牙を抜かれた物語

 「お慕い申し上げております」と、乾いた喉から必死で声を絞り出して伝える。するとその人はみるまに翡翠色の瞳を大きくして、嬉しそうに微笑んで「私もです」と答えてくださった。折った膝を立ち上がらされて、視線はいつもの同じ高さに。ゆっくりと繊細な指が俺の頬撫でて、ゼルダ様はやんわりと首をかしげる。

 まるで続きをせがまれているようで、でも許されたと思って俺は口付けをした。柔らかい唇に、そっと触れるだけ。とても嬉しくて、天にも昇るかと思った。

 でもそれきり。

 あれから一年と経たないうちに、大事な人は奪われていった。虚しく空を搔いた腕の中にあるのは、丸めた上掛け。またこんなものに縋って寝ていたのかと思うと、己の不甲斐なさに吐き気がする。

 朝、まだ日が昇る前。ゆっくり体を起こすと、伸びかけの前髪が邪魔をしたので無造作に掻き上げた。

 一度たりとも腕に抱けぬまま、愛おしい人は昨晩、別の男の女になった。

「消えたい」

 唐突に虚無を口に出してみても、そう滅多に叶えられるものでもない。

 自分を消せる相手など、いや、それどころか傷をつけられる相手すら稀なのだから。俺を殺すか傷つけられる者がいるのだとすれば、自分自身かあるいは女王陛下ぐらいなものだ。

 虚しくて、もう涙も出てこなかった。

 それでもこの性格が災いして、相も変わらず身支度をする。顔を洗って髭をそって、髪を整えて。近衛の服に袖を通し、朝になれば彼女の元へ向かう。

 誰とも顔を合わせたくなくて、あまり人の使わない遠回りの抜け道を使っていつもの倍以上の時間をかけた。途中、初めて口付けを交わした庭園が見えて、反射的に顔を背ける。

 力を得て厄災を封じた姫巫女と勇者である自分が好き合ったことは、国の誰もが知っていた。先王陛下ですら認めて、ハイラルが復興を遂げて時機が来れば婚姻を認めると言ってくださっていた。いずれは共に歩めることを、民も祝福してくれていた。

 それなのに。

「女王陛下の騎士殿は朝が早いことで」

 夫婦の寝室の前に居座っていたのは、外(と)つ国風の前合わせの長い衣の男。いや、正確にはそいつが男ではないことを知っていた。

 奴にはあれがついていない。

 その男は宦官と言った。外つ国の宮中の、特に王の配偶の女性たちに仕える男たちは皆、自分の一物を切り取って姦通できないようにしてから奉公に上がる。初めて聞いた時には、何かの間違いかと思った。

 宦官たちは個人の差はあれど、およそ見た目は男とは思えないほどふっくらと色白で、女のようにまろやかな体つきをしている。扉の前に立つ宦官は、外つ国の人特有の黒く切れ長な狐目を細め、薄い口を弓なりにした。

太監たいかん殿。陛下は」

 太監とは宦官たちを取りまとめる長に当たる官名であり、名前ではない。もちろん名前は知っていたが、呼ぶほど親しくしたいとは到底思えなかった。

 やつらが大挙してアッカレの北側の沿岸に現れたのは数か月前のことだった。ハイラルでは見たこともないような軍船に大量の大砲と兵を乗せて、上陸してきたのは外つ国の皇帝の次男だった。

 要件はただ一つ、次期女王の配偶にその次男を据えろという。

 奴の兄が本国で皇帝の座を継ぐにあたり、年の近い次男が乱を起こさないように封じる先として目をつけられたのがハイラルだった。

 厄災を無事に封じたとはいえ、残念ながら戦禍が色濃く残るこの国では、最新鋭の軍艦とありえない量の兵を押し立てられてしまえば従わざるを得ない。

 その結果がこれだ。

「さて、昨晩は随分と遅くまでいそしまれていたご様子。騎士殿、今日はお役目御免ではないでしょうか」

 幼いころに去勢すればするほど男としての性徴の機会すら失うらしく、太監は未だに声変わりすらない高くしなやかな声をしていた。その体ゆえに、夫婦の寝所の前に侍女でもないのに夜っぴて立つことを許され、それどころか破瓜の血の確認さえこいつがすると聞いた時には目を見張った。

 こんな得体のしれない外つ国の者たちにせっかく平静を取り戻した王城は占拠され、心労に耐えかねたローム王は半月ほど前に亡くなった。あるいはこれも、外つ国の者たちによる暗殺だったのではないかと、まことしやかにささやかれた。

 しかし陛下が亡くなったとなれば、もはやハイラルは唯一の王位継承者であったゼルダ姫を女王に推し立てる以外に道はない。数か月にわたって居座って金と資材だけは潤沢に本国から運ばせていた外つ国の奴らは、堂々と奴らの主君たる男を正式に王配に据えた。

 それが昨日のこと。

「朝から何事じゃ、煩い……」

 わずかに開いた隙間から、その王配の姿があった。長い髪も解いたままで、ろくに衣も纏わず、線の細い不健康そうな体が見える。

 太監にとってはいつも通りの光景なのか「殿下」とただ一言、声色を落として咎めた。しかしながら俺にとっては、さすがに仕える相手が身支度もせぬうちに顔を出すというのが信じられず、相手が男とは言え思わず軽く頭を垂れて視界に入れないようにする。

 顔を伏せる間際、目の端に内装が赤一色に染め上げられた寝所が映り込んだ。初夜には吉兆を表す赤一色にすべしと、譲らなかった外つ国の者たちによって整えられた気色の悪い色だった。

「太監、今日はもう全部取りやめておくれ」

「またですか殿下。そうやって何度も何度もご公務を放り出されるから、兄君に負けるのですよ」

「帝位争いで負けたことを臆面もなく余に言ってくるのは太監ぐらいなものだ。どうせ公務といっても、お前が整えたものに判を押すだけであろ? ああ、この国ではサインだったか。いちいち筆を持たねばならぬなど億劫極まりない。その方らで勝手に処断せよ」

 はぁと大きなため息を吐いた太監が「畏まりました」と頭を垂れると、王配はまた扉を閉めようとした。

 その前に顔を跳ね上げて声を上げる。

「殿下、申し訳ありませんが女王陛下は」

「ああ、ゼルダの騎士殿か」

 その汚らしい口で、あの人の名前を呼び捨てにする。それが許せない。

 しかしこう眼前に当人がいては唇を噛むことすらできず、睨むことももちろんできず、必死で奥歯に力が入るのすら隠す。変なところに力が入るのを堪えきれず、ただ次の言葉を待つ間、部屋の奥のベッドが見えた。

 あそこにいるのかと思うと、胸が焼けるほど痛む。

「生憎だが陛下はご気分が優れぬ。おぬしも今日は戻って休まれるがよかろう」

「しかし女王陛下にはご公務が」

「帰れと言っているのが分からぬのか?」

 この国の生まれではない者に、俺の背負う剣の意味は通じない。姫巫女がどれほど尊き方で、あるいは自分がどれほどの武勇かなど、倍以上もある軍勢を持つ者に理解しろというのが無理だった。

 頭ごなしの言葉に嫌でも頭を下げるしかない。

「出過ぎた真似を、申し訳ありません」

「よいよい。昨日の式典で騎士殿も疲れておるであろう。今日は祝日(いわいび)と思うて、ゆるりと休まれるがよい」

 何が祝日だ。呪いの間違いだろう。

 無情な音を立てて閉じる扉の向こう側に、彼女が息をする気配は微塵も感じられない。あの人の柔らかいところが全部押し開かれて、あの得体のしれない不気味さを持つ王配に全て食われたのかと思うと血反吐を吐くようだった。

