プロローグ ある騎士の終わり
マモノと人とが入り乱れた戦場を、小柄な影が駆け抜けた。
老騎士サイランは対峙するモリブリンとの距離も忘れ、思わずそれを目で追う。
彼は最初、戦場に子供が紛れ込んだと思った。往々にして子供というのは危ないものを見たがる。ゆえにハイラル王ロームが号令を発したハイラル平原掃討作戦を、城下の子供たちが隠れ潜んで見に来たのかと思ったのだ。
だが吹き飛ばされたのは、ボコブリンたちの方だった。
「せいやっ!」
掛け声とともに振るわれる剣がまるで風のようだ。
非常に荒々しいが、確実にマモノを屠る太刀筋に迷いはない。少々粗削りな剣術ということを差し引いても、これほど見事な剣さばきはサイランも見たことがなかった。右に左に敵を薙ぎつつ、合間合間に矢をつがえ、大きなボコブリンの一撃を盾で小気味良く弾く。
ただ不思議なのは、その騎士がゼルダ姫の執政補佐官であるシーカー族の娘と共にあり、それどころか足元には小柄な卵型のガーディアンまで連れていたことだ。戦場にしては、実に奇妙な組み合わせだった。
麦わら色の髪が日の光を弾いているのは、どこで兜が外れたのか、はたまた兜を忘れたか。いずれにしてもあまり褒められたことではないが、おかげで遠くにいたサイランにも小柄な騎士の横顔が見えた。
「あの者は、どこの隊の……」
流れるような足さばきが止まり、騎士は一瞬だけ息を整える。少し幼さを残した顔を籠手で無造作に拭い、すぐまた新たな敵を見つけて彼は走って行ってしまった。
サイランは不覚にも、その青い瞳に見入ってしまった。
戦場でよそ見などもってのほか。致命的な瞬間をマモノは逃さず、強烈な一撃が彼の左脚を襲う。対峙していたモリブリンの槍が太ももを貫通していた。
「ぬうぁッ」
慌てて近衛の剣で槍の柄を切り落とし、バランスを崩して前のめりになったモリブリンの首を一撃で断つ。その芸当が出来るのは、サイランもまた素晴らしい剣の使い手だったからだ。
世が世なら、サイランこそが伝説の剣を抜いただろうと言われた騎士だった。
当年とって六十二、もはや全盛期の膂力はないが、未だに歳を追うごとに鋭さは増している。王を守護する近衛うちの一人で、厄災の予言があと二十年早ければ、サイランが伝説の勇者であったと人々は褒めたたえた。今でもまだ姫巫女と共に厄災を打ち倒すのは、騎士サイランではと噂する者もいる。
それほどまでに老騎士は、兵たちの憧れであり、心のよりどころであり、ハイラル王国最強の騎士であった。
だが彼の臙脂の目に映った小さな騎士が、嵐のように全てを吹き飛ばす。
富、名声、力、矜持、ありとあらゆるものがサイランの中で意味を成さなくなっていく。
「サイラン様!」
少し離れたところにいた若い従騎士が、真っ青になって走ってくる。サイランは貫通した槍の穂先を太ももから引き抜き、首を落としたモリブリンの脇に膝をつく。
従騎士は握っていた剣を放り出して手を伸ばした。
「後方へお連れします!」
「よい、大事ない」
支えようとする手をゆっくりと押し返し、ふうと息を吐く。
すでに趨勢を決していた。
「どうやらわしも老いて耄碌したようだ。この体たらくでは、もはや陛下の剣にも盾にもなるまい」
「そんな……」
黒い剣を支えにサイランは立ち上がると空を見上げた。先ほどの小柄な騎士の瞳のように青い空に、シマオタカが飛んでいた。
「厄災討伐までお供出来ぬ不忠を、陛下にお詫び申し上げねばな……」
それは、生涯を王の騎士として生きるであろうと言われた老騎士が、あっけなく剣を手放した瞬間であった。