それから二年と少し、彼の教育係として三年半以上が経過した年始のことだ。城で行われる新年のパーティー会場の片隅で、自ら壁の花を決め込んだリンクを私は遠くから眺めていた。
周囲には両手には抱えきれぬほどの花、いや、リンクが花ならば群がる彼女たちの方が蝶か。片手には収まらぬほどの貴族の子女たちが群がっていた。なかなか壮観な眺めである。
というのも、血筋を気にする貴族や王族は子の誕生日を気にするが、平民たちにはそういった風習はない。平民たちは年の初めに年齢を加算する。十二月に生まれても一月に生まれても、みんなせーので年始に歳をとる。平民の例に漏れず、リンクもついさっき一つ歳を重ねたところだ。
そうして彼は十七になった。つまり成人だ。
よって私は晴れて教育係の任を解かれて陛下のお傍へ戻り、彼もまた近衛騎士として一人前の扱いを受けるようになった。いや、本来一人前じゃない近衛騎士なんていないんだけどね、彼は例外中の例外だ。
「……申し訳ありませんが、警固の任がございますので……」
遠くに聞こえる落ち着いた声色は、初めて会った頃の声変わり直後の幼さはもうない。容易に脱がされるほどの初心さもなく、チェスも五回に一回ぐらいは勝ちに来るようになった。当然、ダンスだってもうちゃんと踊れる。
ただ思ったよりも身長は伸びなかったなァ、それだけは実に残念だ。さながら親戚の叔父みたいな心境で、彼の周囲に群がる子女を見ていた。
普通は高嶺の花が女で、群がる蝶が男だろうに、完全に立場が逆だ。リンクという一輪に無数の蝶がまとわりついている。成人したとはいえまだ彼はつぼみだ。それを解さない蝶たちは、我先にと花びらを必死にこじ開けようとしている。近衛の仕事さえなかったらあそこに飛び込んで、「私が育てました!」と生産者を自称して追い払ってやりたいぐらいだった。
「……気がかりですか」
久々に隣の位置に戻った同年代の同輩騎士が、私の視線の先に気が付いてそっと声をかけてきた。見ていたものを悟られ、苦笑する。ええまぁ、と曖昧に頷いたが、それでもやはり彼から目を離すことができなかった。壇上におられる陛下から目を離すなんて近衛騎士失格だ。
「あれには、もっと慎ましやかな娘の方が良いと思うのですがなァ」
無意識に出た言葉に、同輩騎士がブフッと噴き出した。
何か変なことを言っただろうかと眉をひそめると、同輩は笑いを堪えながら目を細めていた。
「だいぶ入れ込んでおられるようだ」
「私が?」
「ええ、少なくとも以前の貴方なら、どうでもよいとおっしゃられたでしょう。ご息女の輿入れも一瞬で決めてしまわれたのに」
そういえばそうだったな、と思い出してぽかんと口を開けた。
娘の輿入れ先は同じく近衛騎士をよく輩出する家門の長男に決めたし、息子の嫁は本人が見初めた娘だったが亡き王妃様の侍女だったので特に何も言わなかった。問題がなかったので特に口出ししなかったが、そういえばそうだ。この手の話題で難色を示すこと自体、私にとっては非常に珍しい。
意外な事実を突きつけられ、リンクの教育係をしていたこの数年を振り返る。脱がせたり、毛並みを整えたり、女装させたり、脱いだところを見せつけられたり。色々やってきたが存外私は彼のことを気に入っていた。
だがそれを改めて指摘されると気恥ずかしい思いがする。すると同輩は揶揄することもなく、分かる気がしますよ、と話を続けた。
「彼は何と言うか、……何とも言えぬ人たらしだ。それはおそらく、男も女も関係がない」
「そうですかねェ?」
