ライバルはお母様! - 3/10

2.ずーっとピュア

ごきげんよう、ゼルダの母です。生きています。

 今日はリンクと騎士の叙任式の練習をしているところです。

 何を隠そう私の(将来の)息子、十三歳にして騎士に叙任されることとなりました。『退魔の騎士が正騎士でないのは問題だ』という消極的な理由ではありますが、(未来の)母としてはとても誇りに思うばかりです。

「で、その叙任についてだが、王家の騎士は忠誠を普通は王である儂に誓う。しかし退魔の騎士が忠誠を誓うのは姫巫女の方が良いのでは、という意見があった。これについてどう思う?」

 このように昨晩、私はロームに尋ねられました。王様というのは意外と大変な職業でして、息子の進路一つとっても簡単には決められないのです。

 私はもちろん首を縦に振りました。

「それがよろしいかと思います。明日からでも叙任式の練習をいたしましょう」

「そなた、退魔の騎士のこととなるとやる気じゃな?」

 この人は何を言っているのかしら、と髭モジャな夫の顔を覗き込みました。でも仕方がないのかもしれません。

 私とロームは今でこそ、それなりに愛ある夫婦をしています。しかし貴族のご多分に漏れず最初は政略結婚でしたから、きっと乙女心が分からないのでしょう。

「やる気なのは当たり前です。障害が大きいほど恋は燃え上がるものですから、早くリンクを騎士にしてあげなければ」

「何の話じゃ……?」

 ぽかーんと間の抜けたお顔をしているので、さすがに呆れてため息など吐いてしまいました。妾を作らぬ良い夫だとは思っていましたが、姫と騎士の身分差愛を解さないのはただの朴念仁です。

 これは一度、姫と騎士の身分差を超えた愛について書かれた草子を読ませ、教養を高めていただく方がよいかもしれません。早速明日にでもそっち系の書物に詳しい侍女に言いつけて、適当な書物を執務室の戸棚の中にこっそり潜ませておきましょう。

 ……というやり取りがあって、私は今日リンクと叙任式の練習をしていました。

「そこでそう、差し出した剣の先に口付けをするのです」

「はい」

 練習に使うのも、もちろん退魔の剣です。

 柄を掴んで分かりましたが、確かに普通の剣とは違いました。おそらく精霊が宿っているのでしょう。

 さすがに何を言っているのかはっきりとは聞き取れませんでしたが、YesとNoぐらいの感覚は分かりました。なにしろ私が「リンクとゼルダの組み合わせについてどう思いますか」と真っ先に問うと、非常に肯定的な感触がありましたので。どうやら私の野望は剣の精霊にも支持されたようです。非常に幸先が良い。

「もう口上を覚えてしまうとは、リンクは本当に呑み込みが早いですね」

「お褒めにあずかり恐縮です」

 堅苦しい言葉遣いでさえ、その必死さが可愛らしい。

 十三と言えば、少年と青年の間で戸惑っている年頃です。可愛らしいなんて言ったら当人は困惑してしまうかも。でもこちらはニヤける顔を制するので精一杯です。本当は私だって息子も欲しかったのです。

 可愛い息子と娘に囲まれた生活、さぞ楽しかろうと……いえ、ちょっと待ってください。

 よく考えてみたら、可愛い娘と可愛い息子の両方とも自分で産んでしまったら、兄妹同士で二人を娶せることが出来ません。そうです、私が産んではならなかったのです。

 この事実に気が付いた時、私は本気でリンクを産んでくださったお母様に感謝をいたしました。女神に誓って、あなたの息子は必ず幸せにします。

「あの、王妃様?」

「あっ、……何でもありませんよ、さてもう一度おさらいをしましょう」

 リンクが少し困った顔をして、私を見上げていました。

 どうやら思っていたよりも長い時間、私は一人物思いにふけってしまっていたようです。顔に出ていなければよいのですが。こんな時、ゲルドのフェイスヴェールは非常に便利なのです。口元を隠せて、いくらニヤけてもバレません。

