ライバルはお母様! - 2/10

1.明日に向かって推せ!

 今日はゼルダに姫巫女としての修行を始めさせることにようやく成功しました。十二です。十二歳にもなって、あの子は遺物のネジだのバネだのと遊んでいるのです。

 もちろん厄災の復活が予言されたハイラルでは、遺物の研究は非常に大切なことです。しかし王家の娘としては姫巫女としての修行も大切なこと。今日という今日は逃げも隠れも出来ぬように「おはよう」からあの子の部屋へ押しかけて、純白の巫女服に着替えさせました。

 正直に申しましょう。私の御ひい様は今日も可愛い、とっても可愛いのです。

 でも幼いころと違って「御ひい様」と呼ぶと恥ずかしがって怒るので、私は口元がニヤけるのを必死に堪えながら、ただ彼女の顔を見ていました。

 すると、ぷっと膨れて文句を言うのです。

「肩が寒いですお母様」

「そういうものです、我慢なさい」

 いつの間に母に文句を言うほど大きくなったのでしょう。でもこんなに可愛らしい姫巫女なのですから、きっとハイリア様の御眼鏡にも叶うに決まっています。

 私譲りの金の髪と白い肌、本人は恥ずかしがっていますが夫のロームに似た意志の強そうな眉は愛らしく、翡翠色の瞳なんてウルボザには申し訳ないけどゲルドのどんな宝石よりも美しい。こんな娘を持って私は最高に幸せな母だわと、毎日ハイリア様にお礼を申し上げているところです。

 実を言いますと、姫巫女姿がこんなにも愛らしいのだから、本当はもっと早くから修行を始めたかったのです。ところがロームも大臣方も当代の姫巫女である私が健在なのを言い訳に、ゼルダにとても甘くしておりました。だから今日という今日は誰の横やりも受けぬよう、早朝五時から彼女の寝室にまで押しかけたのです。

 こうして私はいの一番に娘の晴れ姿を見ることが出来ました。ああもうっ、あとは娘のデビュタントとウェディングドレスが見られたら死んでもいい。いえ、それは言い過ぎました、せめて孫が抱けるまでは死ねませんね。

 さて気を取り直して。

「お祈りですよ」

「はぁい……」

 本当はテラコと遊びたいのは分かっています。でもこれも王家の姫たるゼルダの務め、仕方がありません。目をつぶって祈りを捧げ、ゆらゆらと揺れそうになる体を必死で支えている様は見ていてなんとも頼りないものでした。

 でもここからです。ここから彼女の美しい姫巫女姿に誰もが魅了され……と思った時でした。無粋なノックで初めての修行は中断を余儀なくされたのです。

「何事ですか!」

 思わず少し声を怒らせながら扉を開けると、血相を変えた侍女長が立っておりました。

「恐れながら申し上げます、陛下が火急の用件にて……」

「用件ならばここで聞きます。何用で大切な修行を妨げようとしているのですか」

 もちろんこれはロームからの妨害だと思いました。ゼルダも修行を中断するちょうどいい口実ができたと、背後で喜ぶ気配がします。

 ところが侍女長は猛然と首を横に振るのです。

「王妃様、退魔の騎士が現れてございます」

「……なんですって」

「ほ、本物なのですか?!」

 ついには祈りの手を解いて、ゼルダまで駆け寄ってくる始末。ここまでして娘を冷たい泉に入らせたくないのでしょうか。これだから男親というのは焼きリンゴに砂糖とハチミツを掛けたよりも甘い。

「分かりました。真偽のほど、私がこの目で見定めましょう」

「お母様、私も……!」

「貴女には女神像を磨いてもらいます。お花を替えるのも忘れないように、分かりましたね?」

 返事は聞こえませんでした。しかし母の目が無くなればすぐに部屋を抜け出すことは目に見えていたので、用事を言いつける他ありません。

「帰ってくるまでにちゃんとやっておくのですよ」

 この気性は誰に似たのやら。足早に謁見の間へ向かいながら、侍女長に耳うちをしました。

「こっそり覗けるように謁見の間の隣室は無人にしておいてください」

「よろしいのですか?」

「あの子なら言いつけたことをすぐに終わらせてしまうでしょうからね。私の可愛い御ひい様は優秀な子ですから」

 はぁと気の抜けた返事をする侍女長を伴い、私はロームに呼ばれた通り謁見の間へ向かいました。そこで初めて彼に出会ったのです。

 一目見た瞬間、雷に打たれたかのように理解しました。

 『この少年はうちの婿になる……いえ、退魔の騎士だ』と。

 彼は確かに青い鞘の優美な剣を両腕に抱えていましたが、質素な従騎士の服装とはあまりにもちぐはぐでした。当然、周囲の大人たちは大混乱です。

 狼狽えた大臣の一人から、名前はリンクと言い、歳はまだ十三歳だと聞かされました。ゼルダとは一歳違い、丁度よいにもほどがあります。女神の采配がばっちり過ぎて、逆に不安になるレベルですね。