「知っていますか。彼に惹かれている騎士、意外と多いんですよ。もちろん愛憎裏返しで敵意をむき出しにしている者も多いですが」
ほう! と小さく感嘆の声を上げると、同輩は「恥ずかしながら私もです」とはにかんだ。
「一度戦場で助けられたとき、ああ、この青年は誰にでも分け隔てなくこうなのだろうなと思いました。侍女たちに人気なのは当然として、彼を慕う騎士や一般兵卒は意外と多い。みな、魅入ってしまうのかもしれません」
「だとしたら私も彼にほだされた一人ということですかな」
「あれは一種の魔性でしょうかね。免疫のない小娘どころか、どこぞのご婦人まで……」
ほら、と同輩騎士が促すので再びリンクの方を見ると、瑠璃紺の落ち着いた色合いのドレスを纏った貴婦人が、彼を取り巻く人垣に斬り込んでいくところだった。ただその後ろ姿を見て、背筋に緊張が走る。あれは若い騎士たちに片っ端から手を出していると噂のご婦人に違いない。
どうやら表立ってはリンクを困らせないように、うら若い乙女たちを窘めて解散させているようだ。しかしその実、婦人自身がリンクの隣を陣取ろうとしている。
歴戦の貴婦人を前に、うら若き令嬢たちはなすすべなく去ることを迫られる。まるで集まった蝶たちが一匹の鉢に追い散らされたみたいだ。その彼女の手にはグラスが二つあって、片方がリンクの手に渡る。いくらかの押し問答があったようだが、最終的に彼は渋々グラスに口を付けた
その瞬間、私は大股で歩き出していた。
「申し訳ない、少し離れる。あれはまずい」
「……構わない、行ってやってくれ」
同輩騎士も同じことを思ったのか、私が空けた穴を何事もなかったかのように埋めてくれた。そのことに十分な礼を言う余裕もなく、私は速足で二人のもとへと行く。突然現れた歳のいった近衛騎士に貴婦人は大層驚いた様子だったが、「陛下がお呼びだ」とリンクに向けて言えば舌打ちせんばかりにこちらを睨みつけて去っていった。
周囲には悟られないように介添えをしながら会場から抜け出る。表に出てからすぐに「吐け」というと、草むらに向かってリンクは口に含んだ酒を吐き出した。
「不用意に口を付けるなと教えただろうが!」
「……毒、ではないと、思います」
「そりゃそうだ、君を殺して得をする立場じゃない。あれは男遊びで有名なただの年増だ」
「じゃあ、これって……、熱いの、これ……」
厄介な物を盛られたなと思って、慌てて担いで彼の部屋へと急いだ。
服を緩めて水を飲ませる。たったひと口で火照るほどの媚薬なんて、いったいあの女どう収拾つけるつもりだったんだ。
すでに年明け早々から、リンクがゼルダ姫殿下付きになることが公表されていた。ここで失態があれば大きく響く。勝手に警固の任から抜けたのはまずかったが、さりとて捨て置ける話ではなかった。
「上官どの……」
うっすらと持ち上がった瞼の隙間から、熱にうなされて潤んだ青い瞳が見えた。それを見た途端、同輩が魔性と称した意味を理解できた気がした。かつては愛妻家として名を馳せたはずの私ですら、目がくらんだ。今でこそ定期的に娼館に足を運ぶ私だが、こうなったのは妻が亡くなってからのことだ。
「私がいない方がいいかい?」
抜きたいなら抜けばいいし、一人の方がやりやすいだろう。至極まっとうなことを言ったはずなのに、リンクはしばらくぼんやりとしてから珍しく曖昧に首を傾げた。
「……わかりません……」
「君が分からないなら、私にも分からん」
「う、ううん……」
