ナギという少年が語ったことを整理すると以上のようになる。彼の記憶にはもちろん曖昧な点があるかもしれないが、それでも一応の筋の通った話をしてくれた。
私は監察医として研究院の中から選ばれた者だ。ナギは一か月前に我が都市国の領海に公海上から漂ってきた、巨大な動く島で発見された人だった。発見当時の彼は人では非常に稀な完全な仮死状態にあった。恐らく仮死状態になってから数カ月は経っているものと推察される。もちろん彼の記憶通り、彼らが洞窟だと思っていた場所の奥からはユノという少女も仮死状態で見つかったが、未だに彼女の方は意識が戻っていない。名前を呼んでも反応がない。やはりナギが呼ばなければお姫様は起きないだろうと研究者の一人は茶化したが、他の者はあえて何も言わなかった。
彼女には、脳に多少のショックを与えて生前の記憶を抽出する方法が実験的に用いられた。私は開発途中であったこの技術を生きている人に適応するのは危険であると苦言を呈したが、反対もむなしく彼女の記憶は抽出された。いくつかの情報が手元に届いているが、どの記憶も曖昧で判然とはしなかった。私はこの情報をナギとの対話記録に付加させたわけだ。もちろん私の予測も多少ながら混じって入るが、焼失した館跡からは足に奇形を持つ女性の骨が見つかっている。多少情緒的にしたが、事実は大きくは間違いないだろう。
彼ら二人には国の最新鋭の施設が宛がわれ、多方面からの調査研究が行われている。例えばナギは綺麗な個室で暮らしているようにしか思っていないだろうが、実際には無数の高性能小型カメラで部屋に死角はない。しかし彼はプライバシーの存在しない環境に全く気付いていなかった。
今日も調査研究として数時間の対話の後、彼の個室を出た私はすぐさま隣の観察室の方に入った。
「どうですか?」
「興味深いな」
中で待っていたのは彼にある写真を見せるよう私に頼んだ考古学者だ。観察室の中ではモニターで様子を確認出来る。ナギには病理検査などの面から許可の下りた人間しか会えないため、この考古学者は許可を取るよりも私に依頼してきたのだ。
ナギは文明から切り離されて漂う島の住人だったらしいことがこれまでの調査で分かっている。考古学者が見せたのは古い旗のホログラム、長方形の枠の中で青地の布に赤い糸で模様が縫いとられた旗がはためいていた。もちろん彼の観察医としていつもそばにいる私も見せてもらった。三本足の鳥の旗とは、私も初めて見るものだった。
「なんです、この古い旗は?」
「約三百年前の記録データさ。データバンクに一つだけ残っていたんだ」
「へえ三百年前って言うと、ミジュン朝(東の国で生まれた帝国の一つ)の頃ですか?」
「よく知っているな」
「本職は医者ですけど、歴史も好きなんです。それにミジュン朝と言えば、第三次世界大戦後のどさくさ紛れにいろいろとやったので有名ですから」
私はその写真を事細かに見た。確かに当時の資料に記載のある独特な模様が、この写真の旗の縁にも施されていた。
ホログラムを渡すと彼は最初、何もないところにひらひらと動く旗の映像に眉をひそめたがそれでもそれを手に取り、しばらく眺めていた。
「見覚えはある?」
「ある。私の部屋にあった刀の鞘、あれに刻まれていた……」
「そうありがとう」
「いや」
彼はそれがなんだかは分かっていないようだった。
同じく分からない私も非常に気になり、喜んでいる考古学者に聞いた。
「その旗は、いったい何なんです?」
「これはミジュン朝の中期、皇帝に追放された一族の旗印だよ」
「追放? 彼らは何かやらかしたのですか?」
私の質問に対し、考古学者はいやいやと首を振った。
では何をしたら一族全てを追放されるのだろう。私は分からず腕組みをした。
「この話をするには時間がかかるな。何か飲みながら話でもどうだい?」
「いいですね」
私はにっこり笑って考古学者の誘いに乗った。この観察室には大概のものを届けてくれる特権がある。この狭い空間で、例えば凶悪犯罪者の行動を観察するため何十時間とモニターに向かうことさえあるからだ。私は席を立って外部に「いつもと同じのをそれぞれに、記録から探して」と言って、飲み物を二つ頼む。受領されたのを確認して私は席に戻った。