 それはさておき、もう一度立ち位置の確認からと思った時でした。困り顔の侍女を伴って、私の愛娘が戸口に立っていたのです。

「お母様、少しよろしいでしょうか」

 十三歳の子供を騎士に任ずるなど前代未聞であるため、この練習は伏せてありました。それはもちろんゼルダに対してもです。

 ですがこの部屋に来たということは、彼女は何かをどうにかして情報を聞き出したのでしょう。疲労困憊した侍女を見れば、おおよその見当は付きました。

 しかしながら、です。

 実はこれがリンクとゼルダの初対面なのです。

 私の計画では、星巡りの良い日を選び、ゼルダをそれとなく庭に誘導し、そこへ私がリンクを伴って会わせようと思っていたのです。それから軽くお茶でもして、朗らかな雰囲気になってもらえたら、と。

 ところが私の可愛い御ひい様は、思ったよりもずっと積極的な女の子でした。未来の夫となるべく修行に励む彼の元に自ら出向くなんて、なんと大胆なのでしょう。感動しました。

 女の子はお淑やかで少し恥ずかしがりやぐらいな方が良いなんて時代は終わりです。

 鼻歌でも歌いたい気分でしたがぐっと堪え、背筋を伸ばして戸口に佇むゼルダを見据えました。

「いかがしました、ゼルダ」

「叙任式の練習と伺ったのですが、見学させていただいてもよろしいですか?」

 よくできた言い訳です。

 未成年のゼルダは叙任式には呼ばれません。ですから練習は関係ありません。それでもリンクという少年に会ってみたいがために、必死に言い訳を考えたのでしょうね。その努力に母は目頭が熱くなりました。

「構いませんか、リンク?」

 もちろん彼ならば、構わないと即答してくれるだろうと期待していました。

 ところが一向に返事が無いのです。聡い彼が一体どうしたのかしらと思い振り向くと、目に入ったのはほんのりと朱に染まった耳の先でした。

「リンク?」

「はっはい! だいじょうぶですっ」

 何ということでしょう。人目が無ければ、野太い声を断末魔に尊死してしまうところでした。

 弱冠十三歳の彼は一人前に、姫君に見惚れていたのです。

 先ほどまでの落ち着きはどこへやら、動揺に揺れる青い瞳は丸く見開いていました。微笑ましいにもほどがあります。

 でもそこからが大変でした。いっぺんに冷静さを欠いてしまったリンクは、何もかも上手くできなくなってしまったのです。口上を飛ばし、左右を間違え、礼の拍子を間違えてしまうのです。流石に見ていられないほどでした。

 でも好きな女の子の前では上手くできなくなってしまうなんて、彼も存外普通のところがあるのだなと逆に安心してしまったのは内緒。

「少し休憩いたしましょう。ゼルダも、一緒にお茶でもいかがかしら」

「申し訳ありません王妃様」

「最初から上手くできる人など居りません。貴方はよくやっていますよ」

 しょぼんと項垂れた麦藁色の頭を、本当ならばこれでもかというほどかき混ぜて撫でてあげたい。でもまだ彼は私の正式な息子ではないので許されるはずもなく、私はため息を飲み込みました。

 でも困ったのはお茶の準備でした。

 お茶は良いのです。ゼルダの好きな甘い香りのする茶葉が手に入ったばかりでしたので。問題はお菓子の方でした。

 思い出していただきたいのですが、私の完璧な二人のファーストコンタクト計画のためには、城下の美味しいケーキ屋さんのケーキを侍女に買いに行かせる必要がありました。ですが、今現在そのような猶予はありません。

 さらにさらに間の悪いことに、実は私はまだリンクの食べ物の好みを聞いていませんでした。そんなことまで聞けるほどの仲に、この母の私ですらなっていない、というのが正しい状況認識です。

 何にせよ、彼の好みが分からないまま。

 取り乱す心を隠し、私は二人をテラスへと誘いました。

 ゼルダはちらちらとリンクの方を見ていましたが、リンクの方はぎゅっと口を噤んで真正面を見据えていました。『ご婦人をじろじろ見てはならない』という騎士道の教えを従順に守っている挙動です。ついにはゼルダが座る椅子を彼がひくではありませんか。

