ライバルはお母様! - 4/10

3.仮病と欲望のあいだ

 ごきげん……よろしくない振りを、本日はしております。ゼルダの母です。

「ううっ……ゴホッゴホッ」

「お母様!」

 昨夜より、持病の癪で寝込んでおります。仮病です。

 可愛そうに、私の可愛い御ひい様はすっかり私の演技に騙されている様子。可愛いと可哀そうが両立するなんて、酷く稀なこととは思いますが、眼前には完全に現実のものとなっていました。我が娘かわいそかわいい。最高。

 翡翠色の瞳が艶やかに濡れ、震える小さな手が私のやつれた手(?)を握っています。

 本当はとっても元気なのですけれどもね。

 事の始まりは、ゼルダの婿にリンクを迎えるという、私の秘かな計画を看破した凄腕の侍女がいたことでした。しかも看破するだけにとどまらず、なんと彼女の方から素晴らしいアイディアを進言してきたのです。

『ご病気の王妃様が姫様の花嫁を見たいとおっしゃれば姫様のことですから、どうにかしてでも見せてくださるのではないでしょうか』

 母である私が言うのもなんですが、ゼルダはとても聡く、そして親思いな子です。つまり危篤状態の母の望みならば、どうにか頑張って叶えてくれるはず。

 これは何としてでも体調を崩して危篤になろうと、修行と称して冷水を浴びるなどしてみました。ところが悲しいかな、女神の加護を持つ私の体はなんと見事にピンピンなのです。そこで仕方がなく侍医と侍女長を抱き込んで、こうして昨日から突然持病になった癪で寝込んでいるというわけのです。

 当然のことながら、枕元には夫のロームも呼ばれ、また事が事だったので退魔の騎士で私騎士でもあるリンクも特別に、部屋の端っこに呼ばれていました。当代の姫巫女が身罷ったとなれば一大事ですからね。

 二人の結婚式を見るまでは死ぬつもりなど毛頭ありませんけれども。

「ふむ、侍医よ。もっと効く薬湯はないのか」

「ございますが、こちらは少々味が……」

「味などどうでもよい、王妃の病は国の一大事ぞ」

「ゴーッホゴッホゴッホゴッホ!」

「あぁっ、お母様! しっかりなさって!」

 苦い薬は一大事です。止めていただきたい。

 というか、しどろもどろな侍医と咳き込む私とを、ロームはとても胡乱げな目で見ていました。半分ぐらいバレている気もしますが、ここで退いては女が廃るというものです。

「お薬より、私にはあなたの手の方がずっと効きますわ」

「そうかのう?」

 できれば両脇を娘と(未来の)息子で固めたかったのですが、さすがにここは夫に花を持たせました。

 というのも実は最近、とても妙な誤解が二人の間に挟まってしまったようなのです。

 リンクは十三という若年ながらも、力量は申し分なく、また退魔の剣を抜いた者として王妃付きの騎士になりました。ですがまだまだ幼いところもあり、何事も一生懸命な彼は必死で私の一挙手一投足を見ていました。それはもう、人体に大穴が開くのではと言うぐらいに。

 しかし、彼のその様子を目にしたゼルダが、あらぬ誤解をしてしまったのです。

「もしかして、リンクはお母様のことが、そ、その……す、……す……すすっ」

「酢? 煤? どちらも料理場にならあると思いますよ?」

「違います! リンクはお母様のことが好きなのではないでしょうか?!」

 その時食べていた料理長特製たまごプリンを吹き出さなかった私の優秀な口輪筋を褒めていただきたい。ぐっと喉と顎に力を込めて顔を硬直させると、必死で飲み込みましたよ。それぐらいの衝撃でした。

「それは、絶対に、ありません」

「なぜそんなことが言えるのですか?! だってリンクったら、ずっとお母様のことを見ているじゃありませんか!」

 それは騎士として職務を全うしようと必死なだけで、本当はつい気が緩むと貴女の方に視線が動いてしまっているのですよと言いたい。でも言えない! ああもどかしい!

 以来、ゼルダの中では『リンクが好きなのはお母様では?』となってしまい、この場でリンクを近くに呼び寄せるのは逆効果であると判断してのことでした。

 しかしここからが勝負です。一世一代のごり押しタイムです。

「最期に、ゼルダが結婚して幸せそうに微笑む姿が、見たかったわ……」

 私の爆弾発言に一番ダメージを受けたのは、他ならぬロームでしょう。

 驚きに顔がひしゃげて、立派なおひげが左右非対称になっています。作画コストが増えるって言われるからやめた方がよろしいですよ、そのお顔。

 でもゼルダは可愛らしい小さな頭で、うんうんと必死に考えています。

「でも私にはそんなお相手、いません……」

 いるじゃないのおおおおお!

 その壁際に! ちょうどいい年頃の男の子が! 貴女の夫となるべき人が、ちゃんといるじゃないの!!

