『表裏なす赤の秘密』あとがきと言い訳+α - 2/2

「ごめん、ダルケル」

 

 きっと今ごろ、城下でしこたま酒を飲んでいる友人に向けて、リンクは真情を吐露する。

 

「俺、嘘ついた」

 

 声を上げて笑いたくなるほど、手が震えていた。

 厄災と対峙しようが、ロームに睨まれようが、微動だにしなかった自分の手がまるで言うことを利かない。気持ちを口に出せばいくらかマシになるかと思ったが、余計に自覚を深くしただけだった。

 

「すごい、緊張してるらしい……」

 

 夫婦の寝室の扉を前にして、ドアノブに手を掛けられぬまますでに数分。なぜ自分の体が硬直したのか理解できずにしばらく呆けていたが、どうやら緊張していると気付いたのがついさっきのことだ。多忙が緊張を遠ざけていたことに今になって気づくとは、相当間抜けすぎる。

 夫婦になったのなら然るべきことはする。王家ともあればもはや義務の一つだ。この数日間はとてつもなく多忙で、ゆっくりとそのことに考えを巡らせる暇がなかっただけ。緊張していない、図太いなんて大嘘だ。

 よもやこんなところで足止めを、しかも自分自身に食らうとは思ってもいなかったので、まさかの事体にリンクは驚くのを通り越して呆れていた。これほど意気地が足りなくなることがあるなんて思ってもみなかった。

 

「あー……」

 

 上手く考えがまとまらず、意味の無い、音だけを吐き出す。

 案内の侍女たちはすでに下がり、廊下に人気はない。とはいえ、このままでは誰かが様子を見に来るかもしれず、あるいは放っておいたら膝まで笑い始めかねない。どうにか扉を開けて、待っているはずのゼルダのところへ行きたいのだが、その彼女のことを考えると余計に体が動かなくなった。

 しかし、今から逃げることなど天地がひっくり返っても無理だ。まだしもプルアの禁酒が成功する方が、よほど実現の可能性が高いのでは――。

 そんな堂々巡りをしている。

 そこに終止符を打ったのは、悲しいことに外開きの扉だった。

 十数回目の深呼吸を試みたその瞬間、勢いよく扉が押し開けられる。扉の縁が鈍い音を立てて額に当たった。

 

「い゛っ……!!」

 

 痛い、と声を上げることだけは堪えたが、したたかに額を打ってリンクはその場にうずくまった。こんな不覚はめったに取らない、退魔の騎士にしてはひどく稀な手傷である。

 涙目で見上げると、扉を押し開けた犯人、ゼルダが驚いて目を丸くしていた。

 

「リンク!? ごっごめんなさい、おでこ大丈夫ですか! というかなぜそこに居るんです?」

「これはその、えっとですね……」

「もう、どうして入ってこないんですか! 私ずっと待っていたのですよ!?」

 

 お待たせして申し訳ありませんと謝罪する前に、額を押さえる手をむんずと掴まれる。あれよあれよという間に寝室に引きずり込まれた。これはこれで結果オーライだが何ともいたたまれない。

 ところが夫婦の部屋に引きずり込んだゼルダはというと、肩を怒らせ、鼻息も荒く、まるで色気とは無縁の面持ちをしていた。どちらかと言えば、少し焦りと怒りをにじませている。

 

「ちょっと、これを! 付箋をつけたところだけでいいですから、目を通してください!」

 

 シュミーズ姿の妻から、初めての夜に本を押し付けられるとは。まさか寝かしつけの絵本ではあるまいし、何かと思えばチガヤから渡された『騎士王物語』だった。

 チガヤから、ゼルダは絶対に読んだ方がいい、リンクが読むべきかはゼルダが判断してほしいと言われた例の本だ。

 

「読んでもよろしいのですか?」

「これは私たちが対処すべき最初の問題だと思いました。……か、覚悟して読んでください」

「覚悟?」

 

 この期に及んで何の覚悟がご入用ですかと、聞きたくなるのをぐっとこらえて本を受け取る。部屋の照明は明るくされていて、綺麗に整えられた大きなベッドに無理矢理座らされたら拒否権はなかった。逆にしどけなく待たれているよりも、ずっと緊張がほぐれる。

 先ほどまでの手の震えはどこへやら、ふうと肩から力を抜いてリンクは渡された本を開いた。ゼルダは深刻そうに眉根を寄せて隣に座ると、文面を盗み見ては目をそらすのを繰り返していた。気になるけれども読みたくない、優柔不断が透けて見えるようだ。

 だが最初の付箋があるページからいくらも読み進まぬうちに、その意味がリンクにもわかった。鏡を見なくても自分の頬が紅潮していくのが分かり、強打した額の痛みがかすんでいく。

 

「ちょ、っと……これは、その……」

 

