「これで全員ですか?」
「はい。図書室に陛下の隠し書斎があることを知っている者のうち、二日前の夜から今日午前中に本当の盗難が発覚するまでの間に、図書室に出入りしたのはこちらの通りです」
図書室から戻るなりインパは、羊皮紙一枚分にみっちりと書いたメモをゼルダに渡した。内容は以下の通りだ。
ただし、とインパは名前の前に白い丸を書きこんだ二人を指さす。
「このうちの、リードとティントはパリュールが書斎に移されたことは知らされていませんでした」
「なるほど……。しかしながら、御父様も形式的にはあの書斎を隠してはいましたが、意外と多くの人が知っていたものですね」
王の書斎の存在はローム自身の安全のためにも、近しい侍従や侍女の間では公然の秘密だった。加えてチガヤやボレッセンは、パリュールを隠したことを知らされた過程で、書斎の存在を知ったのだろう。
同時に、意外と多くの人がロームの悪戯に加担させられていたことが分かって、リンクはこっそり口を尖らせた。いかに国で一番偉い人が仕組んだ悪戯とはいえ、多くの人にたばかられたというのはあまり気持ちのいい話ではない。
そんな彼の胸中を察したのかゼルダは小声で「ごめんなさい」と言ったあと、続けて図書室の警備状況について確認をした。
夜間は図書室自体が閉鎖され、三つある戸口には全て兵士が立つことになっている。パリュールが移された日とその次の日に戸口の警備にあたっていた兵士によると、ロームがパリュールを隠しに来た以外には誰も来なかったそうだ。
それらの情報を頭の中で反芻しながら、リンクは心当たりのある幾人かの行動について口を開いた。
「カスイさんが昨日の午前に図書室に行ったのは、俺が鉱物の資料を頼んだからです。あと侍女長殿が図書室に入っていくところは見かけました。陛下にパリュールの捜索を命じられた際に、最初に話を聞きに行こうとしたら一人で図書室の方へ行かれましたね……。リードが一緒に目撃していたと思います」
言いながら、リンクはあの時のことを思い出して眉をひそめた。
ユースラは一人で図書室に入っていったが、何とも嬉しそうだった。というかここ数日、妙に嬉しそうなユースラの姿を何度か目撃している。それは宝石を盗みに行くところだったからかとも考えてみたが、実際のところ彼女が盗む理由は今のところ見当たらない。
一方のゼルダは準備していた羽ペンで、ボレッセン、ローム、ホルトウの名前の横に印をつけた。
「ボレッセン殿が何度も出入りしているのは、単に落ち着かなかっただけでしょう。同様に御父様の行動も恐らく様子見です。リンクが気付くか、よほど楽しみにしていたようなので……。ホルトウはそれの付き人です」
「あのー、私が気になるのはヤツリのことなんですが」
と、今度はインパがメモをトントンと指でつつく。その先にはヤツリの名前と、書き記された弟リードの名前があった。
「弟と二人でいったい何してたんですかね? 姉弟ならわざわざこんな場所で会わなくてもよくありませんか」
「ですね、私もヤツリに図書室に行くような用事を頼んだ覚えはありません。ティントが彫金加工の本を読みたいと言っていたのは覚えていますが……。」
日頃からよく顔を合わせている人物も多く、三人はメモ書きを前に黙りこくる。
このなかに犯人がいることは間違いないが、第一にどうやって盗んだのか方法がそもそも分からない。
なにしろ図書室は静かとはいえ、昼間は多かれ少なかれ人目があるのだ。そんななかで書斎の入り口を開ければ、ばれるのは必定。しかしながら王の書斎が開かれたところを目撃したという話は聞かなかった。
さらに、とゼルダは眉間に力を籠める。
「それに、このなかに王家に取り入ろうとする者がいないのが最大の謎です……」
「いない? 本当にいないのですか?」
「ああ、いえ。正確に言えば『取り入る必要がない人物ばかり』といった方が正しいかもしれませんね」
そんなこと、心の内側を覗いてみない限りは分からないだろうとリンクなどは考えてしまう。しかしゼルダの口調に迷いはなかった。
「そもそも王の書斎の存在を知っていること自体、相当王家に近しい人物である証拠です。もちろんボレッセン殿などもちろん例外はありますが、基本的にはすでに私たちに十分影響力がある人たちばかりなのです」
言われてみれば、確かにゼルダの言う通りだった。
シーカー族であるカスイはいうに及ばず、ヤツリにもユースラ侍女長にもホルトウ侍従長も皆、ロームとゼルダからの全幅の信頼を寄せられている。加えてチガヤはすでにリンクの猶母なのでこれ以上は望むべくもない。
唯一、外戚を狙う立場なのはボレッセンぐらいだが、当人がその機会をパリュール入手のために使っていることを考えると、元々そういった権力欲はないのだろう。ある意味、身の丈に合った担保を指定したともいえる。
