「え、チョコレート店が、不振?」
場所をゼルダの私室に移し、どうにか落ち着いたところで彼女が口にしたのは意外な弱音だった。
「少し前から、売り上げが落ちていて……、当初の予定ではもう返済額が揃っていたはずだったのです」
「足りないのですか?」
「いまのままだと返済期日までに足りるか、足らないか、ギリギリと言ったところです。……もちろん他に保険はありますが、確実とは言い難い状況です」
人払いがされており、さきほどお茶を淹れたヤツリが部屋から出て行ったばかりだ。リンクの代わりに書類仕事をしておけと、カスイすらインパが追い出してしまった。おかげで部屋はひどく静かだった。
パリュールは明後日の結婚式まで再び宝物庫にて保管されることとなったため、現在は手元には無い。ユースラが兵を二人ほど連れて、厳重な警備で持って行った。
ちなみにヤツリは、先ほどのロームの悪だくみを前もって知らされていた一人だったらしい。リンクの顔を見るなり「不可抗力でございました」と頭を下げた。
そうして今、ゼルダは外では絶対に見せない不安そうな顔をしている。その様子にむぅと唸りながら、お菓子をつまむインパが宙を睨んだ。
「あのー、お言葉ですが姫様。確かに当初の予定よりは返済が遅れていますが、期限はまだ先ですよね? しかも返済って一括じゃありませんでしたっけ?」
「ええ、まだ半年ほど猶予があります。一括返済なら利子を低くしていただけるという破格の条件でしたので……」
「だとしたら、さっきのボレッセン殿の言い方ってなーんか、引っかかりません?」
二つ三つ適当に小さなクッキーをぽいぽいと口に入れながら、インパは眉をひそめる。
「あれじゃまるで、返済が滞るのが目に見えているような言い方じゃないですか。チョコレート店の不振は、そりゃあお店の様子をずっと見張っていれば分かりますが、でも流石にそれだけじゃ返済不能の確信を得られるとは思えません」
「確かに、そのようにも感じますが……」
一年前、開店当初はだいぶ繁盛していたのはリンクも聞いた覚えがあった。
ゼルダがお茶会に出したチョコレートは瞬く間に貴族の間で人気となり、令嬢たちがこぞって買い求めに来た。最初の勢いこそ落ち着いてきたが、それでも半年前ぐらいまでは順調に売り上げを伸ばしていると聞いていた。
その後とんと話を聞かなくなっていたのは、ゼルダ自身が上手くいかないことを自分でどうにかしようと試行錯誤していたのだろう。もっと話をよく聞いておけばよかったと後悔をしつつ、しかしリンクは一つの結論を導き出す。
「でもだとしたら、ボレッセン殿は白ですね」
「えー、なんでです? あんなに怒るほどパリュールが欲しい業突く張りですよ!?」
パリュールのネックレスが無いと分かった瞬間、ボレッセンの態度は一変した。
それだけ見れば確かに彼が『欲しくてたまらないネックレスを盗んだ』とも捉えられるが、リンクは首を横に振る。
「むしろ、だからです。だって彼はこのまま放置していれば、パリュールが入手できたかもしれない。だったら今、危険を冒して盗む必要なんかないし、ネックレスだけというのも妙です」
あ、とインパが手を打ち、ゼルダは深くうなずいて同意を示す。
「リンクの言う通り、ボレッセン殿には盗む動機がないどころか、盗むと不利益になります。でもその理屈からすると、ネックレスを盗んだ犯人というのは……」
「ゼルダ様に男妾を押し付けたい誰か、ですか」
知らず知らずのうちに、語気が強くなる。言い捨ててから、リンクは慌てて首を振ったが、ボレッセンの「どうなさるおつもりか!」という言葉が再び耳の奥でこだました。
もし期限までに一括返済できる金額が揃わない場合、平民的な言い方をするのなら『借金のかたにパリュールを取られる約束』であった。ところがそのパリュール自体が欠けた状態のいま、ネックレスが見つからなければボレッセンは金銭で補えと言ってくるだろう。
ではその金銭をどこから調達するかと言えば、さらなる借財をするしかない。その追加の借財をする相手がボレッセンと同様に別の宝飾品などを担保に指定してくれればよいが、それは稀であると分かっている。借財の交換条件はゼルダの男妾の席だ。
逆に言えば、ボレッセンへの返済を一部負担しようと申し出をしてくる何者かが恐らく犯人だろう。しかしながら、それが判明するまで待つことは敗北を意味する。