 言われた通りにするのも癪で、かといって他にすることもなく、その日はただひたすら訓練場で剣を振っていた。人目を気にするつもりはなかったが、他の兵たちも事の成り行きを全て知っていて、居たたまれなくなったのか一人、また一人と消えていき、最後には俺だけが残る

「くそ、くそ……ッ」

 一人だけのだだっ広い訓練場でだけ、言葉が許された。

 その日は終日、お声掛かりもなく、夕食をとる気も起らないまま自室に下がる。体をベッドに放り投げてから、わずかに自分の股の間に誇張するものを感じてあおむけになった。

「んっ…………」

 もうかなり長いこと、慰めることすら諦めていた。あの人が手の届かないところに行ってしまうのが決まってからというもの、何のやる気も出てこない。ただ疲れているときに、こうして体が勝手に反応だけはする。

 その日もゆるゆると撫でてはみたものの、膨れ上がる熱もなく、しんと静まり返る。

「やっぱり、勃たない……」

 まだ口付けしか知らなかった。触れたのは手と頬と唇と髪だけ。首筋にすら恐れ多くて触れられなかった。

 研究室でひっそりと、口付け以上を求められた時もあったが、いずれちゃんとその時が来ますと自制した。そうしたらあの人は耳まで真っ赤にして、その時には優しくしてくださいねとおっしゃった。あまりにも可愛らしくて、あの時ほど狂ったように自分を慰めた日はない。

 彼女をどれだけ欲しいと思っても、ずっと辛抱強く待っていた。国の大事が終わるまでは、自分のことなど後回しだと言い聞かせていた。ところが今となっては、あれほど熱かった腹の底が冷め切っている。

 夕暮れ時の研究室で、情に流され抱いてしまえば俺のものになったのに。

「一体何をしたっていうんだ」

 寝台に転がって暗い天井に向かって文句を言う。

 まっとうに生きてきたつもりだ。それなのに正直者が馬鹿を見る。散々な結末。でも一晩寝ればやっぱり普通に朝がきて、まだ人生には続きがあるのだと嫌でも自覚させられた。

 目覚めるのは決まって日の出前の早い時間。今日だってあの屑みたいな王配に追い払われるかもしれないというのに、きっちりと身支度をして彼女の元へと向かう。

 一日ぶりに顔を合わせた大切な人は、随分とやつれているように見えた。

「ゼルダ様」

「大丈夫ですよ、リンク」

 おいたわしいと思っても、手の甲に触れない程度の口付けを落とすことしか許されない関係。差し伸べられた手を取って、逃げてしまいたいのを堪えることにばかり力が入る。

 ゼルダ様の周りには外つ国とハイラル人の侍女が半数ずつ控え、互いを牽制し合いながら女王陛下の周囲を鋭く見張っていた。もちろんその見張りの目は、元の関係が知れ渡っている俺自身にも注がれている。

 中にはわざとらしい色香を漂わせて迫ってくる外つ国の侍女すらいた。別の女をあてがってやる代わりに自重しろと言われたようで腹が立ったし、もうすでにその時には勃たなくなっていたので丁重に引き取ってもらったが。

「あなたの方が大丈夫ですか」

 俺のことなどどうでもいい。そんな声を聴きたいわけじゃない。

 でもそんな言葉を交わすことも出来ず、儀礼的に問題ございませんと応じれば、彼女は青白い顔でふわりとほほ笑まれる。

 闊達な薔薇のようだった方が、今や萎れて下を向いていた。

 もちろん大半を占拠されたハイラル城で反乱を起こし、外つ国の者たちを皆殺しにしようと企む者たちから誘いを受けたこともあった。でもそんなことをすれば、やつらの本国から報復されて正式に占領されるだけだったし、女王陛下がそれを望まれていないと言えば騎士たちは皆涙を呑む。

 時に、「退魔の騎士殿はそれでよいのですか」と問われることはあった。

 言葉の意味は、みなまで聞かずとも分かる。

 一度は言い交した女性をむざむざと盗られて、それでも騎士の矜持が許すのかと俺を非難する声だ。でも俺は「よい」と答えた。答えながら腹の底には言い知れないものが渦巻いた。

 お助けしたいとは思った。何があってもお傍を離れるまいとも思う。だが目の前で無暗に腰に伸ばされる奴の腕や、嫌がる頬に顔を寄せるところ、震える手指を執拗に撫で繰り回すのを見せつけられれば、はらわたが煮えくり返った。

 俺の女に手を出すなと、すぐさま首を刎ねたくなる衝動と戦うのに精いっぱいになる。これが単なる独占欲ではないと言い切れる自信がない。そのうえ、ゼルダ様は自らその道を選ばれた。だから俺が手出しするのは逆に邪魔になると思う節もある。

 だから夜更けに、ハイラル人の侍女が自室に尋ねて来た時は本気で何事かいぶかしんだ。ついに外つ国の侍女どころか、ハイリア人まで使って俺に女をあてがおうとしているのかと睨みを利かせる。

 ところが侍女は怖がりながらも毅然として、女王陛下からですと手紙を残していった。

『明日の夜、月の出に研究室に来られたし』

 ただの一文。押し頂いた小さな紙きれを歓喜のあまり額にこすりつける。誰もいない部屋で、自然と息が上がる。下半身に火が灯ったかのように兆しがあった。

 明日は確か、昼から王配がアッカレに出向く予定だった。外つ国からの使者と会わねばならぬのだとか。だからこそのお呼び出し。

 ああ、と口から吐息が漏れた。

 本当はもったいなくて捨てることすらしたくないその小さな紙は、しかしながら誰かに見つけられたら一大事になる。蝋燭の炎にかざして薄紙があっという間に燃え尽きるのを見守り、黒く残った灰を素早く握りこんだままの手で急ぎ自分の雄を取り出してしごいた。

「あぁぁ……ぁ……」

 ざらざらしたもので擦り上げると、脳の髄まで痺れるような感覚が背筋を這いあがる。あの方が俺のためだけに書いてくださった物。例え燃えて形が変わったとしても、それを擦りつけると数か月ぶりに分身は応えた。

 覚えが遥か昔の感覚に、我ながら苦笑する。

「ふっ……はっ、ん…………」

 間断なく手を動かすと久しぶりの感覚にびくりと体が驚く。途端、屹立する先端から先走りが零れ落ちて灰に混ざった。自分から溢れたものとあの方が触れたものが混ざったかと思うと、手の中で質量がぐっとまして反り返る先が腹につく。でも本当は、包み込んでほしいのは自分の手じゃない。

 名前を呼ぶのを何度も躊躇する口が空気を求めて閉じられなくなり、飲み下せなくなった唾液と一緒にだらしなく息を吐き出す。眉間が痛いほど固く閉じた瞼の向こう側に彼女の体の幻を見た。

「はっ………あぁ…ぁ、ぜるだ、さま……」

 何も纏わない柔らかな彼女の体を俺は知らない。だからこれが全部自分の勝手な想像だと分かっていて、それでも我慢ならずに舐めつくす想像をした。

 柔らかな尻も、豊かに揺れる胸も、全部本当は俺の物だったはず。

 誰にもくれてやりたくなかった。俺だけの人だったはずの、まろやかな肢体に自分の物を擦りつけ、果てはあの細指で愛でてもらう想像をする。優しくしてほしいなどとは言ってくださったがそれは逆で、むしろ俺が優しくしてほしい。

