表裏なす赤の秘密 - 22/24

 

6 似た者同士

 

 雨が上がるのを待って、三人は城へと戻った。帰り道、誰も何も口にしなかった。

 ゼルダは雨宿りをしている間に、一瞬だけインパと共に姿を消して変装を解いた。戻ってきたときにはすでにシークの面影は全くなくなっていた。シークの姿を保つには、どうにも体力の限界だったようだ。王家の秘密を看破したリンクであっても、姿を変える瞬間だけは見せられないとのこと。

 しかしゼルダが変装を解いたことで、帰りは壁をよじ登ってひっそりと戻ることができなくなった。それで仕方がなくずぶ濡れのまま城の正面に回った。ところが何やら様子がおかしい。

 正面口に人だかりができていた。兵士たちは気もそぞろで、ほとんどはリンクとゼルダには気づかない。彼らの意識は、大声で罵り合う声の方に向いていた。

 

「なんの騒ぎでしょう?」

 

 濡れて頬に張り付いた髪を指で取りながら、ゼルダはつぶやく。いつもならはきはきと応じるインパは辛うじて返事はしたものの、声はかすれて上手く聞き取れなかった。

 しかしながら幸いにも、人々が騒ぎの方に釘付けになっている。二人は視線を交わし、目立たぬよう回り道をしようとした。そこへ折よくリードとヤツリが現れて、さっと目隠しになってくれる。

 あまりのタイミングの良さにじっと見ると、二人とも心得たように小さく会釈をした。

 

「インパ様を探しに行かれたと、侍女長からお聞きしました」

「今はともかくお部屋へ」

 

 ユースラが機転を利かせてくれたのだとすぐに分かった。感謝しながら二人に隠されるようにしてその場を去ろう足を動かす。

 ところが発された怒鳴り声に、思わず足が止まってしまった。

 

「ネックレスを盗んで宝石を割ったのはリンク様とお聞きしましたが!? どうせ宝石に目がくらんで手を出したものの、扱いが分からず割ってしまい、白土の中に隠したと言ったところでしょう。これだから平民出の騎士は下劣極まりない! 下賤の血を入れようとは王家も堕ちたものだ!」

 

 声の主はボレッセンだった。城の正面広間に響く言葉は、カスイの思惑通りにリンクを犯人に仕立てあげている。取り巻く人々はどよめいて、否定の声を上げる者はいなかった。リンクはぎゅっと濡れた服の上から心臓のあたりを握りしめる。

 宝石を盗んだもの割ったのもカスイだが、その彼自身はハイラル森林公園に空いた巨大な穴に落ちて行方知れず。真犯人を連れてきて身の潔白を示すこともできない。

 

――ひとまず、戻ろう。

 

 今じたばたとするのは相手の思うつぼ、弁明をするとしても落ち着いてからの方がいい。そう言い聞かせて背を向ける。

 ところが立て続けに腹の底から震えるような別の怒声が響いて、我知らず振り向いた。

 

「あれがそのような愚かなふるまいをするはずない。いわれのない噂話で謗ることは許さぬぞ!」

 

 思えばボレッセンの怒声はリンク本人へ向かっているわけでもなく、あるいは集まった人だかりに向けた演説の類でもなかった。

 では誰に向けて怒鳴っているのか目を凝らすと、人の輪の中心にいたのは昨夜心労で倒れたサイランだ。

 あれほどリンクを嫌っていたはずのサイランが何を言っているのか。疑問が驚愕に変わるにつれ、目も口も丸くなっていく。ただ、サイランの顔色は遠目にもさほど良いとは言えず、リンクはリードの制止を振り切って人垣に近づこうとした。

 その袖を横から力いっぱい引かれて、さらに目を剥く。

 

「そのまま、そのままですよ!」

「猶母殿……!?」

 

 大勢の野次馬のなかにチガヤが紛れ込んでいた。夫君が中央で怒号をあげているにもかかわらず、彼女は面白そうに目を輝かせている。

 

「いい機会ですからリンク殿、ここで息をひそめて全部聞いておしまいなさい。旦那様の頑固には私も困っていたところなのです」

「いい機会?」

 

