二匹の関係

 ノックして声を掛けたのはハテノ村の端、リンクとゼルダ嬢という奇妙な二人組が住んでいる家だった。

「おーい、リンクー。クサヨシさんが呼んでたぞー」

 俺、マンサクはリンクの家のお隣さんではない、むしろ村長のクサヨシさんちの隣に住んでいる。だが今日も今日とて日課の観光客ウォッチングに勤しんでいたところを、クサヨシさんに掴まった。暇なら田植え時期の相談をしたいからリンクを呼んで欲しいとのことだった。

「決して暇じゃないんだがな……」

 というわけで、俺は観光客ウォッチングを切り上げて、村の端の奴の家までトボトボと歩いてきたわけだ。朝からノックしてもあの二人のことだ、問題はなかろう。

 別に俺はリンクのことは好きでも嫌いでもない。やけに見目が良くって、ありえないほど腕っぷしが強く、おまけに料理の腕までいいなんて、嫌っても特にも損にもならんからだ。そこら辺のガンバリバッタと同じレベルだ。

 しかし奴となぜか同棲しているだけ・・のゼルダ嬢は別だ。

 ぶっちゃけるとかなり『好き』の範疇に入る。トンプー亭のツキミさんと同じかそれ以上の美人さんに、生きているうちに会えるとは思えなかった。最初に会ったときは本気でそう思ったものだ。

 だがどういう天変地異が起ったら、年頃の男女が一つ屋根の下で何事もなく同棲が出来るというのだろう。実は二人は夫婦ではないらしい。

「あれで付き合ってすらないっていうんだから、世の中は分からないことだらけだな」

 少し前にナギコさんたちに「子供は?」なんてデリカシーの無いことを聞かれて、二人して真っ赤になっていた。慌ててリンクの方が「そういう関係じゃない」なんて否定して、むしろ周りが驚いたぐらいだ。

 だって一軒家に若い男女がそろっていたらどう考えても若夫婦だろうが。

 しかし本人たちが違うというのであれば違うのだろう。ということは俺にだってチャンスがあるってことと同義だ。何のチャンスかは察してほしい。

「っていうか、返事が無いな? もしかしてまだ寝てんのかな」

 珍しいこともあるもんだ。リンクはどちらかと言えば昼でも夜でも、いつでもパキっと起きて活動するような奴だ。それが声を掛けたのに全く反応がないなんて。

「まさか二人して倒れてんじゃないだろうな」

 リンクはほいほいとどこかに出かけては、変なものを拾ってきて調理する癖がある。大抵はそれなりに美味しく食べられるものが不思議と出来るので問題ないが、まさか毒キノコでも調理した日には目も当てられない。

 冷や汗と共に扉に触れると、音もなく扉が動く。

「扉まで開いてるじゃないか!」

 これはやはり二人の身に何かあったとみるべきだろう。ハテノ村が如何に平和と言えども、あの二人が鍵もかけずにどこかへ行くなんてことは普通あり得ない。

「緊急事態だ、入るからな!」

 ええいままよと扉を開ける。

 そこには二匹の生き物がいた。

「にゃぁ」「にゃ?」

「にゃ、だと……?」

 リンクの家は築百年以上の古民家をサクラダさんに改築してもらった家で、扉を入ってすぐの居間はゼルダ嬢の趣味らしい居心地の良い空間が広がる。たくさんの野花が活けられた花瓶に並べられた揃いの皿とコップ、壁に掛けられた武具だけが少々異様な雰囲気を放っている。

 そんな部屋のなか、一針ずつ丁寧に刺繍された白いカバーの掛けられたソファーの上にその二匹は居た。ふわっふわの、三角耳で尻尾の長い生き物だった。大きさはコッコを少し大きくしたぐらい。初めて見る動物だった。

 ワターゲンさんの話でしか聞いたことが無い生き物もいるが、ハイラルに生きている四つ足の生き物は大体知っているつもりだ。だが目の前に居るのはどの動物とも違う。

 そもそも「にゃあ」ってなんだ、可愛すぎかよ。

「じゃなくって、リンクとゼルダ嬢! 大丈夫か?!」

 仲良くソファーの上に並んで寝そべる二匹の動物を尻目に、俺は家の中をぐるりと見回した。だが人の気配は無い。

「どういうことだ……?」

 恐る恐る二階のロフト部分に上がってもみたが、ゼルダ嬢のベッドらしきものがある以外は人っ子一人いない。どうしてそれがリンクのベッドではなくゼルダ嬢のベッドだと分かったかというと、脱ぎ捨てられた服が乱れたベッドの上にそのまま放置されていたからだ。