 動揺で目が滑るも、どうにか文章の意味を拾っていく。

 剣聖と名高い騎士王と、それに見初められた姫の恋物語だった。巨悪を討たんとする騎士王と助勢する姫、そこへ姫の妨害を試みる悪役令嬢が現れ――と、ありきたりと言えばありきたりな話だが、何だかどこかで見たような展開だ。

 地位や立場はもちろん違うし、固有名詞や外見なども全く異なる。だがこのハイラルに住んでいる者ならば、ある特定の人物を連想するには十分すぎる表現が多分に含まれていた。

 何よりも、最後に姫が生死の境をさまよった際、騎士王はついにその名前を呼び捨ててしまう。そこを読んだ瞬間、リンクは大きな音を立てて本を閉じた。本を放り投げなかったのを褒めてほしいぐらい、顔が熱くなっていた。

 

「細かいところは違いますが、このお話の姫と騎士って、どう考えても私たちですよね!?」

「しかもこれ、なんで、俺があの時……!」

 

 一年前、シレネによってゼルダが一時的に意識不明の重体に陥ったとき、リンクはゼルダの名前を無我夢中で呼び捨ててしまった。それまで頑なに名前を呼ぶことをしなかった、できなかった彼にしてみればとんでもない失態だった。

 しかもゼルダの名を呼び捨てたのは、後にも先にもその一回だけ。その事実を知っているのはリンク、ゼルダ、双方に相当近しい人物しかいない。

 

「待ってください、こんな情報を持っているということは、もしかしてこの作者のジギーという人が俺たちの近くに潜伏して……?」

「いえ、ヤツリとリードでした」

 

 聞いてから理解するまでにだいぶ間が空いた。

 ぱちぱちと何度か瞬きする。

 

「えっ」

「ジギーというのはあの二人の共同ペンネームだそうです」

「えぇっ!?」

 

 長年にわたり紛れ潜んでカスイや、ユースラ以外の目を見事に欺いていたコーガ様のようなもっととんでもない敵を想像していただけに、思った以上に素っ頓狂な声が出た。ゼルダは小鼻を膨らませて怒っているが、気恥ずかしさが勝っているのかどこか声が上ずっている。

 

「問い詰めたんです。そしたら私たちをもとにお話を書いていると白状しました!」

「え? はぁ?」

「ちなみに売上金額は孤児院に全て寄付だそうです」

「えぇぇ……?」

 

 ようやく彼ら姉弟の行動が、どんな意思を持って行われていたのか理解する。

 何かにつけてメモを取っているのは話のネタを書き溜めておくため。姉弟なのに情報交換と称して図書館で落ち合うのは執筆のため。リンクの葛藤を見つけてリードがほほ笑んだのは、良いネタを見つけたから。

 確かに王侯貴族の生活をはじめとするあれこれは、一般庶民にとっては雲の上の出来事、憧れの世界だ。そのため、あることないこと想像で尾ひれをつけ足して、面白おかしく書き立てた本はしばしば出版される。中には貴族自ら執筆して、生活を切り売りしたりすることもあるぐらいだ。

 だが父も近衛騎士であったリンクは、そういった物語の大半が都合の良い作り話であることを知っていた。ただし、庶民の娯楽の一つだとも分かっていて、大らかなものに関しては見て見ぬふりをしていた。所詮はみんな大好き、ゴシップの一種だ。

 

「でも、なんで、ヤツリとリードが……?」

 

 問題はその点である。

 売上金を全額寄付していることからも、二人は金に困っていない。それにもしリンクとゼルダの立場を貶めたいのなら、侍女侍従なのだから確実な方法は他にいくらでもある。

 さらにあとがきを流し読みしたリンクが驚いたのが、作者ジギーがあまりにも主人公とヒロインの二人に陶酔していたことだった。これは醜聞を広めたい人の書き口ではない。

 だからこそリンクには、彼らが執筆に至った理由が皆目見当がつかなかった。絶句していると、ゼルダは難しい顔で腕組みをする。

 

「なんでもヤツリとリードにとって私たちは、遠くから眺めていたい二人・・・・・・・・・・・・、なんだそうです。姉弟で意見がぴったり一致した想像を書き連ねていくうちに、長大なお話になってしまい、それを読んだ新聞社の方が出版を進めたのだとか」

「ますます意味が分かりません」

「ええっと、例えば先日、二人で建設途中の学校へ行ったでしょう。あの時にリンク、私が内緒話をしたくて袖を引いたら、少しだけ体をかがめて背を合わせてくれましたよね? ああいうのを邪魔せず、遠くから見るのがいいんですって」

 

 記憶が定かではない、とリンクは思わず半眼になる。

 遅ればせながら伸びた身長のおかげで、今やゼルダよりも頭一つ分近く背が高くなっていた。そのせいで、小声で話をするときは彼女の口元に耳を近づけねばならない。裏を返せばそうするのはごく自然なことであり、他には何の意図もない。

 どこあたりに琴線が触れるのかは全く理解できなかった。

 

