「えぇ!? 盗難……!?」
執務室にカスイの裏返った声が響く。
しーっと一本指を立てたのは同じく話を聞いたリードだが、珍しく彼の顔にも驚きが浮かんでいた。と言っても、能面顔が少しばかり大きく目を見開いただけだったが。
反応はともかく、今のリンクの頼みの綱はこの二人しかいない。
「式までにパリュールを見つけ出すようにと、陛下直々のご命令です。否やはありません。ただ二人には申し訳ないですが、協力してもらえませんか」
「それはもちろん構いませんが、あと四日ですかぁ」
呆然としたカスイから、頼んでおいた鉱物関係の本を受け取ったが、残念ながら読んでいる暇はないだろう。四日の猶予だが、リンクの方だって準備がある。四六時中動き回るわけにもいかないので、早急に捜索する方針を固めなければならない。
となると、まず確認すべきことはおのずと絞られた。
「宝物庫の鍵は誰が持っているんですか?」
リンク自身、一般兵卒時代には宝物庫自体は警備で立ったことはあったので、場所自体は分かっている。だが知っているのは厳重に施錠してある扉だけで、開いて中に入ることは普通の人は許されない。
許されるとすればそれは宝物庫の主人たる王族か、彼らの身の回りの世話をする者、つまり侍女や侍従だった。すかさずリードが口を開く。
「侍従長のホルトウ様と侍女長のユースラ様の二人だけです。我々侍従、侍女と言えどもお二人のお許しなしにはあそこへは入れません」
「では、侍従長殿と侍女長殿には話を聞かないと、か」
幼い頃から仕えていた彼が言うのならば間違いはないだろう。リンクが指折りこれからすべきことを数えていると、横からカスイもシーカー族らしい言葉を発した。
「そういえば以前インパが、宝物庫に忍び込むのはさすがに難しいって言ってましたねぇ」
「現役の隠密が言うのでは、随分と信憑性がありますね」
「僕ら、どこにでもぽんぽん現れると思われますけど、あれもタネがないわけじゃないですからねぇ。窓が一つも無くてはさすがに難しいです」
一見すると魔法のようにも見えるシーカー族の動きだが、実際のところはそうでもないようだ。
ならば犯人は、一つしかない宝物庫の扉から出入りした人物に限られる。しかも鍵は二つ。合い鍵の可能性は否めないが、それにしたって元の鍵が無ければ合い鍵は作れない。
必然的にホルトウ侍従長とユースラ侍女長と共に宝物庫に出入りした人物が容疑者となるが、……とリンクが考えていると、リードが暦を見て「ああ」と声を上げた。
「宝物庫には、週に一度は掃除夫が入るのです。それが確か……」
「今朝?」
「はい。早朝にユースラ様が掃除夫を連れて入るはずですから、その際に盗難を発見したのではないでしょうか?」
なるほどと独り言ちながら、リンクも釣られて暦を見る。
今朝盗難が発覚したとすれば、盗難自体はこの一週間のうちのいつかということだ。そこまで期間が絞れたところで、まずは手近なところからユースラの元に話を聞きに行こうとした。
ところがだ。
「あれ……?」
当のユースラが供もつけず、一人で図書室の方へと続く廊下を歩いている。それがまた妙にルンルンと楽しそうな後ろ姿で、ぴりぴりとした城内の雰囲気とは裏腹だった。
「ご用事、でしょうか?」
リンクの供をしてくれたリードも、ユースラの珍しい様子に興味津々で、彼女が図書室に入って行くまでじっと見ていた。ぱたりと静かな扉の音がするまで二人で眺めてしまい、おもむろに足向く先を変える。
「……先に、侍従長殿の方へ行きましょうか」
「その方がよさそうですね。この時間、ホルトウ様は庶務をされていると思います」
妙なものも二日立て続けに見かけると気になるものだ。図書室にあるユースラの楽しみの種が何なのか分からないまま、仕方がなくリンクは庶務にてんてこ舞いのホルトウの元へ向かった。
「この一週間に宝物庫ですか? ええ、先々週でしたかな。陛下のお召し物の件で一度出入りはしましたが、それっきりでございます。それ以外に開けて欲しいという者もおりませんでしたよ」