 柔らかそうな生成りの寝巻、だろうか。無造作にベッドの上に放り出されていた。意外だ、彼女はそういうところちゃんとしそうなものなのに。

「……いや、ちょっとまて」

 慌てて一階に戻り、あの謎の生き物二匹が仲良く座っているソファーに近づく。二匹は不思議そうな顔をしていたが、どう考えても下敷きにして寝そべっているのはリンクのズボンだ。

「え、ちょ、まて」

 二人の姿が無く、家の鍵は開けっ放し、家の中に荒らされた形跡はないのに二人の服は脱ぎっぱなし。さらに残された謎の動物は、居なくなった人数と同じ二。

 圧倒的な嫌な予感。

「もしかして、二人、なのか……?」

 きょとんと俺を見上げる謎の生き物の瞳は、片方が緑で片方が青かった。目が緑の方は、長い毛並みの白いやつだった。いかにも優雅という雰囲気の、気位の高そうな子。その子の傍らに座ってじっと俺の方を青い瞳で睨みつけているのは、明るい茶色のとらじま模様の奴だ。警戒感を剥き出しにして、目つきも心なしかキツイ気がする。

「この白い方がゼルダ嬢で、とらじまがリンクなのか?!」

 嫌な予感に拍車をかけたのは、プルアばあさんの存在だ。

 ようやく最近になって、実はプルアばあさんが若返っていたことが判明したばかりだった。百二十歳のばあさんが幼女になるようなことがある世の中だ、二人が謎の動物に姿が変わる事件が起こっても不思議じゃない。

「そ、そんな馬鹿な……!」

 だが他に、自分の予想を否定する材料は無かった。

 あまりにも二人の印象を強く残した二匹はソファーの上で寄り添っている。この仲睦まじい感じも、恋人や夫婦であること否定した割に近い距離間の二人を思い出させた。

 どうする、どうしたらいい。男マンサク、俺は一体どうすればいい。

 人間が動物になるなんてことが、ありうるのか?

「と、ともかく、プルアばあさんのところに連れていくしかないか」

 どう考えても自分の手に負える事態ではないので、その動物を抱っこして連れて行こうと思った。本来ならばプルアばあさんに来てもらうのがいいんだが、あんなちびっこになってたんじゃあここに来るまでに日が暮れてしまう。

「ゼルダ嬢、申し訳ないけど抱っこするからな」

 リンクの方は歩いてもらおう。そう思ってそっと両手を伸ばす。

 ところが横やり、もとい横から手が伸びた。

「にゃあ!」

「うわっ、いて! リンク何するんだ、やめ、やめろ!」

 とらじまの方のリンクが左手をパパパパンっと音がするぐらい勢いよく出してパンチしてくる。ちゃんと爪まで出ていて、四本の爪痕が俺の手に無数に付く。じんわり血が滲むぐらい痛い。

「リンク、別にゼルダ嬢に危害を加えるつもりはない! そうじゃない、プルアばあさんのところに行って治してもらおうってだけだから!」

 弁明しながら、ではとらじまのリンクを抱き上げようとしても、シャーと牙を剥き出しにして威嚇してくる始末。あいつ、実は相当やんちゃなんだな?!

 どうしたもんかとおどおどしていたら、白いフワフワのゼルダ嬢がおっとりとリンクの方へ顔を突き出す。まるで怒っているのを宥めているみたいだった。

 あ、この雰囲気いつもの二人に少し似ている。リンクが慌てるとゼルダ嬢が奴を宥めるんだ。くっそ、動物になってもお似合いかよ!

 ところがリンクは、顔を突き出したゼルダ嬢の鼻先に自分の鼻をツンと突き出してぶつける。

「は、鼻チューだと……!」

 俺は朝から一体何を見せつけられているんだ。

 確かに確かに、二人は恋人ではないと聞いた。だがどう考えても他人以上、つまり恋人にこれから発展する余地は十分にあったということ。

 しかも俺が声をかけても全く反応した様子が無いことからも、動物状態のリンクとゼルダ嬢が人語を解している可能性は非常に低い。たぶん精神はこの動物そのものになっているはずだ。

 ということは、あの堅物っぽい二人のチューを、俺はまさか目の前で見てしまったことになる。事によってはファーストキスの可能性すらある。

「俺は何も悪くないぞ?!」

 二人の危機に駆けつけただけなのに、どうしてキスを見せつけられにゃならんのだ!