 いったいどういうことか聞こうとしても、微笑みながらチガヤはしーっと一本指を立てるばかり。困ってゼルダの方を伺うも、同様に手で「そのまま」と制された。仕方がないので言われた通り、リンクは人垣の中央へ視線を戻した。するとインパをヤツリに任せたゼルダも、隣に肩を並べる。

 人垣はまるでドーナツのようになっていて、真ん中にはハイラルトマトのように顔を真っ赤にしたボレッセンと、対照的に凍てついた怒りで直立不動のサイランが向かい合っていた。リンクの方からはサイランの表情は見えなかったが、背にはまるで戦場にでも立っているかの如くぴりぴりとした緊張が漂っている。

 老騎士は割るような勢いで、石の床を杖で叩く。

 

「厄災に見舞われたこの国で、多くの者があれに救われた。その真率な人柄は皆の知るところである。長らく陛下の片腕として近衛を務めたわしでも、あれほど実直な騎士は他に知らぬ。それに盗人の疑いをかけようなど、己の品性をまず心得られてはいかがか!」

「なんという言い草でしょうか! さすがにサイラン殿といえども、それは贔屓が過ぎませぬか!」

「確かに贔屓と言えば贔屓かもしれぬ。わしには子はおらぬ代わりに、あれを本物の息子と思うておるゆえな。……で、あるからこそ、もしあれに濡れ衣を着せるどころか、無実の罪で名誉を損なわせようとするのなら、わしは騎士の名誉をかけてでもおぬしを許すわけにはゆかぬ。ボレッセン子爵どの、お覚悟めされよ!」

 

 『あれ』と言うだけで、サイランは決して誰のことを指示しているのかは明言しなかった。だがどう考えても『あれ』とは、リンク以外にはいない。

 

「どう……いう……?」

 

 サイランには嫌われているはずだ、という考えがまず頭の大部分を占めた。

 会ってもろくに目を合わせてももらえず、会話も三往復と続かない。何かすれば考えが足らぬとお叱りを受け、謝罪をしても許しの言葉すらもらえなかった。

 ところがそのサイランがいま必死で名誉を守ろうとしているのは、仕えていたロームでもなく、あるいはその娘のゼルダでもない。他でもないリンクだ。何か含みでもあるのかとも思ったが、騎士の名誉をかけると言った場面でそれは考えづらい。

 

「え……? いや、……えぇ?」

 

 まるで頭が理解を拒んでいるかのように、リンクは分かりかけた答えを幾度となく飲み込んだ。まさか、いや本当にまさか? という言葉だけが空回りする。

 落ち着きなく首をかしげるリンクに、ゼルダはこらえ切れない様子で微笑んだ。ひっそりと手を握って、ぽんぽんと優しく手の甲を叩く。

 

「ねぇリンク。話してみなければ分からないことって案外多いものですよって、以前にも言いましたよね」

「……あ、あれって」

 

 サイランと上手くいかないことで弱音を吐いた時、ゼルダから返ってきた言葉そっくりそのままだった。

 あの時はゼルダの言葉を、『どうして邪険にするのか、腹を割って話をしてみた方が良い』と言われていると受け取った。だがサイランがそう易々と本音を明かしてくれるわけがないと思い込み、しり込みをしたままになっていた。

 だが今、サイランの言葉を聞いた後ならば、全く意味が違っていたことが分かる。

 

「旦那様はねぇ、リンク殿が大好きでしょうがないんですよ。でもあんな性格でしょう? 何度私が話せる機会を準備しても、口を突いて出るのは憎まれ口ばかりでね。陛下が偽の盗難事件を起こしてリンク殿を試そうとしたのも、元はと言えば旦那様がリンク殿を褒めたからだとか」

「ほ、ほめ……!?」

「サイラン様が貴方のことを大いに評価するものだから、意固地になった御父様が偽の事件を仕立て上げたそうです。聞いた時は信じられませんでした」

 

 はぁと呆れたようにため息を吐くゼルダと、ころころと鈴を転がすように笑うチガヤ。その二人にはさまれて、リンクはあっけにとられていた。

 何をどう言葉にしたらよいのか分からない。

 サイランは王国の騎士ならば誰でもあこがれる騎士だった。その騎士が引退するに至る傷を負った戦いで、図らずも武功を上げて今の地位を築いたのがリンクだ。直接の関係はなかったとしても、居心地悪く思われるのは当然、疎まれても仕方がないと思ってきた。