パリュールの件だと告げなくとも、ホルトウはにこやかに話をしてくれた。顔には見るからに「とんだ災難でございました」と書かれていた。どっしりとした熊のような体付きからは、穏やかそうな人となりがにじみ出るようだ。
わざわざお茶まで淹れてもてなしてくれたホルトウを疑う余地もないが、リンクはふと昨晩のことが気になって「あの」と言い淀んだ。
「昨晩は、どうでしたか」
盗まれたのはこの一週間のうちのいつかなので、昨晩のことを特別に聞いても仕方がない。
だが昨晩はロームとサイランが酒盛りをしており、その場にはホルトウもいたはずだ。あの二人が何を話していたのか、もしくは自分が何か言われてはいなかったか、気にならないわけがない。だからと言って関係の無いことを聞くわけにもいかないので、ぼんやりと言葉を濁す。
するとホルトウは、リンクの意を察したように目尻に深い皺を刻んだ。
「昨晩は陛下とサイラン殿の酒盛りが日を跨ぐころまで続いておりました。お二人とも久しぶりにお会いしたのがよほど嬉しかったのか、とても盛り上がっておいででしたよ」
「そうですか、ありがとうございます。お茶美味しかったです」
「どうぞお気をつけて」
当たり障りが無いと言えばその通りだが、どことなく安堵としてホルトウの元を後にする。
続いて向かったのはユースラのところだ。彼女はすでに図書室から戻って来ていて、いつものスンと澄ました仕事用の顔をしていた。
「掃除夫以外と宝物庫へ入ったのは一昨日でございます。姫様のブローチを取りに入りました」
「ゼルダ様の、ということはヤツリとティントも一緒ですか?」
「ええ。ヤツリに頼まれて、彼女ら二人を連れて入りました。一昨日の午後三時のことでございます。ですがその際には盗まれておりませんでした」
きっぱり言い切ったユースラの言葉に、リンクは一瞬ぽかんとした。
ここまできっちりと時間まで明確ならば、さらに盗んだ時間は狭まる。ありがたい情報である反面、あまりにも出来過ぎている感覚に別の種類の警戒心が首をもたげた。
ところがユースラは、リンクが不思議な顔をしているのを「なぜそんなことに気付いたのか」と疑問に思っていると勝手に解釈したらしい。両手を大きく広げた大きさより少し大きいぐらいを示した。
「無くなったパリュールはこれぐらい大きさの赤い羅紗の箱ですので、さすがに箱ごと無くなれば気付きます」
「ええっとつまり、盗まれたのは一昨日から今朝までの間ということですか?」
「さようでございます。今朝六時に盗難を確認してすぐ、陛下の元にご報告に伺いました」
ヤツリ・リード姉弟ほどではないが、表情があまり変わらないのはユースラも同じだ。それにユースラ自身はゼルダ付きの侍女ではなく、城に仕える女性たちを取り仕切る立場の人間である。だから盗まれたパリュールと直接関係ないと言えば関係がない。
たとえそうであったとしても、良くも悪くも他人行儀な返答にさすがのリンクも違和感を覚えた。
王妃の座が空席である以上、王女であるゼルダはこの城の女主人だ。それに盗まれたのは、ユースラ自身が以前仕えていた王妃の遺品でもある。
それなのに彼女の態度は、さっぱりし過ぎではないだろうか。
――まさか、侍女長殿が盗んだ……?
よそよそしい態度に自然と疑いの芽が生まれる。とはいえ、侍女長の地位にある彼女が盗んだのではという考えは、あまりに安直すぎるのも事実だ。侍女長ともあれば給金は平民のそれとは比較にならないほど高い。金に困っている噂は全く聞いたことがなかった。
しばらく考え込む振りをしていたリンクは判断を保留し、前もって準備しておいたセリフの方を吐き出した。
「宝物庫を見せてもらうことは可能ですか」
「……ふむ。リードもおりますし、リンク様ならよろしいでしょう」
返答に間があったことに気がついたのは、リンクが剣士だったからではない。明らかにユースラは一呼吸ほど、判断を迷う素振りがあった。
――侍女長殿は何か隠している?
