8.義母戦記
あ、少々お待ちください。いま厄災の封印を解いているところです。元々緩んでおりましたしね。
え、何をしているのかですって?
ですから厄災の封印を……。
「王妃様、さすがにお止めになりませんか」
侍女長は青くなっていました。
でももちろん手を止めるつもりはありませんし、後はリボン結びの端っこをシュっと引っ張るだけのようなものです。
「これこそが二人をくっつけるための最後の手段なのですよ。よくよく考えてみたら、控えめで我慢強くて最高に姫想いのリンクの方から、高嶺の花であるゼルダに告白などできるはずがありません。解釈違いです(異論は認める)」
「いえ、解釈とかの話ではなくて」
「でも私はど~しても二人がイチャコラする姿が見たい、早く結婚してほしいっ。ならば吊り橋効果でゼルダを背水の陣に追い込むしかないではありませんか」
「おいたわしや姫様、敵の敵は味方にあらず」
「さぁ出ていらっしゃい厄災!」
ぶわっと赤黒い嫌な気配が吹き出ました。これが一万年に亘って貯め込まれた憎悪の権化かと思うと、さすがの私でも身がすくみます。でも推しが幸せになるためならこの程度では負けていられません。女神より承ったお力を右手にぎゅっと濃縮して、ていやっと湧き出た怨念の端っこを掴みました。
そう、掴めちゃうんですね。
「……え? ちょ、ま、はい?」
「まあ、ラスボスがそんな腑抜けたお顔をして。一体私を誰だと思っているのです? この五年間、毎日推し活で元気いっぱいテカテカ生活を送ってきたトップヲタ(仮)ですよ!」
そのまま両の足に力を込めて厄災を振り回し、えーいっと投げ飛ばすと、壁にドォンとぶつかった小柄なイノシシみたいな動物が目を白黒させていました。白黒というのはあくまで比喩で、実際の厄災の目は赤と黒と金なので言葉の綾です。
「さあ、あるんだか無いんだか分からないお耳をよくかっぽじってお聞きなさい。貴方には来週執り行われるゼルダの成人の儀にて、ラスボスとして乱入していただきます!」
「で、ですよね……? 我の復活予定日、ゼルダ姫の誕生日だから、来週のはず……?」」
「ふふふ、いまさら気が付きましたか。名付けて『ちょっぴり早めに起こして寝ぼけたところを力ずくで〆落とす作戦』です」
誰しも寝起きは動きが鈍りますからね。あのリンクでさえ、オフトゥンから出る寸前はふにゃっと可愛い顔をしていると、先日女神がニヤけ顔でお話してくださいました。女神ったら千里眼をそんな風に使われているそうで、本当にうらやまけしからんっ。
出来ることならゼルダとリンクがベッドでふにゃっとしているお顔から、ゆっくり目を開けて柔らかな朝日の中でうっとり幸せそうにチュッチュしているところが見たい。ああっ私も千里眼欲しい。それが無理なら寝室の天井になりたい。
そのためならば見たくもない厄災の寝ぼけまなこに、容赦なく光の往復ビンタをしようというものです。
「えぇ~来週なら、もう少し、寝かせ……」
「二度寝は許しません! 今から言うことをちゃんと覚えてください。さもなくば、貴方が寝ぼけているうちに完全消滅させてもよろしいのですよ?」
「まて、ちょ、まっ、わかった、分かりました! あり得ない強火、マジこのひと、なんなのォ(涙)」
こうして私はめでたく、己が陣営に最凶最悪の人材を引き入れ、万全の体勢でゼルダの成人の儀に臨むことにしました。目指せ大団円です。
現在ハイラル城はゼルダの十七歳の誕生日に向けて、上を下への大騒ぎとなっております。城に仕えている者たちの大半は私がリンゼル沼に引き込んだ者たちなので、力の入れようもなかなかのものです。
ところが当のゼルダ本人だけは、ずっと憂鬱な顔をしていました。
理由は簡単、未だに封印の力に目覚められていないからです。十二歳、リンクと出会ったあの日から始めた姫巫女としての修行は今年で五年目となりましたが、うんともすんともニャンとも女神は答えません。
先ほどもお話した通り、私の方にはリンクの寝顔の話とか(素晴らしい供給)が女神からちょこちょこ届きます。しかし女神はゼルダに伝えるにはまだ早いとお考えのようで、もどかしそうにだんまりを決め込んでいました。
でも女神の苦渋のご判断も私には分かる気がするのです。
「まだリンクの寝顔を見るにはゼルダは未熟であると、ハイリア様はお考えなのですね」
お祈りをしていますと、ハァとアンニュイなため息を吐きながら女神が頷いた気配がしました。分かります女神、私の娘にはあれが足りない。
「ずばり、足りないのは素直さ! ですね……ッ」
皆さんにも思い出していただきたいのは、城下町で初デートをした時のこと、ゼルダの仕事運は「素直になるように」でした。あれは素直に愛を自覚してこそ、物事が前に進むという示唆です。
もちろん封印の力自体は王妃である私が顕現させていますので、厄災対策は特に問題はありません。むしろ姫巫女分野は王妃、遺物分野は姫と、上手く役割分担が出来ているので順調と言ってよいでしょう。というか、先ほど厄災も仲間にしたから大丈夫。
それでもやっぱりゼルダとしては気になってしまうんですね。何がって?