これは媚薬以外に睡眠薬でも入っていたか、少なくとも常とは全く違う状態であることは明らかだった。どうしたものか、下手に衛生部へ連絡するのもどうかと悩む。うーんと唸りながら腕を組みかえようとした瞬間、不意にその腕を引っ張られて体勢を崩された。
「お、おぉ?」
相応に年は食っていたが、現役の騎士である自負はあった。生半可な相手に体勢を崩されるほど弱くはない。だからこそ侮りが全くなかったとは言わないが、だが私を押し倒したのは遥かに小柄な彼だ。
気づけば私が彼のベッドに背をつけていて、彼は私の腹の上に馬乗りになっていた。ほんの一瞬の出来事だった。両腕を上から押さえつけられていて、どれだけ力を込めてもゴロン族に押さえつけられているのかと錯覚するほど動かなかった。
「いて欲しいです……でも上官殿がいたら、おれ何するか、自分でもよく分からない」
言葉の切実さと、行動がちぐはぐだよと思うも、茶化す勇気はなかった。それぐらいに目は熱っぽく、声が震えていた。
加えて、緩ませた服の中に、明らかに熱を帯びているものがある。それ自体はしょうがない、そういう薬飲まされたんだから、しょうがない。だとして、どうしてそれを私に押し付けてくるのかは、理解しないように平静を取り繕った。
「薬のせいだろうねェ」
「薬のせいでいい。そうでもなきゃ、こんなことできないから」
ふと顔を近づけてくるので思わず身構えたが何のことはない、彼は私の頬を舐めた。
チロチロと控え目に、例えるなら拾ったばかりの野良犬が許しを請うかのように、私の頬を舐める。抵抗する気が失せてしまった。どうにでもなれと思って体から力を抜くと、ふと体が軽くなる。上着を脱いだリンクが私の腕の中に自らころりと入り込んだ。
「抱いて、もらえませんか」
「……んー、やだ」
「あれだけ俺にセクハラしてたのに」
「それとこれとは話が別だ」
君はこんなところで男に、しかもオジサンに抱かれている場合じゃないだろうと思う。いずれは予言通りに厄災を討伐して、それこそ伝説に名を刻む青年のはずだ。女性など選びたい放題のはずだし、望めば姫君だって得ることも夢じゃない。
それがただのオジサン捕まえて言うに事欠いて抱いてくれとは何だ。もう少し夢を見ろと怒りたくもなる。
「どこで教育を間違えたのやら」
「上官殿のせいです」
「相違ない」
最初に脱がせたのが悪かったのか、それとも淑女の服を着せたのが間違いだったのか。結局後悔するのは陛下ではなく自分だった。私が彼の本性を見誤っていたのが敗因だ。
ひっしとくっついて離れないこの愛らしくも憎い青年の頭を優しく撫でると、薬のせいか随分と甘い声で鳴いた。仕方がなく手袋を外して上着も脱いで、手っ取り早く彼の下履きも脚から引き抜いた。それから華奢な肩を抱き寄せて、すでにだらだらと涎を垂らしている竿に手を伸ばそうとする。
以前はもっと小さくて可愛らしかったのに立派になって、まばらではあったが毛も生えていた。おやおや、いつの間にやら成長したようで私も嬉しいよ。
ところが違うと彼は首を横に振った。
「こっちがいい」
とろんとした目つきだが、的確に私の手を別のところへと導く。指を添わせた後孔は、あり得ないほどやわやわとしていた。年端も行かない従卒や従騎士の少年を無理に抱くことはなかったので半ば勘ではあったが、こじ開けられた回数が一度や二度ではないように思う。
だが彼がどこかの騎士に抱き潰されたことはない。それはずっと見ていた。十三の頃から私が彼の傍にずっといて、誰にも傷つけられぬように見守ってきた。私はそのためにわざわざ彼に付けられたのだ。
だとしたら?
