表裏なす赤の秘密 - 15/24

 

4 隠されていたもの

 

「一昨日の夕方? はい、図書室で姉と会っておりました。リンク様のご様子を姉に伝え、姉からはゼルダ様のご様子をうかがっておりました。例のパリュールは、私は見たことがございません」

 

 朝一番、ゼルダに図書室を訪れた理由を問われたリードは、こともなくそのように答える。そのやりとりを横で見ていたリンクには、彼の言動の全てが怪しく、あるいは全ていつも通りにも思えた。

 

「一昨日の夕方は弟と図書室で会っておりました。弟とはよく情報交換いたしております。司書殿もそのことはご存知かと……。パリュールはもちろん見たことがございます」

 

 一方の姉ヤツリも、似たり寄ったりの反応だった。

 もちろん二人とも別々に話を聞いているし、話を聞くことは双方には伝えていない。口裏を合わせる猶予も与えなかった。

 ヤツリの言葉通り、司書の老シーカー族によれば姉弟は週に一度は二人して図書室で話をして、色々と調べ物をしながら書きつけをしているとのこと。毎度のことなので特に気にも留めていなかったという。

 

「侍女や侍従というのは、互いの主の情報を交換するものなのですか?」

 

 一介の騎士であったリンクは、侍女や侍従という人々は貴族の側近、軍で言えば副官のような印象を持っていた。特に王族の侍女や侍従は、それだけで十分な権限を持つ。

 ゆえにリードやヤツリのようにお互いの主の情報を交換することは、むしろ主を売るような感覚さえあった。いったい自分は何を言われていたのか、背筋がゾッとするのを隠してゼルダに問う。

 

「普通はあり得ないことです」

 

 一度私室に戻ってソファーに座ったゼルダは、ほぐすように太もものあたりを拳で軽く叩いていた。

 すでにインパは一族に指示を出し、犯人シチホを探しに行っている。

 侍女であるヤツリとティントには適当に用事を言いつけて、今日は目立ちづらい地味なドレスをまとっていた。そうして久々にリンクと二人きり、朝から関係ある人々に話を聞いて回っているというわけだ。

 ネックレスを盗める条件は二つ。この三日間のうちに図書室へ入ったこと、そして王の書斎の存在を知っていることだった。

 

「ですがリードとヤツリの場合には少し事情が特殊です。彼らの主が私とリンクだから、あえて情報を交換していた、というところでしょう」

「俺とゼルダ様の間柄に支障がないように?」

「言い方は悪いですが、私たち自身は動きのとりづらい身分ですから、侍女や侍従にあれこれとお膳立てをしてもらわなければなりません。そのための情報交換というのであれば話は分かります」

 

 もしもこれが一寸の隙も見せてはならない政略結婚ならば、王と王妃の侍女侍従同士が敵対することもあるのですよ、と小声で付け加えられ、リンクは安堵とも落胆とも言えないため息を吐く。そんな関係でなくてよかったとは思うが、それでも十分堅苦しい。

 ただゼルダは少しだけ不思議そうにしていた。「情報交換はまだ分かるけれど、そんなに調べたり書きつけることなどあるかしら」と首をかしげながら、ぐっと背筋を伸ばす。はぁと大きく息を吐いて、少しだるそうに腕のあたりをトントンと叩いた。

 次に話を聞いたのはティントだった。

 

「研磨のご本を借りていました! ウルボザ様からこのお城にいる間に、宝飾にかかわる本をたーっくさん読ませていただきなさいと仰せつかっておりますので!」

「ティントはパリュールを見たことはありましたね」

「はい、一度だけ。とってもきれいな色でした!」

 

 彼女の言動も貸出記録と齟齬はなかった。ハイラル語の読解をまだ少し不得手とするティントは、母や祖母からもらったゲルド語のメモと見比べながら読んでいるそうだ。

 そもそも、いくら変装の達人シーカー族でも、小さな子供に変装するのは難しいのではないだろうか。そんなことを考えながらリンクは、ティントの頭からつま先まで視線を何往復かさせる。彼女の背丈はまだ子供のそれで、頭のてっぺんに結ったお団子がゼルダの胸のあたりまでしかない。変装で大きくなる方法はいくらでも思いつくが、小さく変装する方法はいっかな思いつかなかった。