 先端をきゅっと強くこすり上げて、あの人の熟れた唇がまるでそこに落ちてくる想像をすると、思わず腰が跳ねた。手の動きが速くなる。

「あぁ、はっ、…あっ……んっ、うあぁっ……ッ!」

 腰どころか背筋から足まで大きく震わせて、いつ以来振りかの精を吐き出す。長く解き放ったそれは、自分の手で受け止められないほどの量だった。立ち上る濃い匂いに顔をしかめる。

「馬鹿か」

 結局俺もあの王配と同じで、彼女の秘所に踏み荒らしたいだけなのかもしれない。散々口では愛しているとは言いながら、一人になればこのざまだ。思い返して妙に頭が冴える。

 ため息を一つ。

 自分の吐き出したものを拭いながら、明日秘かに呼ばれた理由に考えを巡らせた。只ならぬことだというのは予想に難くない。だからこそ、明日ちゃんと落ち着いて振舞えるか不安になった。

 小さな紙切れ一枚だけで頭が真っ白になるほど、今の自分はどうかしている。

「……冷静に、なれ」

 お守りすると誓った。それを違えるようなことだけはできないと己を戒める。

 その一方で、あの方を傷つける行為、逆に正しくお守りすることとは、一体何だろうかと頭を抱えた。何をどうすることが正解なのかが分からない。

 正直なところでは『どうすればいいのかその場になってみなければ分からないと』考えを放棄する自分がいた。最近では、女王陛下付きの騎士だからと言って、易々と口が利ける機会も訪れない。ゼルダ様が何を求められるのか、求めに愚直に応じるべきか、お諫めするべきか決めかねていた。

 だから案の定、研究室で鍵の音を聞いた次の瞬間に唇を塞がれたときは、来るものが来たと胸が痛くなった。

「リンク、リンク……会いたかった」

「俺もです」

 だいぶやつれたお顔をされていた。

 細くなった腕が首に回されるのに応じて、ロイヤルブルーのドレスを纏った華奢な体を掻き抱く。何度も唇を啄んで、翡翠色の瞳を覗き込むと涙がはらはらと落ちた。

「どうすれば、俺はゼルダ様をお守りできますか」

 この方が、自分で決めたことに反してまで俺を呼び寄せる。それ自体がすでに相当切羽詰まった状況であることを意味している。

 幼いころから辛い修行を耐え、大勢の臣下を引き連れて厄災を抑え込んだ方が、これほど簡単に音を上げるとは。あの王配が一体この方に何をしたのかと、怒りで声が震えそうになる。

 ところがゼルダ様の答えは言葉にはならなかった。

 以前よりも背の伸びた俺に縋りながら、常ならば明快な言葉を選ばれる舌が俺の口を割り開く。小さく甘い舌が俺の舌を捉えて絡めて、誘うようになぞった。

 それがあなたの望むものですか。

 その結果、何が起こるかなどと、想像ができない方ではない。それでも求められるのであれば、俺は応じるしかない。

「よろしいのですね」

「あなたに触れて欲しいの。お願い」

 言葉を耳でしかと確かめてから、後頭部を抑えて深く舌を差し込む。わざとらしく水音を立てると、可愛らしい唇から吐息が弾み出る。それだけで、あれほど勃たなかったはずの己が強張ってくるのだから、体は正直だった。

 ところがゼルダ様は、待ってと肩を押して体を離し、自らドレスの胸を開く。そんなこと、どうして自らなさるのかと手を伸ばせば、ゆるゆると首を横に振った。

「睦むときは、こうして女の方から差し出すもの、なのでしょう……?」

 ガツンと頭を殴られたかと思った。

 そんなことを教えたのが誰なのかなんて、この方の秘所を暴いたのはただ一人しかいない。あの不気味な王配を縊り殺したくなる衝動で、声が一段と低くなった。

「あの男がそれを強要したのですか」

「違うのですか……?」

「そんなの間違いです。貴女から差し出すものなど何もない、むしろ男が許しを乞うものです」

 この国を喰いに来たあいつらは、寝所に至っては女王に自らを差し出させて喰ってしまった。どうしてこの人がこんな屈辱を屈辱とも知らずに耐えなければならない。気を抜くと反吐が出そうになる口を噤んで、首筋から耳にかけてを柔らかく食んだ。

 柔らかな手を撫で、まろびでた胸を下から掬いあげる。ふんわりした感触を手のひらに覚え、すでに固くなり始めた先端を摘まむと淡い声が零れ落ちてくる。それもこれも全てあの男が汚したのだと思うと腹が立って、慌てて手袋を外して指の届く限り全てを撫でた。

「リンク……んんっ……」

「今だけは、どうか俺のことだけを」

「……は、い………っあぁ…………」

 長いドレスの裾をたくし上げて、ほっそりとした太ももに指を這わせると爪先を濡らすものが滴っていた。その先を探して足の付け根まで指でたどると、本来あるべき布地がない。

「ゼルダ様……?」

「だって、早く……んっ…………しないと…あッ……」

 しとどに濡れたそこは、もう柔らかくぬかるんでいる。早くと言われても、割れ口を丹念になぞりながら、あるべき核を探す。何しろこちらは初めてのことが過ぎて、この方に楽になってもらいたいと思っていてもうまく体が動かない。不甲斐ない自分にイラつきながら、建物の外に気配を探るとシーカー族の隠密の気配があった。

「インパか、その配下が見張りに立っています。それに本来なら、こんな性急にお身体を開きたくはありません」

 本当なら、柔らかい寝所で何の憂いもなく喜ばせて差し上げたかった。こんな冷たい研究室の片隅で、体を横たえることもなく交わるなどありえない。

 不安そうな瞳を覗き込んでまた深く舌を絡めて、すがる指が俺の服を掴むのを感じながら、見つけた小さな芽を指の腹で擦り上げる。一段と高い声が上がった。柔らかな胸が大きく上下して、形を変えながら体に押し付けられる。全部服を脱ぎ去って、ゼルダ様の衣もはぎ取ってしまいたい衝動に駆られた。でもそれはあまりにも危険すぎる。

「ゃ……リンク、あっ……そこ、っん………」

 次第に鎌首を持ち上げ始める欲を牽制しつつ、泉に指を沈めた。簡単に三本まで飲み込んだゼルダ様の中は、すでに大きく押し開かれた跡があって悲しい。ただ、この慌ただしい交わりにもかかわらず、痛みをあまり感じずに済むというのだけが幸いだった。

 すっかり指を根元まで咥えこんだ胎は、ひくつきながら指を締め付ける。内側からトントンとノックすると、流れ出る蜜が手首まで濡らした。

「ぅぁあっ…だめ……りんく、んんッ………はやく、くださ、……っぁ」

 固い石造りの壁に押し付けて、自分の服の前を捌いて物を取り出して蜜を塗り付ける。腹につくほど反り返った赤黒い俺のものを見た瞬間、ゼルダ様はうっとりと細めていた目を丸くした。

「おっきい……」

「あの男よりも大きいですか」

 こくんと一つ頷くのに下種な満足をして、白い片足を持ち上げた。目の前には早く頂戴とわなわなする閉じ目があって、時間さえあれば舌で解きほぐしたくなる。

 それが許されるだけの時間が本当は欲しい。できない立場を呪いながら、先走りでどろどろになった先端にあてがう。ずぷりと音をさせながら剣を差し込めば、すぐさま蠢動する肉襞が俺をに絡みついた。

「ひぁッ……!」

「んッ…ぐ………」

 初めての園は、これが自分の快楽のためではないと分かっていても頭が溶けそうになった。歯を食いしばって本来の理由を思い出す。

 俺が気持ちよくなりたいんじゃない。憂いを一時でも忘れさせて差し上げるために、俺はこの人を貫いた。でも愛した人を他人に盗られて悔しいという感情は、いくら押さえつけても俺を苛立たせる。

 ちくしょうと口の中で呟いて、腰を引きまた押し上げる。ゆっくりと突き上げて最奥にこつこつ当たるたびに、腕の中の人は顔を蕩かして涙を流した。

「あっあっ、……んぁぁ…ッやんん……!」

 すべてを忘れて欲しいと思って腰を打ち付け、時にかき混ぜながら、次第に余裕をなくしていく嬌声に我を忘れていく。

 気持ちいい、そうじゃない、可愛い、腹が立つ、好き、悔しい、嬉しい、悲しい。愛しているのに、どうしてこんな形でしか愛せない。

 苛立ちをがそのまま形になって律動が速まっていく。こんな風に愛したかったわけじゃない、もっと奥まで、俺が最初に跡を残したかった。

 俺はこの人の物で、この人は俺の物だったはずなのに!

