父の横顔、母の面影 - 1/4

 俺にはずっと母がいなかった。

 産んですぐに亡くなったらしいが、寂しいと思ったことはあまりない。これ以上ないぐらいに父が愛情を注いでくれたし、暮らしぶりも上の方から数えた方が早いぐらいだったので。

 父は国で一番の剣士だと誰もが誉めた。当たり前だ。十五年前に今の女王陛下と共に厄災を封じたのは俺の父なのだから。強くて当たり前だ。

 追魔の剣を抜いて勇者となった父は、当時まだ王女殿下だった今の女王陛下と共に多くの人を率いて戦ったらしい。話だけ聞くとおとぎ話のようだけれど、父の傷だらけの背中と王都の郊外に残るガーディアンの残骸を見るたびに、本当にあったことだと分かる。

 その父は今もなお、女王陛下に近衛騎士として仕えている。昔背負っていたという追魔の剣はすでに森へお返ししたらしいが、未だに父を負かせる騎士はいない。しかも先の厄災との戦でたくさんの人が亡くなったこの国においては、年齢がさほど高いわけでもない父に対して物申せる者はわずかに数えるのみ。父は名実ともに国で一番強く、国で一番尊い方をお守りするのは当然のことだと子供ながらに理解していた。

 でも、だからこそ俺は、騎士の道には進みたくなかった。

 剣も弓も嫌いではなかったし、幼い頃から父に教え込まれたので、人並み程度には出来た。しかし誰もが皆、父と比べる。しかも現在の父ではなく、俺と同じぐらいの年ごろの時の父とだ。騎士現役の父はもちろんのこと、騎士に上がる前の父にすら自分の力は遠く及ばない。

「あの英傑リンクの息子なのになぁ」

 矢一本外すだけで、ため息を吐かれる。幾度となくそんな言葉を受けて嫌気がさした俺は、父とは別の道に進もうと秘かに心に決めていた。

 剣よりも弓よりも、やってみたら勉学の方が好きだった。だからそろそろ騎士見習いにという話が出るか出ないかという時に、学士の道に進む意志を父に示さねばならなかった。

 学士になるには十七になって試験を受ける必要がある。それまでに残された年数は三年。のんびりと構えていられるような期間ではない、ちゃんと勉強しなければ到底無理だ。

 試験を受けたいという一言、それは大層勇気のいることで、それなりに長いこと言い出すのをためらっていた。

 ある朝、意を決して伝えると、ところが父はあっさりと許してくれた。

「構わない、好きなことをしなさい」

 父はそう言って朗らかに笑う。あまりの手ごたえの無さに、呆気にとられた。

「本当に、いいの?」

「確かにお前には学士の方があっているのかもしれないな」

 慣れた手つきで身支度をする父の言葉に、わずかに引っかかりを感じて眉をひそめた。

 普通、父親って言うのは息子に跡を継いでもらう方が喜ぶんじゃないだろうか。それをこうも簡単に、別の道に進もうとする息子を許すなんて、いったいどういう了見なんだろう。あまりにもさっぱりとし過ぎていて、それが逆に違和感となってわだかまる。

「父さんは、俺が騎士にならなくてもいいの?」

「構わないと言った。好きにすればいい」

「それって、俺には騎士になるのが無理だと思ってるってこと?」

「無理かどうかはやってみなければわからない、何事も」

 なるほど正論だと頭では分かったが、すんなりと受け取ることができない。

 息子である自分が言うのもなんだが、父は大抵のことを卒なくこなしてしまう。いわば優等生みたいな人だ。いくつもある父の『できること』の中で、最も秀でていたのが騎士としての能力であって、他にも俺よりも上手いことがたくさんある。

 人付き合いもそこそこ上手くあしらうし、なんだかんだ言って種族に関わらず知り合いも多い。料理だってなぜだか上手い。王都に家を持っているような騎士の家柄なのに、なんで家の主の趣味が料理で、しかもお菓子作りが上手なんだって友達から笑われたこともある。俺だってなんでだか分からない。

 だからなのか、せっかく学士になることを許してくれた父に対して、思わず口を尖らせた。

「どうせ俺なんか、学士にも騎士にもなれないって、思ってるんじゃないの」

 あからさまに不貞腐れた、自分でも嫌気の刺すような言い草だった。言ってしまってから、思わず顔を背けた。さすがに怒るかもしれない。

 ところが父は少しも怒る様子はなく、むしろ困った顔をしていた。元からさほど口数の多い人ではないが、怒るときは怒る人だ。だがどうしてだか困り顔で、口をぎゅっと結んでいる。

 父が黙っているうちにこちらから謝ろうと思ったが、なかなか言葉が上手く出て来ない。そのうちに父の方が先に口を開いてしまった。

「やろうと思わなければ何であろうと成すことはできない。もし自分で無理だと思っているのならやめなさい。でも父さんは、お前ならできると思う」

 小麦畑みたいな髪をざっくりとくくって、父はその日も変わらず登城していった。その後ろ姿を苛立ちと共に見送る。

 後姿だけは似ているとよく言われるが、父とは目の色が決定的に違う。父の瞳の色は澄み切った空のような青い色をしているが、俺は緑色だ。小さい頃の父に瓜二つだと、亡くなった先王様が大きな手で撫でてくださった記憶がある。あの時はとても嬉しくて誇らしい気持ちでいっぱいだったけれども、今心の中にあるのは『もっと父に似たかった』という焦りだけ。

 俺は父みたいになりたかった。強くてかっこよくて、誰にも負けない、女王陛下のお傍に仕える父のようになりたかった。

 それが難しいと理解するのに十四年の月日は十分だったが、その事実を受け入れるのに十四年の歳月では到底足りなかった。