 それが全くの逆であったとは、誰が予想できただろうか。二の句がつげないまま、なおも続く二人の言い争いをただ聞いていた。意味など上手く咀嚼する余裕もない。呆然と立ち尽くしていた。それがあるところでふつっと途切れ、正面広間がしんと静まり返った。

 気づけばリンクの存在に気づいた人々が潮のようにざわざわと引いて、人垣がぱっかりと割れる。その割れた先にはリンクに負けず劣らずあ然とした顔のサイランが、ちょうどこちらを振り向いたところだった。

 面と向かうと、お互いにまったくもって言葉を紡ぐことができない。今まで鉄面皮を貫き通していたサイランの顔に、じわじわと朱がにじんでくるのが見えた。

 ああ、これはまたお叱りを受ける。そう思った矢先、サイランの鋭い視線が向いたのはリンクの横にいたチガヤの方だった。

 

「ち、チガヤ!」

「何を怒っていらっしゃるの、こうでもしないと通じないじゃありませんか」

 

 恥ずかしさを誤魔化すかのように、サイランの杖の先が広間の床をガツガツと叩く。リンクは柄にもなく動揺して、必死で目をそらそうとした。するとそばにいたリードが必死でメモを書きつけているのが目の端に映った。それを一瞬不思議に思うも問うこともできず、必死に言い訳を考え続ける。

 そこへのっしのっしと小山のような人影が正面広間に入ってきて、空気を読まずに怪訝そうな声を出した。

 

「なんだぁ? 何かあったのか?」

 

 一昨日から城下のゴロン族の元に逗留しているダルケルだった。結婚式当日までは城には用事がなければ来ないと思っていたのだが、こういう時こそダルケルの鷹揚なところは非常に助かる。

 ともかくこの場から逃れたい一心でリンクは声をかけようとしたが、ひと呼吸先にダルケルの後ろから思いがけない人物が顔をのぞかせた。

 

「歓迎の人だかりってわけじゃなさそうだねぇ」

「ダルケル! ウルボザ!」

 

 リンクが言葉を喉に詰まらせて四苦八苦しているうちに、ゼルダの方が先に反応した。さすがに彼女が声を上げれば、人だかりもそこに城の主の娘がいることに気が付く。

 さっと脇へよけるように大きく人垣が崩れ、ダルケルとウルボザは様子を伺いながら玄関広間の中央へと分け入ってきた。

 

「おう、姫さん、相棒。ウルボザが今しがた到着したんで連れてきたんだが、こいつはいったいなんの騒ぎだ?」

「おひい様もリンクもずぶ濡れじゃないか! どうしたんだい?」

 

 言われて改めて見ると、ひどい格好だった。ゼルダの腰まである金の髪は濡れて絡まり、リンクに至ってはカスイとさんざんやり合ったせいで、浅いながらも傷から血がにじんでいた。それを隠してこっそり部屋へ戻ろうとしていたのに、思いもよらぬサイランの本音に身動きが取れずにいた。

 どこから事情を説明したものかとゼルダと顔を見合わせる。そこへ我が物顔で割り込んできた男がいた。

 

「ウルボザ様、ダルケル様、よいところにおいでくださいました! どうもこうもありません。王家が借財の担保に指定したネックレスをリンク様が盗んだ挙句、宝石を割ってしまわれたのですよ! それなのにサイラン殿が言いがかりをつけてくるのです!」

「まだ言うか、あれにそのようなことができようはずもない!」

「そうです、リンクは窃盗などしません!」

 

 かいつまんだ説明ではやっぱり分からないといった様子で、ウルボザは腕組みをして眉をひそめる。ダルケルに至っては「はぁ?」と、まるで分っていない様子で眉間に深い皺を刻んだ。

 だが全く否定されないのをよいことに、ボレッセンは勝ち誇ったようないやらしい笑みを浮かべてゼルダを振り仰いだ。

 

「割れた宝石が隠されていたのは、リンク様が管理なさっていた白土の山だとか。言い逃れはお見苦しいですぞ!」

「彼が宝石を盗んで割ったというのは、真犯人がばらまいた偽の噂話です!」

「ほう? リンク様が犯人でないのなら、誰が犯人なのです? その口ぶりでは真犯人を見つけられたのでしょう」

「そ、それは……」

 