 続いて、折よく遭遇したカスイを捕まえて、空いている部屋に引っ張り込んだ。

 

「おとといの朝に図書室に行った理由ですかぁ?」

 

 朝からリンクがゼルダとともに城の中を駆けずり回っていて、さらにインパが犯人の捜索に出払ってしまったため、彼が一手に仕事を引き受けている状態だった。椅子に座らせると、ふぅーと長々しい息を吐きながら、疲れた様子で天井を見上げる。

 

「あれはリンク様に白土関連の資料を探してほしいって言われたので、それで行きましたねぇ」

「確かに頼みました。でもまだ読めてない……せっかく持ってきてもらったのに、すいません」

「いやいや、仕方がないですよ。本物の窃盗が起こってしまうし、ダルケル様は山盛りの白土を持ってきちゃうしぃ……」

 

 さすがにあの量は困りますねぇと情けない声をあげるものだから、リンクも隣で「そうですね」と応じてしまった。

 ダルケルが持ってきた白土の山はつい先ほど、サイランが手配した煉瓦職人がいくらか持って行ったらしい。とはいえ大半はまだ残っていて、これから邪魔にならぬように片付けをするのだとか。

 城門入ってすぐのところは馬車が多く停まるため、石の山があっては明後日の式で支障を来す。一息ついたらカスイはまたその指示に向かうと、笑いながら悲鳴を上げていた。

 

「ちなみにカスイさんは盗まれたネックレスは見たことがありますか」

「いや、ないですね。あんまり宝石とかには興味がなくって……あ、でもインパはそういうの好きですかね? 結婚までに指輪ぐらい贈った方がいいのかなぁ」

 

 そんなボヤキを残しながらカスイは部屋を出て行った。パタンと静かに扉が閉まる音がした後で、ゼルダが小さく唸る。

 

「インパ、ああ見えて乙女がちなので……」

「じゃあ指輪もらえなかったら?」

「泣きますよ……たぶん大泣きで軽く百年ぐらい根に持ちます」

 

 いつか機会があったらそれとなくカスイに伝えようと、リンクは胸に手をやる。同時に安物とはいえ、婚約の直前にネックレスを贈っておいてよかったとも思っていた。

 あの時、ゼルダに何か贈らねばと切羽詰まった思いにさせたのは、よくしてくれた先輩が結婚記念日を忘れて奥さんに三日も口を利いてもらえなかったからだ。女性はそういうところは怖いと、城下で一番高いケーキ屋と花屋へ同行をお願いされていた。

 

「さて、ホルトウ侍従長はコーガ様なので犯人ではないと信じるしかないとして、あと王の書斎の存在を知りつつ図書室に立ち入ったのはボレッセン子爵とユースラとチガヤ様の三人です」

「ユースラ侍女長と猶母殿は恐らく話をしてくれるかと思いますが、ボレッセン殿には面と向かっては聞きづらいですね……」

「それについては、私に一つ案があります!」

 

 言うなりゼルダは、リンクの手を引いて足早に私室へと戻っていく。案とは何か聞いても内緒の一点張りで、翡翠色の瞳がキラキラと輝いていた。

 これはまずい。何か絶対によからぬことを考えている。

 その勘は大当たりだった。私室に戻るなりゼルダはワードローブの奥に隠した包みを取り出す。中身は絹地のドレスとは似ても似つかぬ亜麻でできた町娘の服だった。

 

「ボレッセン子爵は城下にお店を持っているとティントが言っていましたよね。そのお店に変装して買い物にいってみましょう。何かわかるかもしれません!」

 

 ゼルダが体に当てがった服は、町娘の服装としては十分上質な部類に入る。だが到底一国の姫君が着るような服ではなかった。そんなことを気に留めた様子もなく、彼女はその場でくるりと一回りして、期待を込めてリンクを見た。