政治的な思惑はもちろんのこと、感情的な思惑においても耐えがたいことだった。
「見つけます、犯人も宝石も。思い通りになどさせない」
リンクが何を睨むでもなく目を眇めると、思ったよりも低い声が出ていた。これではティントどころか、ゼルダでさえも怯えさせてしまいそうだ。きつく握り込んだ拳を解く。
意識して穏やかな声と顔とを作ろうと試みるも上手くいかず、表情を歪ませただけだった。ただその顔を見て、ゼルダまた、スッと目を細めて声を落とした。
「気を付けてください、リンク。今回の盗難、何やら策謀の匂いがします。……ともかく、図書室の入退室記録を確認してきますね。図書室に出入りした人物の中に犯人がいるはずですから」
「俺も行きます」
「いえ、リンクは出来ればここで待っていて欲しいのですが」
「何か他に調べるものでもありますか?」
「そういう、わけでもなくて……」
渋るゼルダが何を言いたいのか分からず、リンクは首をかしげる。なんとはなしにこの部屋からリンクを出したがらない様子だが、意図が分らなかった。
といっても、ゼルダの部屋でのんびりと情報を待っているのも性に合わないリンクが我先に立ち上がると、ゼルダは「ですからっ」と言葉にならない声を上げる。何が何だかさっぱりだ。
そんな噛み合わないやり取りを見ていたインパが、パンっと大きく手を叩いた。その音で二人が止まる。まるで猫騙しだった。
「姫様、今回はリンクに任せましょう! その代わり私が手伝いについて行きます」
「インパまで……」
「たまにはいいじゃありませんか。姫様はもう少し部屋で休んでいてください」
「……十分に気を付けてくださいよ?」
何に気を付けるのだろうかと分らないまま、リンクはインパを伴って部屋を出た。扉にへばりつくように気配を伺っていたヤツリには少々驚きはしたが、事情を告げて図書室に向かう。
事は急を要する。
急ぎ足で広い廊下に出ると、ところが人々の視線が突き刺さった。昨日までとは打って変わった様子に、リンクはうなじにピリピリとしたものを感じて足が止まりかける。
具体的な言葉こそ無かったが、押し潰すような圧迫した空気がそこにはあった。
――ゼルダ様のご懸念は、これか。
噂話を流して城内を針のむしろしたのは間違いなくボレッセンだ。
王家の側に不備があったのだと吹聴しておけば、パリュールを上手くせしめたとしても強欲と後ろ指をさされることもない。それは盗難事件が解決されればの話なので、間違いなく彼は犯人ではない。
ただ、この刺々しい空気はいただけない。これではまるで周囲全部が敵だ。
してやられたと眉間にしわを寄せた瞬間、隣に居たインパに軽く肘で小突かれた。
「リンク、止まってはだめです」
無言で眉間を緩め、足を無理矢理にでも一歩前に出す。横を行くインパはまっすぐに前だけを見据えていた。
実のところ、彼女は執政補佐官という立派な肩書はあっても、爵位のない平民だ。有官ではあるが無位であり、すでに形ばかりとは言え爵位を与えられたリンクとは雲泥の差がある。
それでも気兼ねなく呼び合う間柄でいるのは、過酷な戦場で背中を預け合った信頼関係があるからだ。それがいま場を変えて、今度はインパが隣に立つ。
彼女はちらりとも見ず、小声で言葉を続けた。
「姫様がいま部屋から出したくなかったのは、あなたが大事だからです。慣れぬ者がここで臆して足を止めたら、有象無象に絡めとられてしまうから」
周囲の人々はひそひそと何かを話し、声は聞こえるのに内容までは聞き取れない。それが非常にもどかしい。しかし気にしている素振りを見せたら最後、噂話にとって喰われるのが貴族たちの巣窟だ。
いつもより速いインパの歩調に合わせつつ、同じく前を向いたままリンクは問いかける。
「……それって、インパにとってカスイさんがそうってこと?」
「な、なんですか藪から棒に」
「だって真っ先にカスイさんを部屋から追い出したのも、こういうことになる前に俺の執務室に行かせるためでしょ?」
「……言わぬが花って言葉、知ってます?」
顔ではやれやれと余裕ぶっていたが、インパの歩調がわずかに崩れる。図星か、とは言わず、リンクもまた肩をすくめた。
「さすがに知ってる。インパも気を付けて」
「言われなくとも。さぁ、図書室に出入りした人間の中から、犯人を洗い出しますよ……!」
十分に気合を込めた声と共に、インパは図書室の重たい扉を押し開いた。