 執政補佐官のカスイである。

 そう言えたのならばどれだけ楽だったろう。でもそれは本人の身柄を押さえられなかった時点で証明不可能なことだった。ボレッセンもほどほどに頭が回るので、真犯人の捕縛なしに事情を明かせば、『リンクの安全を図るあまり、別の者に濡れ衣をきせた』と判じられかねない。

 加えてカスイの名を真犯人として告げたら、インパの評判をも貶めかねない。いずれカスイがいないことに誰しも気付くときが来るだろう。だから明言だけは避けたいゼルダから、真実が言葉を奪う。

 真犯人を知っていても、言うに言えない。

 そんな無言のにらみ合いに、焦れたウルボザが横から口をはさんだ。

 

「ちょっといいかい、おひい様。その担保にしたネックレスって言うのは、もしかしていわくつきのアレのことかい?」

「はい、そうです……。御母様がとても気に入っておいでだったので、明日の午餐で着けようと思っていたのですが……」

「なるほどね」

 

 ゼルダは悔しそうに顔を歪めた。ところがウルボザはすぐに自分の侍女を呼び寄せ、急いで荷物を持ってくるように指示する。何が始まるのかと誰もが固唾を飲んで待つ。少しして侍女が持ってきた長持から、ウルボザは宝石箱を取り出すように命じた。

 侍女の手で取りだされたのは、鮮やかなゲルドの意匠の施された大ぶりの宝石箱だ。丁寧な手つきで、ウルボザに向かって蓋を開いた。

 そこから彼女は大粒の宝石が付いたネックレスを取り出して掲げた。

 

「盗まれて割られて宝石ってのは、これのことかい?」

 

 ほの暗い城の正面広間に、どよめきが広がった。

 ウルボザがその手に持って掲げたのは、マックストリュフほどもある真っ赤な宝石だった。常に広間を照らす松明の明かりをキラキラと反射しつつも、分厚い宝石を通して向こうが見えるほど透明度が高い。金の鎖がその赤を強調していた。

 集まっていた人だかりの多くは、ただでさえ宝石など日ごろは目にしたこともないような兵士や下働きたちだ。そこへ掲げられた血も滴るような美しい赤の宝石は、羨望のまなざしのもとでさらに強く輝く。

 一方でゼルダ、リンク、サイラン、チガヤは、別の意味で驚きに声を失った。リンクが宝石を割ったという噂を信じ切っていたボレッセンも驚いて変な声を出していたが、前者四人の驚きはその比ではない。四人は噂ではなく、本当に宝石が割れて見つかったことを知る数少ない人だったからだ。

 そのびっくり仰天した顔を面白そうに眺めながら、ウルボザは余裕たっぷり笑ってみせた。

 

「装飾品ってのは時々職人が手入れしてやらなくちゃならないもんなのさ。だからおひい様が結婚式に使うと聞いた時点で、ゲルドの職人たちの元に一回返されたんだ。それを誰かが盗難と勘違いして、尾ひれがついてリンクが割ったなんて噂話になったんじゃないのかい?」

「先ほどとおっしゃっていることが、少々違うような……」

「違うものかね。だってこんな見事な石二つとあるわけがないだろう? それともあんたは自分の目で見たものを疑うのかい?」

 

 ウルボザはボレッセンの眼前にちらつかせるように宝石を見せつける。

 最初は疑うようにウルボザの掲げる赤い宝石を睨んでいたボレッセンだったが、だんだんと体を小さく丸くしていく。何度見返してもそれは赤いガラスの欠片ではなく、ちゃんと宝石の輝きを放っている。王家所有のパリュールを欲するだけあって、ボレッセンの審美眼は確かだったことも手伝ってか、彼は背中を丸めていった。

 さらに、先ほどまでボレッセンとサイランの言い争いを聞いていた人々が、じっと彼を睨み始める。誰も声には出さなかったが、彼の言ったことが噂話の域を出ない単なる言いがかりであったことを責めるような視線だった。

 ウォッホンとわざとらしい咳ばらいをして、ボレッセンはことさら胸を張って見せる。不機嫌そうに髭をヒクつかせながら、ゼルダとサイランに向かって渋々一礼した。

 