 麦藁色の少し長めの髪を後ろでくくり、何よりその突き抜けた空のような瞳が気に入りました。大勢の大人に囲まれ、あれこれ質問されても動じぬところも非常に推せる。

「リンク、あなたのご両親や兄弟は?」

 まずは軽めのジャブ。

 王家にはゼルダしかおりませんし、私ももう一人産むことは難しいと言われていたので、リンクには婿入りしてもらうしかありません。そうなればご両親へのご挨拶は早めにしておくべきですし、また兄弟の有無によっては家督相続などの問題も生じる可能性があります。

「両親は亡くなりました。兄弟もおりません」

 なんと! これは早々に墓前にご挨拶に伺わねば。

 いえ、それよりもこんな幼気な少年が親兄弟無くどうやって生活しているのか、そちらの方が心配になります。

「では今はどこで暮らしているのですか?」

 なるべく取り乱さぬようにしていましたが、姫巫女とはまことに便利なものです。素っ頓狂な質問をしても、誰一人として私のことを疑う者はおりませんでした。大臣も王であるロームも固唾を飲んで、姫巫女と退魔の騎士らしき少年とのやり取りを見守っています。

 リンクは私から目を一切逸らさずに答えました。

「今は見習い騎士の寮におります」

「では継ぐべき家督は」

「平民ですから、そのようなものはございません」

 よろしい。まことによろしい。

 彼はもう将来の息子に㊗大決定です。

 天涯孤独なところは可哀そうだとは思うものの、ゼルダとリンクが将来手に手を取ってハイラルを治める日が訪れることに何の障害もないことが確認できました。こんなに喜ばしい日はありません。ロームにも相談していませんが、姫巫女である私が『女神様からのお告げ』とでも言えばすっかり信じることでしょう。

 それにあながち間違いではないとも思うのです。

 当代の姫巫女である私はすでに三十路をわずかに超えていましたが、彼はと言えばまだ未成年どころの騒ぎではない十三歳。もっと屈強な騎士はゴマンといるのに、どうしてこの少年が退魔の騎士なのか?

 私にはもはや全てが分かっていました。

 今日、ゼルダがようやく修行を始めたからです。

 彼の対はおそらく私ではなく、娘のゼルダの方でしょう。ハイリア様も粋な計らいをしてくださったものです。

 私の可愛い娘の対に、こんな素晴らしい少年を遣わしてくださるなんて!

「間違いありません、彼が退魔の騎士です」

 当代の姫巫女たる私がそのように宣言すれば、皆は私の対が彼だと理解し、納得しました。しかし彼は次代の姫巫女ゼルダ伴侶で間違いありません。 唯一、私の対ではないと分かっていたのは私自身だけ。

 ……と、思いましたが、どうやら変だと気が付いた者がもう一人いたようです。謁見の間の隣へ続く扉にはわずかに隙間があり、計画通り愛らしい翡翠色の瞳が必死に覗いていました。驚いてぽっかり開いた口まで見えています。

 彼女もまた、何かが違うと直感したはずです。

 だから何も知らない振りをしてのんびり祈りの間へ戻ってみると、あれほど修行を嫌がっていたゼルダが一心不乱に女神像に向けて祈りを捧げていました。嬉しすぎて思わず「とうとい……っ」と呟いて、変な顔をされました。

 私はその日、ついに姫巫女になる決意した娘と、将来の息子の二人を同時に見つけたのです! ハイリア様には五体投地しても感謝しきれません。

「お母様」

「なんですか、ゼルダ」

 少し怒った様子にも、もちろん動揺せずに答えます。

 二人はまだ直接話したことすらないのですから、年頃の娘が少年を警戒するのは当たり前です。

 ――だから二人を会わせるのは、非常に大事なイベントとなる。第一印象は何より大事、リラックス出来るように気軽なお茶会はどうかしら。だったら城下の一番美味しいお店のケーキを取り寄せなければ、ゼルダは気に入っているイチゴたっぷりのケーキでよいとして、それまでにリンクの好きな物も探りを入れておいた方がいいわね……。

 ここまでの思考、わずか〇コンマ三秒。こんな時ばかり人って頭がくるくるとよく回るんです。

 でもこんなことを考えている母をよそに、娘の声はとてもとても真剣でした。

「私だって姫巫女なのですよね?」

「それはどうでしょう。封印の力を宿しているのは、今はこの母だけですよ」

 振り向いた娘の瞳は苛烈に燃えていました。彼女の心が燃え上がる音を聞いた時、私の心は滾りました。

 そうです、その調子です! あなたがリンクの隣に立つのです! 

 思わずガッツポーズしたくなるのをぐっと我慢して、わざと挑戦的な微笑みを返します。すると彼女はプイと顔を背けてまた一心に祈り始めました。笑いを堪えるのが大変でした、きっと良い腹筋運動になったと思います。

 

 こうして娘ゼルダにとって、お母様がライバルになったという、これはそんなお話です。