ユースラは何食わぬ顔で宝物庫へ行くと見張りの兵に声をかけて退かし、特徴のない大量の鍵束の中から目的の一本をぱっと取り出す。まるでその様子は達人芸だ。そんな彼女にかかればパリュールを収めた箱の一つぐらい盗み出せるのでは? と思った矢先だ。
開かれた扉の奥、宝物庫の中を見てリンクは言い淀んだ理由を理解した。
「これは、なんとも……」
宝物庫自体は窓のない堅牢な部屋だった。宝飾品はもちろん、刀剣や甲冑、あるいは竪琴や杖など、多種多用な物が並んでいる。だが無数の壁掛け燭台をもってしても、奥まで見通すことは難しいほど空気が淀んでいたのだ。
見た目には煌びやかだが、それ以上に際立つ気配にリンクは少しばかり緊張して顎を引いた。
「歴代の王家の方々が収集なさった物です。くれぐれもお手は触れませぬよう……、中にはどんな魔法とも呪いとも分からぬ、謂れの在る品もございます」
「なるほど、それで」
幼少の頃より、コログなどの人ならざる者と会話まで出来た彼だから気付いた。明らかに、禍々しい気配を放つ物が一つや二つではない。逆に良い気配もいくつかあるので、なべて見れば平均的と言えよう。
だが心に迷いや邪なものを持つ者が触れればその限りではない。通りでリードやヤツリ、あるいはユースラなど、職務に実直で悪い物の取り付く島のない者が王族の侍女・侍従に多いのだと納得する。
果たして堅牢な宝物庫が中身を盗難から守っているのか、はたまた中身が暴れぬように外側の人間を守っているのか、これでは判然としない。
扉に近いところの壁掛け燭台のいくつかに火を入れながら、ユースラは油断なく暗い宝物庫の端々を睨んでいた。
「ハイラル王家にはこういった秘密が多くあるのです。本来であればリンク様にはご成婚後にお知らせしようと考えておりましたが、良い機会なので見ていただきました」
「秘密が多くある、ということはこれ以外にも?」
「ご返答いたしかねます。ですがもしそのような秘密が在るのだとすれば、いずれ姫様が折を見てお話してくださるのではないでしょうか」
回りくどいが適切な返答にリンクは深追いはせず、「さようですか」と一言返した。侍女長ですらゼルダの許可なしには、話が出来ない部類の何かがあるということだろう。
ハイラル王家は女神ハイリアの血を引くと言われており、当代の姫巫女であるゼルダはもちろん、先代王妃やゼルダの祖母もまた、不思議な力を持っていたされる。ゆえに良かれ悪しかれ、謂れのある物が自然と持ち込まれるのだろう。人の手に余るものでも、女神の血を引く王家ならば大丈夫ではないか、と只人が考えるのは想像に難くない。
特に宝石はその輝きが人を惑わすものと言われている。
ひとつ、明らかに空いている場所を見つけて、リンクはその前で立ち止まった。広さも先ほどユースラが手で示したのと同じぐらい。恐らく盗まれたパリュールというのは、ここに置かれていたものだと推測できた。
「そうです。そこに赤い羅紗の箱があったのですが、今朝掃除夫と共に入った時には無くなっていたのです」
「その盗まれたパリュールにも何か謂れが?」
もしパリュールが悪しき物だったのならば、人の仕業ではなく心霊の類まで調べなければならないかもしれない。だとしたら事件の助手にコログを任命するしかないぞ、とリンクは内心で頭を抱えた。コログを助手になど、無謀にもほどがある。
しかし幸いにも、ユースラは首を横に振った。
「盗まれたパリュールは、元は謂れのある宝石でございましたが、ゲルドのウルボザ様のもとに持ち込まれた際に先代王妃様が解呪されました。すでに事なきを得たものにございます」