「う、噂話が私の勘違いだったことは謝罪いたします。……しかし、王家の借財が消えたわけではありませんぞ! きっかり耳を揃えてお返しいただかなければ、いずれパリュールを担保としていただきますからな。くれぐれもお忘れなきよう!」

 

 カッカッカッと空威張りな靴音を立てながら、ボレッセンは去っていく。野次馬たちも様々なことを言いながら、三々五々散っていく。

 そうしてようやく一行は、人目のない私室まで戻った。

 私室へ着くなりリンクとゼルダは自分の侍女侍従に濡れた服を脱がされて、問答無用でタオルで拭かれた。この時ばかりは、着替えぐらいは自分でやりたいリンクでも黙って拭かれた。鬼気迫る様子で世話を焼くリードに安心したぐらいだ。彼を疑った瞬間もあっただけに、いずれ謝ろうと心に決める。

 だが今はウルボザが示した赤い宝石のついたネックレスの正体が気になって、それどころではなかった。ゼルダも同様だったのか、ヤツリに身支度を整えてもらうとすぐに飛んできた。サイラン、チガヤ、ダルケルと同じ卓を囲みながら軽食をつまんでいたウルボザの隣に滑り込むように座る。

 

「ウルボザ、このネックレスはどうしたのですか!」

「安心をし。ちゃんと本物だし、私のものだから出どころは確かなものだよ」

「それはそうなのでしょうけれど!」

 

 ウルボザの宝石箱に収められた見事な赤い宝石のついたネックレスと、ゼルダが午餐に付けようとしていたパリュールの箱、そしてカスイによって割られた赤い宝石が並んで机の上に置かれていた。

 昼間だというのにまたしてもユースラがカーテンを閉めてしまい、赤い宝石を照らしているのは燭台のろうそくだ。よほどリンクには日の光に当たるところを見せたくないらしい。明日になれば見られると分かっていても、やはり気になってしまう。

 窓際に駆け寄ってカーテンを開ける機会はないかと伺うも、あのユースラが石像のように立っている。さすがのリンクでも、コーガ様の変装を見抜いた眼力に射抜かれるのを避け、明日まで待てばいいと自分に言い聞かせて本題に耳を傾けた。

 ウルボザはヤツリの入れた紅茶で喉を潤すと、やおらゼルダの方へと向き直った。

 

「これがゲルドの街に持ち込まれた話の真相を、おひい様は知っているかい?」

「はい。御母様が解呪して、それをウルボザの命でパリュールのネックレスに仕立てた、……と言うのが表向きで、実は王家に命じられたシーカー族が宝石の持ち主を殺めていたことは、御父様から聞きました」

「そう、この宝石に関して言えばそうだった。けれども悪い噂のある宝石ってのは往々にしてあるものなんだよ、呪いが本当か嘘かはさておきね」

 

 善かれ悪しかれ、宝石というものは人の欲望を煽る。

 女性だけではなく時には男性すら、その美しい輝きに魅了されて、運命を狂わされてしまうことも少なくない。だが宝石の持ち主に不幸が立て続けにあったとしても、偶然が重なったものか、呪いなのか、はたまた偶然を装った必然なのかは分からない。明らかになることはほとんどない。

 でもねぇ、とウルボザは宝石箱に収められた他の宝飾品も、愛でるように目を細めた。

 

「宝石自体が悪いわけじゃない。だからゲルドでは、悪い噂のある宝石はリカット、つまりいくつかに割って新しい命を吹き込むことがある」

「ということは、あのネックレスの宝石は……!」

「そう、元の大きさは二倍以上もあったんだ。仕立てる際に二つに割り、片方をあの人のネックレスに、もう片方を私が持つことにしたんだよ」

 

 あの人、と言うのはつまり亡くなったゼルダの母のこと。

 ウルボザは、今は亡き友人を懐かしむように赤い宝石を手にとり、語り掛けるようにそのつややかな表面を撫でた。

 

「この石には嫌ないわくもあったけれど、あの人とお揃いだったからね……。おひい様の結婚式だから着けようと持ってきたんだが、役に立ったようでよかったよ。これは私からの贈り物と思って明日、ぜひ着けておくれ」

 

