実際のところ、世界は素晴らしいことばかりではなかった。
リンクがいればこそハイラルを愛そうと思えるだけで、私にとって世界は辛い場所に変わりはなかった。
結局力が目覚めぬままラネール山を下りた途端、恐れていた厄災が復活した。民の多くが犠牲になり、英傑はみな倒れ、御父様も亡くなった。そして彼もまた百年の眠りにつくことになった。それが全て私の17の誕生日から始まったことなのだから堪ったものではない。やはり世界は私を愛してはいないし、私も世界が好きではない。
『でも』というべきか、あるいは『だから』というべきか。その段になってようやく、私は力を得た。遅きに逸した、だが当然のタイミングともいえる力の訪いだった。
リンクを回生の祠へ運ぶように指示し、私自身は退魔の剣を迷いの森に封じた。それから単身ハイラル城に戻り、巣くう厄災を前にして女神に願う。
「女神ハイリアよ、喜びも悲しみも私の全て捧げます。代わりにあの人が再び目覚めるまでの間、どうかお力添えをお願いします」
我が身一つで彼の命が贖えるのならば、全てを捧げることに何の躊躇もない。これが五感との引き換え、もしくは悦びと引き換えに願う祈りの正体。あながち悪夢も間違いばかりではなかったと悟ると、自ら進んでこの身を厄災に喰わせた。
最初こそ、厄災は恐ろし気な形に変えて私を脅したが、効果がないと分かると次第にその姿を闇に変じるようになった。
純粋な闇の中ではまず瞼が意味をなさない。目を開けているのか閉じているのか自分でも判断できなくなる。音を奪われると自分の体の音しか聞こえなくなり、それすら次第に消えていく。触れる感覚が奪われると四肢どころか体の部位が分からなくなり、自分の体の形すら忘れていった。睡眠と覚醒の堺が無くなり、前後左右が不明となり空間が消え失せ、時の概念が消失し、己と闇の境界が無くなっていく。
一瞬でも気が狂えば飲まれて終わる。残ったのは祈りだけだった。
ひたすら無事を願い続けて幾星霜、ある日突然、慣れた闇に糸のような光が差し込んだ。それでようやく、待ちわびた人の目覚めた気配を察した。
光は徐々に覗き窓のように開いて久しぶりに瞳に映した光景は、着の身着のままで野生馬を駆るリンクの姿だった。着丈の合わないぼろぼろの服を着て、裸の野生馬を駆り、屈託のない笑顔を見せる彼はまるで知らない人に見えた。でも知っている。
夢の中でお母様と眺めた窓の外の光景、あれはまさしく百年後の未来のことだったのだ。