5*視覚・月下の灯火
ゲルド砂漠から帰ってきてしばらくは、せめて力の目覚めに対して真面目に向き合おうとがむしゃらに調べ物を進めた。五感に関わる資料をさらに集め、その先の第六感へ至る道を探す。
その途中、視覚に関する医学書で、世の中には生まれつき色の識別が難しい人が居ることを知り、驚いた。感覚とはとても繊細で、合わせて自分の理解の及ばない境地への疑問が増えていく。
かくいう私も、実は世界が灰色に見えていた。
それはもちろん比喩的な意味であって、実際には色の識別はできる。ただ世界は無性に味気なく、色あせて見えて、むなしい気持ちでいっぱいだった。
僅かな記憶を辿っていくと、灰色に見え始めたのはお母様の葬儀の頃だったと思う。葬儀の日は雨だったこともあって、灰色に見えたのだろうと思っていた。しかし王族として、次代の姫巫女として、唯一の王位継承者として、顔を上げて毅然としなければと思えば思う程、世界はモノクロに沈んでいった。
それが最近、時折きらりと輝いて見えることがあった。
ウルボザの言葉を借りるのならば『世界の透明度が上がる』瞬間とでも言おうか。
「いえ、いったい、私は何を考えているんでしょう」
勇気の泉のただ中で乱暴に首を振って、まとわりつく雑念を追い払おうとした。
もうしばらく、ウルボザに見抜かれた恋心と戦っている。どれだけ考えてみても、やはりこの想いは私に相応しくない、余計なものとしか思えなかった。色恋で身を飾るなんて、今の私の身の丈にはあわない。
だから真っ白く純粋に、皆の考える清らかな姫巫女の像を示すことに神経を使った。
皆を守る姫巫女としてあるべき姿、周囲に不安を与えないように振舞う姿勢、力が無くともそう思わせるだけの何か。理想はある、だからと言って簡単に実現できるわけではない。
上手く振舞えずに躓くたび、理想の姫巫女からはかけ離れた出来損ないの被り物が足元に転がった。それがケタケタと笑い声をあげて「好きなんでしょう?」と叫び声を上げる。
一事が万事こんな調子で、祈りに没頭することなど到底不可能だった。
「不甲斐ない私をお許しください」
今もこうして言葉を選び、醜い感情をもみ消して、誰に対してかも分からない謝罪の言葉でうわべを取り繕う。
そんな綯い交ぜになった心のまま泉で祈りを捧げて数時間。暖かいフィローネの気候をもってしても、体の芯の方まで冷たさが沁みていた。腹の底から震えが起こる。そこへ追い打ちをかけるように遠雷が聞こえた。樹海特有の激しい雷雨が来る。
ふと、もし泉の水の伝うところ雷が落ちてくれないかしら、と思った。
そうしたら雷雨に打たれながら努力していた末の事故だったと、民は納得してくれるに違いない。諦めてもやむを得ない事情と臣下たちも認めてくれるに違いない。御父様も「よくやったが残念だった」と憐れんでくれるに違いない。
「雷が来ます、一度お上がりください」
でも誰よりもリンクが諦めることを許してくれない。彼はなぜだか私よりも私を信じ続ける。その理由を問う勇気はなく、崩れかけた天井の隙間から空を見上げると、ぽつりぽつりと灰色の空から水滴が落ち始めていた。
フィローネの樹海の奥深く、カズリュー川の辿った先に勇気の泉はあった。泉自体はゾナウ族の古い遺跡の中にあって、目の前は少し開けた場所がある。そこに天幕を張って寝泊まりをしていた。
今回は期間を少し長めに、10日間にわたる日程が組まれていて、護衛の兵やら侍女やら比較的大勢の供がいる。煮炊きもその場で行っていて、小さな村みたいになっていた。
「雷はまだ遠いですね……」
ぼたぼたと落ち始めた大粒の雨に打たれて、暗い曇天に照り返す稲光を羨ましく眺めた。
天幕に戻って着替えを済ませる頃には雨脚が激しくなり、雷は間近くに落散るまでになっていた。天幕の隙間に指を差し入れて外を覗くと、真っ黒な空を青白い稲妻が切り裂いて、間髪入れずに轟音が落ちる。
「ひゃっ」
さすがに今のは見える場所だったので、目を閉じて肩をすくめた。子供のころほど怖いとは思わないが、さすがに身構えはする。なおも稲妻は天を這い、時折舞い降りては地面を揺らして焦げた匂いをさせる。ものすごい威力だ。
