オルタナティブの卵 - 9/15

 目が光る人間なんて聞いたこともない!

 こいつ人間じゃねぇ。ハイリア人じゃねぇ、でもマモノでもねぇ! こいつは、いったい何なんだ?!

 頭の中ではうるさいぐらいに慌てているのに、実際には目と口を丸くして腰を抜かしていた。対照的にリンクは落ち着いていた。というよりも、こいつが人間らしく慌てた姿を思い出せないことに、ふと気が付く。

 リンクは口をあんぐりと開けた俺に向かって居住まいを正し、目を細めた。それがほんのり申し訳なさそうに見えたのが少し意外だった。

 

「私は厄災を封じる際にゼルダ姫を補佐するようにと、太古のシーカー族によって作られた人形だ。正体も明かさずにいなくなるのは、先輩には怒られると経験から推測したので明かしておく」

 

 もちろん言い触らしたところで、誰が信じるとも思えないが、とやつは付け加えた。

 出会ったときに感じた無機質な不気味さ、年相応には見えない表情と振る舞い、そしてその異様な強さ。無学な俺でも理解できた。

 確かにこいつは人間じゃない何かだ。

 淡々と奴は続ける。

 

「ここまで連れ出してくれて助かった。色々と考えていたのだが、後は勝手にやるのでこの退役届を上官の騎士殿に……」
「ちょっ、まてまてまてまて!」
「……何を待てばいい」

 

 何をだろう。しいて言えば俺の理解するまで待てってところだろうか。

 ひとまず、大きく息を吸う。吐く。頬をぺちんと両手で叩く。うん、痛い。どうやら夢ではないようだ。

 風邪でもないのに痛くなるこめかみをぐりぐりと押した。

 

「分かったぞ! つまりお前は、あれか、大聖堂の司祭様が予言した勇者ってやつか?!
「違う」
「違うのかよ、じゃあ何なんだ、くそー!」

 

 頭が悪いと世の中分からんことだらけだ! ちくしょう!

 でもなんとなく大事なことは見えてきたぞ、と俺は焚火の前で背筋を伸ばした。

 こいつは人間じゃないし、勇者でもないらしいが、きたる厄災に対して大事な戦力になる奴だ。ここで軍からいなくなることはよろしくない。戦力は確保しておくべきだ。

 本来であればこういうことは、もっとえらーい騎士様とか大臣様とかが考えることなんだろうが、生憎とこの場には俺以外にいなかった。

 リンクが退役してどっかに行っちまうのを、俺が阻止しないといけない。

 

「えーっと、とりあえず、だ。リンクはゼルダ姫様をお守りしたいんだな?」
「口外禁止条項に抵触するので詳しくは言えないがその通りだ。何とかしてゼルダ姫様をお守りできる立ち位置を確保したい。だがそのためには……」
「勇者になっちまえよ」

 

 間髪入れずに畳みかけると、奴は珍しくムッと不快感をあらわにした。

 眉間にしわを寄せ、語気も強くなる。

 

「だから、勇者ではないと」
「俺は半月だがお前は一か月の休暇がある。温泉は無しだ、今から剣を探しに行く。これは先輩命令だ!」

 

 というか、めっぽう強いんだから、お前が勇者でいいじゃないか。

 口に出しては言わなかったが、俺みたいな一兵卒から見たら、勇者様と強い騎士様の違いはない。俺たちの先陣に立って鼓舞してくれる存在なら、正直なところ誰だっていい。

 先輩命令と言う言葉が効いたのか、やつはしばらくじっと黙っていた。パチパチと派手な音を立てて燃える焚き木は、やはり乾ききってはいなかったようだ。思ったよりも多くの煙が地を這う。それを横目にやつは、渋々と言った様子で口を開いた。

 

「……剣のおおよその位置は把握している」
「んだよ! だったら早いじゃねぇか! 抜けるかどうかわからねぇなんて言わせねぇぞ。お前は抜くんだ。抜けなかったら台座壊してでも剣を取ればいい。剣さえ手に入れば、お前は勇者を名乗れる!」
「しかし、本物が現れる可能性もまだ……

 

 捨てきれない可能性にすがろうとする姿は、一言で言えば『らしくない』。いつだって理論的に、冷静沈着な判断を下していたリンクにしては歯切れが悪い。

 勇者じゃないのに剣を抜くの言うのはそんな罰当たりな行為なんだろうか。理由なんか後付けで、抜けた奴が勇者でいいじゃないかと思うのに。

 

「俺はさ、いないよりはいた方がいいと思うんだよ、勇者」

 

 勇者なんぞ、おとぎ話にしか出てこない空想上のものだと思っていた。厄災の復活も同じだ、未だに実感がない。それが八年前、ゼルダ姫様がお生まれになったのを機に、現実味を帯びてきている。

