それからいくらか季節が過ぎる頃には、初心な少年だったリンクにもさすがに人間的成長があった。
まず第一に、容易には私の言うなりにはならなくなった。今も、初めて会った時には想像もできなかったほど険しい表情で、私を睨んでいる。
「承服いたしかねます」
「え~、こう見えてもボク、君の上官だよ? しかも教育係も兼ねた上官だよ?」
「平民にも最低限の尊厳というものがあることを学びました」
あらま、いつの間にか賢くなっちゃってる。残念。
ただ、こうして彼が知恵を付けて抵抗する程度には、職権をうきうきで乱用してきた自覚はあった。
あれからまず手始めにいじったのは髪だった。
せっかく綺麗な毛並みになりつつあった髪の毛だが、青い髪留めを着けているぐらいに長いので少し編み込むように言った。怪訝そうな顔をしたので「髪が乱れなくて動きやすいらしいよ」と、いつも艶やかに髪を編みこんでいる知り合いの娼婦の言を引用すると、ひどく納得した様子で次の日は立派に編み込んできた。女児かと思った。他の騎士に笑われた途端、冗談だったと気が付いて慌てて髪を解いていた。結局、うねる前髪を隠すために制帽を被る際にはおでこを出したのがそのまま習慣となった。
次に念願の淑女の服を着るように強要してみた。
当然ながら彼は酷い抵抗感をあらわにしたが、「近衛騎士たるもの、陛下や王族方のいらっしゃるところへは必ず同行しなければならない。だからゲルドへ行く際にボクたちは女装をするのだ」と言えば、素直に信じて淑女の服を着た。そんなことはないと他の近衛騎士に呆れられると、彼は私を下から抉るように睨みつけた。
さらには王族の身代わり練習として、手足を縛ってみるなどもしてみた。
どうにかして縄を抜けるよう言いつけ、私はお茶で一服しながら彼が藻掻く様をしばらく眺めてみた。本来は服の裾などに小剣などを仕込んで縄を切って逃げるが、安全に配慮して刃物は預かっておいた。大事な勇者に傷でもついたら大変だ。彼は小一時間藻掻いたあげく、手足がぐるぐるに絡み合わせて蟹股で硬直したので、さすがに不憫に思って小剣を返してあげた。この頃には、隠しもせず舌打ちをするようになっていた。
これ以外にも様々なことをしてみたが、いずれも面白いように彼は私の法螺に引っかかった。なのでいまは初心に戻って、ちゃんと制服が着られているか脱いで確認させろと言っている。当然のごとく拒否られている。
「リンク君がちゃんと近衛の服着られているか、教育係としては確認する必要があるんだよ」
何しろ今回は、各種族の里を視察される陛下の護衛の一員にリンクが加わることに決まったのだ。彼が近衛騎士になって以来、初めて近衛らしい仕事、つまり陛下のお供として勇者を各地にお披露目する意味も含まれているというわけだ。
教育係としては、ちゃんと近衛騎士として身だしなみが整えられるのか、確認する必要がある。――建前としてはそんなところだ。
「だからと言って、脱いで見せろというのは不当だと思います」
「だめェ?」
「駄目です。そもそも上官殿が『ボク』とおっしゃる時は、大抵嘘か冗談をおっしゃるときですよね」
「それについては回答を差し控えさせていただきたい」
「大臣殿の弁論みたいなことをおっしゃって煙に巻こうとしても駄目です」
随分と言うようになったじゃないか、と私は思わず満面の笑みを浮かべた。
確かに職務中は『わたくし』と言っているのを横で聞いているから、そのうちバレるだろうとは思っていたがついに理解したらしい。それなりの頻度で法螺を吹いたつもりもあるのに、お人よしも相まって面白いように引っかかるのがリンクだ。
なんだ、つまんないのーと私は口を尖らせると、手のひらを反すように「しかしね」と居住まいを正して見せた。
「制服の確認云々は確かに冗談だが、確認せねばならぬのは本当だよ。君の身体について確認するようにと、衛生部から私宛てに連絡があったんだ」
「衛生部?」
「少し前の検診、遠征のせい受けられなかったろう?」
真面目な顔をして視線を少し鋭くするだけで、彼は神妙な顔に戻って少し顎を引いた。普段からのらりくらりとしているだけあって、ちょっと気合いを入れればこの通り、私もまだ容易に信じてもらえる。
それに衛生部から連絡があったのは本当だ。ただし「先日の検診を受けていないので、何か気付くことがあれば言って欲しい」程度のもので、別に脱がせて全身確認しろとまでは言われていない。ま、物は言いようだ。
「君の身柄は一応私が預かっているという形が取られている。だからこそ、勇者としての本分を尽くす前に倒れられては困るんだ」
「……申し訳ありません」
「ただ恥ずかしいのは分かるよ、こう見えて衛生部も通ってきてるから色んな奴を見てきた。なので検診衣に着替えてなら見せてくれるかい。それぐらいの折衷案ならいいだろ?」
衛生部に少し在籍していたのも事実だ、結婚前のことだからもう数十年前だけど。だから少々無理を言って、あらかじめ頭から被る形の検診衣を借りていた。本来であればこれは衛生部で行うべき検診で、すでに長らく近衛を務めている私がすることじゃない。
それでも私の来歴をざっとは知っていた彼は、渋々頷いた。
「そういうことであれば……」
あーちょろいなァー!
