貧乏くじの裏事情 - 1/4

 とんた貧乏くじを引かされたと最初は思ったが、今は案外よかったと思っている。
 必死で赤のチュニックを引き下げながら睨みつけてくる新人近衛騎士を、私は椅子に腰かけながら悠然と見下ろしていた。

「下履き、返してください……」

 十三歳だったか。言葉遣いはぎりぎり及第点としよう。
 退魔の剣を抜いた従騎士を近衛騎士に取り立てるので教育係をせよと陛下から直々に言われた時には、七面倒臭すぎて陛下のモジャヒゲに辞表をねじ込もうかと思った。でも今は断らなくてよかったと思っている。
 いやはや、絶景である。
 彼は今、近衛騎士が身に着ける赤いチュニックと長手袋とブーツしか着用していない。もちろん下履きも履いていない。私が脱がせた。それ以外は私が手元に置いて、渡していない。
 それで彼は前述通り、赤絨毯に膝を付いて両手で必死に下半身を隠そうとしているというわけだ。

「えーどうしようかなァ」

 本人に渡すように仰せつかった制帽をくるくると指で回しながら、私はせいぜい意地悪に見えるように優しく目を細めた。
 少年の名前がリンクだと聞いた時、すぐに彼の父のことを思い出した。
 彼の父は非常に良くできた近衛騎士で、平民でありながら陛下の覚えもめでたかった。手違いさえなければ今も立派に務めを果たしていたことだろう。だから今は亡き元同僚が、己が息子をとても褒めていたことも、有望ゆえに将来を心配していたことも覚えていた。
 父と同じ近衛騎士になった感想も聞きたかったが、それよりも先に懸念事項で私は頭がいっぱいだった。

「でも近衛騎士に任じられたのなら、これぐらいは軽くこなしてもらわないとねェ」
「うっ……くぅ……」

 え、なに、今の鳴き声。世の十三歳ってこんな声出すんだ、知らなかったなァ。
 耳まで真っ赤にして唇を噛んでこちらを睨んでいるあどけない少年に、私は逆に心配になってしまう。従騎士や従士なんて下手したら若い先輩騎士の欲のはけ口だろうに、この子は今までどうやってこの手のことを避けてきたんだ。私だって十かそこらの頃は先輩騎士に押さえつけられていた。それどころか彼は、ほんのり紅でもさしたら少女と間違えられないほど整った顔をしていた。
 人のあしらい方を覚えなかったらこの先、魑魅魍魎の餌食間違いなしの初心な少年だ。

「いいかい、王族に言われたらボクら近衛騎士は基本的に断れないんだ。何でもやらなきゃいけない。特に君は平民出なんだから、断れることがあると思わない方がいい」
「……はい」
「いいじゃないか、上着てるんだから。ボクなんか近衛騎士に任じられた最初の夜に、ローム陛下にブーツだけにさせられてダンス躍れって言われたからね。それに比べたらまだマシな方だと思うなァ!」
「えぇっ……」

 冷や汗とも涙ともつかぬものがつぅっと彼の頬を流れ落ちるのを盗み見ながら、私はこれ見よがしにため息を吐いて見せた。若いというよりも幼い。これは確かに教育係が必要と判断されるわけだ。
 ゼルダ殿下がお生まれになった十二年前に厄災復活が予言されて以来、騎士たちは己こそが伝説の剣の主であることを証明するために方々を探しまわっていた。ところが一か月前にその退魔の剣を持ち帰ったのが、未だ騎士に叙されてもいない十三歳のリンクだ。
 これは荒れるぞーとワクワk……心配していたら、案の定血気盛んな年頃の騎士たちは小さな従騎士に敵意丸出しになった。物騒で嫌だねぇ~と思っていたところに今回の教育係の話が漫才の金ダライのごとく降ってきたというわけだ。東洋でいうところの『和を以て貴しとなす』が信条の私としては非常に迷惑な話だったので、少々の意趣返しも許していただきたい。
 柄にもなく声を落とし、彼の眉間に向けて指を突き付けた。

「退魔の剣を抜いた以上、君が勇者だ、リンク。だが近衛騎士に叙されたのは、殿下と共に厄災を封じる勇者が、他の騎士の介添えをする従騎士では外聞が悪いからというのは忘れちゃいけない。自分の処遇を理解しないまま近衛騎士の制服を着せるわけにはいかないなァ」
「はい……」

 少し涙ぐんだ塩らしい返事に、心の中で天を仰ぐ。
 彼が近衛騎士に叙された経緯と、服を渡さないことに直接の因果関係はない。私が作り出した言葉の綾だ。関係が無いのにこんな真面目にお返事してしまうなんて、やはり亡くなった元同僚、彼の父の杞憂は大当たりだ。
 この子はその力量に対して、性格が素直すぎる。教育以上に保護がまず必要で、これから成人するぐらいまでは、誰かが後見として見張っていなければならない。
 そんな大仕事を私にさせるのなら、不必要に脱がせるぐらいの役得があってもいいじゃないか。