 憤慨なのか照れ隠しなのか、後から抹殺されるのを恐れたのか、思わず鳥肌が立つ。ところがさらに厄介なことが目の前で起こり始めていた。

 なんとリンクがゼルダ嬢のことを舐め始めるではないか。

 ぺろんぺろんと、小さい赤い舌でゼルダ嬢の頬のあたりを舐める。ゼルダ嬢の方も気持ちよさそうに目を細めて、ゴロゴロ喉を鳴らしていた。

 俺の目の前で展開されている行為が、いわゆる毛づくろいってやつなのは分かる。動物は親子やつがい同士では愛情表現の一環としてお互いに毛づくろいをするのは一般的なことだ。ロバでもやる。ハイリア人でいうところスキンシップみたいな物だろう。

 だが、問題は俺の目の前にいるのが、未だ恋人未満だということだ。

「リンク、そういうのは人に戻ってからにしてくれ! っていうかちゃんと人に戻ってからやれよ!!」

 動物だから、たぶん節操がなくなって本能のままにやっているんだろうと思う。そりゃあ傍から見ていたってお似合いの二人だ、想うところが無いわけじゃないんだろう。それでも互いの気持ちをひた隠しにするぐらい、二人はたぶんまだまだの関係だった。

 ところが動物になってしまった途端、たぶん双方の気持ちに覆いをかけて距離を測っていたものが全部取れてしまったのだ。好きな相手の隣に居たら、何か止めるものが無い限りはそりゃあ触りたくなるってモンだろう。

 案外リンクもああ見えて雄だったんだなぁと感心したりしなかったり。

「じゃない、リンク、駄目だ離れろ! それ以上はだめだあああぁぁぁ!」

 人の理性を失った雄は自分に素直すぎる。

 ソファーの上でいい感じに互いを毛づくろいし合っていた二人だったが、ついにはリンクがゼルダ嬢の後ろに回り込んだ。ふっさりと立ち上がったゼルダ嬢の尻尾(尻尾の先まで優雅すぎる)の付け根をクンクンと匂いを嗅ぐ。

 動物ならそれは当たり前の行為と言えよう。ハイリア犬だってよく相手のお尻の匂いを嗅ぎに行く。

 だがお前は仮にも人だ。しかもたぶんまだお前は、想い人に心を打ち明けていない。

 それで女性のお尻の匂いを嗅ぎに行っちゃだめだろう!!

「リンクはやまるな、ハイリア人ならそこへ至るためにはまだ膨大な手続きが必要だから!!」

 好きですと告白をして、はいと返事をもらって、手を繋いで、チューをして、服を脱がせて……えーっとえーっと、もうここから先は誰かの伝聞でしか聞いたことのない世界。だが少なくとも俺とお前はまだ同じラウンドで足踏みしていたはず。

 好きな人にまだ告白すらしていないはずなんだ!

 だからどんな動物に身をやつしても、女の子のお尻の匂いを嗅ぎに行くのは駄目だ!!

「にゃ?」

「にゃじゃない、戻ってこい! あとゼルダ嬢も拒否してください!」

 言ってるそばからゼルダ嬢が「にゃぁ~ん」と色っぽい鳴き声を上げ始める。リンクに嗅がれたお尻を上げて、まんざらでもない顔をして。

 まさか、これは。

「やめろー! 俺は、そんな、無理だッ!」

 とらじまのリンクが真っ白なゼルダ嬢の背中の上にのしかかる。人じゃ見たことは無いが、ドダンツさんところのハテノ牧場のウシでは何度も見ていた。

 いわゆる交尾ってやつ。

 いわゆるもクソも無い。どう見ても目の前で繰り広げられているのは愛ある営みだった。ゼルダ嬢は「にゃっにゃっ」と小さく鳴いていたし、リンクの方は腰にぐっと力を込めたせいで尻尾の先まで膨らんで、ふっふっと鼻息荒く自分の後ろ脚の間にあるものをゼルダ嬢のお尻のあたりに押し付けていた。