そんな悪天候の中を走ってくる人の姿が二つあった。子供一人と大人が二人、人数分の食糧を調達しに行った兵士と道案内のレイクサイド馬宿の女の子だった。
今回のように滞在期間が長丁場で供も人数も多いときには、一度では食糧を運ぶことが出来なかった。また樹海特有の湿度と気温のおかげで食料もあまり日持ちしない。
その上、ほぼ道のないフィローネ樹海は兵士と言えども難儀する。そのため往復の案内を馬宿の子供に頼んでいた。何度も案内を頼んでいるので女の子の方も勝手を知っていて、珍しく私と飾らずに会話をしてくれる平民の知り合いだった。
「ゼルダ姫様、こんにちは!」
「ご苦労でした、どうぞ中へ入って。随分と濡れてしまったでしょう」
三人を天幕の中に差し招き、水没寸前の森から暖かい内へ案内する。ぽたぽたと水を滴らせている三人に、侍女に混じってタオルを渡した。
「案内、ありがとう。道中は大丈夫でしたか」
「はい! 姫様の騎士様が辺りの魔物ぜーんぶやっつけてくれたから、ぜんっぜん大丈夫でした!」
前歯が抜けていたその子は、花びらの欠けた大輪の花みたいに笑った。
どうやら私の警護から外れている合間を縫って、リンクが周辺の魔物まで排除してくれていたらしい。何もそこまで気を配らなくても兵士が付いているから大丈夫だろうに、彼の気遣いの幅の広さと言ったら並大抵ではない。
案内をしてくれたその子に駄賃としてハチミツアメをいくつか渡すと、彼女は嬉しそうに全てをポケットの中に押し込んだ。
「今食べてもいいのですよ」
「あ、えっと。馬宿に帰る前にフロリア橋のたもとで食べようかなって思って」
「フロリア橋に何かあるのですか?」
「あそこからの景色が好きで、特別美味しいお菓子はそこで食べるって決めてるんです」
レイクサイド馬宿を少し過ぎたところにある天然の木々に支えられた橋だ。北側にたくさんの滝が重なるように見える、確かに景色の良いところ。美味しいものを食べるのなら、景色の良い場所でというのは正解だと頷く。
でも同時にこのフィローネ地方は雷雨の多い土地柄でもある。
「でも、あそこは手すりもありませんし、今みたいな雷も怖くはありませんか?」
「大丈夫です! わたし雨も好きだし、雷も好き!」
彼女はにかっとまたヒマワリのように笑って歯を見せた。
「雷は確かに怖いけど、ちゃんと場所を選んでいれば安全だし、それに雷は空にお花が咲いたみたいで綺麗だなって。あと雨も私は好きです。緑の濃い森に雨がキラキラくっついて輝いて見えるから。こうやって雨が降った後に晴れると、お花が星で飾られているみたいできれいなんですよ!」
いつか雨上がりのフロリア湖をご案内しますと胸を張るので、私は「よろしく」と微笑み返した。
それからしばらくの後、雨が上がると彼女は馬宿へ戻っていった。うっそうと茂る森の中へ、小柄な影が消える。私は溢れんばかりの笑みを思い出して、こっそりため息を吐いた。
雷も雨も花も滝も、綺麗だと思う心はある。分かる、確かに美しいものだ。でも私にはどこか味気ない。
最近は、好きだった姫しずかさえ輝きを失いつつある。好きだったものまで嫌いになるなんて、私は相当に心が疲れているのだろう。
でもそんなことを言って子供を困らせるのは本意ではなかったので、話す間は意図せずともバレない程度に笑いを顔に張り付けておくことができた。強張った頬を自分でもみほぐすのも慣れっこになった。
「姫様、御夕食までお外を歩かれても大丈夫ですよ」
遠回しに気分転換をして来いと侍女に言われた気がして、リンクに目配せをすると無言で付いてきてくれた。
本当は一人で歩きたい。彼と一緒に居ると心の中が洪水みたいになって落ち着かなくなる。しかし例え周囲に魔物がいなかったとしても、私が一人で出歩くことは許されないし、それで痛い目を見た過去があるので無理は言えない。
重い体で潜り込んだ雨上がりの樹海は、まるで水の中を歩いているようだった。
密度の高い木の葉が互いに擦れながら揺れて、樹海はその全体で歌を歌うようにざわめく。そこに大量の雨粒が不規則なリズムを刻んで、まるで一つの動物のようにも思えた。
