次ぐ春の花

 夕方の土手で彼女を見つけたその時、その子はまだほんの小さな子供だった。

 4月、新しい生活が始まってすぐのことだった。高校の2年になってクラスが変わり、慣れないクラスメイトに囲まれて窮屈な思いをしていた。親しかった友人は全員別のクラスになっていたし、ちょっと苦手なうるさいやつが席順で近かったし。

 しょうがないこととはいえ、早くこんな生活にも慣れたいと思っていた矢先、ぽっかりと空いた休日があった。

 特別やることもなく、遊ぶ相手もいない。どうしようかと迷った末、僕はポカポカ陽気に誘われて出かけることにした。定期券で行ける範囲内で、ちょっぴり1人で遊ぼうと思ったわけだ。

 後から考えるとたぶんこれが全てのきっかけだった。

 1人で遊ぶといってもゲームセンターもカラオケも親しい友達がいなければ入りづらいし、結局僕が行ったのは古本屋とファーストフード店だけ。なんだって電車に乗って数駅離れた駅に行ってまで、そんなところに行ったのか自分でもよく分からない。

 でも気が付いた時にはすでに遅く、クラスでよくうるさくしているちょっと苦手なヤツと目が合っていた。

「お前もここにくんの?」

「いや、あんまり。今日はたまたま」

「ふぅん。じゃあ付き合えよ」

 半ば無理矢理、俺はその苦手な奴に引っ張りまわされた。

 知りもしない部活の先輩の武勇伝や、まだよく知らないクラスの友達の話、別に何とも思っていない担任の悪口。いくら喋ってもやはりそいつとは話がかみ合わなかった。でもそいつを怒らせると後で何をされるか知れたものではないので、僕は必死で肯定し続けた。けっこう限界だった。

 夕方近くになり、ようやく「帰らないと」と言い出すと、ところがそいつは「俺も帰る」と言い出す。

「電車、同じ方向だろ?」

「そうだったっけ。ああ、ちょっと寄りたいところ思い出したから、じゃあまた学校で」

 俺は嘘をついて駅とは別の方向に歩き始めた。

 電車の中までこいつの話に付き合わされると思うとぞっとしない。振り向かなかった。嘘だとバレたら怖かったから。

 そうして気が付いたら夕方の土手に立っていて、僕は短い金髪の髪の女の子に見入っていた。

 明日も晴天だと言わんばかりの強烈な西日に、きらきらと黄金色の髪が反射する。いとこのお姉ちゃんの娘と同じぐらいに見えるので、3歳か4歳か、たぶんそれぐらいだろうと思った。

 しかし辺りを見回しても保護者らしい人影は見当たらないし、その子もあまり子供っぽくない。川の向こうの高層ビル群の中に吸い込まれていく夕日を座ってぼーっと眺めていた。まさに黄昏ているという感じで、長い睫毛の先まで金色。一瞬、外国人なのかなと思ったけれど、顔立ちはいたって普通なのでなんだかちぐはぐな感じがする。

 その子が微動だにせず、土手に座り込んでいた。

「君……?」

「ん?」

 思わず何も考えずに声をかけてから、僕は後悔した。ぱさっと音がして金髪のおかっぱ頭がこちらを向く。

 物騒な世の中だから、不用意に子供に声を掛けたら、こちらが不審者扱いされかねない。いや、でも僕まだ高校生だから不審者って感じではないかもしれないけど、でもあまりにも小さい女の子が相手だと危ない人っぽく見えるかもしれない。