 買い物に行ったところで何が分かるとも思えない。

 変装がばれたら大問題だ。

 そもそもどこに犯人がいるとも分からない今、出歩くなんて危ない。

 止める言葉がいくつも脳裏に浮かんだが、長い葛藤の末にリンクの口をついて出たのは「せめて髪は隠しましょう」だった。この期待に満ちたゼルダに「だめです」と言えるのは、父王ロームかユースラ侍女長ぐらいなものだろう。

 ご丁寧にリンクの分まで変装用の服が準備されていて、もはや着替える以外の選択肢がない。萌黄色の町娘のドレスを着たゼルダには、日よけのフードをかぶせて結った髪を隠した。正体が露見しないよう入念に準備したうえで、下男下女のふりをして城から出ようと廊下を急ぐ。

 その時だった。

 

「探偵ごっこもほどほどになさいませ」

 

 小さいながらも威圧的な声があった。二人で同時にうつむく。

 行きかう人の少ない廊下を選んでいたことも悪かったかもしれない。空耳と思って通り過ぎることもできず、リンクは目の前に立つ人物の冷たい眼光を見上げた。

 ユースラが壁のように立ちふさがっている。明らかに変装が見抜かれていた。

 はた目から見ればきっと、侍女長に叱責を受けている下男下女二人組でしかない。周囲には二人の正体が露見しておらず、それがまたユースラのすごいところだった。

 

「で、でも、動かなければ分からぬこともあります……!」

「全く……。ご一緒ならば万一にもお怪我などはないと思いますが、くれぐれもお気を付けくださいませ。傷一つでも許しまぬぞ」

 

 すさまじい圧力だけをかけて、結局ユースラはゼルダが城の外へ出ることを許してくれた。渋々見逃してもらったと言ってもいい。

 彼女以外には見とがめられることなく城下に出たところで、ゼルダが腹の底から安堵の息を漏らした。

 

「なぜかユースラには、こういう変装はバレてしまうのです……どうしてかしら」

 

 今までも変装して城を抜け出そうとした経験があることを言外ににじませるゼルダは、目深にフードを被りなおす。ボレッセンが経営する店の場所は頭に入っているらしく、迷いなく放射状に広がる城下の南西へと歩き出した。

 城下町はいたるところで飾り付けが始まっていて、城の外にまで結婚式を祝う空気が広がり始めている。そんなお祭り気分の人々を、だがリンクはまるで他人事のように眺めながらゼルダの後ろをついて行った。

 これまで祝い事のたびに城下町は飾り付けられ、民が歓喜に沸く様を見てきた。しかし今回、その祝い事の中心に自分がいることをいまだに実感できずにいる。不思議なものだと色とりどりの旗を横目に見ていると、不意に袖を引かれた。

 目立つ退魔の剣は置いてきており、素早く腰に隠した小剣に手が伸ばす。

 ところがその手はぺちっと叩かれた。

 

「私です私!」

 

 目の前にいるのは一見すると行商に来たハイリア人の娘だった。祝い事の時は各地から行商が集まってきて、いつもよりも多くの露店が出る。だからその姿には違和感はない。

 ただよく目を凝らすと特徴的な赤い目の色をしていて、声に聴き覚えがあった。

 

「……インパ?」

「ようやく気付きましたね!」

「インパもボレッセン子爵のお店を見に来たのですか?」

「ええ、一応こっちも探っておこうかと思いまして」

 

 赤い瞳がすっと横に走る。視線の先には平民の娘や子供たちが多く出入りする店があった。祝い事にかこつけて割引までしているというのだから商売っ気がある。随分と繁盛している様子で、嬉しそうに包みを抱えて客が一人出てくるたびに、店先に列になった客が交代で一組入っていく状態だった。

 その列に意気揚々とゼルダが並ぼうとする。ところがインパはゼルダを引き留め、首を横に振りながら腕の中の包みを見せた。

 

「もう買ってあります」

「ええ、私もお買い物したかったのに……」

「手間が省けていいじゃありませんか。それよりも売っていたもの、なんだと思います? 驚きますよ?」

 