「あ、あの、……上官殿」
「ん?」

 最初に何と呼べばよいのか聞かれたので、ふざけて「上官で」と言ったら素直に呼んでくれた。私と君の給与は一緒だよ、とは言わないでおく。
 未だ下半身をチュニックで隠そうはしていたが、私の言葉を受けとった彼は立ち上がった。まだ筋肉の薄いしなやかな太ももがもじもじとしていたが、これでも頑張って私の言いつけに応えようとしているらしい。

「あの、俺……」
「なんだい」
「……ダンス、やり方分かりません…………」

 吹き出すところだった。お茶飲んでなくてよかった。曲がりなりにも騎士として日々の鍛錬で培われた全身の筋肉を総動員して、私は笑うのを堪えた。
 リンク君、問題はそこなのかい。
 君にとってのいま最大の問題は、ダンスのやり方が分からないことなのかい。もし踊れと言われた場合に踊れないことの方が問題なのか、それでいいのか。
 生憎と自分の息子のことは亡き妻に任せっきりだったので、十三の少年の生態についてはよく分からない。ただこれが普通の少年でないことは間違いないだろう、私の野生の勘がそう告げている。
 さてさて、この勘違い少年をどう教育するのかは私次第だ。
 そしてこの瞬間、教育法方針は決まったも同然だった。私を教育係に指名した陛下には、少しばかり後悔していただこう。

「ではダンスの手ほどきしてあげよう」

 おいでと手招きしながら部屋の中央の広くなったところへ行く。一本しかない燭台に照らされた部屋の中央で、手始めに私は最も基礎であるステップを踏んで見せた。

「これが、三拍子で踊る一番基本の形だ」

 それから足の動きを左右逆転させ、さらに体の回転を加える。親戚筋の貴族子女にダンスの練習相手をやらされた経験はあったが、まぁ一度見たところでステップが踏める子はまずいない。
 が、燭台の揺れを照り返す青い瞳は、射るように私の足元を観察し続けていた。チュニックを握りしめた指先がわずかに三拍子を刻んでいる。当たり前だが運動神経は良いようだ。

「じゃあ一緒にやってみようか」
「え、えっと……」
「なぁに、物は試しだ。足を踏んだって怒りゃしないよ」

 それよりも、腕をホールドしてしまえばチュニックを押さえることができなくなる。手をこちらに預けさせてしまった方がよっぽど面白いではないか。
 ……という下心は上手に隠して左手を差し出すと、彼はおずおずと右手を差し出してきた。それでいい、と頷きながら私は右腕を回し肩甲骨のあたりへ添えて、ぐいと体を寄せた。すると戻り始めていた赤らんだ頬が、再び茹でオクタのように真っ赤になる。
 君、本当に男の子かね……?

「左手を私の右腕に添えて、そう、それでいい。先ほど教えたように動いてごらん、大丈夫リードはしてあげよう」

 一、二、三、とゆっくり拍子をとって、ステップを踏み始める。すると予想通り、初めてではまず踏めないステップをいくらもたたないうちに滑らかにできるようになり、少しリードしてあげたらすぐに回転にもついてきた。

「いいねェ、素質があるよ」
「……おそれ、いります……」
「恥ずかしがらなきゃ満点だ」
「……っ」

 そこは無理なんだねェと思いながらそっと腰のあたりを確認したが、成人男性であれば見え隠れするはずのガンバリダケは先っぽすら見えなかった。服のサイズが大きすぎるか、あるいはまだ発展途上か。
 いずれにしたって、このままではまともに近衛騎士は務まらないだろう。しばらくは形だけのものになりそうだ。

「今日はこれぐらいにしておこうか、服も着ていいよ」

 脱がせた下履きを返し、渡していなかった他の装備品も渡す。
 一通り身に着けさせて思うが、やはりまだ服に着られていた。明日から厄介なことになりそうだ。

「上官殿、ありがとうございました」
「それは何に対して」
「……ダンス教えていただいたから」

 本当に誰だい、こんな純な少年に剣を抜かせたのは!
 これが女神のご意思ならば、随分と良いご趣味をしておられる。これでも敬虔な女神ハイリアの信徒を自称する私は、女神のご趣味には興味がない振りをして再び椅子に腰かけた。

「あれ、女性側だよ」
「え゛ッ……」

 再び顔を真っ赤に硬直したので早く自室に帰りなさいと促したが、果たして彼はいつ気が付くだろうか。
 確かにダンスは男女で腕の組み方が異なるし厳密には役割が異なるが、基本のステップは変わらない。向きが逆になるだけだ。

「あれが退魔の剣士ねェ……こりゃあ先が思いやられる」

 勇者が見つかったと喜んでいる人々を横目に、私はこれからしばらく胃の腑が痛くなるほど彼について悩むことになった。