「ウルボザが?」
「その点については、わたくしよりもティントの方が詳しいはずですよ」
一昨日、ユースラと共に宝物庫に入ったのがヤツリとティントだと聞いた時から話を聞こうと思っていただけに、リンクはそのままティントがいるゼルダの部屋へと向かうことにした。
彼女はいつも通りゼルダの部屋で、侍女ながらも主人から茶菓子のおすそ分けを貰っていた。ほっぺたがリスのように膨れている。
「ティントが盗まれたパリュールについて良く知っていると、ユースラから聞いたので……」
「はひっ! ひっへまふ!」
「食べてからでいいよ……?」
今日のおやつはカボチャケーキ。でもちょっと歪な形をしている。
ゼルダからは「リンクもひとついかが」と聞かれたが、時間が惜しいので断るとしょんぼりと肩を落とされてしまった。せめてお茶ぐらいどうぞと言われたが、そちらも間の悪いことにホルトウのところで一服させてもらったすぐあとだ。
それでもどうにかお茶だけは頂こうと席に座ると、カボチャケーキを飲み込んだティントが満面の笑みで話し始める。振るうフォークはまるで指揮棒だ。
「実は、例のパリュールのネックレスに使われている一番大きな宝石は、長年様々な貴族の手を渡り歩いて不幸をまき散らした呪いの宝石だったのです!」
「呪いってどんな?」
「不治の病にかかったり、ある日突然亡くなったり、行方不明になったり……それはもう恐ろしいことばっかりだそうです!」
不吉と口では言いつつも、ティントはどこか嬉しそうだ。
「あまりにも不吉だとして、ゲルドの街に持ち込まれたのが約30年前。当時、ゲルドの長を継いだばかりのウルボザ様が、ゼルダ様のお母上様に解呪を依頼して無事に解呪されたとか! その後我が家の工房で宝石を研磨し直し、他の宝石と合わせてパリュールに仕立てて王家に献上したと祖母から聞きました!」
「ティントの家って、宝石の工房だったの?」
「はい! パリュールを仕立てたのは私の祖母で、私はこう見えて、実は将来有望な宝石職人の娘なのです!」
自分で将来有望というのもなかなかの自信家だが、確かにティントはゼルダの装飾品に触れる際に躊躇も無く、粗相もなかった。同年代の少女にはないその知識と度胸は、どうやらそういう所に理由があったらしい。
初めて聞くティントの生家の話にリンクが目を丸くしていると、気をよくしたのか彼女は意気揚々と再び口を開いた。
「盗まれたパリュールはとーっても珍しい宝石が使われているので、恐らくゼルダ様がお持ちの宝飾品の中でも一、二を争うぐらい高価なものです。だからボレッセン子爵様も担保に指定を……」
「ティント!」
「はっ!」
慌てて両手で口を押さえたティントと、いつになく慌てた声を上げるゼルダ。
だが、後の祭り。リンクの耳に言葉はすでに届いていた。
「担保? なんのです?」
「えっと、その……」
「ゼルダ様?」
口を押さえたティントと、凍り付くゼルダを交互に見る。
王家の財政状況について、リンクは何か言える立場にはない。それに資金繰りに関してはゼルダの方が一枚に二枚も上手なので、任せた方がよっぽど良いことも分かっている。
ただゼルダのあまりに必死な顔に、嫌な勘が働いた。それに高価なパリュールを担保にするほどの借財が必要な事案と言えば、一つしか思い当たることがない。
いつもはおおらかに構える翡翠色の瞳が、この時ばかりは挙動不審におろおろしていた。しばらく間が空いて、ゼルダがその重い口を開く。