 いつ復活するのか、どうやって復活するのか、いまひとつ情報は古すぎてはっきりとしない。でもそのモヤッとした感覚は、日々の生活の中に徐々に広がりつつあった。

 例えるのならそれは、些細な違和感のようなもの。なんか不調だなと思ったら実は死に至る病だった、というような類の違和感だ。

 たぶん勇者と言うのは、そこに差し込む一条の光だ。言葉にならない不穏な空気を吹き飛ばしてくれるのなら、その勇者が本物だろうが偽物だろうが関係ない。

 

「姫様が助かるんならいいじゃねぇか、偽善でも何でも。……抜けよ、お前抜けるんだろ?」
「……どうだろう。駄目元で行ってみようか」

 

 そう言うや、リンクは立ち上がって焚き木を消すと、明確な意思を持って歩き出した。

 最初は訳も分からずやつの後ろを着いていくだけだったが、うっそうと茂る不気味な森の入口まで来て俺も気が付いた。焚き木の香りが、こんな遠くまで届いている。

 

「煙が流れる方向、か?」
「そのように記憶している。森が私を受け入れてくれるかどうかは分からないが……」
「受け入れるって……、もしかして俺いない方がいい?」
「……どちらでも」

 

 不安な口調に相反し、やつの足取りに迷いはなかった。霧深い森の中を、わき目もふらずに歩いていく。中途半端に着いてきてしまった俺は、もはや一人で引き返すこともできずおろおろしながら着いていくしかなかった。

 と、それがあるところでぱっと霧が晴れた。

 デッカイ木の前に、剣が一振り刺さっていた。

 凡人の俺でも分かる。ありゃあきっと、とんでもない業物だ。確かにこれは『神代の』とか、『伝説の』とか、とにかく仰々しい文句が似合う剣に間違いない。

 俺が森の入口で立ちすくんでそれ以上進めなくなったのに対し、リンクは歩みを止めなかった。足音もなく剣の前に立つと、なぜか木に向かって一礼する。その瞬間、木がワサっと動いたような気がした。風のせいかもしれないが……。

 そのあと奴は剣の柄を両手で掴み、事もなく剣を抜く。青光りするそれは見事な剣だった。これまで見たどんな騎士様の剣よりも輝いて見えた。

 その段になって俺はようやく、森の中へ入っていくことが許されたような気がした。

 

「抜けたじゃねぇか!」

 

 駆け寄るとリンクの足元から小さな生き物が逃げていったような気がした。鼠だろうか。

 それらに気付いた様子もないリンクは、またどこか寂しそうに剣を眺めていた。

 

「魂も、姿かたちも、似せて作られた代替者だからだろう」

 

 代替者、と俺が鸚鵡返しに唱えると、奴はまた申し訳なさそうに目を細めて頷く。

 そういうことか、とようやく腑に落ちた。

 

「つまりあれか、お前は勇者のスペアとして作られたってわけか。……俺と一緒だなぁ」
「一緒……?」

 

 驚いてまん丸くなった青い瞳がこちらを向いた。

 かれこれリンクとはン年の付き合いになるが、この時ほど奴の驚いた表情を見たことは無い。王様の直答よりも驚くなんて不謹慎じゃねぇのと思いつつ、普段は大して表情の変わらないリンクを驚かせられたのが少し嬉しかった。

 

「俺、次男なんだよ。ほら、長男が死んで跡取りがいないと困るだろ? だから俺が生まれた。でも兄貴が無事元気に家を継いじゃったから、次男坊の俺は食う困って軍に入るしかなかったってわけ」

 

 別に親から直接スぺアだと言われたことは無い。そこそこ大事に育ててもらった自覚もある。

 それでもやはり、兄弟の全員が必ずしも大人になれるわけではない世の中で、俺は常に兄貴の影だった。もちろん俺の二つ下の弟も俺の影だ。

 だから文句を言う筋合いじゃない。でもむやみにへりくだる必要も全然ないということももう分かっている。

 ここぞとばかりに胸を張った。

 

「でも俺は自分が日陰の人間だなんて思ってないぞ。だって兄貴は畑を耕すのが得意だけど、武器の類はからっきしだった。弟は算術が得意で商家に奉公に行った。俺は昔から喧嘩が強かったから兵士になった。みんなそれぞれに得手不得手がある、それでいいじゃねぇか」

 

 ぽかーんとしている奴をガバっと羽交い絞めにする。

 三年前、最初に二段ベッドの下でしたようにバシバシと腕を叩いてみた。あの時と体つきはまるで変わっていない。

 背が伸びないってのが本当だったんだな、と胸がじくりと痛んだ。

 

「だから代替者だろうと卑下すんな。お前にはお前のできることがあるはずで、逆にそれは本物の勇者さまにはたぶん出来ねぇはずだ!」

 

 城へ戻り、リンクは騎士に取り立てられた。ようやく現れた勇者に人々は大いに喜んだ。

 俺は歓喜を耳に聞きながら、退役までの年数を数えた。