本来であれば、あるいは無邪気な幼い頃であれば、この不思議な動物の胎内のような森に私の心は躍った。しっとりとした大きな葉に手をやって、隠れた花を探し、梢で踊る蝶を愛でただろう。でも今は全て輝きを失って、何も魅力的に映らない。
もしくは、慈しむべき世界の中で己一人が醜い存在にも感じる。
「どうかなさいましたか」
わずかな表情の変化とため息と重い足取り、これだけ材料があればリンクに気重が見抜かれるのは当然のことだった。体調を気遣うのを装って、ひそやかに私の気持ちを察してくれる。ありがたい反面、原因は分かっているので心苦しい。誰のおかげで体と心が引き裂かれそうかと文句を言いたいのに、さりとて厄介払いもできず、素直に言えば傍にいてほしい。
頭の中で身悶えしながら、澄まし顔で振舞う努力を誰か誉めてほしいぐらいだ。香水の一件以来、私は自分の気持ちに急に自覚的になりつつあった。
私は彼に懸想していて、それにおそらく彼も私のことをそう悪く思っていない。
どうでもいい相手だったら、仕える主と言えども心までは守ってくれない。ククジャ谷で聞いた心音はつまりそう言うこと、憎からず想ってくれている。
それは乙女の私にはとても嬉しいことでもあり、一方で祈りに没頭せねばならない姫巫女の私にとっては毒でもあった。
「いえ、どうして私は駄目なのかと、考えてしまって」
腐りきった果実のような言葉を投げ捨てれば、
「いずれ、お力に目覚めます」
と、彼はすぐさま傍に寄り添ってくれる。
誰でもない彼の心根に付け入るに飽き足らず、自分の不出来を彼に慰めてもらっている。なんて浅ましい、腐った心根の女だろうと顔を伏せて歩くと、木陰に赤い花を見つけた。綺麗な花だなとは思ったが、やはりそれは一瞬で色あせていった。
花の名はハイビスカス。やにわに一つ手折ったが、生憎それは香りを楽しむ花ではない。
「また変なことを言っていると思うかもしれませんが」
ちゃんと前置きをしておかないと、気狂いか何かを疑われてしまうかもと身構える。
「私には、世界が灰色に見えるのです」
でもちゃんと説明すれば理解してくれると、心は寄りかかっている。
「安心してください。この花が赤だというのは見えています。でも、何とも味気ないのです。花だけではなくて、濃い葉の緑も、晴れた空の青さも、泉の水の清らかな透明も、みんな色あせて灰色に見えるんです」
自分が見ている世界が本当にそうであるのか、というのは突き詰めれば自己認識によるものだ。生まれつき特定の色だけが見えない人は、色が見えていないことを指摘されないと気が付かないのだという。だとしたら、私が赤いと思っているこの花が、他の人には青く映っている可能性すらある。
そういった具合に、私が周囲の認識とは全く違うものに祈りを捧げ、ゆえに出来ないと苦しんでいるのだとすれば。
そんな覚束ない期待を胸に、赤いハイビスカスをリンクに差し向けた
「あなたには、何色に見えますか」
赤いハイビスカスの花言葉は『勇敢』、彼を飾るのに十分な花だ。でも確かもう一つ花言葉があって、それは『新しい美』だったと記憶している。
美しいものなど、私の眼は何一つ映さない。だから恋心と同じ、私には分不相応な花。
「赤く見えます」
「よかった、同じに見えていて」
有難いことに、そして残念ながら私の瞳は正しく色を映していた。私の感覚はリンクと同じで正常であり、よって祈る女神を間違えているわけではないと知る。
だとしたら、間違えているのは祈りの捧げ方なのではないだろうか。
遡れば幼いころはハイラルのため、国の安寧のため、民草のためにと祈りを捧げていた。その次は現れた勇者の対となるべく、彼と同じものが見えるようになりたいと願った。でも次第にどうして同じものが見たいのか、どうして同じものを感じたいのか、考えるたびに理由が形を変えていく。
私は祈りと恋の区別がつかなくなっていた。恋しいから同じものを見たいのか、同じものを見るために恋をしているのか、違いが分からない。
勇者の対の座は、恋心と紙一重のところにある。