「いつもこっちで抜いてたのか?」
秘めやかに「はい」と答えた唇は、珊瑚色に濡れている。申し訳ないが馴染みの娼婦よりもよっぽど色気があった。
「んっ、あぁッ、……うしろ、いれて…!」
両腕は私の首にすがって自ら竿をしごくこともなく、ただ後孔に沈んでいく私の指だけで彼はあでやかな声を上げた。漏れ出る吐息が耳に痛いほど張りついた。苦も無く飲み込んだ二本の指を中でばらばらと動かせば、身体がしなやかに跳ねた。
「あぅっ……ごめんっ、なさい、……なか、きもちいいぃ………!」
「これが君の望みかい」
「はいっ、……あ、あ、…ッじょうかん、どのっ…ぁッああ!!」
訓練でいくら打ち合っても上がらない彼が、これほど大きく口を開けているのは初めてだった。最近は法螺を吹こうとした瞬間に背ける長い耳が、今は情けないぐらい真っ赤に熟れて垂れていた。おちょくろうものならムッと睨んでくるほど冷めていた瞳が、熱を帯びてとろりと融けていた。
自らは一切触れることもせずに解き放った精が彼自身の腹を汚す。それを見届けると私はおもむろに指を引き抜き、指と一緒に彼の腹を拭った。
「手短でスマンが、ひとまず収まったなら水飲んで寝ておけ」
ゆっくりを布団をかけてやると、彼は半泣きになりながら布団を頭まで引っ張り上げた。すっぽりと籠城する。こういうところはまだ幼さが残っているのだなと、少しだけ安心した。
布団の中からくぐもった小さな声が聞こえた。
「すいません……」
「不可抗力だから気にするな。……それに君に思われるのなら、そう悪い気はしない」
ただ、年甲斐もなく溺れかけた自分には少しだけ危機感はあった。いくつ年齢が違うと思う? さすがに息子よりも年下の、名実ともに少年に毛が生えたばっかりの彼に溺れるのはまずい。
するとリンクの方がそろりと布団から顔を覗かせ、落ち着きを取り戻した青い目がぱちぱちと瞬きをしていた。
「……ほんと?」
「君、図太くなったねェ」
「あの、だったらこの間チェスに一回勝ったときのお願い、今使ってもいいですか」
嫌な予感はしたけれども、これまで何度も言うことを聞かせていたので断ることはできなかった。しょうがないと頷くと、嬉しそうに目を細めながら彼は恥ずかしそうに布団を目元まで引っ張り上げた。
「いつかちゃんと抱いてください」
「えーやだなぁ、……じゃあ厄災倒したら」
「……はい」
そういう、実に不用意な約束をした。
それが守れるかどうかも分からないのに、随分と未来の約束をしてしまったものだと私は後悔した。
「どうして戻ってきた?!」
厄災が溢れた日、気付けば彼は殿下を連れてハイラル城間近まで戻ってきていた。
どうしてラネール山からここまで、殿下を連れ戻ってきたんだ。状況を見て少し考えれば分かるだろうに、殿下が戻りたいとおっしゃったのだろうか。
それにしたてやっぱりリンクは単身で動くことしか考えていない。隊を動かすことには向いていない。
厄災が溢れ、ガーディアンに乗っ取られたハイラル城に戻るなど愚かの極みだ。他に防衛している拠点に駆け込むべきだろう。むしろガーディアンがうようよ動いている平原を、どうやって戻ってきたんだこいつは。
「ゼルダ様を連れてアッカレへ行け、我々は陛下をお助けしてから後を追う!」
ただ一点、殿下に大きな傷なく連れていることだけは褒めてやりたかった。
退魔の剣を振ってすでにいくつものガーディアンを屠ってきたのだろう。やはり勇者は強い。彼と殿下を中心に軍を立て直すことができれば、もしかしたら前線を押し返すこともあるいは可能かもしれない。
だからこそ、今は彼と殿下を安全なところへ退かせなければならない。それが私の最期の仕事だ。
もたつく彼に向け、ありったけの力で怒鳴った。
「私の言葉が信じられんのか、殿下を連れていまは退けェ!」
ぎゅっと青い瞳が苦渋に歪んだが、殿下の手を取ったリンクは踵を返して走り始めた。青い影が土煙の中へ消えていく。
これでいい。
しょうがないので君の上官殿はちゃんと仕事全うするよ。だから君も勇者の本分を全うするがいい、できればその後の人生もまっとうできたらいい。
「あーあ、ボクもとんだ貧乏くじだな」
でも悪い気はしなかった。私が貧乏くじを引いた分だけ、誰かのところに幸運が行くと考えたら案外それも悪くない。彼のところに幸運が行けばそれでいい。
貧乏くじを引いたにしては上機嫌で、鼻歌を歌いながら私は剣を抜いた。
了