リンクの隣にいるのが自分ではないことが。
退魔の騎士の傍らに立つのがなぜお母様なのか、どうして自分ではないのか、己の力不足を考えない日は無いはず。個人的には明日にでも結婚式を挙げたいので、ハイラル大聖堂の方がこちらへ来るように言いたいぐらいです。
でも私の可愛い御ひい様は完璧主義者なので、正真正銘の姫巫女にならない限りは首を縦に振らないでしょう。そういうところは誰に似たのか頑固なのです。
「もう一刻の猶予もありません。成人すればありとあらゆる男たちがゼルダに群がります。そんなことになったらリンクは自ら身を引いてしまいます!」
事実、一年先に成人したリンクへの嫁入り希望者を陰で蹴散らす作業は、困難を極めました。厄災は未だ復活せず、勇者としての使命を果たしていないにもかかわらず、どこの貴族も娘をリンクの嫁にしたくて虎視眈々と狙っているのです。
確かに王妃付きの近衛騎士の出世頭、少々背丈は小さいですが、精悍な顔つきも剣の腕も神話に名を連ねる男神のよう。そんなリンクのことを人知れず好いてしまった令嬢のなんと多いことか。男を見る目は褒めてあげますが、リンクに最初に唾つけたのは私ですからね。譲りませんよ。
「そんな理由で姫様の成人の儀を厄災に襲わせるのですか?」
「いわゆる雨降って地固まる方式です。それに、いずれ這い出てきて悪さをする者なのだから、先に成敗しておいて何の問題がありますか」
「私は本当にあの厄災が約束を守るかの方が心配です……」
真っ青超えて真っ白な顔で侍女長は言いますが、もはや最近のリンクと真っ向からやり合えるのは厄災ぐらいしかおりません。剣の鍛錬は他の英傑たちぐらいしか、まともに相手が出来ないのだそうです。流石ハイラル最強の剣士。
でも打てる手はもう全て打ち尽くしました。来週のゼルダの誕生日が二人の新たな門出となる日です。
「さぁ、私の準備もしなければ」
「ドレスもジュエリーも全て決まっておりますよ?」
「ペンラとうちわがまだです」
うちわに何と書くか、とても迷いましたがシンプルに『結婚して』と書いておきました。
リンゼル結婚して。これがみんなの願いです。
さてさてそんなことをしている間に、あっという間にイベント誕生日です。本丸の大広間は大勢の貴族で埋め尽くされ、壇上で私とロームの間に立つゼルダのところへ続々と挨拶をしに来ていました。背後には英傑の青い衣を纏ったリンクも控えているのに、厚顔な貴族たちは年頃の子弟をちゃっかり連れて紹介するのです。彼らの目は節穴なのでしょうか、姫の連れ合いの姿が傍にいるのが見えていないなんて。
しかも挨拶を受けるゼルダの方も律儀に貴族子弟に優しい言葉をかけるのです。そんなことをしたらお年頃のダンスィは「自分のことが好きなのかも?!」って勘違いするからやめなさいと先日言ったばかりなのに。誰に対しても優しいのはゼルダの長所ですが、さすがにやきもきしてしまいます。
こんなことならもう少し早いタイミングで乱入するように指示しておくべきだったのかも。私のイライラが埼玉県熊谷の最高気温の記録を打ち破ろうかという、まさにその時でした。
ようやく本丸の入り口でドォンと派手な音がしたのです。
「来ましたね……!」
ウルボザから頂いた扇でワクワクが止まらない口元を隠します。いよいよ前座の入場、コンサート開演です……!