「それで、どうして彼らは追放されたのです?」
「その前にこの旗の一族について、話をしなければならないだろうな」
彼は顔の前で手を組み、にやりと笑った。合わせて私も笑う。
「そもそも彼らの先祖は約三百五十年前に、現在のA-11地区に住んでいたんだ。医者なら分かるだろ? あの地区は薬物汚染地域と放射能汚染地域との両方の境界辺りだ。まあ正確には彼らはそこに住まわされていた」
「時の皇帝はどうしてそんなことを? 流石に三百五十年前と言っても放射能の危険性が分からなかったとは思いませんね。薬物汚染はもっと前から知られていたはずですし。五百年前、原子力エネルギー開発当初ならいざ知らず、正気の沙汰とは思えない」
「そう、つまり皇帝はわざわざ薬害と放射能の残る土地に彼らを住まわせたのさ。なぜか? 簡単だ、彼らが当時の反逆者だったからだよ」
そんな非人道的なことが三百年以上前は堂々と行われていたのか、と思うと身の毛もよだつ。私は信じ難かった。そして思わず胸の前で十字を切った。その行為を考古学者には笑った。学者の中には得てしてこういう輩がいる。この考古学者もその一人らしかった。
「まあ今となっては異常だろうよ。でも歴史なんてもんは皆そんなもんさ。もしかしたら、今君がやっている仕事だって、百年後には悪の所業として未来の教科書に載っているかもしれないだぜ?」
「まあ、それは大いにあり得る……。それで、彼らはどうなったのです?」
考古学者は席を立って飲み物のカップを二つ、小さな方の外部搬入口から取り出す。一つは私が受け取って口をつけた。中身はただの栄養ドリンク、いつもの味がする。考古学者はコーヒーに角砂糖とたっぷりのミルクを入れた。彼とコーヒーの趣味は合いそうになかった。
「まあ一族はその土地で何十年かを過ごしていたんだ。しかしある日、彼らはこの三本足の鳥の旗を押し立てて、帝都に押し寄せた。まあ酷いことをした過去をばらすぞ、とでも脅したんじゃないかな。未婚だった皇帝は償いのために正妃をその一族から迎えることになってしまった、と」
私は思わず噴き出しそうになってしまった。なんだって、償いのために結婚するんだよ、と思わず口からこぼれそうになってしまう。私は辛うじて言わなかったが、考古学者に笑われた。考えていることが顔に出てしまったらしい。
「目的は違うけれどあの時代も今も同じ、遺伝子を残すことが最も重要とされたのさ。それに地位とか、権力とか、そういった類の問題も絡んだだろうけどね。だがそれが一族にとって最悪の引き金だった。彼ら一族には奇形が多かったらしいんだ」
「それはそうでしょうね。薬物の種類と放射能量次第では組織変化を起こして、指の数が増えたり減ったり、そんなことはざらにあったでしょう」
「そう、その通り。そのざら、が皇帝の子供に出ちまったのさ」
私はふんふんと頷きながら栄養ドリンクをさらに一口、口に含む。考古学者の方は先ほどからスプーンでかき混ぜているだけで、口は飲むよりも喋る方に忙しかった。
「正妃に差し出した娘は完全な体で過不足無かったんだが、生まれた子供が双頭だったんだと。文献にはそうあった」
「確かに、生殖細胞に変異があれば本人が正常でも奇形個体は生まれますからね」
「そういう詳しいことは知らんよ。でもその子供を見た皇帝は、大そう怒ってその一族を国から追放したんだ。丁度数十年単位で回遊する不思議な島が着ていたそうで、その島に閉じ込めてな。ちなみにそれ以降島が回遊してきた記録はない。調査報告を見せてもらったが煉瓦造りの家が一軒だけ焼失した跡があっただろ? あれは最初に島に渡った初代たちが持ち寄った煉瓦で作ったそうだ。後世になるにつれて忘れられたようだけど」
私はまたちびりと飲んだ。考古学者もやっと一口飲んだ。
「なぜ、皇帝は一族を殺さなかったのでしょうね?」
「そんなことは知らんよ。それこそ権力者の気まぐれ、あるいは死よりも重い罰だったのかもしれん」
島流しというには生ぬるい、島ごと流されるのだから滑稽な話だ。餓死するのを期待したのだろうか。皇帝はまさか何世代も後まで一族が生き残るとは考えてなかったのかもしれない。
