トイレットペーパーでぐるぐる巻きの彼女が廊下で倒れていた。話

 トイレットペーパーでぐるぐる巻きの彼女が廊下で倒れていた。

 自宅の扉を開けて飛び込んできた光景がそれだったので俺は頭を抱えてうずくまった。

 今日は非常に慌ただしい日だった。

 急遽入った取引先とのテレビ会議、後輩がやっちまったミスのリカバー、さらには終業時刻ぎりぎりに送られてきた急ぎの案件。どれもこれも、コンチクショウと言ってやりたいところだが、真っ当な社会人の仮面を被っていたのでニッコリ笑って残業を頑張った。

 で、満員電車に揺られて最寄り駅でヨロヨロ降りて、スーパーで値引きされたお惣菜と新商品のチューハイを買って帰ったら、先ほどの光景が目の前に広がっていた。

 トイレットペーパーでぐるぐる巻きの彼女が廊下で倒れていた。

 ただいまと同時に、俺は事件現場に足を突っ込むことになった。

 ともかく電気ぐらいはつけようと、転がる彼女の体を跨いで奥へ向かう。

 慌てた指がしばらくウロウロしてからぱちっと明かりがつくと、目に入ったのはぶっ倒れた観葉植物だった。

 ドラセナ・パープル・コンタクタとテーブルヤシ。どちらも100均で何となく買ったものだが案外しぶとく、さほど日当たりも良くない狭い賃貸住宅でもスクスクと育ってすでに5年。大事な同居人ともいえる2本の観葉植物が、物の見事に土をばらまいて倒れていた。

 何度か植え替えをしてそれなりに大きく重たい鉢に植えていたはずなのに、よくもまぁ倒したものである。黒い土が大量にフローリングに零れていた。カーペットじゃなくてよかったとこの時ばかりは安堵した。

 だが異変はこれだけに留まらない。手を洗おうと洗面所へ向かおうとすると、暗闇に踏み出した足が濡れた。うわっと足を引き上げたがもう遅い。洗面所の電気をつけると床は一面水浸しになっていた。靴下を脱いで洗濯カゴに放り込みながら様子を伺うと、お風呂の蓋がずれている。

 どうやら犯人は残りをお風呂の外にぶちまけたらしい。なんて迷惑なことをするんだろうか。

 軽く舌打ちをしながら適当なタオルで床を拭う。明日が休みでよかった、洗濯日和であることを祈るばかりだ。

 晩ご飯を食べようにも、彼女と観葉植物が床に倒れているのではどうしようもない。しかもよく見れば、彼女のベッドにまで土が掛かっていたので、掃除が先だと判じた。

 まずは零れた土を手でかき集めて鉢に戻す。明日は掃除と植え替えを断行する。

 だがフローリングの目地に入った土は箒が無いと難しい。細かい掃除は明日するとして、せめて小さな箒があったはずとデスクを見て、またしても俺は頭を抱えた。

 飾っておいたフィギュアが飾りのケースごと全部落とされていた。ついでにペン立てまで落とされていた。ひどい。

 無論デスクの端っこに置いておいた俺も悪いのだが、なんだって片っ端から落としてくれたんだ。落としただけでなく、中にはどう考えても蹴ったか放ったか、明らかに遠くまで弾き飛ばされたフィギュアもあった。凹んだ痕まである。

 落とされたフィギュアたちも全部元通りに直さなければならないが、俺はさらに見たくないものを見つけてしまっていた。

 段ボールがボロボロに千切られている。

 中身はもうないので全然構わない。しかし来週水曜の紙ゴミの日に縛って出すだけだったはずの段ボールが、無残にも紙切れと化していた。ただ縛ればいいだけの紙ごみが、袋に入れて可燃ごみにしなければならない状態になっている。

 誰だ、こんなめんどくさいことをしたやつは。犯人だ、犯人許すまじ。

 さらにさらに、顔を上げて驚いて口から変な声が出た。なんとカーテンが破れている。

 本当になんで今まで気が付かなかったのか理解できないぐらいに、縦にパッカリとカーテンが裂けていた。おかげで隙間からお隣さんの灯りが見えている。ということは、お隣さんからも、うちの中が見えているということ。

 大慌てで窓際に駆け寄ると、乱暴に割けたカーテンの隙間を閉めた。実はお隣のアパートも、大家さんは同じ人。つまり俺の家の中を覗かれたら最後、ヤバイ現実を告げ口されかねないということだ。

 しかしながらこの現状には、ほとほと困ってしまった。

 倒れた観葉植物、水浸しの洗面所、机から残らず落とされたフィギュアたち、ぼろぼろに千切られた段ボール、縦に割けたカーテン。そして廊下にはトイレットペーパーに塗れた彼女が未だに横たわっている。

 俺は何も悪いことはしていない。一体どんな嫌がらせだ。

 これはコーヒーでも飲んで一服して心を落ち着けるしかない。晩ご飯の前にコーヒーとはあまり褒められたものではないが、しかし飲まずにはやっていられない。

 苛立ちをあらわにしながらキッチンへと向かう。

 しかしキッチンに広がっていたのもまた、散々たる有様であった。

 大量のカリカリが落ちている。カリカリ、もとい猫のご飯。開封済みの袋はもちろん、未開封のご飯の袋さえ食い破られていた。

 こんなことをやる犯人の心当たりは1人、いや1匹しかいない。

 俺はコーヒーを諦めて彼女のベッドを叩く。土はほとんど落ちたのでもういいやと思った。

 そして廊下に向かい、トイレットペーパーに塗れた彼女の体を持ち上げた。スピスピと鼻が鳴る。

「寝顔は可愛いんだけどなぁ」

 トイレットペーパーを取り除き、フワフワベッドに放り込んだのは、サバ白のやんちゃな女の子の猫だ。たぶん生後半年ぐらい。来週実家に引き取ってもらうまで俺の家で匿っている。

 だがさて。来週までこの家が曰く付きの事故物件にならないでいられるか、ただ祈るばかりだ。

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