などとはおくびにも出さず、目隠しがてらカーテンも閉めて私はいったん退室した。上司としては完璧な対応ではなかろうか。
しばらくして中から扉が押し開けられて「着替えました」と小声で呼ぶので入ると、ちゃんと素直に検診衣を着ている。裾から伸びる素足と半袖から見える腕は、柔らかな面立ちからは予想もできないぐらい骨ばっていた。さすがに毎日剣を振っているだけあって、顔に似合わない身体をしている。
ただし、本来は膝丈までの検診衣が膝下を遥かに超えていた。やはりまだ背丈が少し足りないんだな。身長はこれからに期待したい。
「上官殿、どうすれば?」
「うーん、申し訳ないけど少し裾を持ち上げてくれるかい。大人用は君にはまだ少し大きかったみたいだ」
「は、はい」
一通り腹側と背中側と、大きな異常が無ければひとまずのところは良いだろう。
そんなことをぼんやりと考えていたのだが、リンクが少し緊張気味に、ぎゅっと検診衣の裾を握った手が震えるのを私は見逃さなかった。
何か見せたくない傷でもあるのだろうか。例えばそれが、同輩の騎士たちにつけられた傷だとか、そういう不名誉なものだとしたらそれこそ大問題だ。彼はこれから勇者として、万全な状態で戦場に出てもらわなければならない。
ところが私の本気で心配は、裾が持ち上げられた瞬間にどこかへ吹っ飛んでいった。
検診衣の下が一糸まとわぬ状態になっていた。
「…………………………えっとだな」
脱げとは言ったが、そこまで脱がせるつもりはなかった。なんで彼、自主的に全部脱いだの。恥ずかしい自覚はあるようだが、どうして一生懸命に裾をたくし上げているんだ。
がんばってちゃんと立とうとしている脚が、気を抜くとすぐに内股になりそうなほど、ふるふる震えていた。誰かこの生まれたばかりの小鹿を保護してください。
「これで、よろしいでしょうか……」
「いやはや全く以て、十全と言えよう」
必死で取り繕おうとしたら、びっくりするほど真面目な声が出てしまった。
何を確認するのかすっかり失念してしまうほど滑らかな腹筋が、羞恥に耐えかねてヒクついていた。健診らしく振舞うために後ろも向かせたが、程よく脂肪の削げた小尻にばかり目が行く。
予想外に、本当の意味で体の隅々まで見ることになったが、大小さまざまな傷跡はいずれも完治していた。膿んだり引き攣れているところはない。身体の方は問題がなさそうだ。
ただし男らしからぬ腰のくびれは、さすがに目の毒だった。自分を落ち着けるように首を横にゆっくりを振った。
「リンク君は」
「はい」
「まだ生えていないんだねェ……」
しげしげと以前から存在感の薄いガンバリダケを眺めながら呟くと、返事よりも先にひゅっと玉袋の方が持ち上がった。一拍遅れで蚊の鳴くような声で「はい」と聞こえる。あ、やっぱり気にはしていたのかなと表情を伺うと、耳がしゅんと垂れるほどに泣きそうな顔をしていた。ごめんちょっと言い過ぎた。
十四歳ぐらいだと、中にはもう大人顔負けのもいるにはいる。遠征などではいっしょくたに水浴びをすることもあるので、そのあたりは心得ているつもりだった。逆にこれだけ細い体でどうやって剣を振っているのか、私にはイマイチよく理解ができない。
よほど退魔の剣とやらが軽いのか、それとも勇者の特別な資質なのか。
「ひとまず、お肉食べようね」
「……? 食べてますけど……?」
「多分足りてないよ。しょうがない、今日は一緒に食べに行こうか」
不意打ちしたわけではないのだが罪悪感が募り、その日の晩は食事に連れていってやった。意外とよく食べるのを間近で見るに、やはり全体的に発展途上なのかもしれない。
帰り道、馴染みの娼館の前を通りかかったので「生えたらこういうところ連れてってやるよ」と言ったら、真っ赤になってどつかれた。ちっこいくせにだいぶ痛い。
この分では百戦錬磨のおねえちゃんに可愛がってもらうのは、だいぶ先のことになりそうだ。