「実は、ボレッセン子爵から、結婚式の費用を借財しています……」
「ゼルダ様……」
「で、でも、担保は形式的なもので、返済のめどの立たないような借財ではありません! それに結婚式には王家の威信がかかっているんです、費用を惜しむわけにはいかないのです!」
事情は痛いほどわかったので、リンクにむやみに攻める気は毛頭ない。ただ、ティントが口を滑らさなければ知らなかったことなので、思わずこめかみを抑える。何より話をしてくれなかったことに、へそを曲げたくもなる。
我ながら意地の悪い態度だと思いつつ、涙目のゼルダを前にしてリンクはふぅと分かりやすくため息を吐いた。
「俺に心配をかけまいとしたのは分かりますが、もう少しお話していただきたかったです」
「……ごめんなさい」
「いいえ、本当は俺がたっぷり持参金を持っていればよかったんでしょうけど」
嫌味ではなく、それは本音だった。だがそればかりは難しい。普通の婿入りの持参金とは桁が違う。
ままならないなぁと呟きながら、先ほどロームの私室前ですれ違ったボレッセン子爵の憮然とした態度をリンクは思い出していた。恐らく彼は、担保に指定したパリュールが盗まれたことに腹を立てていたのだ。だからゼルダとぶつかっても大して謝らずに立ち去って行ったし、それに対してゼルダ自身も強く出ることが出来なかったというわけだ。
「いや、ボレッセン子爵が盗んだという線も……?」
わざわざ担保に指定したと言うからには、とんでもない価値があるのだろう。すると是が非でもパリュールが欲しくなったボレッセンが犯行に及んだのでは……と言いかけて、リンクは首を横に振った。
「いや、もし彼の手元にすでにパリュールがあったら、もっと喜んでいそうな気がするな……」
あの怒り顔が演技ではない保証はないが、そこまで芸達者にも見えない。大体から、ボレッセンからは武芸の匂いがしなかった。あのインパをして侵入が難しいと言わせた宝物庫に、一介の貴族が入り込めるとも思えない。
だとしてもこの関係性は何か匂うなぁとリンクが腕組みをすると、すっかり気落ちしたゼルダが蚊の鳴くような声で袖を引いた。
「あの、リンク。色々と、ごめんなさい……」
色々と。
こんな言い方をされては、まだ他にも何かあると察さない方が難しい。と言って、リンクの中には先ほどのユースラの言葉が繰り返されていた。
『ハイラル王家にはこういった秘密が多くあるのです』
王家の裏事情には、おいそれと明らかに出来ないことが、おそらくたくさんあると言う意味だ。
しかし隠されている事実に気付いてしまっては気持ちが落ち着かない。一呼吸ののち居住まいを正し、すっかり落ち込んでしまったゼルダの顔を覗き込んだ。
「ゼルダ様。先ほど侍女長殿から宝物庫の中を見せていただいた際に、『王家には秘密が多くある』と聞きました。つまり俺がまだ知るのを許されていないことが、色々とあるんですよね、恐らく」
「……ええ、その通りです」
「でもそれはそれとして、パリュールは俺が見つけます」
「……ありがとうリンク。貴方なら必ず見つけられると思います。でも」
再び語尾に小さく「ごめんなさい」と付け加えようとするゼルダの唇を、彼は素早く人差し指で遮った。
「だから、何か困ったことがあったらどんな形でもいいです、知らせてください。直接言えなかったら、そのように振舞ってください。頑張って気付くようにします」
気付いてしまえば、こちらのものだから。
