかなくなったんですよね?!」

 

 彼って誰?

 本物の勇者ってどういうこと?

 勇者様がお城にいるのは知っていた。あと厄災という恐ろしいものがいつか復活することも、それをお姫様が封じてくださることも。勉強ができないおれでも知ってる。

 でも本物って、偽物がいるってこと? おれが似てる彼って誰のことなんだろう。

 大人の話は難しくて困る。行かせたくないお姉さんと、行かせてみようという変なおじさんが言い争いをするのを、困ったなぁと思いながら交互に見ていた。

 すると二人の口論を遮るように、きれいな声があった。

 

「その子供が、まことの勇者なのですか……?」

 

 三人で振り向くと、見たこともないような上品できれいなおばさんが立っていた。

 お姉さんのお仕着せも結構上等なものだったけれど、おばさんの着ているもの段違いにきれいなドレスだった。裾には一面に刺繍がしてある。こんなドレスが着られるなんて、きっと偉い人に違いない。

 おれがその刺繍に見とれて、わぁと笑顔になった途端、お姉さんの手が頭の上に飛んできた。むんずと掴まれて無理やり頭を下げさせられた。

 

「ゼルダ姫様の乳母の……!」

 

 おじさんとお姉さんと三人して深々とお辞儀をする。

 そうだ、偉い人には頭を下げないと首が飛ぶんだった……、母さんに何度も言われたっけ。忘れるところだった。よかった。

 でもそのきれいなおばさんは肩で息をしながらおれの目の前まで来ると、あかぎれ一つないきれいな手でおれの顔を包み込んだ。なぜかは分からないけれど、ちょっぴり手が震えていた。

 

「今は礼などいりません。そなた、顔をよくお見せなさい」

 

 こんなに顔をまじまじと見られたのは初めてだった。

 不思議と目を見られた気がする。たぶんどこにでもいるような顔だと思うんだけど、確かに目だけはきれいな青い色ね、と亡くなったおばあちゃんにずっと前に褒めてもらった。

 しばらくおばさんはおれの顔を見た後で、口元を押さえながらその場で大きなため息をついた。

 

「姫様から西の方角に何か大切なもの困っているようなので、それを助けるようにと仰せつかってここまで来ましたが……」
「は、はい! この子が勇者様にそっくりではないかと、いま博士と話をしていたところでございます!」
「ええ、本当に、彼と兄弟のように瓜二つです。……名は何というのですか?」

 

 リンク!

 ……って、大きな声で返事をしたかったんだけど、口を開いてもやっぱり声がうまく出なかった。名前が言えないなんてだめだめだ。

 もう一回大きく息を吸ったけど言えなくて困っていると、すかさずお姉さんがおれの背を優しくなでてくれた。

 

「そういえばこの子、おしゃべりがあまり得意ではないようです。城下で荷馬車から助けてから、歳のわりに言葉が出ていないような気がいたします」
「……なるほど。姫様のご懸念は、そういうことだったのかもしれませんね」

 

 あれ? なんか分かってもらえた?

 返事ができないと怒られるのがいつものことだったから、てっきりきれいなおばさんにも怒られるかと思っていた。ちょっとほっとする。

 それどころかきれいなおばさんまで膝をついて、おれの目線に合わせて手を取ってくれたのには驚いてしまった。母さんだってスカートが汚れるからってそんなことしないのに、おばさんのドレスは刺繍いっぱいのすごいやつでしょう。汚したらお洗濯が大変なやつだよ。

 逆に怖くなって思わず後ろに逃げようとしたが、ぎゅっと両手を握られてしまった。おばさんはおれを逃がすつもりなんかないらしい。

 

「危険は重々承知のうえ、お願いいたします。どうか姫様とリンク殿にご助力願いたい」

 

 言葉が難しくて言ってる意味は分からなかったけど、おばさんの気持ちは痛いほどわかってしまった。

 たぶん、何か大事なものを置いてきたんだこの人。それを多分、助けてほしいって言っている。

 でもおれは子供だし、返事もまともにできないぐらいのダメな子だ。そんなおれが役に立てることがあるの? おれはただお城に行きたいだけで、何にもできないよ……。

 首を縦にも横に振れずに困っていると、背後からお姉さんがか細い声で問いかけた。

 

