5 本物の化けの皮
「えぇっ、割れて?」
「見つかったですって!?」
明け方、ようやく連絡の取れたインパとカスイに宝石の顛末を伝えると、案の定二人ともしばらく言葉を失っていた。
宝石が盗まれただけではなく、割られて見つかったのだから取り返しがつかない。割れたことが露見しては大ごとになるため、今はひっそりとゼルダの研究室の引き出しの奥に隠してある。侍女ですら許可なく開いてはならない場所だ。
「姫様、代わりになる宝石はあるのですか!?」
「いや、あんな瑞々しい色の石が二つあるとは思えないよインパ」
「そんな……どうしたら……!」
やり場のない焦りを怒りに変え、インパは見えぬ犯人を睨む。ゼルダはゆるゆると首を横に振った。
「宝石自体は物ですから、いずれ壊れてしまうのは仕方がないと分かっています。午餐には他のパリュールを合わせましょう。……でも」
あのパリュールを明日の午餐で着けなければ、ボレッセンは「それみたことか」とまくしたてるだろう。王家は担保を失った、借財が返せなければ他の誰でも取り入る隙があるぞと言い触らすのは目に見えている。借財が返せないようにと彼は用意周到、手を回している。それは想像するだに屈辱的な光景だ。
ただ無いものは無い。こればかりはどうしようもない。
どうしてわざわざ割られて白土の中に混ぜ込んであったのかはさておき、今からゼルダたちができることは二つだ。一つは明日の結婚式を表面上はつつがなく済ませる準備をすること、もう一つはなおも宝石を盗んで割った犯人を探し出すこと。もはや予定通りのパリュールを着けて午餐に臨むことは困難な状況だった。
いまだ夜も明けやらぬ時刻、侍女はおろか下女さえ寝ている。ゼルダは恐ろしく長いため息を吐いて窓の向こう、朝日が昇る方を見やった。まさか明日結婚式を挙げるとは思えない、暗澹たる表情だ。
そのときインパがふと首をかしげる。
「あれ……? だとするとちょっと妙な噂が」
「妙な噂?」
酷く疲れた様子ではあったが、インパの言葉にすかさずゼルダが反応する。だがインパは口をもごもごとさせて、だいぶ言い淀んだ。カスイにせっつかれ、仰々しく前置きをしてようやく口を開く。
「ええっと、怒らないで聞いてくださいよ。特にリンク!」
「なんで俺が」
「あなたの悪い噂だからですよ……えっと、その、宝石を盗んで割った犯人はリンクだって、洗濯女たちが噂話していたんです。おかしくありません?」
俺じゃないと応じかけて、リンクは口を押えた。
同時にゼルダもぎゅっと眉間を寄せ、黙って聞いていたカスイも「うん?」と疑問を呈する。
「どうして割られたことがすでに噂話になっているのでしょう?」
「この件は今のところ僕ら四人しか知らないはず、ですよねぇ」
「ええ、だからおかしいと思ったんです」
宝石が割られた件はサイランもチガヤも周囲には絶対に漏らさぬよう、内密に手渡してくれた。いまだロームにすら話ができていない。
よしんば盗んだ犯人がリンクだという噂話が立ったとしても、割った犯人とは言い換えられないはずだ。高価な宝石を盗んだら、普通はわざわざ割ろうなどとは考えないはずだから。
「……姫様。もしかしてこれって、リンクを悪者に仕立てようと噂をばらまいているヤツがどこかにいませんか?」
「担保を破損させるだけに飽き足らず、リンクへの心象まで悪くさせようと?」
「恐らくそんなところじゃないですかね。悔しいですが上手いこと先手を打たれています」
何者かに変装したシチホは、盗んだ宝石を壊すことで担保としてのパリュールの価値を失わせた。こうしてゼルダが煮え湯を飲むことを見越したところへ、さらにリンクの悪評を上乗せしようとしているというわけだ。宝石を闇市場に売り捌くことができれば、一生遊んで暮らすことも容易いだろうに、わざわざ悪評の方を選ぶとは相当王家への恨みは強いらしい。
四者四様、じっと考え込んでいたが、いずれからも何の妙案が出ない。そんな重い沈黙を破るように、インパがすっと手を挙げた。
「姫様、噂話の件はこちらにお任せ願えませんか」
「心当たりが?」
「うーん、確証はありませんが、一つ試してみたいことがあります」
何をどうするとは言わなかったが、声に妙に確信めいた響きがあった。それに、そこまで言う腹心を止めるゼルダでもなかった。
「……分かりました。では城内に広がっている噂話の件はインパに一任します。くれぐれも気を付けて」
「ありがとうございます! じゃあカスイも来てください」
「えぇ、僕もかい?」
「当たり前ですよ、何のための隠密ですか!」
シーカー族らしくなく、扉から静かに二人は去っていった。
リンクは散々後手に回って何もできなかったこの数日を思い出し、静かな朝焼けをにらみつける。ほどなく夜が明ける。
夜が明けたらあとできることは、明日を取り繕う仕事ばかりだ。何とも情けない。
「申し訳ありません、俺が至らぬばっかりに」
「動機となった怨恨は王家へのもので、リンクが悪いわけではありません。ですが私たちは犯人捜しからは手を引き、明日をどう乗り切るか御父様と相談しにまいりましょう」
「そうじゃない」と言おうとして、無理やりにでも微笑もうとするゼルダを前に、リンクは口を噤んだ。ただゆっくりと首肯する。
確かに今回の盗難に限っていえば、リンクには特に落ち度はない。むしろ巻き込まれただけだ。
だが仮にもパリュールはゼルダが亡き母から受け継いだ品の一つ。一度は完全に厄災に飲まれたこの城で、幸運にも無事だったものだった。それが今回、人の手で失われてしまったことになる。彼にとっては、そちらの方がよほど痛手であった。
自分の悪評など歯牙にかける性分ではないし、時間をかけて取り払っていけばよい。だが逸した思い出の品はもうどうにもならない。せめてそのまま返してくれればよかったものをと考えたところで、思い返せば犯人の恨みはまるで厄災のそれに似ている気がして、ふとリンクは口を開く。
「犯人のシチホは、ゼルダ様個人な恨みでもあるでしょうか……?」
王族としてシーカー族を使ってきた年月で言えば、ロームの方がよほど長い。なのに今回ことごとく被害を被っているのはゼルダだ。
理由は分からなかった。ただ何となく、そのように勘が働いたとしか言いようのない考えだった。
全く根拠のないことで、ゼルダに否定されても致し方のない。ところが意外にも何か思うところがあるのか、ゼルダは「だとしたら、逆にお話してみたいものです」と静かに答えた。