 少し離れたところにある広場へ場所を移し、店が見えるぎりぎりのところにある花壇のふちに三人並んで腰かける。インパが包みから取り出したのはチョコレートだった。

 え、とゼルダが小さくない声をあげる。四角く固めたチョコレートの上に、乾燥させたヘブラのイチゴを砕いたものが散らされている。そのデザインはまるでゼルダが売っていたものと同じだった。

 

「ものすごい繁盛です、あれはだいぶ客を取られてますね」

「そんな、どうして? 同じものを売るのなら、先に売り出しているこっちが有利のはずでは?」

「価格です。姫様が売り出されたチョコレートと見た目は同じですが、ボレッセンの店の方は値段が半分ぐらいでした」

「半額!?」

 

 それこそ「どうして」だった。あの店を出すまでの試行錯誤はリンクもおぼろげながら把握している。

 茶会用にチョコレートを出せたのは城の厨房と料理長の助け合ってのことで、店を出すとなれば同じことを別の人間が城下の店で行わなければならない。そのためにゼルダは作業手順の簡略化し、手引き書を自ら作り、同時に実際に店を切り盛りする人員を育てるところから行わなければならなかった。そこまでしてようやく開店にこぎつけたこともあって、価格を抑えることができないでいる。

 だからこそ、インパの言葉には耳を疑った。半額はもはや詐欺も同然の値段だ。

 どんな仕組みでそんなことになったのか想像もつかず、ともかくリンクはもらったチョコレートを口に放り込む。いまだ食べずに議論を続ける二人の会話に耳を傾けていた。

 

「どうやったらそんなに安くなるんです……?」

「うーん、人件費削ったんじゃないですか? ほら、姫様の場合にはうちの一族の若いのを教育しなおして雇用しているじゃないですか。あれ結構な手間でしょう?」

 

 インパはぼーっと空を見上げながら、チョコレートを口に放り込む。

 普段ならチョコレートは最後まで舐める派の彼女だが、今日は不思議と何かに苛立つようにぼりぼりと音を立ててチョコレートを噛み砕きながら食べていた。

 

「我らシーカー族としては正直人手が余って困っていましたし、姫様のお店は隠密よりずっと安全でいいって若い娘やその親たちは姫様にとても感謝しています。でも街で働くには相応の教育が必要で……姫様もその点はだいぶ手間取ったかと思います」

 

 その言葉でリンクが思い出すのは、厄災との戦いが終わってすぐのころのことだ。

 来る厄災との戦いのために、長らく国を挙げて軍の増強をしていた。ところが戦が終わってみたらどうだろう。戦う相手のない軍は無用の長物となり、徴兵された者の多くが慰労金をもらって退役していった。しかし中央ハイラルに留まっても職はなく、渋々故郷へと帰っていった。

 これと同じことがシーカー族でも起きていたと、後日知った時にはリンクも言葉がなかった。平和にはなったことは喜ばしいが、逆に平和の中で生きる術を知らない軍人やシーカー族の隠密は予想外に多かった。そこでゼルダは雇用という形で幾人かを自分の店へ、あるいは知識のあるシーカー族は図書室の司書や、その他にも城の至るところに推挙したというわけだ。

 

「私たち王家を支えてくれたシーカー族の行く末を考えたら、削れるところではありません」

「でもボレッセンはたぶん、元からそういう教育が施された人間を雇用して、費用を抑えたんじゃないですかね? というかそっちの方がハイリア人としては普通ですし」

「……いや、たぶん違う」

 

 ふんふんと途中まで黙ってチョコレートを食べていたリンクが、突然声をあげた。すでに口の中で溶けてなくなったチョコレートの、舌に残る甘味をかすかに感じながら首を横に振る。

 なんですか急にとインパは口を尖らせ、ゼルダは唐突な否定の言葉に目を丸くする。だがリンクはもう一度明確に首を横に振った。

 

「ゼルダ様も少し食べてみてください。毒ではなさそうですが、少し変な風味が……なんだろうコレ?」

「風味?」

 