本丸の入り口を伺うと、見えたのはオレンジ色の光を放つガーディアンでした。黒い巨体がゴリゴリと石の壁を崩しながら広間に入ってきます。もうそれだけで会場のボルテージは最高潮、大盛り上がりです。
でもガーディアンの動きはちょっぴりぎくしゃくしていました。それもそのはず、少し離れた柱の影からプルアちゃんが、ばっちりとウィンクを決めています。プルアちゃんの後ろには彼女の部下であるロベリー君が、半泣きになりながらリモコン操作をしていました。
「なんでガーディアンがここに入って来るんだい?!」
「迷子になっちまったのかぁ?」
武器の持ち込みは警護の騎士以外禁じているのでリーバルは半歩下がりましたが、さすがゴロン族のダルケルは素手で立ち向かおうとノシノシ歩いて行きます。まるでゴロン族の伝統競技・すもうでも取るかのように、ガーディアンと取っ組み合いを始めました。
リンクがガーディアンと戦闘をしてはその後のスケジュールに支障が出るので、その役割は本来ウルボザに任せようと思っていたのですが、これはこれでヨシ。さすがに貴族たちが集まる会場でビームを使うのは危険なため、ガーディアンの単眼には封がされたまま。ダルケルが怪我をすることも無いでしょう。ロベリー君は途中まではリモコン操作を頑張っていましたが、足を二本捥ぎ取られた辺りから自暴自棄に。でもガチャ押しプレイでは勝てる対戦も勝てませんよ!
そしてそして、ガーディアンが露払いした道を悠々と歩いて真打登場です。
見る者に圧倒的な威圧感を与える赤黒いボディ、私が早めに起こした時とは違って人型になっていました。身長は二mを遥かに超えているので、彼もまたきっと成長期なんですね。
厄災ガノンさんの入場です!
「まぁまぁ、あれは厄災ですよ」
「あれが厄災ですか?! ってお母様、そんな悠長な!」
「あ、いえ、ちゃんと慌てておりますよ。そんなことより、えっとほら、私が封印しちゃっていいんですか? ゼルダ、貴女がやりたいのではなくって?」
私としては二人の初めての共同作業としてケーキ入刀の代わりに厄災封印をしてもらおうというのが此度の演出プランです。ところがゼルダは可愛らしい翡翠色の目をひん剥いてブンブンと首を横に振りました。
「何を言ってらっしゃるのですか?! お母様が当代の姫巫女でいらっしゃいますよね?!」
「え、だってゼルダがやりたいかなーって、ほらほらリンクもやる気満々ですし?」
見ればリンクはすでに輝く退魔の剣を抜き放ち、壇上から因縁の相手を睨みつけていました。いつも穏やかで、ゼルダ相手だけは少ししどろもどろになってしまうあの純なリンクが、触れれば切れそうな殺気を剥き出しにしているのです。
なんというギャップ萌え。この雄味に溢れた横顔、皆様もどうぞご覧になって!
「姫様、王妃様、お下がりください」
声もいつになく鋭い刃のようで、思わず耳がキュンとしてしまいました。まかり間違って声フェチになってしまいそうです。
ゼルダがオロオロしている間にリンクは軽やかに壇上から飛び降りると、会場のど真ん中で突っ立っているだけの厄災に対して切りかかります。さすがに厄災だけは勇者の本能で何か思うところがあるのかもしれません。
厄災は困り顔で「これでいいの?」と私の方を伺っていましたが、次第に攻勢を強めるリンクに対して完全に防戦一方になっていきました。横に薙ぎ、あるいは体ごと剣の切っ先を立て、はたまた顎の下の死角から切り上げる。
並みの剣士ではあっという間に首が落ちていたことでしょうが、厄災も元は相当な手練れだったと見えます。紙一重のところで交わして、腕を伸ばして爪をリンクにかすらせます。ピッと血の飛んだ頬の傷に滾ったのは、きっと私だけではないはずだと信じています。
「姫様、陛下、こちらへ!」
ここですかさずインパちゃんを投入。
リンクが厄災と剣を交え始めたとしても、ゼルダが動かないことは目に見えていました。こう見えて私の可愛い御ひい様はとても慎重な性格ですし、長年に亘る成果の出ない修行のせいですっかり自信を無くしてしまっていましたから。
そこで厄災ガノンの本命と思しき私とそれ以外を分離させて、ガーディアンと厄災に連なる第三の勢力を投入です。
「この時をまっていたぜぇ~!」
私も貴方の乱入を待っていましたよ、コーガ様!