だがあの少年を見ている限り、そこまで罪を背負わされるような者だとは思えなかった。もちろん彼の人柄と言うせいもあるが、それでもなんだが不思議な感じがしてむず痒い感じがした。
「で、こっからはあんたたち医者の分野だろう。いろいろ教えてくれないかな。考古学者としては、あの遺跡たちもさることながら、彼らの生活にも興味があるんだ」
「大体、島で生活していたのは多い時でも二百人はいなかったそうです。ナギの時代でおそらく五十人未満。彼の記憶から推測するにかなり重度の奇形である人が大半を占めていたそうです」
口が飲むよりも喋るのに忙しくなったのは、今度は私になってしまった。
「彼らの社会制度には、その体のことでの支配体制でもあったのか?」
「いや、それはなかったようですよ。一応みんな平等だったようです。ただ彼のように正常な者を島主に選出していたようです、一種の神格化のような存在かもしれません。とにかく、かなり近親交配が進んでいたようですね」
私は一度口の中を潤すために栄養ドリンクを飲んだ。近親交配、この言葉を人類に適用する場面に出くわすとは想像だにしていなかった。だが事実、何世代にもわたって交配が進みすぎていた。
私はあの動く島に初上陸する際のメンバーの一人だった。彼を見付けたのも私である。島はとても荒れていたが、人が住んでいた痕跡はかなり残っていた。だが大きく争った形跡が多数あり、それに付け加えて同時に埋葬されたと思われる死者の数が常軌を逸していた。島全体が墓場のようになった中で、ナギとユノは辛うじて生きていたのだ。
「滅んだ理由は? 聞くところによると紛争でも起こったようだったけれど」
「その理由は、ナギ自身から聞いたところによると、どうもかなり複雑で複合的です。島の寒冷化と、それによる病の発生、そして民による暴動と、彼自身の暴挙などです。まあ寒冷化が一番の理由でしょう。あの島の住民には、寒さに対する抵抗力がほとんどなかったのですよ」
「寒さに対する抵抗力がない? そんな馬鹿な。だって彼らはたった三百年前には、ここよりも少し北の地域に住んでいたんだぞ?」
考古学者は意外そうな顔をして私の方を見た。そう言われても、彼の身体を調べた結果を見たが、確かに寒さに対する抵抗力が極端に低かった。これは未だに意識の戻らないユノにも認められるもので、恐らくこの極端な形質が島全体に蔓延していたのだろうと私は考えている。もちろん専門分野ではないため確証は得られないが。南の方に島が行ってしまったため、寒さに抵抗力の低い形質は淘汰されなかった、ということではないだろうか。
「詳しいことはわかりません。でも、彼らの持っている酵素は私たちのものとは確かに違うのです。酵素活性の温度が異様に高いのだそうで、つまり活性が低下する温度も高いのだそうですよ。大体、外気温が三度を下回ると彼らは動けなくなってしまうようですね。恐らく島に移り住んでからの突然変異ですよ」
「島の人全員に当てはまるのかい?」
「それは島民の遺体を全て調べてみないことには分りませんけれど、彼の話を聞く限りでは霜が降りるような気温でも煉瓦造りの室内で凍死者が出たのだとか。私たちでは考えられませんよ」
考古学者は、信じられないようで何度か首を傾げていた。しかしそれ以上の説明を出来ない私は、モニターを見た。ナギが床に座って瞑想している。彼はいつも、ああして一日中何事かを考えていた。あるいは何も考えられないのかもしれない。
「島自体は、なんだか分かったのかい? まさか切り離された陸地ってファンタジーなわけでもないだろう?」
「それはもちろん。あれは大昔戦争に使われていた航空母艦と言う船の上に、土砂や堆積物が積もって出来た人工の島です。あるいはわざと土を盛り、島のようにカモフラージュしたかったのかもしれません。何にせよ中身の空母自体はほとんど錆びて沈んでいますよ、戦闘機の離着陸を行う飛行甲板が浅瀬になるほど沈んでいるんですから。ですが辛うじて未だに浮いていて、それで海流に乗って移動していたようです。島自体が巨大な流れ藻の役割を果たしていたようで、海産物がかなり豊かでした。ちなみにその空母の残骸が所々に顔を出していたのですけど、島民はそれが船の一部とは気付かず、何かの遺跡だと思っていたらしいですね」