そこまで考えて、しかしリンクはふと気がかりな笑みを思い出す。
「ゼルダ様、つかぬことをお聞きしたのですが。……リードとはどういう関係ですか?」
二日前、サイランを出迎える直前にリンクはゼルダとともに大量の本を図書室へ持って行った。あまりの本の量にリードが「人を呼びましょうか」と言ったのをリンクは瞬時に断った。あのとき、彼は珍しく笑っていた。
リンクとしては気重を先延ばしにした後ろめたさを、彼に見抜かれたのが気恥ずかしかったので、妙な引っ掛かりを覚えていたのだ。
でもあの笑みの意味が、もしゼルダにかかわることなのであれば、様子はだいぶ違ってくる。
「姉のヤツリが幼いころから私の侍女を務めてくれているので、弟のリードとも何度も会っています。でも彼は御父様の悪だくみを知らされてはいなかったはずでは?」
「しかしヤツリは知らされていた一人です。それに覚えていますか、俺がゼルダ様のお部屋を伺ったときのこと。あの二人は隣室で何やらこそこそと、呼ばれているのも気づかずに……」
残ったカボチャケーキを包んでほしいと声をかけても反応がなかった。ティントが二人を呼びに行くとひどく落ち着かない素振りをしていた。リードに至っては、何か書き物をして手帳をポケットにしまい込んだところも見かけた。
もしあれがヤツリ・リード姉弟の画策の証拠であったのなら。
万が一、リードがゼルダに懸想などしていたのなら。
ヤツリが弟の思いを知って加担していたとしたら?
坂道を転がり落ちるように嫌な方向に考えてしまうのを無意識を止められず、リンクは目を見開いて固まる。日頃から世話になっている人が、実は自分の婚約者のことを憎からず思っていて実力行使に出たりしたら、どうしたらよいものか。
ところがゼルダは眉尻を下げて笑った。
「それはさすがに考えすぎでだと思いますよ。そんなことなら、私のことを以前から知っている者は多くいますから」
「それは、そうなのですが……」
だとしても絶対ではないという認識が、疑念をぬぐい切れない。互いに認識の差が大きすぎるのだと分かって、リンクはどうにか口を噤んだ。もしこれ以上下手に言及しようものならば喧嘩にもなりかねない。
そんなときノックがあった。間がいいのか悪いのか、ヤツリだった。
「ダルケル様がご到着されたそうなのですが」
「ダルケルなら通してもらっても大丈夫ですよ」
「いえ、何かお荷物があるようでして、玄関先に来ていただきたいと……」
「荷物?」
ヤツリにしては妙に歯切れが悪い。
それと相まって、リンクはヤツリのことを直視できないまま、ゼルダとインパの二人とともに部屋を出た。夕刻、人の少なくなった城内を足早に玄関先へと急ぐ。
いったいダルケルはどんな荷物を持ってきたのだろうか。何か大事なことを忘れている気がしていたリンクだが、あのおおらかな笑顔を見て思い出した。
用途を調べるために、白土を持ってきてもらうように頼んであったのだ。
「姫さんにインパ、久しぶりだなぁ。おう、相棒! 約束通りあの白い石持ってきてやったぞ!」
『もう少し持ってきてくれ』と伝えたはずだ。だが岩のこととなると、ダルケルの『少し』が一般的な『少し』ではないことを失念していた。
城内の一角を占拠するように、大小様々な白い石が小山のようになっていた。これは少なくとも荷車一杯分はある。
「こんなに、持ってきたのか……?」
「おうよ! これだけあれば何に使えるか分かるだろう!」
ガハハと笑うダルケルにはこれっぽっちの悪意だってない。具体的な量を言わなかった自分の落ち度だと、この時ばかりはリンクも悔いた。
しかもゼルダはというと目を輝かせ、インパが止めるのも聞かずに石を持ち上げている。ドレスに白い粉が付こうがお構いなし、ヤツリが嘆くのが目に見えるようだ。
「素人目ですが、質は良いように思います。すぐにでも煉瓦焼きの職人の方に見てもらいましょう。リンク、まずはサイラン様に連絡を!」
「お、なんだ、食えねぇこいつがなんかの材料になんのか?」
「ええ! これは白土といって、耐火煉瓦の材料になるかもしれないのです!」
「煉瓦? 姫さん、ありゃはあんまり美味くねぇぞ?」
煉瓦は食べ物ではない、とダルケルに訂正を入れる余裕はなかった。だからもしかしたらいつの日か、ダルケルと一緒に耐火煉瓦の味見をする日が来るのかもしれない。
だがそれよりも、サイランの滞在する部屋へ行くことが重くのしかかった。
またか、という気持ちもあるし、今度はいったい何を言われるのかという恐れにも似た緊張がある。騎士になってすぐのころ、幼い顔立ちや低い身長をからかってくる上官のところへ行ったときの数倍は気が重たかった。