 と、叫びたかったのをぐっと堪えました。自分で自分を褒めちゃう。偉いっ。

 もちろんここまでは予想通りの展開です。ここで侍女長を抱き込んでおいたのが功を奏します。

 弱弱しく指先で合図をして「これへ」と言うと、笑いを堪えたあちらもしたたかな狸、いえ侍女長が見事な純白のドレスを私の寝室に運んできました。

「ではせめて、ウェディングドレスだけでも、見せてくれますか?」

「……はい!」

 なんて良いお返事なのでしょう。

 なぜ用意してあるのかとか、どうしてサイズがぴったりなのかとか、そういう些細なことに疑問を投げかけないのは良いことです。世の中には知らずにいた方が良いこともあります。知らない方が良いこともあるのですよ、ローム?

 頼みますから、そんなに不審そうな目で私を見ないでください。変な顔をしたらゼルダにバレるじゃありませんか。

 こうしてまんまと私の策にはまったゼルダは、美しいウェディングドレスに身を包んでくれたのです。寝室でくるりと一周回って見せてくれました。

 ゴホゴホと咳き込みながらも体を起こし、私は本気の感涙で前が良く見えませんでした。可愛い、私のおひい様はやっぱり世界一可愛らしい女の子です。

 でも真の闘いはここから。

 今の花嫁姿のゼルダの横にどうにかしてリンクを立たせなければ、私の仮病は何の意味も無いことなのです。肉の入っていないカレーです。カレーのないインドです。

 さて、どうすればよいか。正直ここからは出たとこ勝負。

 純白のドレスに身を包んだゼルダを、今この瞬間も壁際でぽかんと口を開けて見惚れているあの可愛らしい騎士を横に立たせるには?

 考えに考えに考え込んでいた瞬間、まさに奇跡が起きました。きっとハイリア様も、私と同じ光景が見たい心動かされたのだと思います。

 あまり丈の長い大人と同じ形のドレスに慣れていなかったゼルダが、ドレスの裾を踏んでしまったのです。喜劇のように見事に倒れるところが、スローモーションで見えました。危ない、支えてあげなければ。

 でも私は仮にも床に伏せていましたし、ロームも私の手を握っていました。長いドレスをはばかって侍女たちも少し離れたところに立っていましたし、侍医はこれ以上の追及を逃れるために部屋の隅で小さくなっていました。

 転ぶ姫を助ける者が誰もいないと思ったその刹那、飛び出してきたのは彼女を最も凝視していた彼でした。

 リンクは電光石火のごとく壁際から飛び出すと、裾を踏んで前のめりになったゼルダの体をスッと支えました。しかもコッコの卵を持つが如き柔らかい手さばきソフトタッチ。彼は実に完璧な騎士でした。

「姫様、大丈夫、ですか?」

「あ、ありがとう。リンク……」

 助け起こし、ようやくゼルダが地に足を付けたと思ったら、リンクはじわじわと赤くなりながら俯いてしまいました。

 可愛らしいこの瞬間、なぜ最近発掘されたばかりのシーカーストーンが手元に無かったのか悔やまれました。シーカー族の博士に調査させたところ、ウツシエという絵を保存する機能があると分かったばかりなのです。

 いつウツシエを使うべきかなんて、誰に聞かずとも明らかです。今です。

 ウェディングドレス姿のゼルダと、耳まで赤いのにちゃっかり手を繋いだままのリンクを撮る以上に有意義な使い方があるでしょうか? いいえありません。(圧倒的反語表現)

 仕方がないので私はこれでもかと言うぐらい脳裏に焼き付けることにしました。これで瞼を閉じれば、いつでも頭のなかに映像として再現することができます。

「あ、あの、お母様……?」

「はい?」

 急に話しかけられて調子外れな声を出してしまいましたが、気が付くと私はベッドの上で随分と身を乗り出して拳を握りしめていました。あらま、はしたない。

「ご病気は、大丈夫なのですか?」

「え、ええ! なんだかとっても気分が良くなりました。ゼルダの花嫁姿おかげですね!」

 ロームの刺々しい視線が気にならないぐらい、過去数年で一番体調が良かった瞬間だと思います。やはり二人を愛でることは健康に良い。研究して学会で発表したいぐらいの効果です。

 コホンを咳ばらいをして座り直すと、もう一人の功労者にも微笑みかけました。

「リンクも、ゼルダを支えてくれて礼を言います。さすがは退魔の騎士」

「お褒めにあずかり、光栄です?」

 少々疑問形になっていますが、文句なしの及第点といたしましょう。こうして私の持病の癪はひとまず治ったことにしました。

 ただしこの時、ゼルダがまたムッとしながらリンクを見ていたのだけは予想外でした。

 どうやらリンクが赤くなった原因が、私から褒めて貰えたからだとゼルダはさらに勘違いしてしまったようなのです。我が娘ながら本当にそういうところは鈍感ですね。

 しかし丁度良いので勘違いはそのままにしておくこととしました。

 だってゼルダがずっと勘違いしていたら、いずれ彼の想い人が自分だと分かったときにとても良い表情が見られるではありませんか!