恋をするべきではない、でも彼の隣には並び立たねばならぬ。この二律背反が苦しい。
私がリンクと同じものを感じたいと願う時、そこに愛おしい気持ちが一片も介在してはならぬのですかと問うても、女神は一向に返事をしてくれなかった。
「でもやっぱり私の世界は灰色なんです」
無味乾燥とした世界に取り残された幼子の気分だ。
「リンクには、世界がどんな色に見えているのですか」
背を向けてしゃがみ、摘んだハイビスカスを水に浮かべた。ゆっくりと花弁を揺らしてそれは流れていく。
背に従えた騎士はしばらく押し黙っていた。
「……申し訳ありません。私には、よく、分かりません」
随分と悩んだ末の返事だった。
いや、確かにその通り、問いが抽象的すぎる。哲学の先生でもなければこんな問いには答えられない。彼は騎士であって哲学者ではない。
ざわざわと樹海が騒ぎ始めたので立ち上がって振り向いた。もう一雨来そうな風向き。天幕へ戻った方が良いのかもしれない。
もういい、現実に帰ろう。
「ごめんなさい、無駄な話に付き合わせてしまいました」
「無駄話とは思いません」
大真面目な顔をするので、思わず頬が緩んだ。
「あなただけはどんな世迷いごとでも真面目に取り合ってくれるので、つい余計なことまで言ってしまいます」
言い捨てて歩き始めると、わずかにムッとした声が後ろから続いた。
「どうして私が、姫様のおっしゃることを疑わねばならぬのですか」
そんなところまで私を庇わなくてもいいのに。そんなに優しくされたら本当にどうにかなってしまいそうで、自嘲の笑みを浮かべた。
「無才の姫の言うことなど誰も信じません。それが絵空事であればなおさらです」
「それでも私は信じます」
私の戯言に間を置かず答える彼の必死な眼差しが、痛く心に突き刺さった。
ありがとう、と伝えたかったが、今の私には難しい。どうしてそんなに信じられるのだろうか、純粋に信じ続けるのは物凄く難しいことだ。でも彼は強い、身も心も強いから、それが出来てしまう。
信じられるというのが、ずるい。
とんでもない言いがかりをつける心を叱責して、逃げるように天幕に戻った。
その後の雨は雷を伴うこともなく、サッと降ると湿度だけを残して止んだ。しばらくは晴れそうだったのでもう一度巫女服に袖を通し、夜の泉に足を踏み入れる。
欲、ひがみ、嫉妬、いくら沐浴をしても洗い流せない汚濁を抱え、静かな夜更けに女神に向かった。それでも脳裏に甘く苦い感情が湧いては消え、泡を残して心をざわつかせる。こんなふしだらな姫巫女は、後にも先にも私ぐらいだろうと暗澹たるため息を吐いた。
「姫様」
蛇の口を模した遺跡の中に、コツコツと靴の音が走って来た。
「どうしました?」
雷でもないのにリンクが呼びに来るというのは稀なことだった。泉では特に神聖な場に踏み込まないようにと、あまり近づかない。何か大変な事態でもあったのかしらと、振り向くと後ろを気にしながら泉に淵まで来ていた。
「申し訳ありません、少しよろしいですか」
何事かと身構えたが、非常時のような張り詰めた気配はない。
「お見せしたいものがあるのですが、お時間頂いでもよろしいですか」
首をかしげながら手を差し伸べると、いつもとは違って少し強引なぐらいに手をひかれた。大股で歩いて、何か急いでいる。
あれよあれよという間に泉から遠ざかり、蛇の口の開いたところまで来て、南の空を指さした。
「あれを」
「まぁ、なんて」
そこから先は言葉にならなかった。
虹があった。夜の虹、月虹。
蛇の口の後背に控える巨大な満月の光が、樹海の真上に薄い七色を発するアーチが映し出していた。昼間の虹に比べて白く淡く、今にも消えてしまいそうな月虹は、それでも辛うじて目に七色の色を捕らえることができる。さらには外側にもう一重のアーチが出来ていて、雨後の湿度の高い空気に副虹まで映し出していた。
「以前見たものよりも大きくて綺麗です」
声を失くしていた私の横に立って、彼も目を大きく見開いていた。その横顔がいつもの無表情ではないことに別の意味で驚く。
「リンクは月虹を見たことがあるのですか?」
