表裏なす赤の秘密 - 5/24

 

 建設途中の学校へ着いた途端、チガヤとゼルダは「あらまぁ」と目を丸くした。煉瓦の壁が途中までしか組み上がっておらず、子供たちの頭上は青空だった。

 

「資材が高騰しておりまして……」

 

 申し訳なさそうにする大工の親方は、手持無沙汰にする他の大工の半分をすでに帰した後だった。本来なら物が山積されているべき資材置き場が空で、申し訳程度に木組みの屋根を作っている最中だ。

 聞けば、人手はあるが資材が手に入らず、特に住宅の建設によく使われる煉瓦はどこもかしこも在庫がないという。金に糸目をつけずに建材を揃えようとすれば、以前の三倍は下らないという話だ。

 

「さすがに三倍は厳しいわね……」

「時間はかかりますが、もうしばらく待ってもらえたら下がると思うんですがねぇ」

 

 それまでは雨風がしのげるだけの屋根で我慢してもらいたい、と大工の親方は頭を下げた。チガヤは「ではそのように」と答え、授業を終えたばかりの子供たちの輪の中へ入って行く。その様子をリンクは遠巻きに見ていた。

 子供たちの服は継ぎの当てられたものも多く、足首まで丸見えでつんつるてんだ。それでもまだ、がりがりに痩せた子がいないことに救われる。厄災との戦が終わってすぐの頃は、明日にでも死んでしまいそうなあばらの浮き出た子供が街の至る所にいたものだ。

 少なくとも状況は良くなってきてはいる。だがまだ足りない。

 

「こちらから資金を出すことは出来ないのでしょうか……」

 

 そう言葉を口にすることは、リンクにとって全く含みのない自然なことだった。少しばかり早く生まれたから彼は騎士として教育を施してもらえたのであり、あと十年生まれるのが遅れたらああいった子たちの中にいても可笑しくはない。

 しかも今はゴロン族との窓口として、部門は違うがまつりごとの一端も担っている。多少なりとも金銭を動かせる立場にはなっていた。

 ところが鋭利な声が背中に突き刺さる。

 

「浅慮なことを申されるでない」

 

 リンクがびくりと肩を震わせて振り返ると、サイランの突き刺すような視線があった。静かに怒りに燃えている。

 

「殿下の夫君になろうという者が、軽々に資金提供などと言うものではない。よくよく物を考えてから口に出すことだ。殿下の不利益になってからでは遅い!」

 

 言われてから、ああそうか、とリンクは微かに唇を噛む。

 この学校はサイランとチガヤの私財が投じられている、つまり見方によっては老騎士夫妻の都合の良い人間を育てるための学校ともいえた。実際に子供たちを見ればそうではないのは分かるが、世の中の人全てがそう見てくれるわけではない。

 そこにリンクやゼルダの名前で資金が投じられたとしよう。他の貴族から見れば、猶父とはいえ王族からの肩入れとなり面白いことではない。ひいてはそれがゼルダが責められる理由にならないとも限らない。

 そこまでの考えにようやく至ってから、リンクは目を伏せた。

 

「申し訳ありません」

 

 サイランは険しい表情のままぷいとそっぽを向いてしまった。分かればよい、などと生易しい許しの言葉もない。

 

――またやらかしてしまった。

 

 反省しきりのリンクは、この手の思考にはまだ疎いところがあった。そのたびにゼルダから指摘を貰っていたが、染みついた考えの癖がそう容易く変わるものでもない。

 落胆する彼の傍らで、一方のゼルダは大工の親方に尋ねていた。

 

「煉瓦の高騰は何が原因ですか? 人材? それとも材料? どちらなのでしょうか」

 

 一番若い、しかも女性であったゼルダからの質問の内容が意外だったのか、親方は明らかに驚いた顔をする。

 

「実は煉瓦を焼くための窯が足りておりませんで」

「窯?」「窯じゃと?」

 

 リンクが思わず問い返した言葉が、まさかのサイランと被る。同じタイミングでまるで同じことを聞き返してしまい、別の意味で驚いて互いに顔を見合わせた。もちろん二人とも一瞬で顔をそむけたが。

 その様子をふふふと笑ったゼルダは、積み上げかけの煉瓦を指さした。

 

「建材に使われる普通の煉瓦を焼くには、煉瓦の焼成温度にも耐えうる素材でできた窯、つまり耐熱煉瓦で出来た窯が必要になります。ところがその耐熱煉瓦を焼くには、さらに高い焼成温度に耐えうる耐熱窯が必要になります」