「いやっ、…りんくっ、だめぁんん! ……もうっあぁぁッ!」

「俺も……もう、ッ……!」

 幸福と怒りを背中合わせに感じながら、互いの乱れる息を食み合いながら昇り詰めていく。幸せなのにひどく悲しい。

 ぎゅっと抱いた体の奥に、申し開きできないほど大量の欲がほとばしる。昨晩出したとは思えないほど精がどぷどぷと、背筋を痙攣させながら一番奥に当たって弾けた。

「あぁ…………」

 コテンと力の抜けた頭を俺の肩に乗せた彼女は、焦点の合わない瞳で俺を見上げていた。

「こんな、気持ちいいの、……初めて」

 惜しみながらも下を向いた分身を引き抜く。体を支えた彼女はとろんとした翡翠色の瞳を閉じる。ここしばらくは見ていなかった満ち足りた顔をして、頬は淡く朱に染まっていた。

 乾いた口づけを落としながら抱き上げて椅子に座らせると、指が俺の髪を梳いた。

「ごめんなさい私、またあなたに甘えてしまう」

 力なく垂れた腕を抑えながら、明らかにこのために準備してあったリネンで事情の跡を拭う。おそらく事に及ぶにあたって、ハイリア人侍女たちは全員味方だろう。

 俺が彼女の求めに応じるか否かなど、侍女たちにはコインの裏表を当てるよりも簡単なはず。この後の詳細な隠蔽工作は侍女とインパたちに任せればいい。

「俺はゼルダ様の騎士です。貴女をお守りすることが俺の務めです」

 服の前を軽く直して、白い胸を隠す。その手がもう一度震えそうになっていると、ふふふと彼女は笑った。

「リンク、騎士は主を自前の剣で貫いたりはしませんよ」

 それも、そうか。

 でも俺は未だに、女王ゼルダの騎士であった。彼女は俺の主であり、同時に愛おしい人だ。

 答えに窮していると、また細指が髪を絡めて、爪が頬をひっかく。

「主従である前に、あなたは私の対の人なの。だから互いに並び立つことはあっても、本当は寄りかかってはいけないのに、ごめんなさい」

「いいえ。俺が不甲斐ないばかりに、すいません」

 先に出て行ってと言われて、人目のある所では許されない唇への口付けをする。その時に「また」と呟かれたのを聞いて、これは繰り返される密事なのだと理解した。

 王配がヒガッカレ海岸に停泊させている軍船に出向いて居ないとき、あるいは気分が乗らないと寝所から一切出てこないときなどを狙って、ひそかに知らせがあった。あるいはゼルダ様ご自身で体調を崩したと嘘をついて早くに部屋に下がり、侍女の手引きで寝所に忍び込むこともあった。

 知らせは最初の時のように手紙であることはなくなり、足のつかない言伝が主になった。ところが不思議なことに毎回伝えてくる人は違う。

 そのほとんどはシーカー族の隠密の変装なのだろうが、おそらく少なくない人が、俺と女王の逢引きを知っていて手を貸している。気恥ずかしいことよりも、実質的には支配下に抑え込まれたハイラルの人々が、尚も外つ国の抑圧の水面下で足掻いているのだと感じた。あんな外つ国の男よりも早く姫巫女に子種を植え付けろと言われている気がした。

 だから次第に、ただ一時の安らぎを与えることよりも、その先を考えるようになっていく。できることならばあんな男ではなくて俺の子を産んで欲しいと、逢瀬のたびに彼女の奥に貪欲に精を送り込む。肌を合わせるたびに彼女の体が柔らかいことを知り、泣いて別れを厭うのを宥め、自室に帰ってからはまた狂ったように一人慰める。

 実際、こんな状況は狂っているとさえ思った。

 一方の王配が、女王と騎士の姦通に全く気付く素振りがなかったからだ。

 怒りを抑えて奴を観察してみると、あの男は存外に愚かだった。帝位争いに敗れただけのことはある。ならばどんな脅威を以ってこの地に封じられたのかと理由を探すが、それがなかなか分からなかった。

 どうしてこんなうどの大木みたいな男が、帝位を脅かす者として本国から遠ざけられたのか。仕事が大してできるわけでもなく、やっていることはただの放蕩貴族と何ら変わらない。

 芸事には幾分か秀でているらしいが、日がな一日外つ国の琴を爪弾いては「この国は四季がない」と侍女たちに駄々をこねる。気乗りしないからと一人寝することも多く、夜通し琴や笛の音が響いていることもあった。

 女王との房事だけは記録されるので、頻度が少なくなるたびに太監に苦言を呈されていた。そのたびに数日は房事が続くのに、気付けば詩吟に現を抜かす。

 そんな姿ばかりを見れば、怒りを通り越して疑問符ばかりになる。

 どうしてこんな男が、一国の女王の配偶に収まるだけの馬鹿馬鹿しい事態が起こったのか?

 その原因を理解したのは、俺が女王の寝所で柔らかな胸を食みながらゆっくりと腰を突き上げていた時のことだった。

 その日は朝から気分が悪いと王配が寝所から一歩も出て来ず、ここ数日は表に顔すら出していなかった。多少気の緩んでいたところもあったのかもしれない。それに俺もゼルダ様も、互いに秘め事のやり方に慣れを覚えていた。

 白い肢体をそそり立つ自分の上に跨らせ、汗ばむ胸の頂点を咥える。震える果実を口の中で転がすと、俺を咥えこんだ内側がきゅうきゅうとしがみ付いてくる。俺のわずかな下生が彼女の柔らかな肌に当たるとむず痒そうに笑って腰を動かす。

「んんっ……!」

「お可愛らしい」

「やっ……リンク、…………あっ、ん……」

 翡翠色の瞳が嬉しそうに潤むと、自ら腰をゆすって絡めた指に力が入る。

 日頃は心労に強ばる彼女の顔が、俺の腕の中でだけ安心しきってとろけていく。その安心しきっているところへ、わざと下から胎の内側を擦り上げた。すると口から零れ落ちる声が艶やか変わって、必死の指が俺に絡みついて傷跡を愛撫する。

 最初のころのように時間を気にして、性急に押し開くことは少なくなっていた。ただ交わるのだけではなくて、できる限りの情を差し上げようと時間をかけて体を解きほぐす。ゼルダ様は王配との房事よりも、俺に貫かれているときの方がずっと気持ちいいと悲しそうに目を細めていた。