 大粒の赤い宝石がころりとゼルダの手のひらに乗せられる。砕かれた状態でしか見たことが無いリンクであっても、それが失われた宝石の代役を十分に果たせることは分かった。母との思い出の品は失われたが、別の思い出が思わぬ形でゼルダの手に戻ってきたようなものだ。

 試しにゼルダはその赤いネックレスを胸元に当ててみたが、すぐに外してしまう。

 

「長さの調整が必要そうですね」

「ティントがいるじゃないか。デザインも少し違うから、調整はあの子にやらせればいい。それぐらいの腕は十分にあるはずさ」

「実は、そのティントのことなのですが……」

 

 と、ゼルダから語られることの顛末を、ウルボザは黙して聞いた。

 ボレッセンがゼルダの収入源であるチョコレート店の売り上げを妨害していたこと、そのボレッセンの招きを受けたティントによってチョコレートの製法が漏洩したらしいこと。それらを一言も口をはさむことなくウルボザは聞いていた。

 はたから見ているリンクには、ウルボザが何も言わないことの方がよほど恐ろしく思えてならない。朝から動き回ってかなり腹を空かせていたにもかかわらず、サンドウィッチを食べていた手を止める。

 チガヤはもちろん、サイランですら、ぐっと息を詰めるようにしてゲルドの長の動向を見守っていた。唯一、真面目な顔でムシャムシャと食べ続けていたのはダルケルだけだ。

 

「すまないが、ティント呼んでおくれ」

 

 一段と低い声がウルボザから発される。

 ヤツリに連れてこられたティントは、何も言われていないのにウルボザの前に正座をした。すでに事情が話されているのかうっすらと涙を浮かべ、いつも元気なお団子頭がひしゃげている。

 

「ティント、私の言いたいことは分かるね?」

「……はい、ウルボザ様」

「あんたは賢い子だが、ちょっとばかし幼すぎたようだ」

「も、もっ、ももうしわけ、ありませんでしたぁ……!」

 

 押し殺したような泣き声と、大粒の涙があふれだした。

 ティントにしてみれば、意図的にチョコレートの製法を漏洩してゼルダに被害を与えようとは思っていなかったはずだ。だが優しい顔をした人のすべてが、良いことを考えているわけではない。優しい顔をしている人ほど、実は悪い人だったりもする。そのことを知らなかった少女が犯した大きな過ちは、もはや取り返しがつかない。

 ところがゼルダは慌てる様子もなく、ウルボザに向かってネックレスを差し出した。それを受け取り、ウルボザは腹の底から張りのある声を出した。

 

「よろしい! ならば明日の午餐までにおひい様がネックレスを使えるようにしな。デザインも他の装飾品と合うようにするんだ、私の装飾品はどれを使ってもいいからね」

 

 自分の宝石箱の中から、パリュールの他の装飾に合う金の台座と鎖をいくつか選び出した。それら全てをティントに渡すと、小気味よく笑う。

 

「ゲルドの職人として責任をもって仕事をするんだよ、いいね」

「……はい!」

 

 大粒の涙をこすり上げたティントは、部屋を飛び出していく。そこには項垂れた気配はもはやなかった。

 明日の正午過ぎまでに、どんなネックレスを作る気だろうか。

 リンクは目に焼き付いた真っ赤な色を思い出しながら、握りしめていた残りのサンドウィッチをようやく口に放り込む。その瞬間、サイランと目が合った。

 思えば、これまでは緊張のあまり、彼の前では食事もままならなかった。好物だったチョコレートでさえ、彼が食べないから手を出さなかったぐらいだ。

 だがそれも、全てが杞憂だったと分かった今、どうすればいいのだろうとしばし考える。ややあってから、リンクは自分の前にあった皿を、おもむろにサイランの方へと押した。

 

「これ、美味しいのでどうぞ」

 

 突然のことにサイランは一瞬まごついた。しかしリンクがじっと目をそらさずにいると、小声で応じる。

 

「……もらおう」

 

 チガヤがこっそり笑うのが見え、リンクはようやくサイランから視線を外す。

 いつか普通に話せるようになる日が来るのかもしれないし、あるいはずっとこうなのかもしれない。それでも卑屈になって何も知らないままだった時よりも、ずっと気分は良い。

 程よい緊張と心地よさを感じながら、リンクはもう一つサンドウィッチを手に取った。