――自分の努力でどうにもならないことが、こんなにも厄介だとは……。
ところがサイランは話を聞くなり「明日にでも職人に石を取りに来るように伝えておく」と答えただけで、他には何もなかった。盗まれた宝石を捜索しているのにまるで別の話をしに行ったのだ。正直肩透かしだった。
傾げそうになる首を、どうにかまっすぐに保ったまま部屋を辞す。
ゼルダとインパにこのことを正直に報告すると、二人は笑みと呆れの混ざったような表情で顔を見合わせていた。
「さて、白土はこれでよいとして、問題はやはり宝石の方ですね……」
「そうですねぇ、ほかに手掛かりを見つけないと、これでは手詰まりですよ」
腕組みをして悩む二人の傍らに、すでにダルケルの姿はない。聞けば「堅苦しいのは苦手だから城下に住んでいるゴロン族のところに泊まる」と言って、行ってしまったのだとか。しかも白土は城の一角を占拠し続けたまま。何とも迷惑な話である。
一瞬、薄情だという気持ちがよぎったが、ダルケルが盗難事件の捜査をする姿を想像してリンクは首を横に振った。戦いになればダルケルほど頼りになる者はいないが、推理のような細やかなことにはまるで向いていない。
結局、『荒事になりそうだったら呼ぼう』と、一人納得するに至った。
と、そこへぱたぱたと足音が駆けてくる。誰だと振り向くと、何やら疲れた様子のカスイが来るところだった。
「こちらにいらっしゃいましたかぁ~!」
「カスイさん?」
真っ先にインパに部屋に返され、リンクの代わりに書類仕事をしていたはずだ。ところが彼は今、まったく逆の方向から走ってきていた。
何がどうしたのかと、真っ先に表情が曇ったのはインパだった。
「どうしたんですかカスイ、そんなに慌てて」
「いやぁ、実は陛下がお二人をお呼びでして~」
どうしてロームからの呼び出しをカスイが持ってきたのかと言えば、リンクの代わりに処理した書類をホルトウに持って行ったときに頼まれたのだとか。恐らくインパも一緒だろうから、三人で私室に来てほしいとのことだった。
いったい何の話だろうかと三人はそろって顔を見合わせる。だがカスイは呼び出しの詳しい内容は知らないと言い、それよりも、と玄関先のある方の廊下を見た。
「あの、入口に山積みにされた白い石って、もしかして……」
「ダルケルが持ってきたものです……」
「ああやっぱり、ダルケル様……」
「あと明日、たぶん煉瓦職人さんが白土を取りにくると思うので、その案内もお願いできますか」
「ああもう~、リンク様までそういうことを言い出す~」
カスイは天を仰いだ。
それもそのはず。執政補佐官とはたいそう立派な肩書に見えるが、仕事の三割ほどは厄介ごとの対応係だ。同様の肩書を持つインパも大体似たり寄ったりで、こちらは主にプルアに端を発する厄介ごとが多いだけの話。
はぁ~と大きく嘆息したカスイだったが、どんよりとした顔をぱんぱんと大きく二回叩いて姿勢を改めた。
「しかしようやくリンク様に頼ってもらえるようになったというのは、喜ぶべきことですねぇ! ではあの石の山はこちらでどうにかしておきます。姫様とリンク様はどうぞ陛下の方へいってらしてください。インパ、後で応援よろしく頼むよぉ~」
「えぇ、嫌ですよ!?」
それはそれ、これはこれ、といった様子でインパはあかんべをして見せる。もちろんカスイは気にも留めず、手をひらひらとしながら玄関の方へと駆けて行った。
「しかし、御父様がいまさら何の話でしょう。そもそも御父様がパリュールを宝物庫から出さなければ、こんなことにはならなかったはずなのに……」
ぶつぶつと零すゼルダとともに、本日二度目のロームの私室へと向かう。
つい先日までは、私室に立ち入ることすら稀だった。それが日に二回、しかも一昨日も呼び出されている。
義理の父となる人なのだから関係が良好であるのはやぶさかではないが、その私室とは決して望んで行きたい場所でもない。こんなにも王の私室に出入りするなんて変な感覚だと思いつつも、リンクは黙ってついて行った。
しかし、そんな些末な考え事が吹っ飛ぶような人物が、ロームの部屋で待っていた。
いや、正確には彼はずっとそこにいたのだ。ところがリンクはもちろん、ほかの誰も気づいていなかった。
「あー、よっこらせっと」
侍従長のホルトウが、まるで人の皮を脱ぐ。
服から、体格を変えるための詰め物から、顔から、髪から、何から何まで。すっかり王の侍従長としての姿を脱ぎきったその人物は、真っ赤な装束を着て、シーカーマークを逆さにした面をつけている。
「よっ、久しぶりじゃねぇの」
ひょいと手を挙げたのは、イーガ団総長のコーガ様だった。