「男は目の前に女性が居ればどうとでもなりますが、女性は心が伴わなければ痛いばかりと聞きますから」

「だとしたら、私の心はここにあるのね」

 繊細な指先が俺の胸を指し示す。そうまで言われて、愛さない男がいるわけがない。俺の心もまた貴女の胸の内にあるのだと伝えたくて、一心不乱に彼女の中をかき混ぜた。

 ぐちゃぐちゃに乱れる金の髪も、夢中でねだる舌も、しとどに濡れた泉も、彼女の全て俺だけのもの。王配であるあの男ですら、これほどまでに濫する妻の姿を見たことはないはず。何度も俺の名を呼んで果てるゼルダ様を見れば、本当の意味で彼女は俺の物だと思っていた。

「だめっ、りんく、……やっ、だめ……いっちゃ、ぅっあぁっ……」

「ゼルダさま、っつ……どうか、……ッ!」

 俺の方にはまだこみ上げてくる衝動を抑え込むだけの余力があった。自分が果てる前に、何度でも気持ちよくなっていただきたい。突き上げる衝動に合わせて揺れる体はとてもきれいで見惚れていた。

 だが、事態は唐突に変わる。

 ガタンと扉の外で物音がして、侍女の叫び声が聞こえた。ハッとして彼女の柔らかな体をずらし、いまだ猛る竿を引き抜く。服をひっつかんで窓から逃げようとした瞬間、怒鳴り声と共に扉が押し開かれた。

「女王陛下の情夫は、やはり騎士殿でしたか」

 捕らえよと手を上げるのは狐目の太監。後ろには喉元に外つ国の剣を突き付けられた侍女がいた。

 目の前には外つ国の兵士ばかりが五人。取るに足らない相手と分かっていて、また侍女も「私には構わず」と叫ぶのを聞いて、奴ら全員を叩き伏せようと身構える。

 ところが太監は自ら腰の長剣を抜き放つと、事もあろうに寝台で震えるゼルダ様にその切っ先を突き付けた。

「貴様、やめろ……」

「我々はこの国の女王の肌に傷がついたとて構いやしないのです。さぁ騎士殿、選びなさい。最愛の人を傷つけられるか、己が捕らえられるか。どちらがお好みですか?」

 逃げてと叫ぶ声が鋭く放たれたのは聞こえた。

 でも俺は裸のままひざを折って諸手を挙げる。自分のせいで、あの人に傷の一つでもつくのは許せるわけがない。そんなことならば命がなくなった方がまし。

 兵たちに両手首を掴まれて立たされる。このままの格好で城内を歩かされるのかと眉をひそめた瞬間、太監の足が飛んだ。俺の腹目掛けて、むしろそそり立つ一物に向かって下から蹴りが入る

 さすがにそこだけは、体をどれだけ鍛えても痛い。両腕を持たれたまま無様に叫び声を上げて転げた。

「ゔぅあ゛ぁぁあぁぁぁぁ……!!」

「まったく汚らしいものを、おっ立たせよって。これだから男は好かん」

 ふーふーと息を吐き出しながら絨毯に頭から突っ込んで這いつくばる。歯を食いしばりながら片目で睨み上げると、太監は自分の股間をぽんと一つ叩いて肩をすくめた。

「無いからね、私には。その気持ちは一生分からんよ」

 結局、全裸のまま衆目のある王城の中を引きずられて、衣服一つ与えられないまま地下牢に放り込まれた。不格好なまま沙汰を待つ。

 例えハイリア人としてハイラルの法に照らし合わせても、王族との姦通罪は死罪が適当だ。いつかこうなることも予想の内には入っていたが、こうもあからさまな形で投獄されるとは思わなかった。

 元は厄災を封じて称えられた自分が、民衆の眼前で女王との姦通罪で首を刎ねられる。その不格好な姿な想像に情けなくて笑えた。

 何があの人を守るだ。何にも守れやしない。

 王配は確かに無能、警戒するべきは太監の方だった。あの狐目の太監が、外つ国の者たちを統べていると言っても過言ではない。実際、王配の実務は太監が処理して当人はサインをするだけ。采配を取り仕切っているのは太監の方だ。

 寝所に踏み込んできたのも太監とその手の者で、王配は投獄されるまで一切顔を見なかった。

「もってあと数日か」

 最期の時に、一目でもお顔を見せてもらえるだろうか。ただそれだけを考えて冷たい石の床に丸くなった。

 ところが数日たっても何の沙汰もなく、さすがに首をかしげ始める。姦通罪の騎士を長期にわたって生かしておいた記録は思い当たらない。何か不穏な気配がした。

 地下牢へはろくな食べ物も運ばれてこなかったが、ところがある時からは水さえ減るようになった。

 それで、このまま乾き死にさせられるのかと思い至った。

 ただ打ち首にするよりも、むごい殺し方を王配は選んだつもりに違いない。冷たい石壁に背を預けて目を閉じて、やっぱりあの男は馬鹿だなと笑った。

 姫巫女の愛した勇者を民衆の前で殺せば、ハイリア人の士気は一気に落ちる。反乱を未然に防ぐのならば当然のように斬首を選ぶはずなのに、王配はおそらく自分の恨みを晴らす方を優先させた。太監の苦い顔が思い浮かぶようだ。

 飢えて乾いて死ぬのが、想像を絶する辛さだとは話に聞いたことがある。でも自分の死に方が、ひいてはゼルダ様の御代に与える影響をなるべく小さくできるのならばそれの方がずっといい。

 乾いた口の中の唾液をかき集めて飲み干す。何の足しにもならず、そろそろ辛くなり始めるなと考える。そんな折のことだった。

 迎えが来た。

「出ろ」

 外つ国の兵士に挟まれて歩き出す。体は乾ききっていたが、まだ足腰はしっかりと立った。幸か不幸か、俺の体が頑健すぎる。

 しかし、どうして飢えて乾き死にさせようという相手を、この機会に外に連れ出すのか問いかけたいが気力がない。どこへ連れていかれるのかも、舌の根が乾いてうまく声が出せない。

 しかも未だ衣一つ与えられず、俺は裸のままだった。

 一体このままどこへ連れていかれるのだろう。呆然として引き立てられていった先には、牢獄が見知らぬ部屋に様変わりしていた。窓のない一室が松明の灯りに浮かび上がる。

 人一人が寝転がるほどの台が一つ。それから正体の分からない器具が机の上に並ぶ。一体ここは何のための場所だろうと首をかしげている間に、俺は台の上に腰かけさせられた。

「ご気分は」

 口元を扇で隠した太監がゆるりと扉の奥から姿を現す。その後ろには、頭一つ大きい王配と、青ざめたゼルダ様が居た。

 一瞬翡翠色の目が俺を見つめて、それからいたたまれない様子で顔を背けられた。それだけでもいい。最期に顔を見られてよかったとほっとして、かすれ声をどうにか絞り出す。

「処刑ですか、拷問ですか」

 姦通罪と言っても、罪に問われるのは騎士である俺だけだ。しかし王配にとっても、外つ国の者たちにとっても、姦通を許した女王に何らかの罪を償わせたいのだろう。ところが仮にも国の頂点である女王陛下に対しては、誰であろうと一切手出しができない。

 それでこんな場がわざわざ設けたのかと太監を睨んだ。

 自分の男が苦しんで死ぬ様を見せつけて、女王に二度と逢引きの相手を作ろうなどと思わせないようにする。実に趣味の悪いことだ。

 絶対に死ぬまで叫び声の一つでも上げてやるまいと奥歯に力を込める。

 ところが太監は眉をひそめて、扇の向こう側でフンと鼻を鳴らした。

「これだから騎士という生き物は血生臭くて嫌ですね。姦通したとはいえ、貴方は仮にも国の英雄だったのでしょう。そのような要人をむざむざ殺しては、陛下の御代に傷がつきます。それに陛下も命だけはどうにかと切にお願いされたのに、当人がこれでは本当にどうしようもない」