 せめてまっとうな人の振りをしようとして、僕は5歩以上遠くから話しかけた。

「お母さんとかは?」

「おかあさん? いないよ?」

「ひとり?」

「うん、ひとり。私だけちょっと早すぎたみたいで」

 どういう意味かよく分からないが、その子は少しはにかむみたいに笑うのが妙に気になった。

 でもこんな小さい子をこんな土手に置いて行く保護者なんて非常識すぎる。高校生の僕ですら抱っこして連れ歩けるぐらいの大きさだ。事故や事件に当てからじゃ遅い。

「交番行こう? お家帰ろうよ」

 僕は意を決してその子の手を取ろうと思った。このまま放置していくのは寝覚めが悪い。

 でもその子は不思議なことに、強く根の張った植物みたいにその場から動かなかった。

「帰りたくないの?」

「違うのお兄さん、私のお家はここなんだよ」

 何をどうしたら土手が家になるんだ、意味が分からない。

 でも次の瞬間もっと意味の分からないことが起った。淡く、その子が消えていく。

「おやすみなさい」

 日の入り、スッと西日が無くなった瞬間に、その子の姿が消えた。

 それでようやく僕は、人ならぬものと話をしていたことに気が付いた。

 お化けだろうか、妖怪だろうか。でも不思議と悪さをするような子には見えなかった。

『また来てくれると嬉しいなぁ』

 耳の奥でそう聞こえた気がして、僕はその日は1人で家に帰った。

 数日して、やっぱりあの子が気になった。土手で一体何をしていたんだろう、何を見ていたんだろう。そもそもあの子は一体何者なんだろう。

 ただ問題は、あの土手の最寄り駅は苦手なあいつがいるということだ。あれ以来、妙に気に入られてしまったのか、学校で何かにつけて話しかけられている。非常に迷惑している。

 苦手なあいつに会ってしまうことか、あるいは気になるあの金髪の女の子か。

 結局午前中一杯迷った末、僕は日曜日の午後だいぶ経ってから家を出た。目深に帽子を被り、一見して僕とは分からないようにして土手へ急ぐ。

 果たしてその子は居た。

「お兄さん、また来てくれたのね」

 でも姿が少し違った。

 前回会ったときは3,4歳ぐらいかと思っていたが、明らかに大きくなっている。たぶん小学校高学年ぐらい。子供特有の丸っこい腕がすらりと伸びて、肩までしかなかった金の髪は背の中ほどでキラキラと揺れていた。

「人じゃないのか?」

「驚かない人でよかった」

 肯定はしないが否定もしない。その子はたぶん、人ではなかった。

 数日のうちにこんな成長する人間なんて聞いたことは無いし、大体から金の髪の女の子がずっとこんな場所に居たら絶対に噂になるだろう。しかも彼女は先日さっぱりとその場から姿を消してしまったのを目撃している。ただの人だと思う方が難しい

「君の正体が気になって」

 思わず本音を零すと、女の子はまぁと新緑色の瞳を輝かせた。

「じゃあ私が正体をばらさなければ、お兄さんはまた来てくれるのね?」

「そういうことになるのかな」

 コロコロと鈴を転がすように笑った女の子はその場を動かなかった。そこはなんてことないただの土手。名前も分からない雑草のなかに、白や黄色の花が少しばかり咲いているだけの、ただの土手だ。

 でもきっと女の子にとっては意味のある場所なのだろう。その日も試しに手を引っ張ってみたけど、やっぱり動かなかった。

「お兄さんまた来てくれると嬉しいな」

「正体が分かるまで、じゃあ来ようかな」

「楽しみね」

 ふふふと笑った女の子のほっぺにまた明るい西日が差した。だんだんと強くなる橙色に、あぁと女の子は唇を突き出す。

「もうそろそろお別れの時間みたい」

「夜は居ないんだね」

「お日様が沈んでいる間は寝る時間だから」

 じゃあねバイバイとその子は手を振って、やっぱり西日が高層ビル群の向こう側に消え入るのと同時に姿を消した。そこにはやっぱり雑草しか生えていなかった。

 そこからの一週間、僕の頭の中はあの女の子のことでいっぱいだった。一体どんな妖怪か、お化けか、妖精か。時間があると図書室へ行って色々調べてみたが、まったく分からない。

 もう少しヒントが欲しいと思って次の日曜日、また土手へ急いでいた。随分と温かくなり、帽子を被るのも面倒になる。それが失敗だった。

「あれ、お前また来たの?」

 クラスの苦手な奴にまた会ってしまった。

 訳も分からないまま遊びに付き合わされてから二週間も経つ、僕はすっかり土手へ行く駅があいつがよく遊ぶ駅だということを忘れていた。

「ああ、ちょっと用事があって」

「用事?」

「いや、なんでもない」

 じゃあと歩き始めたがそいつは何を思ったのか着いてきた。

「用事って何? そっちは川しかない」

「ちょっと川見たくて」

「川見てどうするんだよ」

 金髪の女の子のところに足しげく通っているなんて言えない。言えないけれども「川へ行く」と言ってしまった以上足を止めることもできない。

 この日ばかりはあの女の子が居ないことを心の底から願った。姿が無ければ僕の用事もなくなる。すんなりと「用事終わった」と言って帰れるから。

 でも彼女は居た。

 またしても背が伸びて、僕と同じか僕よりも年上の綺麗な女の人になっていた。金の髪が明るい日差しに甘くたなびいて、事もあろうにこちらを見て手を振っている。振り返さないで無視するなんてできない。でも隣には苦手なあいつがいて、後で何を言われるか分からない。