「恐れながら質問をお許しください。勇者様はいかがされたのでしょうか……」
「そなたは?」
「十五年前、ゼルダ姫様ご生誕の際に、偶然勇者様とともにフィローネ地方から奉公に上がりました洗濯下女でございます」

 

 深々と頭を下げたお姉さんの表情はさっき兵士さんを見送った時と同じか、それ以上に曇っていた。おれが小さいので、ちょうど顔が見えてしまった。

 申し訳ない気持ちでおばさんの方に視線を移すと、こちらも似たり寄ったりの苦い表情をしていた。

 

「わたくしたちが姫様に退避を命じられた際には、すでに片腕がございませんでした」

 

 変なおじさんが「シット……なんてことだ」と頭を抱える。お姉さんも、きれいなおばさんも、みんな俯いてしまった。

 やばいんだなと分かった。何が起こってるのかは分からないけれど、勇者様が大変なんだと思う。お姉さんの目じりからはぽたぽた涙が零れていたし、おばさんの手は今度こそ震えているのが分かった。

 そうして、「どうか」とおれに向けて言葉を重ねる。

 

「………………………………いく」

 

 嫌だなんて言えるわけがなかった。

 それに、落ち着きのないダメな子なおれにできることがあることが、何よりもうれしかった。

 みんなに分かるようにもう一度大きくうなずくと、変なおじさんが「オーケイ!」と大声を張り上げた。

 

「ならば外の大筒に入るがいい! 本丸までひとっ飛びだ!」
「えぇっ、飛ばすんですか?! 人間を?!」

 お姉さんはめちゃくちゃ驚いていたけど、おれはもう決めたから外に向かって走り出す。

 研究所の建物にはいっぱい変な機械が付いていたけれど、その中でも大筒は目立って立派だったのですぐに分かった。梯子なんか使わなくってもひょいとジャンプすればいい。入ってみるとおれを飛ばすのにあつらえたみたいにぴったりの大きさだった。

 

「これは古来より伝わる大砲というやつで、かの黄昏の勇者もこの大砲でゲルド砂漠へとフライアウェイしたとか!」
「どうしてそんな危険な方法で砂漠に行くんです?! 普通にゲルドキャニオンを越えればいいだけじゃないですか、狂気の沙汰ですよ?!」
「ノイジーなことを言ってる場合ではない! ほれ、本人が一番やる気じゃないか!」

 

 カラカラ笑うおじさんが、パラセールという空飛ぶ道具をくれた。空中で開けば、鳥みたいにふんわり着地できるらしい。着地点についても教えてもらったけど、正直お城の中なんか初めて行くから聞いてもわかんなかった。行ってみれば分かると思う。

 それよりも今は不安そうな顔のお姉さんとおばさんに、元気に手を振ることの方が大事に思えた。

 じゃあね、おれ行ってくるから。よくわかんないけど頑張るから、そんな不安な顔しないで。

 ドンと大きな音と衝撃で打ち出されると、あっという間にお堀の上空だった。さっきまで居た建物が小さく見える。それから視線をお城の方へ向けると、真っ黒な蛇の鼻先で青白い閃光のようなものが見えた。

 

「あっ……」

 

 流れ星みたいだと思ったその光はとてもきれいで、同時にすごく懐かしく見えた。おれ、あれを知っている気がする。

 青白い閃光がそのあとも幾筋か見え、そのたびに蛇が嫌がって首を引っ込める。あの閃光はきっと蛇をやっつけようとしているのだ。

 でも少し物足りないというか、力が足りないというか。

 

「……」

 

 おじさんに言われた通りパラセールを開いてひょいと城の中に入り込むと、ぐるりとお城を取り囲むように敷かれた道を走り出した。

 たくさんの兵士さんたちが倒れていた。壊れて動かなくなった一つ目の黒い機械もたくさん転がっていた。

 みんなあの蛇にやられたのだと思う。

 蛇がまたでっかい頭をお城のてっぺんに突撃させた。立っていられないぐらい地面が揺れて、音を立てて城壁が崩れた。慌てて伏せる。

 そのとき、先ほどの青白い閃光とは違う、温かな光がお城のてっぺんで輝いた。

 

「……?」

 

 伏せた顔を持ち上げて、その光を見た。

 あれだ。おれはあの光が目的地だと頭の中にひらめいた。

 

「……まってて」

 

 立ち上がって走り出す。

 本当ならこんなところにおれみたいな子供は来ちゃいけない。でもお城の一番高いところに近づくにつれ、不思議とおれが来たかった場所はここで間違いないという思いが強くなった。

 おれを待ってくれている人がいる気がする。本当ならも何年も前に、生まれるより前からここへ来なきゃいけなかった。

 おれはもしかして、すっごい大遅刻をしてしまったんじゃ?