 パチンと閉じた扇を傍仕えに押し付けて太監は歩き出す。用途の分からない器具がいくつも並ぶなかから、一つ不思議な形の小剣を取り上げた。

 職業柄、武器ならば大抵のものは目にして、手にしたことがあった。大ぶりの剣も、手に収まる大きさのナイフも、仕込み杖みたいなものですら手にしたことがある。特別に刃物の類が好きだったわけではないが、たいていの武器ならば手にピタリと合わさって、不思議と無理なく使いこなすことができた。そういう理由もあって、扱い方の難しい武器はなぜだか俺のところへと不思議と持ってこられることが多かった。

 それなのに、太監が手にした剣はまるで見たことが無い。

 やんわりと曲がった鎌のような鋭利な刃物。それを太監はこれ見よがしに明かりに照らしてから俺の手の中に握りこませた。

「騎士殿、あなたの罪は宮刑と決まりました」

「きゅう、けい……?」

「去勢のことです」

 聞きなれない刑の名前、去勢の意味に頭が付いて行かず首をかしげた。

 少なくともハイラルにある刑法ではない。加えて、罪人であるはずの俺の手の中に刃がある。その意味が分からず、ぽかんと太監の言葉を待つ。

「ちょいとご自身のナニを切り取る刑です。なに、死にやしません、我々の国の技術は秀でておりますからね。二か月もあれば、また女王陛下の傍付きに戻れるようにして差し上げますよ」

 真っ白になった頭の片隅で、「はあ、もったいない」と王配の呟き声が聞こえた。

 手に握りこまれた剣はつまり、自分の雄を切り落とすための小刀。これまでどんな得物でも無理なく扱えた手が、生まれて初めて震えた。

 これで、自分の体から男根を切り離す?

「ただ申し訳ないのですが、騎士殿のしでかしたことは目に余ります。ただ切り落とすのはものたりない。ですから、ご自身の手で切り取っていただこうかと思いまして」

 いつだったか、自分の体を傷つけられるのは自分かゼルダ様かのどちらかしかいないと思っていたが、ここへきてそれが本当に現実のものとなる。切っ先鋭いそれを押し当てて、俺は自分の体から柔らかい竿を切り落とさなければならない。それが俺に下される処罰。

 何も考えられなくなっている間に、白い服を着た医官に下腹部をきつく紐で縛られる。さらには竿の付け根から紐で縛られて、鬱血した雄は嫌が応にも天を向いた。

「さぁ、切り落としやすくなりました。いつでもご自身の良い時に」

 太監は傍付きから扇を奪い返し、優雅に口元ではたはたと風を送る。王配はなぜだか俺の充血して立ち上がる一物ばかりを見てしきりにため息を吐いていて、ゼルダ様だけが今にも泣き崩れそうな顔をしていた。

 切り落とした後の処置をするための医官と兵士が幾人か、油断なく俺の手元を見ている。小さいとはいえ刃物を手にした俺が、暴れ出したとしてもすぐさま人質にできるよう、ゼルダ様の間近くに明らかに腕の立つ兵が一人配されていた。

「あ……あぁ…………」

 もう一度手の内を見る。とても鋭利な刃物だった。

 おそらく喉を掻ききれば、一瞬で死ねるだけの力はあろう。だからこそ太監は俺の手にこれをゆだねた。

 自害するか、自ら切り落とすか選べというわけだ。

「これは、ひどい……」

「罪を犯しておいて酷いも何もないでしょう」

「……そう、だな」

 これで自分の物を切り落す。それがどれほどまでの激痛かは想像できない。俺でも昏倒しかねない。それを太監は眠り薬の一滴もなく、自ら行えと刃物を渡した。

 しかし逆に切り落としさえすれば、罪を犯した俺はまだゼルダ様のお傍に居られる。痛みに耐えて生きていれば、俺はずっと大事な方のそばに侍ることが出来るという意味でもあった。

 ただし以前のように体を交わらせることはできなくなる。俺は男ではなくなり、彼女と体を繋ぐ術を失う。

 切る先を迷う。喉か、男根か。上か下か。

 両手で小剣の柄を持ち、震える先を迷わせる。ハアハアと息が喉の奥を焼け付かせ、肺が苦しくなる。肩で息をしても頭まで空気が回らない。

 どうすればいい。俺は自分の体のどこを切ればいい。何も考えられなくなっていく頭の中で、ひたすら愛おしい名を呼んで縋る。

 ゼルダ様、ゼルダ様、ゼルダ様。

 俺は、貴女をお慕い申し上げておりました。

「あっあああぁぁぁぁぁ!!」

 鎌のような剣を自分の股間目掛けて振り下ろす。

 生きられるのならば、俺の命は自ら絶っていいものじゃない。俺はゼルダ様のために死ぬべきだ。

「ゔぁがぁぁあ゛あ゛ぁぁぁぁぁぁぁぁッ!」

 切っ先が見事に俺の一部を切り取ると、焼け付くような痛みが全身に広がり脳を揺さぶった。痛い場所が分からない全部痛い。どれだけ下腹部を事前に止血していても、切り取った傷口からは噴水のように血が飛び出す。

 目の前が真っ白になり、奥歯を噛み締めようとしても自分の叫び声がそれを許さない。暴れる両手足を兵士が押さえつけられ、血の溢れる股に栓のようなものが差し込まれるのだけが辛うじて分かった。その上から傷口に凶悪な冷たさの何かが押さえつけられて、急激に血の巡りが悪くなる。

「口に布を入れておやり、舌でも嚙み切られては事だからね」

 太監の冷静な声ばかりが耳に響いた。だくだくと、心臓の鼓動のたびに体中が痛む。

 気付けば王配の姿はなく、ゼルダ様の姿もなくなっていた。濃厚な血の香りだけが部屋に漂う。

 呆然と太監を見やると面白くなさそうに狐目を歪ませて、扇をはためかせていた。

「もう少しは往生際の悪いところが見られるかと思ったんですけどね。流石は救国の英雄殿だ、つまらぬ」

 足音なく、太監も去っていった。

 そのあと俺は三日間、水を与えられずに渇きと痛みにもだえ苦しみ続けた。外つ国の去勢専門の医官によれば、水分を摂ると尿が出てしまうから三日間はどうしても与えられないという。道理で地下牢にいるときから随分と水分が制限されていたわけだと納得した。

 三日後、傷口の真ん中に刺した白蠟の栓を抜くと、真っ赤な尿が大量に噴き出した。それを見て医官は一言「成功だね」と言った。その言葉で、ようやく自分が生き残ったのだと実感がわいた。

 立ち上がることもままならず、横臥のまま地下牢で世話を受けることおよそ一か月半。医官によれば常人よりもはるかに早い速度で回復した俺の体は、もはや以前の物とはまるで違っていた。

「肉が、削げた……」

「削げたといっても、去勢した割には随分と残っている方だよ。年齢がだいぶ行ってるのに大したもんだ」

 医官は呆れていたが、体は一回りぐらい小さくなったように感じた。体の線がどこか丸みを帯び、鏡を借りてみた顔はいくらか若返ったように幼い印象になっていた。

 それどころか顔を撫でまわして気が付く。生えていた髭の一切が抜けていた。驚いた勢いで、今まで無いのを認めるのが嫌で目を背けていた自分の股間をまじまじと見る。下生えすらも抜けていた。