 冷や汗がすうっと背筋を伝う。

「あれ、今年もいるのか」

「2人は友達だったのね」

 ぽかんとした。

 金髪の女の子に向かって、クラスのあいつは親し気に話しかけている。そもそも他の人には見えないのに、コイツには見えるらしい。しかも僕よりもずっと前からの知り合いみたいだ。

「どういうこと?」

「そうかお前、この子に会いに来てたのか」

「そうよ、お兄さんは私のお友達なの」

 2人して笑うので、僕はだいぶ困った。なんだか僕一人必死になって、道化師みたいだ。

「まぁということは、またあのなぞなぞをしているんだな」

「そう、お兄さんはまだ私の正体が分からないの。だから遊びに来てくれているの」

「俺はお前の正体知ってても毎年遊びに来てやってるぞ?」

「そういう人は稀ね」

 2人は幼馴染なんだろうか。僕は何も言えず、傍らに立ち尽くす。爪弾きにされたみたいな焦燥にかられた。

 僕だけの金の髪の女の子だったはずなのに、嫌なあいつの方がよく知っているなんて。

 なんだかズルい。

 するとそいつは「おいおい」と苦笑した。

「そんな顔すんなって。ああ、でももう来週ぐらいにはお別れじゃないのか?」

「そうね、今年は温かいからもうそろそろお別れかも」

「お別れ?」

 僕はまだその子の正体を突き止めていない。だからまだ遊びに来るつもりでいた。次の日曜日も、そのまた次の日曜日も。

 なのに女の子は少し寂しそうに笑ってまた西日を瞳に写し込む。

「雨ならまだ旅出てないけど、晴れなら次の日曜日にさよならするね」

「僕はまだ君の正体が分からない」

「じゃああと1週間でがんばって」

 無茶苦茶だ。分からないからずっと遊びに行こうと思っていたのに。正体が分かっていても分からない振りをしていようと思ったのに。

 彼女は待ってくれないらしい。

 僕はずっと次の日曜日が雨になればいいと思って、テルテル坊主も逆さまにしておいた。でも駄目だった、晴れだった。

 最後の日曜日、僕が隣駅に着くと嫌なあいつは待ってましたとばかりに手を挙げる。別に約束なんかしていない。

「嫌な顔するなって。俺もあの子を見送りたいだけだから」

「君はあの子の正体を知っているんだろ?」

「知ってる。何年も見送ってきたから」

 そう呟くそいつの横顔は、なんだかいつものうるさいだけの嫌なヤツとは違った。学校で騒がしくしているだけのあいつにしては、神妙な顔をしていた。

「なあ、あの子がどんな姿をしていても、驚かないでやってくれよ」

「うん?」

 最初に会ったときは幼稚園生ぐらい、その一週間後は小学生ぐらい、先週会ったときは同い年ぐらいになっていた。そのまま言ったら今日は30代ぐらいか、いっても4、50の僕の親世代ぐらいだろうと思っていた。

 土手に立っていたのは真っ白な髪の老婆だった。

「晴れたわね」

「晴れちまったなぁ」

 金だった髪はどこにもその気配がなく、付け根から毛の先まで真っ白。雪のようだった。

 それでも一目見て、最初に会ったあの小さい金の髪の女の子だと分かる。淡く纏う空気のおかげで、彼女は空に溶けそうになっていた。

「いい日になったわ。それじゃあ今年も行くわね、さようなら」

「おう、また来年な」

 手を振る彼女が空に溶ける。

 夕方でもないのに風に吹かれるだけで、ほろほろと彼女は姿を崩し始めた。

「待って、僕はまだ君の正体が分からない!」

 手は掴もうとしても崩れて掴めなかった。にっこり微笑みながら彼女の姿がすっかりと消える。

 足元に残っていたのはタンポポ、綿毛がすっかり吹き飛んで丸裸になった軸だけ残っていた。

「なぁ来年もあいつを見送りに、一緒にきてくれるか?」

 嫌なヤツが僕の顔を覗き込む。案外、コイツはもしかしていい奴だったのかもしれない。

「うん、いいよ」

「じゃあ来年もタンポポに会いにこよう。約束な」

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