……とは言わなかったが、力強く見返すと、ゼルダの沈んでいた顔が心なしか和らいだ。長いまつ毛を伏せて、すぅと大きく呼吸をする。次に瞼を持ちあげる頃にはいつもの落ち着いた表情が戻ってきた。
「ありがとうリンク」
その顔を見て、リンクは緩やかに目を閉じた。借財のことはもはや責めたところでどうしようもない。だとしたら今は目の前の盗難事件を解決することだ。
しかし情報は集まって来たものの、これと言って犯人像が浮かび上がってくることもない。どうしたものかと考えながらぬるくなったカップに手を伸ばしたところで、ゼルダが「ところで」と顔を覗き込んできた。
「パリュールがどこにあるかの見当はつきましたか?」
もういつも通り。ゼルダは興味津々に目を輝かせて、前のめりだ。本当なら「はい」と答えたいところだったが、リンクは言葉を濁しながら視線を外す。
「先ほどは威勢のいいことを言いましたが、残念ながらまだ……」
「あら」
「聞き込みをしたことを、これから持ち帰って整理し直そうと思います」
「なるほど。……では頭脳労働のお供には甘い物が必要ですね! ヤツリ、ケーキの余りを包んでくれますか」
まだカボチャケーキを食べさせることを諦めていないあたり、どうやら今日のケーキはもしかしたらゼルダの手製なのかもしれない。それは時間を惜しまず食べるべきだったと考えていたのだが、珍しくいくら待ってもヤツリが現れなかった。
「呼んでまいります!」
ついにはティントが駆けだしていく始末。侍女の模範のようなヤツリが場に居らず、主人の声にも反応しないとは珍事だ。
なんだろうとリンクも見回したが、いつの間にかヤツリはもちろんリードの姿も無かった。彼もまた姉と同じく侍従の模範のような人物だ。気配を殺しているとばかり思っていただけに、本当にいないとは思ってもみなかった。
しばらくして隣室から慌てた様子のヤツリ・リード姉弟が、ティントに連れてこられた。彼女は「弟と少し話をしておりました。失礼いたしました」と深々と頭を下げたが、姉弟揃って何やらそわそわと落ち着きが無いように見えた。リードの方はいそいそと書き物をしてから、手帳をポケットに戻している。
腑に落ちないまま、残っていたケーキを全て包んでもらって部屋を辞す。
城内からはすでに朝のざわついた空気は消え、四日後に控えた結婚式に向けて慌ただしく準備が進んでいた。それらを眺め、リンクはふと足を止める。
侍女侍従から下仕えの者まで、廊下には多種多様な人がせわしなく人が行き交う。平時であれば、城下に家を持つ通いの者はすでに帰るような時刻だ。だからこの落ち着かない雰囲気が、いつもと違うと感じるのは当たり前。
だが、それを差し引いてもなお違和感がある。
しいて言えば人々が、不自然なぐらい滞りなく準備を進めているように見えた。
「なん、だろうな……この――」
「リンク殿!」
掴みかけた違和感は手放さざるをえなかった。声の主が、猶母のチガヤだったからだ。
「大事に巻き込まれているようですが、大丈夫ですか?」
もしこれがサイランであれば、リンクは間髪入れずに「大丈夫です」と答えたところだろう。だがチガヤ相手には見栄を張るよりも、嘘を吐く方が難しい。それで彼は仕方がなく「まだ何とも」と小声で告げた。
するとチガヤは少しばかり怒ったように頬を膨らませた。
「まったく、リンク殿に本来やらせるべきことではないのに、あの人たちときたら……。いいえ、いざとなったら私がどうとでもいたします。ともかく今は全力を尽くしなさいませ」
どうとでも、とは?
それにあの人たちとは?