「いたちごっこでは?」

「ですから最初の耐熱窯は粘土で作って一度きりで、焼いた後は崩すそうです。だから普通の煉瓦が足りないということは、耐熱煉瓦でできた窯もしくは煉瓦が焼ける職人のどちらが不足していると思ったのですが、耐熱煉瓦の窯が足りていないのですね」

「何でもお見通しですなぁ」

 

 大工の親方は感嘆の声を上げる。ややこしいが、つまりはこういう話だ。

 煉瓦を大量に生産しようにも、焼くための窯がない。では窯を作ろうとしたが、窯を作る材料である耐熱煉瓦がそもそも足りない。以前はいくつもあった窯元が戦のせいで壊れ、現在はまるで供給が追い付いていないのだそうだ。

 石材と煉瓦では、煉瓦の方が耐久性に劣る。そのため城や城下の道と言った公共部分の復興には、もっぱら石材ばかりが使われていた。そうしないと城下町などの交通量の多い場所では、あっという間に馬車の轍で凸凹になってしまうからだ。

 そのせいで、まさか一般住宅に不可欠な煉瓦を焼く大元が、ここまで足りていないとは気づいていなかった。これでは今年の冬までに、この学校に屋根を拭くのは難しいだろう。

 しばらく腕組みをして悩んでいたゼルダだが、おもむろに振り向きリンクとサイランの二人を同時に見た。

 

「ではこうするのはどうでしょう。リンクはダルケルに言って、ゴロン族の耐熱窯を借りるお願いをするのです。そしてサイラン様の名前でゴロン族から耐熱窯を借り、親方さんのところの職人さんに耐熱煉瓦を作ってもらう。ゴロン族の窯は鉄器も扱う高温仕様ですから、耐熱煉瓦も焼けるはずです」

「そうか、それで窯を作ってしまえば……」

「ええ、耐火煉瓦の窯さえあれば普通の煉瓦は作れます。そうしたら価格が落ち着くのを待たずとも、学校建設は進められるのではないでしょうか」

 

 学校の建設が終わっても、窯さえあれば煉瓦の生産は続けられる。次の建設現場でも資材に困らないはずだ。そこまで聞いた大工の親方は二つ返事で、煉瓦職人に渡りをつけて来ると飛び出して行ってしまった。

 まずはリンクがダルケルと話をしなければならないのだが、彼らの英傑としての繋がりは広く民にまで知れ渡っていたので、まさか不可能とは思っていない様子だ。当然、リンク自身もダルケルが断ることは無いと分かっているし、なによりゼルダが提案したのだからこの話が無茶ではないことも承知していた。

 

「どうでしょうか、サイラン様」

「殿下がそうおっしゃられるのなら……」

「じゃあ決まりですね。ではリンク、ダルケルが登城したら話を通して、それからサイラン様と引き合わせてください。頼みましたよ」

 

 ゼルダにここまで言われては、堅物のサイランでも流石に否とは言えない。

 ひとまず失態は免れたことにほっとするリンクに、ゼルダが一歩近づく。耳を貸すように袖を引くので、リンクは微かに体を傾けた。以前にも増して大きくなった身長差を埋めるように体を傾け、彼女の方へと耳を近づける。

 

「ちなみにダルケルが持てあましていた白土ですが、実は耐熱煉瓦を作る際の材料になります」

「そうなんですか?」

「もちろん作れるだけの質かどうかは職人さんしか分かりませんが、もし材料になりそうなら、ダルケルに割引をお願いしてみてもいいかもしれません。その程度ならサイラン様も納得してもらえるのではないでしょうか?」

 

 今ここでそれを本人に言ったらサイランは必ず遠慮するだろうから、それと分からぬようにダルケルにお願いをしておくと良い。

 そこまで付け加えてゼルダの采配に、リンクは感心しきりで声が出なかった。よくこの一瞬で誰にも損をさせない状況を整えられるものだ。小声で「ありがとうございます」と答えたところで、ひとしきり子供たちの様子を見終わったチガヤがニコニコしながら戻ってきた。

 

「ゼルダ姫様、確かチョコレートを出している姫様のお店ってこの近くでしたよね。もしお時間あるなら、少し歩いて街の様子を見ながら行ってみたいのだけれど、よろしいかしら?」

 