会場の至る所でポンポンと破裂音がして、真っ赤な装束に逆さまのシーカーマークのお面を被った不埒者たちが現れます。イーガ団の乱入です。
ハイラルの歴史書を紐解いてみると、勇者と姫巫女と厄災の戦いは勇者と姫巫女が手を組んで、二対一に追い込まれた厄災が負けることが多かったようです。基本的に勇者は強い。その勇者が負ける要因とは、つまり多勢に無勢なのです。
そこで先日襲ってきたイーガ団を返り討ちにしたついでに、この茶番劇の人員不足を補うことにしました。賄賂ではありません、これはビジネスです。
「団員全員のツルギバナナ三年分、マジで保障してくれるんだろうな?」
「ついでにチョコバナナにして差し上げますよ。そちらこそ、首狩り刀で私の首を掻く準備は万端ですか」
「水溶きケチャップはたっぷり用意して来たぞ」
「よろしい」
ひやりと冷たい刃が首元に迫りました。ちゃんとインパちゃんがロームとゼルダを誘導していて、折よく私の周りには誰もいません。
スっとかすめた首元にびっくりするぐらい濃厚なトマト臭がしました。ロイヤルブルーの正装ドレスが一瞬で真っ赤に、侍女長はへたりと倒れ込んでしまいました。ごめんなさい、ケチャップって洗濯してもなかなか取れないのよね。
「あああぁぁぁぁっ!」
痛がる振りをして倒れ込みました。ちょっと大げさすぎたかしらと思いましたが、目論見通り、ゼルダもリンクも私に目が釘付けになっていました。
ゼルダは口元を抑えて息を飲み、あのリンクですら血相を変えて身を翻します。
そのときでした。
ゴンと厄災が彼の後頭部を殴ったのです。
まぁそれはそうですよね、敵に背を見せてはなりません。そりゃあ背後からやられますよ。
ぐらりと揺れた体から退魔の剣がすぽっと抜け落ち、すかさず厄災は剣を蹴って遠くへやります。そのまま前につんのめって倒れかけたリンクの上に、どすんと胡坐をかきました。無駄に傷つけず小柄な相手を封じる、なかなかのやり手です。
「リンク! お母様!」
「なりません! 姫様はお逃げください」
インパちゃん(演技)に外に連れられそうになるゼルダの悲痛な叫びが木霊しました。大丈夫ここまでは予定通り。
私は首から大量の血を流して風前の灯火の振り、リンクは厄災の強力なお尻の下でうめき声をあげて藻掻いています。ゼルダにとっては二者択一を迫られる危機的な状況です。
リンクの元へ行くか、私の元へ駆け寄るか。
「行かせて、行かせてくださいインパ!」
「姫様、だめです! ああっ」
わざとらしく倒れたインパちゃんを振りほどき、ゼルダは走り始めました。私に向かって。
あ、だめです、こっちに来ては駄目ですよゼルダ。これではプランA失敗です。
やっぱり乗っかられているのと、血が出ているのだと、血が出ている方が重篤に見えるんでしょうね。仕方がないのでプランBに変更です。
今のいままでコーガ様の足元で死んだ振りをしていた私ですが、ガバっと顔をあげると声の限り叫びました。
「行きなさいゼルダ! 貴女がハイラルとリンクを守るのです!」
「お母様……!」
せっかくのお化粧が涙でぼろぼろではありませんか。でも彼女はきゅっと口を結んで頷くと、私の方からリンクの方へと舵を切ります。
が、広間の中央では「おわっ」と間抜けな声がしていました。
「重いッ」
青筋を立てたリンクが、何と厄災の巨体を押しのけて立ち上がったのです。
「痛いッ」
したたかに殴られた後頭部を撫でながら、蹴り飛ばされた退魔の剣を拾い直します。勇者、頑丈すぎませんか。
「リンク、大丈夫ですか?!」
「姫様下がってください!」
駆け寄ろうとしたゼルダを制し、リンクは投げ飛ばした厄災に剣を向けます。あっガノンさん大丈夫? もしかして絶体絶命のピンチ?