「毛が、ない?」

「ああ、抜けるよ。宦官ってのは男の印を落とすことだから、それ以外のところでも男っぽいものがどんどんなくなっていく」

 さすがに声はそのままだったが、唖然とした。これではまるで少年だ。

 刑を受けても生きてさえいれば、まだあの方のお傍で変わらずに腕を振るえるとばかり思っていた。それが幼い体に逆戻りしたようでは、不安ばかりが募る。

 それでも刑は終わってしまった。

 俺は地下牢を出され、ほぼ二か月ぶりに城に戻された。俺の顔を見るや、城の者たちはギョッとして目を合わせないように逃げて行った。俺がどのような体になったのか、もう知れ渡っているのだろう。男でも女でもない、得体のしれない者を蔑む視線が痛い。それでも、この身は誓ったあの方のために使うと決めている。

 ところが、ゼルダ様はしばらく前から体調を崩して臥せっていた。ゆえに用命あるまで自室にて待機せよと言われる。肉の戻り切らない体の大きさに苛立ちながら体を鍛え直し、実はもう一つの困った感覚と付き合いながら待ち続けた。

 その感覚は決まって夜訪れた。切り落としたはずのあそこが、まるで存在するかのように誇張して感じるのだ。

 戦や事故で腕や足を失くしたものは、幻肢痛という幻の手足の痛みに襲われることがあると聞いたことがある。ところが俺に訪れたのは痛みではない。

 猛烈に触りたい、抜きたいという衝動。なのに、無い。

「んっ…ふっ………いぁぁッ………」

 心もとない太ももを擦り合わせ、切り落とした場所をがむしゃらに指で擦り上げては、腰を振りながら行き場なく高まる吐精感に体を震わせる。一瞬達したように思えても、次の瞬間には物足りなくなってすぐに指が動き出す。

「やぁ…っあぁ……なん、で………なんで…ッ!」

 無いものを手に包み込んで擦り上げたい、竿を扱いて先走りを擦りつけ、先端を責め立てて中から欲を掻き出したい。あの方の秘所に向かい入れていただいて、懐く襞に擦りあてながら、最奥で尖頂を包まれて全部搾り取られたい。

 なのに許されない。

 声ならぬ体の要求に中途半端にしか応じられないまま、寝台の中で体を丸める。尋常ではない量の汗をかきながら、布団の端を噛んで夜毎に何度も訪れる小さな絶頂に体を震わせる。

 それが、まるで女のような果て方だと、ある日唐突に気が付いた。

 俺が一度果てるまでに、あの方は何度も白い喉を晒して小さな絶頂を繰り返しながら昇り詰めていた。男はただ、その姿を追い立て、追いかけていくものだ。男と女では根本的に感じ方が違うのだと知った時には驚いたが、その時は逆に愛おしいとさえ思った。

 ところが今や、俺の体はあちら側に近づきつつある。そう考えると、嫌だった感覚も受け入れられるようになっていくのだから不思議だった。

「はっ……ふぁっ…ぜるだ、さまっ………んやぁぁッ…」

 障りのない股間を撫で、繰り返す頂点を丁寧に繋げていく。あの方も同じように感じていたのだろうかと、心地よい酩酊に体を揺さぶられながら疲れて眠りにつく。

 朝、目覚めて体を拭う頃には落ち着きが戻ってきて、頭を振って感覚を追い出すと男の側に半歩戻る。ところが夜になると、体は女の方にまた半歩揺り戻される。男と女の境界線を綱渡りしている気分だ。

 そんなことを数日続けているうちに、ようやくお声掛かりがあった。体に合わなくなった近衛の服に袖を通し、仕方がなくそのまま出仕する。

 通されたのは女王の寝所だった。

 秘かに何度も睦み合った寝所にまた通され、しかもそれが堂々とした日の高い時間だったことに驚きが隠せない。一体何事だと目を丸くしながら向かうと、ゼルダ様は寝台の上に体こそ起こしていたが、やつれ果てていた。夜着の上に羽織もの一つのお姿で、厚い上掛けで体を温めていた。

「ゼルダ様、なぜこんなところにお呼びになるのですか」

 もうこんな場所に立ち入ってはならない、俺は罪を犯した騎士のはず。

 ところが侍女たちは一向にかまう様子もない。何よりゼルダ様は俺の姿を入り口に見止めるなり目を丸くして、それから寂しそうに顔を歪められた。

「随分と、姿が……。リンク、こちらへきて」

 枕元に呼び寄せられて、大粒の涙が音もなく落ちていく様を見る。涙にぬれた指が俺の頬をなぞり、丸くなった輪郭を往復した。

「申し訳ありません。生娘のようになってしまいました」

「本当……少女みたいに柔らかです」

「男らしいものは無くなるのだそうです。それに年を取れば、肉が削げ落ちて皺だらけで醜くなるとも医官から言われました」

 すでに侍女たちは人払いされていて二人きり。扉は閉じられている。

 翡翠色の瞳は憂いを帯びて、顔色の悪いゼルダ様からはわずかにすえた酸っぱい匂いがした。お身体があまり良くないのかもしれない。

 だとして、呼ばれた俺には何をすることもできなかった。不甲斐ない体では、満足にお守りすることも出来なければ、もう慰めて差し上げることもできない。

 それでも俺はこの方が望まれるのであればずっとそばにいるつもり。

「こんな俺でも、まだお傍に置いていただけますか」

 この方の行くところが俺の行くところ。ついてきてよいとさえ言われれば、この不完全な体を引きずって地獄の果てでもお供する。

 ごくりと生唾を飲み込み、お言葉を待ったが言葉よりも瞳の方が遥かに雄弁だった。柔らかく安堵に満ちた瞳を金のまつ毛が瞬く。

「ええ、もちろん。リンクがいてくれなければ困ります」

「はい」

「ずっといてくれなければ嫌ですよ」

「醜く衰えてもですか」

「その時は私も一緒におばあさんになります」

「ゼルダ様はきっとずっとお綺麗です」

「分かりませんよ、魔女みたいなおばあさんになるかもしれません」

 あどけない笑みを返す彼女は、俺の知るゼルダ姫だった。俺の姿がどれほど変わろうとも受け入れてくれる。

 やはりこの方が俺の対だと思った。

 俺がゼルダ様をお守りするように、ゼルダ様も俺を庇護してくださる。主従としての一方的な保護欲を募らせていた時よりも、互いに想いを抱き合う今の方がずっと心地よく感じた。

 図らずも自身の男の象徴を失って、ゼルダ様と同じ形になってそのことに気が付いた。俺はもしかしたらずっと、この方と同じになりたかったのかもしれない。

 「よかった」と思わず言葉を零すと、「信じていなかったのですか?」と少し怒った素振りをする。もちろん信じていたけれど、でも不安がなかったと言えば嘘になる。

 ところがやはりというべきか、女王陛下の興味は俺の新しい体におよんだ。

「無いというのは、どういう状態なのですか。体は大丈夫なのですか?」

 ずっと体を重ねていた関係だからこそ容赦がない。互いに体の隅々まで知っていて、俺の無くなったものの形も分かっていて、上品な指先が空虚な俺の股座を指さす。

 確かに無いものはない。生えてくることもない。だが諦めて沸き立つ情動に従えば、案外この体で致すのも悪くはなかった。

 だが一般的に考えれば、無くなったらできないと思うのが普通だろう。昼間から寝所に通されたのも、俺がもはやゼルダ様とまぐわうことが出来ない安全な輩だと判断されている証左。いうなれば破瓜の血を太監が確認したのと同じことだ。

 犬も馬も、去勢すれば性格が丸くなり大人しくなる。

 ところがどうやら人間ばかりは、そうはいかないらしい。

「試されますか」

「え……?」

 一瞬、信じられないものを見るような顔をなさるので、やはり聡明なこの方でも予想がつかないこともあるんだなと思った。

 でも流石に自分でも苦笑交じり。実際、突っ込むものが無い俺とゼルダ様がどうやって睦み合うのか方法はよく分からない。でも望まれるのであれば、俺の方はいくらでも伽に侍るつもりはあった。