 指で持ち上げてからすでにしばらく経つ。ゼルダは柔らかくなりかけたチョコレートを口に含むとその瞬間、異物でも食べたように顔を歪めた。探るような顔つきで咀嚼し、飲み込む。

 インパが心配そうに持っていた水を差しだすと、ゼルダは一気に煽ってからきゅっと口を引き結んだ。

 

「これは、……なるほど。同じチョコレートなのに半額にできたからくりが分かりましたインパ。ボレッセン子爵が削ったのは人件費ではありません、このチョコレートには混ぜ物が入っています」

「え、えぇ……!?」

 

 なんでも食べるが相応に味の分かるリンクと、元より舌が肥えているところへ商品開発で相当量試食したゼルダだからすぐに気づけた。

 インパは残っていたチョコレートを摘まむと、じーっと睨みつけてから口に放り込む。今度は噛み砕かないでじっくり味わうように口の中で転がして、傾げた首の角度をさらに大きくさせた。

 

「言われてみれば確かに何かこう……カーテン一枚向こう側にケモノ臭さがあるような……?」

「チョコレートというのは簡単に言えば、焙煎したカカオ豆をどろどろに潰したものに砂糖混ぜて固めたお菓子です。しかしそれだけでは美味しいとは言えませんでした。どうしたら美味しくなるのか色々実験している過程で、私はカカオ豆を潰して圧搾してカカオの油分とそれ以外のものに分離させることに私は成功しました」

 

 立て板に水の勢いでしゃべりだしたゼルダには、インパもリンクも質問をはさむ暇さえない。

 

「……つ、つまり?」

「カカオ豆を潰したものに、さらに分離したカカオの油分を足すとより美味しくなると分かったのです! なのでボレッセン子爵が価格を押さえられた理由は、本来カカオの油分を混ぜるべきところを、別の安物の油に置き換えたせいですね」

「な、なるほど……?」

 

 完全に理解したのは当事者のゼルダだけ。インパは傾げた首がそのままの角度で停止、リンクは真顔のまま微動だにしない、できない状態だった。

 ただボレッセンが安いチョコレートで客の横取りをしたのが、混ぜ物のせいだということだけは理解する。ゼルダは興奮気味に、いつもの倍は早い口調のまま畳みかけた。

 

「カカオ豆はフィローネで収穫し、そこで焙煎までしてから城下の店に輸送してもらっていました。ですからボレッセン子爵でも、焙煎したカカオ豆がチョコレートの材料だと想像できたのでしょう。しかし圧搾したカカオ油の追加することはまでは分からなかった……、それで試しに適当な油を入れたら凝固したし、費用が抑えられるので安く売り出してみた、と言ったところではないでしょうか?」

「しかしカカオ自体はフィローネにあるとしても、潰して固めることは企業秘密ですよね?」

「焙煎までフィローネの方でお願いしているのでバレていてもおかしくありませんが、潰して混ぜるというところまでは確かに……うーん?」

 

 と、ゼルダの勢いがゆるんだ時、遠目に赤毛の娘が歩いてきた。

 赤毛と言えばゲルド族だが、あいにくと明後日の結婚式のためにゲルド族の行商も多く街に入ってきている。だが三人が見つけたのはゲルド族ながらも、ハイリア人の服装をした珍しい娘だった。

 ティントだ。

 

「……あの、私。チョコレートの作り方が部分的とはいえ、漏洩した理由が分かった気がします」

「あ~私も分かった気がします」

「……すいません俺も」

 

 遠目に三人が見ていることに気づかぬまま、ティントは店に列をなす人の横をすり抜けて店を覗き込む。すると店から笑顔を張り付けたボレッセン本人が出てくるではないか。

 強面の男性が苦手なティントにしては不思議なことに、髭面のボレッセンには懐いていた。それがお菓子に釣られた結果だったのだとすれば、ゼルダの開発したチョコレートの製作方法は彼女から漏洩したのだろう。もちろん本人にその気は恐らくないだろうし、裏を返せばボレッセンは意図的にティントに近づいた可能性が高い。