 今日何度目かの、一体俺は何を見させられているんだという感覚に陥る。

「リンク、お前、そんなことでいいのかよ……」

 ちゃんと人としてゼルダ嬢と愛し合うために時機を見計らっていたんじゃないのか。俺と同じで、彼女が良いと言ってくれるまで辛抱強く待っていたんじゃないのか。それが何の間違いでか他の動物になってしまったために、野生の本能に任せてしまって本当にいいのか。

 俺は二人の秘密の営みの前に、がっくりと膝を折った。

 こんな非道なプレイが許されるこの世とは一体何だ。ハイリアとはこんな非情なことをお許しになる女神だったのだろうか。

 でもわずかに、二人から生まれた子ならめちゃくちゃかわいいだろうなと思った。フワフワ毛並みの、もっふもふの毛玉。ああ、美味しいものでも持って来てやろう……。

「あれ、鍵かけ忘れたのかな。って、マンサク?」

「マンサクさん? どうしたんですか?」

「え、え……?」

 背後にリンクとゼルダ嬢が立っていた。つい今しがた帰ってきたばかりという感じで、二人してフードを取る。不思議な顔をしていた。

 でも人の形をしていた。

「ど、どういうことだ?! 二人ともこの動物になったんじゃないのか!」

「は? 何言ってんのマンサク、それ猫だよ?」

「最近飼い始めたんです! ネズミとか獲ってくれるいい子たちなんですよ」

 ゼルダ嬢はコロコロと鈴を転がすように笑って、あっという間に飼い主たちの目の前で事情を済ませた二匹のうちの白い方を抱き上げる。

 するとリンクは顔をしかめて、自分の寝巻のズボンを持ち上げた。

「あー慌てて脱ぎ散らかすんじゃなかった。毛だらけにされた……」

「仕方がありませんよ、インパの容体が大変って言われたらさすがの私たちでも慌ててしまいます」

「たかがぎっくり腰ぐらいで大げさすぎなんだよ」

「は、はいぃ……?」

 状況を整理しよう。

 インパという人物が、あのプルアばあさんの妹さんだということも、ここから西に行ったところにあるカカリコ村に住んでいるのも聞いていた。つまり二人は、インパばあさんが危篤だと連絡を受け、脱いだ寝巻を放り出すほど慌てて着替えて、扉の鍵をかけ忘れるほどの勢いでカカリコ村へ行き、そして今帰ってきたところ。

 俺の目の前で蜜月のように戯れていた二匹の猫という生き物は、彼ら二人では無かったということ。

「なっ、ややこしいことすんな馬鹿!」

「マンサクは一体なんで怒ってるんだ? 勝手に人んちに上がり込んでおいて」

 むっとした顔は、とらじまの猫にそっくりだ。青い目を半眼にして、まるで自分の造った愛の巣から出て行けとでも言わんばかりの表情をする。そりゃあ大好きな女の子連れ込んだところに、俺みたいな奴は入れておきたくないだろう。

 分かっている。分かっているが腑に落ちない。

 俺は一体何と戦っていたんだ。

「俺は二人が猫になったのかと思って心配したんだぞ」

「そんな馬鹿なことがあるか」

「ばあさんが幼女になるハテノ村だぞ? 何があっても可笑しくはない」

「そうかもしれませんね。でも私たちは大丈夫ですよ」

 ゼルダ嬢の柔らかな笑みがありがたかった。彼女は二階から自分の脱いだらしい寝巻を抱えて持ってきて、「さあ、洗濯しましょ」と二匹に下敷きにされていたリンクのズボンを取ろうとする。

 ところがパサっと。ゼルダ嬢の腕の中から落ちたものがあった。

「あ」

「あ、やだ」

 慌ててゼルダ嬢がリンクのズボンと一緒に腕の中に隠してしまったのは、リンクの寝巻の上だった。

 確かに彼女はいま、二階から自分の分の脱いだものを持ってきたはずだ。どうしてその中にリンクの寝巻が入っている。何があってゼルダ嬢が脱いだものとリンクが脱いだものが混ざっている。

「なぁ、リンク」

「ん……」

「幸せか……?」

「う、うん?」

「ならいい。俺も嬉しいよ……」

「おう……」

 俺はマンサク。ハテノ村の端っこに住んでいる若夫婦の友人代表だ。

 近々、猫だけじゃなく人も増えるといいなぁと思う。

二次創作一覧に戻る