「以前のようにとはいきません。でも切り落としたのに、不思議と欲はあるのです」

「本当に?」

「だからもし望まれるのであれば、夜伽をお申し付けください。貴女とならば、違うものが見えるかもしれません」

 大きく見張る翡翠色の瞳が見る見るうちにまた涙をためた。

「嬉しい」

 かさつく唇が小さく嬉しそうに呟いた。 

 以前にもまして、ゼルダ様は情緒が不安定に見えて心が痛くなる。俺が臥せっていた二か月の間、周りに助けもなく随分と無理をされたのかもしれない。

 人目が無いのをよいことに、口付けを許してほしくてじっと大きな瞳を覗き込む。ところがゼルダ様は悪い子供を叱るみたいに、俺の口に人差し指を添えて首を横に振った。

「ありがとうリンク。でも今はちょっと駄目なの、ごめんなさい。そのことで話をしなければと思って……」

 話。なんだろう。

 でも話をしなければと言った彼女はなんだかとても幸福そうで、悪いことではないのだと察しはついた。きっと嬉しいことがあったに違いない。ならばそれをまずはお聞かせくださいと、背筋を伸ばす。

 そこへ、派手な音を立てて無理やりに扉が押し開かれた。

「女王陛下、これは一体どういうことですか!」

 ハイリア人侍女たちの制止を振り切って押し入ってきたのは太監と王配の二人だった。といっても、いきり立っているのは太監ばかりで、王配はただ面倒くさそうに袖を引かれて連れて来られているだけ。

 ぼうっと立ち尽くした王配は、俺の姿を見て「ああ、やっぱり」と肩を落とした。妻であるゼルダ様の方など見向きもしない。

「どう、とは?」

 寝台から発されたゼルダ様の声は凍てついていた。

 目の前にいる太監は宦官で、背後にいる王配は夫。隣にいる俺もまた宦官で、一応誰一人として女王陛下の寝所に立ち入ってはならない男はいない。

 ただ実際に立ち入ることを許されるかどうかは別問題だ。

 ところが委細構わず、太監は寝所の赤い絨毯に深々と足跡を付けた。

「昼間からお付きの騎士を寝所に連れ込んで、また逢引きかと問うておるのです! 本当に懲りないお方だ!」

「この者は、男ではありませんよ。男でない者を自分の寝所に招いて何の問題がありましょう」

 分かりやすい言葉が胸の痛いところに刺さったが、たおやかな手が痛みをかき消すように俺の指に強く絡まる。ゼルダ様は俺の手を強く引いて、手袋越しに小さな口づけを落とす様をまざまざと二人に見せつけた。「それでは逆ですよ」と苦笑すると、ゼルダ様は「構いません」と悪びれもせず笑う。

 ひぃと太監が息を飲む音がした。

「ここはわたくしの褥(しとね)です。踏み入れる者はわたくしが決めます、出てお行きなさい」

 有無を言わさぬ強い声に、それでもふてぶてしい太監が下がったのは一歩。早く出て行けとにらみつける。

 ところがその猫背の肩をポンと掴んで、首を横に振ったのは王配だった。

「太監、いや叔父上。もう萎えた、止めにしないか」

「殿下!」

「ゼルダの言う通り、あれは男ではない。男でない者を姦通罪には問えぬ」

 あーあと、だらしなくその場で背伸びをした王配は、あくびをしながら俺とゼルダ様の二人を交互に見る。

 憐れむような、それでいてどこか安心したような、不思議な面持ちをしていた。初めて王配を真正面から、色眼鏡なく見据えた気がする。

 この男はおそらく愚かではあるが、正直者だ。そういう目をしていた。

「薬を使って無理にでも女を抱くのはもう嫌だ。余程あの騎士の方が好みであったのに、どうして宮刑などに処した。余は宦官の趣味などないのに、あれではもう抱けぬではないか」

「男色のことは公言してはならぬと!」

「どれだけ隠しても、妻にはばれるとは思わんのか」

 ハッとして寝台の上のゼルダ様を振り返ると、静かに一つ頷いていた。

 この方は分かっていて、それで俺を求めたのだ。あるいは俺と情を通じることすら、王配と言葉のない密約があったのかもしれない。

 すべて蚊帳の外だったのは太監ばかリ。

 崩れ落ちる小柄な宦官に、王配は容赦なく言葉を浴びせ続ける。

「なぁ叔父上、帝位争いに敗れたのは余ではなく、叔父上の方であろう?」

 あとはもう好きにせよと適当な言葉を残して、王配はひらひらと手を振って寝所の外へ姿を消した。重荷をおろして嬉しそうな後ろ姿に、彼もまた被害者であり、ここへきてわずかに救われたことが見て取れた。

 残された太監は毛足の長い絨毯を掴んで、ぎりぎりと俺たち二人を睨みつける。

「それでも、種の残せない宦官を寝所に連れ込んで何とするのです? お笑い草だ、女王陛下が世継ぎを産まねば、王配殿下が側室をとって子を産ませても良いのですぞ」

 往生際が悪い。あの様子では、彼はもう女を抱こうなどとは思わないだろう。それでも、王配が「叔父上」と呼ぶからには、どうやら二人は甥と叔父の関係にあって、いまだに叔父にあたる太監が年若い王配を好き勝手操ろうとする。

 それがどれだけ無理のあることで、同時に皆が不幸になると分からないのか。

 いい加減この勘違い野郎を寝所の外へ放り出そうと席を立つ。流石に肉が削げ落ちて体が萎えていたとしても、小柄な宦官一人ならば問題はない。

 ところが、絡まっていた指がパッと放り出されたので驚いて何事か見やる。ゼルダ様が寝台の向こう側に体を乗り出して、水ばかりの吐瀉物を勢いよく吐き出して咳き込んでいた。

「ゼルダ様?!」

「だい、じょうぶ、です、リンク」

 ケホケホと咽こむ背を慌ててさする。すえた匂いがしていたのはこのせいだったのかとようやく気が付いた。

 彼女が嘔吐したことに気が付いた侍女たちも、すぐさま飛んできて慣れた手付きで処理をしている。太監は目を丸くして袖の長い服で鼻を抑えて嫌そうな顔をしていたが、俺はただ動揺して痩せた背をさすることしかできなかった。

 一体この人がどうしてこんな憔悴しきらなきゃいけない。少なくとも今は、この無粋な宦官を早く目の前から追い出してやろうと大きく踏み出す。

 しかし、待って、と制止の声があった。

 振り向くと、水を一口含み、居住まいを正した女王が寝台の上から太監を見下ろしていた。

「太監、ひとつ賭けをしましょう」

 ゼルダ様は上掛けをずらして、おもむろにお腹を一つゆるりと撫でる。

 分厚い上掛けで気が付かなったが、以前よりもふっくらしている気がした。そこまで見て、ハッとする。

「このお腹にいる赤子の瞳が、青いか黒いか。あなたはどちらに賭けますか」

 女王の翡翠色の瞳に射貫かれた太監は、まるで化け物でも見つけたかのような悲鳴を上げて走り去っていった。残されて呆然とする俺の手が、彼女のすべらかな手に導かれてふっくらとしたお腹に触れた。

「ハイラルの地がどれほど女神に愛されているのか、あの者たちはまだ知らないのだわ」

 俺に微笑みかける彼女の手の甲には、確かに淡く聖三角が光っていた。

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