「理解できます?」

「いや、ううーん……?」

 

 ゼルダに本を返したリンクは、体をむずむずと動かす。

 彼女が一人で楽しんでいるところならば、いくらでも見ていられる気がした。そこに自分が含まれた途端、理解が理解不能に裏返る。どういうことなのか分からないような、分かりたくないような居心地の悪さを覚える。

 方やゼルダは随分と恥ずかしさが堪えるのか、庶民が買い求める本にしては珍しい三色刷りの表紙をにらみつけていた。

 

「いずれ私たちのことは昔話みたいに書かれてしまう可能性は覚悟していましたが、まさかこんなふうに書かれてしまうなんて……。こんな、恥ずかしくて読めないような……!」

「……ん?」

 

 恥ずかしくて読めないと言いつつも、彼女は間をおいて何度も本を開いたり閉じたりを繰り返していた。

 そもそも純然たる好意と善意で書かれたとしても、どれだけ脚色を入れたとしても、侍女侍従が主人をモデルに話を作るのはいかがなものかとリンクなどは思う。だからこの件については二人には厳重に注意をして、執筆を辞めてもらう話をしなければと考えていた。

 ところがゼルダの言葉をそのまま解釈するのであれば、ある程度脚色して書かれるのは覚悟のうえ、今はただただ恥ずかしいとのこと。さすが生まれながらの王族だけあって、その点は心構えが根っこから違う。

 違うとは思ったのだが、彼女が何度も目で追っているページには、まさしく先ほど例に挙げたように騎士王が姫の耳元で言葉をささやく場面だった。

 

「ゼルダ様は、」

 

 ふと気になって、隣に座った彼女の耳元すれすれにまで、唇を寄せる。

 

「こういうのが恥ずかしいんですか」

 

 まるでルミーがぴょんと跳ねたみたいだった。

 ゼルダが翡翠色の目を丸くして、声を掛けられた耳をぎゅうっと押さえながら距離を置く。押さえた指の隙間から、先まで真っ赤に染まった耳が見え隠れしていた。

 

「り、リンク!」

「もしかして耳は苦手とか?」

「ふふ、ふっ、ふざけないでください!」

「いいえ、ふざけてなど」

 

 これはこれで面白いとリンクは思った。

 いつだって冷静沈着、ともすれば自分よりも肝が据わっているゼルダが、舌をもつれさせるほど慌てふためいている。その理由は一目瞭然、意外にもそういうことが恥ずかしいというわけだ。

 リンクは一転して悪い笑みが零れぬよう、努めて深刻な表情を作った。

 

「お忘れかもしれませんが、あなたが一人でシークとして動いていたことを、俺は許したとは言ってないんですよ」

「うぅっ、それは……」

 

 あの時はインパのことが第一で、シークの問題はひとまず横に置くしかなかった。そのうち面と向かって話をせねばと思っていたのだ。

 怒ってはいる。だがそれ以上に心配もしている。さりとて全て許さないとも言い難い。

 正直どう話をしようか、リンクはとても迷っていたのだ。決して忙しさにかまけて、忘れていたわけではない。

 少々すごんだのが利いたのか、ようやくゼルダも思い出したらしく、しどろもどろに答えた。

 

「あのことについては謝罪します……でも! そのことと、耳元でささやくのは関係ありませんよね!?」

「そう、ですかね」

 

 必死の弁明で気がそれた隙に、ひょいと本を取り上げた。先ほどまでゼルダが開いていたページには軽く跡がついていて、片手でも簡単に開くことができる。

 確かに自分のことだと思うとこっぱずかしい文章がとめどなく続くが、他人事と割り切れば読む程度のことは造作もなかった。

 

「じゃあこの本で、ゼルダ様が恥ずかしいと思ったことを全部やります」

「へっ!?」

「それで今回の件は許します」

 

 狼狽えるゼルダをよそにリンクは、手始めに華奢な体を片手で抱き寄せた。本当ならばこんなこと、真顔でできるはずもない。何しろ扉の前で体をこわばらせていたのだから。

 この本通りにできれば緊張を隠せそうだと分かり、こっそり姉弟に感謝する。二人には当然何かしらの沙汰は下すことになるが、多少なりとも減刑しようと、この時リンクは勝手に決めた。

 ゼルダはもがきながら本を取り返そうとするが、生憎と出会った時とは身長がまるで違う。リンクが本を高く持ち上げてしまえば、彼女の手は全く届かなかった。

 

「リンク、それはだめです! な、なりませんっ!!」

「ここではご命令は受け付けません、夫婦ですから」

「ひえっ」

 

 日ごろは何くれとなく導いてくれている彼女だが、意外にも押しには弱いらしい。思わぬ一面を発見して、彼は我知らず頬が緩ませる。

 そうしてまずは試しに、耳元で特別低く優しい声で「ゼルダ」と呼んでみることにした。

 

 

 

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