 ゼルダが城下に経営しているチョコレートハウスはどちらかと言えば富裕層向けのお店なので、馬車で乗り付けても何ら問題はない。だからわざわざ歩いて、というのがまたチガヤらしい。

 ゼルダとリンクが二人して、静かに気配を殺していたヤツリとリードの方を見ると、姉弟の整った能面顔が揃って首肯した。

 

「今日は大丈夫です」

「こちらも問題ございません」

「旦那様はどうします?」

 

 いつの間にか側にいたサイランに、チガヤは何でもない様子で声をかける。すると彼はわずかに悩んでから「行こう」と呟いた。それに対し、チガヤはにこりとして「ですね」と答える。この短いやり取りが成立することが、リンクにとっては不可解だった。

 先に馬車を帰し、歩き始めた老騎士夫妻。その会話のうち九割五分はチガヤで、サイランは短い返事をするだけだ。なのにチガヤにはサイランが何を考えているのか分かっていて、結局聞くのは確認事項だけだった。彼女の「どうします?」は、夫から「イエス」の言質をとるだけのきっかけに過ぎない。

 道すがら、店を開けていた本屋を見つけた時も、チガヤは「よろしい?」とは聞くが返事も待たずにゼルダと共に店へ入って行ってしまう。だいぶ遅れたサイランの返事は「構わぬ」だった。

 

「やはり本屋は良いものですね。取り寄せるのと違って、知らぬ本に出会えるのが特に良い」

「チガヤ様は特に何がお好きですか?」

「物語が好きですよ。幼い頃は夢見がちもいい加減にしろとよく怒られましたが、わくわくしますでしょ」

 

 並んでいるのは焼けた修道院などから買い集めた古書ばかりだ。本は高い。それでも需要があるのか、棚にはいくつも隙間があった。誰かが買っていった跡だろう。

 

「あら、この本!」

 

 古書のなかに比較的新しい本があった。遠目に、チガヤが手に取ったタイトルは『騎士王物語』。

 いかにも物語好きが好みそうなタイトルであったため、案の定ゼルダは知らないらしい。

 

「有名なのですか?」

「あら、最近お若い方に人気なのだけれど、ご存知ない? ジギーという作家さんのお話なのだけれど」

「なかなか時間が取れなくて……、ヤツリは知っていますか?」

 

 お忍びということもあって、ゼルダのいで立ちはかなり地味な外出用のドレスだ。それでもちゃんと侍女のヤツリが横に控えている。

 彼女は例の本を見るなり静かに首を縦に振った。

 

「……はい、存じております。ですが姫様には少し刺激が強いかもしれません」

「し、刺激!?」

「私でも、ちょっと、その……」

 

 言い淀むヤツリを見て、ゼルダは顎を引いた。

 ヤツリは十年来の侍女で、つまりゼルダにとっては数少ない信頼できる年上の女性でもある。そのヤツリが「少し刺激が強い」と言うのだから、出した手も引っ込めてしまう。

 こう見えてゼルダもまだギリギリ十代。二十代も後半に差し掛かったヤツリが言葉を濁すほどの本だとすると、ゼルダには手に負えない可能性もある。

 

「ヤツリがそう言うのなら、私には早いかもしれませんね……」

「あらま。じゃあ私が買いましょう。読みたいものは見つけた時には迷わず買わないといけません」

 

 流石に年の功なのか、チガヤは自らさっさと本を買ってしまった。また一つ、本棚に隙間が空く。

 その本を持ったまま、向かったチョコレートハウスは意外にも閑散としていた。

 もともと路地裏にこぢんまりとした作りの店だったので大盛況とはいかないが、それにしても客がいない。店番のシーカー族の女性が雑談をする程度には閑古鳥が鳴いていた。

 チガヤはここでも自分であれこれと店員に質問をして、好きなように買い物をしていた。自らの侍女は連れ歩かず、大概のことを自分でやってしまうのは何とも不思議な光景だった。

 

「庶民が買うには少し高いのかもしれませんね」

 

 大事そうに包みを持ったチガヤは、城へと続く大通りを歩きながら呟いた。このように言えるのはつまり、彼女自身が庶民の出せる金額を理解していると言う意味でもある。

 痛いところを突かれたゼルダは、微かに肩を落とした。一年前、ようやく完成にこぎつけたチョコレートだが、未だ庶民が気軽に買える価格ではない。

 