問おうにも、チガヤはぷりぷりと怒ったまま、去ってしまった。それが心に引っかかったまま、リンクは夕食後に日の落ちた庭園の端にある東屋に一人で行った。
私室からほど近い小さな庭は、基本的にはリンク以外は誰も立ち入らない。余程の急用以外はリードやカスイでも覗くことはなく、この空間だけは人目を逃れることが許されていた。そのようにゼルダが取り計らってくれていた。
東屋のテーブルに、紙とペンとランタン、ゼルダから貰った少し焦げて歪なカボチャケーキを一切れ皿に乗せ、首元を緩める。東の空にはすでに明るい星がいくつか瞬いていて、西の空は濃い紫色に染まっていた。
「盗まれたのは、一昨日から今日の朝にかけての間だ」
今日、集めた情報を生真面目な角ばった字で記していく。
「鍵の所有者はホルトウ侍従長殿とユースラ侍女長殿の二人だけ。立ち入ったのは一昨日午後三時ごろ、侍女長殿とヤツリとティント。そして今朝六時に掃除夫を連れた侍女長殿……か」
ぱくりとカボチャケーキを口に入れた。途端、目を丸くする。
「あまっ」
声が出るほど甘いカボチャケーキは、恐らく砂糖の量が間違って多く入れられている。やはりゼルダのお手製のようだ。だが盗難騒ぎのせいで昼を食べ逃し、いつもの夕食だけでは物足りなかったリンクには、ありがたい甘さだった。
トントンとペン先で文章の端をつつきながら、コゲのほろ苦さと強烈な甘さを口の中で咀嚼する。
「出入りが難しいことを考えると犯人はこの中にいることになる……、が侍女長殿もヤツリもティントもお金に困っている人たちではない」
さすがにゼルダの侍女にもなると、下級とは言え貴族の娘が選ばれる。侍女長はどこぞの子爵家の当主の姉、ヤツリは言わずもがな、ティントは貴族ではないがウルボザの身内なので同格と考えていいだろう。三人の名前の下の下線を引き、金銭的な面で窃盗する動機が無いことを記す。
一方の掃除夫たちはと言えば、こちらは平民たちばかりだった。むしろよく今まで金目のものを盗まなかったとも思うが、掃除夫とはむしろ『主から信頼を得て、大切なものを掃除している』ことを誇りに思っている節があった。だからよほどのことが無ければ、彼らが自らの矜持を穢してまで主の宝物に手を付けるとも思えない。
「それにあの侍女長殿の目を盗むなんて、俺だって無理だ」
言ってから、るんるんと嬉しそうに図書室に入って行くユースラの後ろ姿をリンクは思い出したが、あれは職務中には見せない姿だ。異例中の異例だろう。
そこまで考えて、金銭的な動機のところでペン先を止めた。また一口、カボチャケーキを食べる。
「どうして盗まれたのがパリュールだけだったんだろう?」
せっかく宝物庫に入れたのなら、パリュール以外も盗めばよかったはずだ。箱一つ程度なら服の下にでも隠して、他の宝石をポケットに入れることもできる。金銭目的の強盗であればもっと盗んでいても可笑しくない。
一方でリンクのような素人でも、王家が所有するような高価な宝石を秘密裏に売り捌くのが難しいことは分かる。もし高価なパリュールを換金できるほど裏社会に精通した犯人ならば、もっと上手に盗むはずだ。実際、盗んだことがたった3日でバレており、あまりにもやり方が稚拙すぎる。
「いや。それどころか、パリュールは結婚式で使う。盗めば必ず露見する代物だ」
金銭目的の強盗なら、もっとたくさん盗めばいい。
気付かれない程度の小金が欲しいのなら、もっとバレにくい物を盗めばいい。
帯に短し、たすきに長し。事実として起こっているのでどうしようもないが、この盗難事件は根本的にどこか歯車が嚙み合っていない。
「これはバレる前提の盗難か……? バレることを想定して、……いや、あるいはバレなければダメだった……。あれ、じゃあ?」
事件が起こったにも関わらず粛々と進む結婚式の準備。
他人行儀なユースラや、誰かに怒っている素振りのチガヤ。
そして事件に全く首を突っ込んでこないゼルダ。
それらがぱちぱちと、まるでパズルのピースのように頭の中でハマりかけた時、ふらりと木の向こうから姿を現した人物がいた。
「……何用ですか」
おけさ笠と前合わせの服装で、その人がシーカー族なのは分かった。だがシーカー族にしては珍しく髪色は金色をして、前髪で隠していない片目は燃えるような赤だ。口元から胸元までを布で隠していて性別は定かではないが、変装途中のシーカー族と言えば納得は出来る。