どうしましょう、これ茶番よ~と止めに入った方がいいかしら。コーガ様と(壁の脇の方で他の英傑たちを抑え込んでいる) ウルボザと私は目線を交わしたその時。
「なぁ勇者よ。これはいったいなんだ?」
立ち上がった厄災の大きな手の中に、小さな黒いビロードの小箱がありました。
それを見た瞬間、リンクは服の上からポケットの辺りを触れてハッと青ざめます。青い顔が真っ赤になり、あわあわと声を裏返しながら叫びました。
「お前、それっ、返せ!!」
「返す返す! 返すからもう家に帰ってもいい? だってこれがゼルダ姫の手に渡れば大団円だよね?」
「どういう意味です?」
おろおろするリンクを差し置き、ゼルダの小さな手に厄災が小箱をちょこんと乗せます。まるでお化けが出てくる某ジブリ映画のワンシーンみたいでした。
「これは、……指輪?」
「ひっ姫様、あの、それは、その……」
「リンク、これは一体どういうことです?」
遠目にも美しい輝きが見えました。本当はリンクの手から渡されるのがベストでしたが、彼が一生懸命選んだものがゼルダの指を彩るのならば私は感無量です。
でも相当奮発したようですが、これ告白用ですよね? プロポーズと結婚指輪の資金は取ってあるのかちょっと心配。特別給付金の可能性も視野に入れなければならないかも、もちろん予算組みますけども。
それなのに。
なんとリンクはぐっと顎を引いて押し黙ってしまったのです。どうやら自分が考えていたのとは全く違うシチュエーションでの告白を迫られて、準備していたセリフが出て来なくなってしまっている様子。
がんばってリンク! ゴールは目の前です! あとは貴方が告白するだけで、ゼルダは必ず頷きますから。私は必死でうちわを振って応援しました。
『結婚して』
特段、それがリンクにとってカンペの役割をするとは認識していませんでした。でも結果的に母の願いが、そのまま彼の言葉となって出てきたことは重畳の至りです。
「姫様! お、俺と、結婚してください……!」
「リンク、……嬉しいです!」
エンダアアアアアアアアァァァァ!!
私の脳内にあの有名なフレーズが流れました。作戦大成功です。ペンラもウルトラオレンジでフリッフリ。正装をケチャップ塗れにした甲斐がありました。逃げ遅れた貴族たちからも、あるいは敵として振舞っていたイーガ団の若い衆ですら、目に涙を浮かべて温かな拍手を送ってくれました。
ちなみにリンクの一世一代の告白を唯一阻止しようとしていたロームは、隅っこでインパちゃんから必死のパイルドライバーを食らっていました。インパちゃんナイスです。
「二人とも幸せにな……じゃあ我はこれで……」
ひらひらーっと手を振って、イベント戦とはいえラスボスの厄災ガノンも無事に退場です。よかったよかった、これで大団円。誰にも負けないハッピーエンドです!
と、ホッとしたのもつかの間。
去り際だったはずの厄災の巨体が、気付けば私の目の前に立っていました。
「あら、帰るのではないのですか?」
「その前に一つ確かめたいことがあってな」
何でしょう。私の方に確かめたいこと?
べっちょりくっ付いたケチャップをハンカチで拭きながら、私は赤黒い怨念の巨体を見上げました。
次の瞬間、お腹に痛みを感じていました。見ればズブリと厄災の腕が私の体を穿っているのです。
「……えっ?」
「あちらのゼルダが本物の姫なのは分かっている。では王妃はどうなのであろうなと思って」
短い息を吐き出して、私は王以外に礼を取る必要のない膝を折りました。辛うじて柔らかな絨毯で受け身を取ります。
「お主は一体何者だ? ただの女ではないのか」
そんな事は厄災に言われるまでもなく分かっていたことです。私は勇者の対ではない、リンクの対は娘のゼルダの方。
分かっています。彼女が真に彼を愛したとき、私が女神からお借りしていたお力のほぼ全てが娘に受け継がれたことも。
分かっていたけれど。でも、できれば二人が幸せそうなところが見たかった。
「厄災ガノン、貴方は一つ間違いを犯しました」
「なんだ?」
「私が強火なら、私の可愛い御ひい様もまたその血を受け継いでいるということですよ……!」
言い終わる前に広間に太陽が現れました。
光り輝くゼルダです。
目覚めた我が娘は本当に美しかった。光り輝く右手を前に、女神に念じて振りかざすと、怨念は音を立てて削れて行きます。もちろん退魔の剣を携えたリンクがすかさず飛び出して、怨念の腹目掛けて突き刺しました。
ぎゃああああと声とも鳴き声ともつかぬ音が反響し、光と共に厄災は跡形もなく姿を消してしまいました。
よかった。これにて本当に大団円です。
「お母様!」
掠れゆく視界に、走ってくる娘と息子の姿が見えました。でも涙でよく見えない。
本当はもっと二人が幸せになるところを見たかったのに。結婚して時々夫婦喧嘩をしたり、仲直りしたり、一緒に遠乗りに出かけたり、温かな家庭を築くところを母として義母として、見守っていたかったのに。
どうやらその時間はもう私には残されていないようでした。
「でもあなた達二人ならば、きっと大丈夫ね」
私は本当に幸せな母でした。
そしてこれは、これから幸せになる二人のお話です。