「製法の関係で、なかなか安く出来ないのです。改良は続けているのですが……」

「だったら民が潤えばよいのだわ。子供たちが安心して甘いものを食べられるなんて良い世の中ではありませんか。そういえば可愛らしい侍女さんが、チョコレートをじっと見ていたの、気付いてはいたんだけど可哀そうなことをしてしまったわねぇ」

 

 言いかけて、チガヤはあらっと足を止めた。

 城の正面玄関にて、四人の帰りを待っていたティントが誰かと話をしている。きらきらとした笑顔が、恰幅の良い髭面の貴族の誰かを見上げていた。

 

「噂をすればさっきの侍女さん、どなたかとお話しているわ」

「ティントが男の人とお話しているなんて珍しい……」

 

 ウルボザの推薦のためか、ティントは歳の割にはちゃんとした作法を身に着けていた。しかしやはりと言うべきか、女ばかりのゲルドの街から来た彼女は男性が少し怖いらしい。特に厳つい髭面の男性が来ると、明らかに顔をこわばらせて逃げ腰になる。最たる例が、実はロームだ。

 そのティントが全く怯えた様子なく話している相手が、壮年の男性貴族、しかも苦手な髭面なのはゼルダでなくとも不思議に思う。リンクもあまり見覚えのない相手だった。

 こちらには気付かず、手を振って去り行くその男性貴族の横顔は、何度か城内ですれ違ったことがあった。ただ、向こうの爵位が低いためか、頭を垂れてしまうことが多くてまじまじと顔を見たことがない。

 

「ティント」

「あ! ゼルダ様、お帰りなさいませ!」

「ボレッセン子爵といつの間にお知り合いに?」

 

 ゼルダの言葉で、リンクも彼の名前を思い出す。名前は確かボレッセン、マリッタの方の交易所周辺に領地がある子爵だ。

 ティントは一瞬サイランを見てビクついたものの、ゼルダの側に半歩にじり寄りながらぱっと笑顔を咲かせた。

 

「はい! 実はボレッセン様が経営されているお店のお品物のことで、以前から少し相談に乗っていたのです。なんでも若い人向けなのだそうで、私のような者のご意見がちょうどいいんだそうです!」

「まぁ、そうなのですか」

 

 それにしたって髭面が怖いティントが笑顔まで見せるとは、ボレッセン子爵はどれだけ努力をしたのだろう。子爵の去った方向をリンクが見ているところに、ひとりの下男が小走りに来た。

 「チガヤ様は……」とオロオロするので、あちらだとリンクが示してやると、下男は緊張した面持ちで小さく折りたたんだ紙を彼女に渡す。

 その紙を開いた途端、今度はチガヤがそわそわとし始めた。ゼルダへの挨拶もそこそこに、サイランを置いて彼女は一人でどこかへ行こうする。

 

「私は図書室に寄ってから戻りますから、旦那様は先にお部屋に戻っていてくださいね」

「うむ」

 

 道すがら本を買っておいて、さらに図書室へ行くらしい。これにはゼルダも驚きを隠せず、ぽかんとして見送っていた。ゼルダは相当な本の虫だが、もしかしたらチガヤはさらに上を行くかもしれない。

 サイランは自分の妻の様子を気にすることもなく、一礼して去って行った。ここでようやくリンクは本当に肩から力を抜く。お疲れさまでした、とゼルダが宥めるように添えてくれた手を取って、歩き出そうした。

 

「姫様!」

 

 午後、外に出る間に書類の整理を頼んでおいたインパが、廊下の向こうから走ってくるのが見えた。その後ろには、同じくリンクの代理をしていたカスイがのんびりと付いて来ている。

 

「インパ、戻りましたよ。書類の方は滞りなく?」

「ええ、気合を入れて終わらせておきました! つきましてはあのー、少々早めに上がってもよろしいですか。えっとー、そのー、夜にですねー……」

 

 と、ぐだぐだに語尾を濁し、ちらちらと後ろを歩いて来る彼の方を見る。

 それで察したゼルダは、リンクと顔を見合わせて声を殺して笑った。

 

「構いませんよ。カスイの方もその様子なら大丈夫なのでしょ?」

「こちらも終わっておりまーす」

 

 一足遅れて追いついたカスイの手はすでにさっぱりと洗われていて、もうインクに触れる用事が無いことは明らかだった。ならば構わないとリンクもうなずく。

 彼ら二人も執政補佐官として、五日後の結婚式まではあれこれと忙しくしている。息抜きできるときにしておいた方がいいし、何よりインパの笑顔が以前に比べてずっと増えていたので否やはなかった。