ただし、ここは余人の立ち入らない庭園だ。リンク以外は、ゼルダぐらいしか進んでは入って来ない。それが暗黙の了解となっていた。
そこへ堂々と現れたシーカー族を不審に思わないわけがない。
リンクはしばらくその者を睨みつけていたが、相手が根負けして赤い瞳を伏せたところで警戒を解いた。害する気があれば、気配を消して襲ってくればよかった。それをしなかった時点で、このシーカー族の目的がリンクと話をすることなのは判明している。
となると、遣わした人物もおのずと推測がついた。
「姫様からですか?」
「はい、伝言を預かって参りました。『命じた方の言葉を、もう一度よく思い出してほしい』とのことです」
「命じた方……」
リンクにパリュール捜索を命じたのは、ほかならぬロームだ。
その時何と言われたか。
『盗まれたパリュールを探し出すのじゃ!』
あの息苦しいほど圧迫したロームの私室で言われた言葉を思い出し、リンクはハッと顔を上げた。
命じられたのは犯人捜しではなく、盗まれたパリュールを探すこと。決して、犯人を見つけろとは言われていない。
これが最後のピースとなって、ある仮説が組み上がった。なるほど、と口の中で呟いて、彼は肩から力を抜く。あらぬ方向を見ながら、未だ遠目に控えるシーカー族に声をかけた。
「ゼルダ様にお礼を申し上げてください。分かりました、と」
「かしこまりました。……ですが、むしろ姫様は貴方に謝罪しておいででした」
「それも致し方の無いことでしょう。ゼルダ様が謝られることではない」
悪いのは、これを仕組んだ犯人だ。おおよそ事の顛末を理解したリンクが、犯人にため息を吐く。
しかし幸いにも方針は固まった。明日にでもパリュールの在りかを明らかにしようと思ったところで、ふと最後のピースだったゼルダの伝言を持ってきてくれたシーカー族に興味が湧いた。
「名を聞いてもいいですか」
隠密であれば名前も素顔もバレないように振舞っている可能性はある。それでも金の髪に赤い瞳のシーカー族とは、非常に目立つ人物の記憶が欠片も無いのは妙だ。
意外な質問にそのシーカー族は一瞬目を丸くしたが、すぐに気を取り直した様子で顔を伏せた。
「シークと申します」
「シーク。そうですか、ありがとうシーク」
やはり聞きなれない名前だった。これでもリンクは、インパやプルアやロベリーをはじめとして、シーカー族にも知り合いは多い。ところがシークという名前にはまるで聞き覚えが無かった。
頭からつま先まで彼、あるいは彼女を観察し、今にも闇に消え入りそうなシークをなおも言葉でこの場に繋ぎ止める。
「ところでシークは、いつもは何をしているのですか? こういう時は大体インパが来るのですが、インパ以外の方が来るのは珍しいものでして」
リンクは単なる興味を装っての質問のつもりだったが、意外にもシークは返答に窮してしまった。ぐっと何かを考え込むように、長く間が空く。
そんなに答えづらいことでもない。主であるゼルダから口外を禁じられているのであればそう告げればいい。つまり言いたくても言えない理由があるのか、あるいは言うのをただ躊躇っているのか。
どちらにせよ膠着している時間が惜しかったリンクは、夜がさらに深くなる気配にわざと視線を逸らした。
「私は、ある人をそそのかした者を探しています。……では」
予想通り、目を離した隙に早口に理由を述べたシークは、煙のように姿を消してしまった。よほど正面切って話をしづらかったのだろうか。
それにしても、『そそのかした』とは不穏だ。もちろん何の話だかさっぱりだったが。
「ともかくだ。パリュール探しは少し工夫が必要だな……」
甘いカボチャケーキの最後の一切れを口に放り込み、リンクは立ち上がった。
思い出すのは、寮で同室だった先輩の近衛騎士だ。何の因果か未だに人員不足のために捕吏で勤務をしている。
「申し訳ないけど、先輩に手伝ってもらおう」
今は寮を出て城下で妻子と共に暮らしており、自宅へは何度か尋ねたことがあった。不寝番でもない限り、この時間は自宅にいるはずだ。当然のことながら、パリュール探しなどを持ち掛ければ先輩が全力で拒否するのは目に見えているが、他に思いつく手立てもない。
リンクは部屋に戻り気楽な格好に着替えると、残っていたゼルダ手製のカボチャケーキを手土産代わりに持つ。巡回の兵をやり過ごすと、彼は夜陰に紛れてひょいと城壁を乗り越えた。