私は一度言葉を区切った。
「つまり島は動き続けているため、寒冷化はいつでもあり得ることだったのです。でも島民はもちろんナギですら島が船であることも、島自体が動いていることにすら知らなかった。たまたま大嵐、昔タイフーンと呼んだ巨大な熱帯低気圧に捕まって、北の海域に流され始め、急激に寒冷化していったようです。それまでは赤道付近の最も暖かい海流をくるくると、ずっと同じ場所を回っていたようですからね。本当に、なぜ今まで見つからなかったのか、そっちの方がよっぽどファンタジーですよ」
私はモニターを見ながらコップの中身を一気に飲み干した。
モニターに映るナギは全く動かない。あの年齢で、よくあれだけの精神力があるものだなあと私などは感嘆してしまう。
結局のところ、あの島で起こった重要なことは、長年に渡る近親交配による多様性の低下。そして島民全てに、寒さに対する抵抗力の低さという形質が広がってしまったこと。
そこに島の移動による寒冷化という要素が加わって、あの島の秩序は崩壊したのだ。滅びない者などいないと昔から言われているが、この事例はあまりにも悲惨で、私は他人事ながら悲しくなっていた。
「それで、彼は今どうしているんだい?」
考古学者の方も甘ったるいコーヒーを飲み干してカップを置いた。
その質問も、私は悲しくなってしまうのだ。
「彼には、何か欲しいものとか、やりたいことはないか、聞きました」
「それで?」
私は一瞬間を置く。考古学者は、彼が自分の故郷で何かをやりたがるとでも思ったのかもしれない。だがナギはそうは答えなかった。
「彼はユノに会いたい、あるいは別の世界に飛んで行ける翼が欲しいと言いました」
それを聞いた考古学者の表情から笑いが消えた。私は話している相手から顔を背けて、モニターの中を覗き込む。
「仕方がありません、翼を作ってあげるのは現在の技術をもってしても無理です。ユノにも会わせてあげたかったのですが、彼女は未だに集中治療室です。外からそっと覗いただけでした」
しかし彼は落胆するかと思いきや、逆に彼女の顔色がいいことに喜んで個室に戻った。それから何度か彼女の姿をガラス越しに見ていたが、一向に良くならない彼女の理由を聞くと、やはり彼は落胆した。
ユノの意識はもう一生戻らないかもしれない。彼女は体の組織の六十パーセントが壊死していたのだ。
「それで、それから彼はどうしたんだ?」
考古学者は至極残念そうな顔をして私を問いただすように聞いた。
「再度彼に望みはないか聞いた時、彼は眠りたいと答えました」
「眠りたいだって?」
考古学者は分からないようで、首を傾げている。
だが私にはナギが言った意味が一瞬で分かった。
「彼は、ユノと同じように眠りたいと言ったのですよ。そして彼女が起きたら自分も起こして欲しいと」
「だが冷凍保存なんて旧世代の技術は危なくて使えない、と。しかも、彼女は」
「そう、ユノはいつ起きるかも分からない。むしろ一生意識が戻らない方が確率としては高い。それでも彼は彼女を待つ方を選びたかったのです」
もはや考古学者からどんな反応も返ってこなかった。私ももう何も言いたくなかった。
「そんなこと、どうせ種の保存委員会は認めなかったんだろ?」
「ええ、もちろんです。彼は島の希少な生き残りですし、それに……」
私は言葉に詰まった。
「それに?」
考古学者はその続きを要求する。
仕方がなく、私は続けた。
「ユノは生殖能力が完全に欠如しているのです。種の保存委員会は、彼女の生殖生存権を剥奪しました。もはやその肉体には何の価値もありませんから、治療は当然打ち切られ、廃棄されるでしょう。今後彼女は情報の中でのみ存在し、利用されていくんですよ」
私は透明な立方体の中を活発に動き回る光の粒子を照明に透かした。膨大なパターンを以って煌びやかに動き続けるそれは、彼女の遺伝子情報が記録された媒体。私はそれを手の中で転がした。
これがヒト一人分というわけだ。
了