 本当に彼はいじらしいほど清廉潔白な少年でした。もちろん緊張に震える指先も見逃しませんでしたよ。

「ゼルダはフルーツケーキがいいかしら?」

「よろしいのですか、お母様?」

 娘がフルーツケーキを好んでいることは重々承知していましたが、あれは特別な日だけと決めていました。ですからゼルダ自身、どうして今日それを食べられるのか不思議だったのでしょう。翡翠色の瞳がびっくりして輝いていました。

「今日は二人が出会った特別な日ですからね、御父様には内緒よ。リンクは何か苦手なものはありますか?」

「いいえ、ございません」

 何でも食べられるのはとても良いことです。でも育ち盛りの彼にとっては、きっと甘未は別格でしょう。

「ならば好きな物、果物などはありますか?」

 好きな果物があればそれを使ったお菓子をお願いしたいと思ったのです。

 ところがリンクときたら、一瞬言い淀んだあとでチラリとゼルダの方へ視線を滑らせました。

「特に好きな果物は無いのですが、あの、その、……姫様と同じものでもよろしいでしょうか」

 健気。

 この言葉がこれほど輝いた日を私は知りません。

 そうですよね、好きな子と同じものを食べたいですよね。聞いた私が愚かでした、最初からお揃いにしてあげればよかった。

「分かりました、ではそのように」

 でももう少し仲良くなったら、二人で別々のものを半分ずつ分け合うのもときめきますよ(主に見ているこちらが)。あとから間接キスに気が付いて赤面する二人の姿などを、つぶさに観察していたいものです。

 侍女に言いつけると、しばし沈黙が流れました。

 ゼルダはじっと物言いたげに私とリンクを見比べていました。リンクは視線をどこへ向けたらいいのか困って、ずっとテーブルの上に釘付けになっていました。

 本当なら「あとはお若い二人で」と立ち去った振りをして、向かいの塔からオペラグラスで覗きたいところです。でもさすがに初対面の二人を置いて去るのは酷というもの。

 二人の間に入って色々と話題を振ってみました。でも特にリンクは寡黙で、ほとんどの質問がハイとイイエで終わってしまうのです。これはなかなか手強そうだと考えておりました。

 ところが侍女が二人のフルーツケーキをもってきた瞬間、彼の目が別の意味で輝きました。おそらく生来の食いしん坊なのでしょう、生まれて初めて見たフルーツケーキにこれまでにない笑みを浮かべるではありませんか。

 素直な笑顔に、思わずこちらも口元が綻びました。

「どうぞ、お食べなさい」

「はい、おかあっ…………あ り が と う ご ざ い ま す 王 妃 様 」

 彼は言葉を途中で、確かに途中で止めたのです。

 でも女神の声すらも聴きとる私の長い耳はもちろん聞き逃しませんでした。

「いま、お義母かあさまと呼びましたか?!」

「ちがっ、すいません、違います!」

「いいのですよ、母と慕ってもらえたらこれほど嬉しいことはありません!」

 ゼルダはびっくりしていましたが、リンクはもげるほど首を横に振ります。

 仕方がないので「お義母様」と呼んでもらうのは、もう少し先の楽しみに取っておくことにしました。何を隠そう、私は好きな物は最後に残しておく派なのです。

 恥ずかしそうにフルーツケーキを食べ始めたリンクの笑顔だけで、ご飯十杯は軽く食べられそうでしたし。今はそれで十分といたしましょう。

 息抜きの甲斐あってか、その後の練習は非常に上手くできました。ゼルダも彼のことを見直したのか、静かに彼の後ろ姿を眺めていました。あるいは、本番が見られないことへの彼女なりの気持ちの整理だったのかもしれません。なにしろゼルダときたら、リンクが現れて以来一日も欠かすことなくお祈りの修行をしていました。

 ですから、早くゼルダが封印の力を得て、リンクが立ち並ぶ日が来ないかしらと、私の願いは邪念ばかりになりました。

 ああ、ハイリア様、早く私の願いを聞き届けてくださらないかしら。

 ちなみに本番、騎士の叙任式はもちろん大成功でした。私の(将来の)息子の華々しいお披露目になったと思います。