 何しろボレッセンがここでゼルダの店から客を奪い続ければ、高い確率でゼルダは返済金が確保できなくなり、返済が滞れば担保のパリュールが手に入る。彼の威圧的な態度をとる自信も、理由が分かろうというものだ。

 

「この件はさすがにウルボザに報告せざるを得ませんね……明日ウルボザが到着したら機を見てお話しましょう」

 

 ティントは侍女としてゼルダについてはいるがその実、ウルボザから預かっている食客に近い。本来であれば自由にさせてあげたかったところだが、この件だけはさすがのゼルダでも看過できないようだった。こめかみを押さえる指にも力が入る。

 インパはいつの間にか残りのチョコレート全て食べてしまい、指先についたチョコレートを舐めている。混ぜ物のせいで溶けるのも早いようだ。

 

「しかしおかげさまで、ボレッセン犯人説は余計に薄くなりましたね」

「ですね。率先して私を返済不能に貶めて担保の方を入手しようというのは、違法ではありませんがやり口があくどい。インパ、やはり例のものは明後日の午餐で出しましょう。もう躊躇は要りません、ボレッセン子爵のお店から人気を奪い返してみせます」

「かしこまりました、では料理長の方には私がねじ込みに行ってきますね」

 

 インパがニンマリと笑って立ち上がる。大きな荷物を背負いなおすと、では、と手を挙げて颯爽と去っていった。その後ろ姿を見送って、リンクはきょとんとする。

 例のものとはいったい何だろう。全く心当たりないが、話からするとチョコレートの関係だと見当はつく。

 インパを見送るゼルダの横顔を覗き込むと、彼女は自信たっぷりにほほ笑んだ。

 

「リンクも楽しみにしていてくださいね。情報の横取りではなく、カカオ豆の特性をちゃんと理解した私だからこそ作れたお菓子を食べさせてあげますから」

「楽しみにしています。……さて、残るはユースラ侍女長殿と猶母殿ですが、どちらから先に参りますか」

 

 王の書斎の存在を知る者のうち、盗まれたと思しき期間内に図書室に立ち入った記録があるのは、残りはユースラとチガヤだ。しかも記録によれば、ユースラは二回、チガヤは三回も図書室に入室記録がある。

 ユースラが図書室へ入っていくところはリンクも目撃していたし、チガヤに至ってはハイラル城へ着いた当日に行っている。その後は二人ともほぼ毎日のように記録があって、足しげく通っていた様子が伺えた。

 もちろんそのこと自体は何ら不思議ではない。ハイラル城の図書室は国内随一の蔵書数であり、本好きであればたまらない場所だ。だが、ゼルダは何かに気づいた様子で目を細めた。

 そのままゆっくりと城へ向かって歩き出す。

 

「そういえばチガヤ様が初日に図書室へ行ったとき、下男に文をもらっていたような……?」

 

 建設途中の学校から帰ってきて、ボレッセンを見送った後のことだ。

 やけに挙動不審な下男にチガヤは何か小さな書付をもらった。その直後、彼女は図書室へ行くと言い出した。介添えの必要な夫サイランを置いて、しかも直前に城下で本を買っておきながら。

 

「もしかして、猶母殿は誰かに呼び出されていた?」

「考えられますね」

 

 リンクにしてみれば正直、チガヤほど窃盗の容疑から遠い人物はいない。しかし状況としては『妙』の一言に尽きる。

 もしあの飾らない人柄がまさか真っ赤な嘘で、夫のサイランですら気づかないほど精巧な変装で作られた偽物ならば……?

 嫌な想像が頭の中いっぱいに広がる。いてもたってもいられず、ゼルダの手を取って彼女の前に出た。

 

「急ぎ猶母殿に面会を申し入れましょう」

 

 よくよく考えてみると、犯人シチホが誰かに変装しているのならば、入れ替わられた本物のその人は別の場所にいることになる。その場所はもちろん、どのような状態なのかも犯人にしか分からない。

 そのことにようやく思い至り、城へ戻る足取りが速くなった。嫌な予感が容赦なく背中を蹴ってくる。

 ゼルダの手を引きながら、リンクは自分の歩幅が大きくなるのを抑えられなかった。