 怒られたらどうしよう……。そう思って走っていくと、あるところに他の兵士さんとは全然違う黒い鎧を着た人が城壁にもたれていた。

 でもその人が目に留まったのは、兜の下に見えた顔に見覚えがあったからだ。

 

「……おれ?」

 

 全然歳は違う。たぶんこの人の方が十歳ぐらい上だと思う。

 でも青い目も麦藁色の髪も、目鼻立ちも、全部似ていた。おれがあと十年早く生まれてたら、たぶんこんな顔だっただろうなと思う人だった。

 

「ようやく、来たか」

 

 死んでいたと思っていたその人が、ゆっくりと顔を持ち上げた。

 よくよく見れば腕も足ももげている。でも血は出ていない。

 それどころか飛び出しているのはネジとかバネとかで、とうてい人間らしい手足ではなかった。完全に機械だ。

 どうしておれの顔をした機械の人がこんなところで倒れているんだろう。わけが分からなくて首をかしげると、その人はふっと息を吐き出した。

 

「私はお前のいない厄災討伐の穴を埋めるためだけに作られた人形だ。勇者の姿と魂を忠実に再現したこんなまがい物でも、お役に立てるかと思っていたが……」

 

 人形? おれよりもよくしゃべれるのに?

 こんなんじゃおれの方がよっぽど出来損ないの人形だよ、と思ったけれど、そんなことは言えない。

 その人がおれを見る目は複雑な青い色で滲んでいた。

 

「…………ただ生まれていなかっただけなのか……」

 

 兄弟のように瓜二つとお姉さんが言っていた相手。

 それがもしこの人形なのだとしたら、みんなが勇者様と言っていたのはこの人だったのかもしれない。

 でもこの人が、みんなの言う強くてかっこいい勇者様には全然見えなかった。

 不甲斐なさと心細さで壊れそうな、鏡に映ったおれ自身に見えた。

 切れ切れの息の隙間に、言葉が絡まり、紡がれていく。誰に向けてというわけではないその人の言葉は、不思議とおれの心に響いて解けて染み込んでいった。

 

「未練など、感じる心はないと、思っていたが……」

 

 青い瞳から溢れた青光りする液体が、ひび割れた頬を伝う。

 その瞬間、おれはすごくひどい奴なんだと理解した。

 この人が積み重ねてきたものを、いまから全部奪ってしまうのだと思う。それはとても申し訳ないことだけど、でも奪わなければこの人の大事なものも守れないことも何となく察していた。おれの行きたいところと、この人の大事なものはたぶん同じところにある。

 

「いざ本物に明け渡すとなると惜しくなるのだから、……不思議だ」

 

 青い涙を流すその人は、おれを睨みつけないように必死で笑顔を作ろうとしてくれていた。それに比べておれは、なんにもできない非力な子供だった。

 この人でなければ、こんな風にうまく事を運ぶことはできなかった。おれにはできない色々なことを、この人がきっと全部やってくれたんだ。

 ならばせめてこの人の手柄であることを、ちゃんとみんなに言わないといけない。ちゃんと言葉で伝えられるようにならなければならない。

 声を出すのは難しい。何を言っても怒られて怖い。

 でももう逃げてちゃダメなんだって分かった。

 壊れかけたその人をぎゅっと抱きしめる。いま言えるありったけの言葉をぶつけた。

 

「ありが、とう」

 

 その人は一瞬驚いた顔をした後で、はははと弱々しく笑った。

 唯一残っていた右手を持ち上げて、固く握りしめられた剣をおれに向けて差し出す。

 

「行け。私ではやはり、厄災には敵わなかった」

 

 こんな長い剣なんか持ったことない。怖い。

 生唾を飲み込んで恐る恐る手を伸ばそうとすると、怒号が飛んだ。

 

「早く行けェ! 姫様がお前を待ってるんだ、これ以上お待たせするなっ!」

 

 慌てて剣を手に取る。

 おれはわき目も降らず、光に向けて走り出した。