「はい、フィローネ樹海で夜間戦闘訓練を行った際に一度」
月虹は見た者に幸福を運ぶとされている。そんなものを二度も見たことがあるなんて、やはり彼はただものではない。まさしく女神に祝福されているに違いない。
でも今、私も彼と同じものを見ている。幸運をたくさん持ち合わせている彼に負けじと、薄い七色の架け橋をしっかりと目に焼き付けた。
「さきほど世界が何色に見えているのかと聞かれましたが」
「あれは忘れてください。ただの八つ当たりですから」
わざわざ向き直って言い出されては、私の方が恥ずかしくて顔を背けた。そんなところばかり、誠実で、真面目で困る。聞き流しても良いこともあるはずなのに、そういうところは未だ心の機微に疎い。
「なんとお答えすればよいのかが分からなくてあのように答えたのです。でも気になって考えていました」
また虹の方に顔が向かう。私はその横顔をこっそり垣間見た。ほとんど変わらない横顔。でも湿度でしっとり湿った髪をわしゃわしゃと撫で繰りまわしたら、いったいどんな顔をするのかしら。
「私にはたぶん、まだ色が良く見えておりません」
「見えていない?」
「明るく照らすものがないので、世界がどんな色をしているのかよく分かりません」
彼の口から灯りがないというのはとても不釣り合いな気がした。なんなら女神の祝福は灯りですらないとも取れる。それは女神にはとても失礼なのではないか思うが、だとしたら何が彼を照らすのだろう。
すでに頭上に太陽を従えているも同然であるはずなのに、これ以上何を望む。
まだと言うからには、いつか明るい光の下に出るのだろう。その時初めて世界の色を見る。私の見るくすんだ灰色の世界ではなくて、もっと広くて色鮮やかな世界が彼を祝福する。
羨ましい。その時、彼の太陽になるのは一体何なのだろうか。
「だとしたらリンクにとっての灯りとは何ですか?」
「私にとっての灯りは」
私が彼を見たのと、彼が私と見たのとはほぼ同時だった。
音がするほどかち合った視線。その熱さに驚いて即座に顔を背けた。もちろんリンクも同じでザッと音がするほど首を反対へ向いた。
でもよく見ると、ほんのりと耳の先が赤い。思わず見て見ぬ振りをした。これは、これ以上の追及はお互いにとってあまりよろしくない。
「いえ、無理に答えなくて結構です」
「申し訳ありません」
互いの隙間に埋まるものが、ただの空気ではないことを知るのに十分な衝撃だった。
「……ゼルダ様の世界が、少しでも色づけば良いのですが」
言葉を真摯に選んでいるように見えて、まわりまわってかなり直情的な言葉を紡ぐ。本人はそれに気が付いているのかも怪しい。ただ、随分と努力して話をしている風だというのだけは分かった。
「あ、あの、わざわざありがとうございます」
「差し出がましいことを申しました。お忘れください」
月虹はそれからすぐに消えてしまった。通りで強引に引っ張っていくわけだ。本当に限られたわずかな間しか出ていないらしい。今夜は運よく、リンクの幸福のおこぼれにあずかれた。私一人だったら到底気づかなかっただろう。まさしく僥倖に巡り合えたというわけだ。
泉に戻って祈りを再開しても、瞼の裏に白く輝く月虹が見えた。久方ぶりに美しいものを美しいと思えた理由を探ると、夢が思い出された。お母様とユニコーンの夢。
あの時、お母様は『心は感じたいように物事を感じる』とおっしゃった。その意味が後から後から劇物のように心を蝕む。
世界が灰色に沈んで見えるのは私がそう望んでいるから。逆に月虹が美しいと思えたのは私がそう思いたかったから。同時にリンクも私に美しいものを見せたかったから、自分が美しいと思うものを見せた。
想い合うことが許された仲ならば、手を取り合うには理由は十分。でも決して許してはならない。
「私はあなたの灯火にはなれません……」
求められようとも応じてはならない。応じれば身も心もそれを認めて、他の全てを投げ出したくなる。それは『ゼルダ』の価値がなくなり、私がハイラルから不必要とされるのを意味する。
消えて残念だと思った月虹が、今は消えてくれてよかったと大きく息を吐き出した。